ママの母


嘘、嘘、大嘘。全然気持ちの中で片付いてない。
でもこの頃思う。親は、私のことを利用して、次の子を育て日々のはけ口にしたんじゃないかって。だからって、今、親の愛情は求めても絶対与えられることは無い。親は死んでしまったことだし、これだけは確か。

イヤなこと考えても、ろくでなしじゃない、そうだったのかもねって、自分のことも、もっと可愛がってやって、親のことは終わりにしたい。どんなに自分が辛くても、誰かが助けてくれるわけじゃない。周りに話すことは、もっと自分をなんて悪い人間だと追い詰めることになる。静かに対話して、もう残りのほうが少ない人生を自分の生きることに使いたい。


2004.8.26

やはりまだお礼は言う気になれない


2003.8.19.

その後

いろいろ本を読んでみた。
そのうち多いのは、母と話してみたら解決できるというもの。
それだけはできない。

育児関連の本には、こう接すると子供が○○になるので、気をつけましょう。
こうするとこんな風になっちゃいますよ・・・

と、書かれている、してはいけないというのを、多々されてきた。
で、なっちゃった。
しかも大人になってしまうと、直すのは大変と書いてある。
どうしたらいいわけ?

子どもの心のコーチング(リヨン社)という本に、書店で目が止まった。

第5章 親の幸せは自分でつくる

子どもの幸せの第一歩は、親自身が幸せな人生を送ること。
そして親自身の幸せは、自分自身でつくるものです。

あなたは自分が好きですか?

充分な自己肯定感がなかったとしたら、それはあなたのせいではありません。
あなたの親が愛することを充分教えきれなかったのです。
では、それはあなたの親のせいでしょうか。
いいえ、親は自分の知っているやり方であなたを育てたのです。
それ以上のやり方を知らなかったのは残念ですが、知らなかったことは責められません。

xxxxx

  私は自分が好きではない。
  でも今、子育てをしていて、自分が自分を認められること、
  自分が今幸せであることが大切であると思い始めている。

xxxxx

実は、子どもに自己肯定感を教えるプロセスがそのまま、
親が自分の中にそれを育てるプロセスです。
子どもを愛する中で、一番に自分を愛する気持ちを育ててみてはいかがでしょう。

xxxxx


 伯母と話し、「昔はみんなそうだったんだよ、私もそうだったよ」
 と、聞き 得るものは無かったと 失望した。
 現に 昔でも、もっと素敵な子育てをされたお話を、私は
 あちらこちらで見聞きして 知っています。

 でもこの本を読んだ時に、気が付いたことがありました。

 母は、近くに兄弟姉妹が住んでいて、10人いた下から3番目でした。
 年上の人たちの子育てを見て、伯母の話にもあったように、
 同じようにしたのでは?

 他を知らなくて、若かったし(普通だろうけど、25~30才で3人出産)、
 3人もいたら、いらいらしたり面倒に思うことが、多々あったのだと思える。
 父は普段日常で、子育てに参加することはなかった。任せていたとのこと。
 なおかつ、家を建てようと、母もパートで働いていた。

 それで、一番上なんだから我慢してとか、早くしっかりと、
 叱って育てたのかしら。親は楽だろう。


 そこまで来て、母はもう亡くなっているので、
 これ以上、私は追う必要を感じなくなりました。

 生きていれば、年がいけば、母と話すことで・・・という本が多かったので、
 亡くなっていることに もう解決できないと思いましたが、
 亡くなっているから、解決できることもある、
 全く逆の結果になり驚いています。

 やはり、一つの事物は、どう見るかで、全く違うものになる
 全くその通りでした。


 ほぼ、これで終結と思っています。
 ただ、残念なことを思います。
 私は、あなたのもとで幸せでなかった。
 理不尽なことを強制され、すごくひねくれた。
 悪いけど、そう思います。

 この前の、お墓参り、大体結論出ていたけど、まとめたのは今日。
 報告できなかったね。

 あなたも残念な人生だったと、私は病気の時から思っていました。
 働くだけ働いて、それで終わってしまった。短い人生だった。
 娘に冷たくされ悔しがっていた話も聞いた。

 私も素直じゃなくて残念だったよ。
 今なら、当然疑う病気を あの時は分からなかったのも残念だよ。
 気が付いたところで、手遅れというか、運が無かったというか、
 そういうあなたの人生を惜しく思います。

 育ててくれてありがとう。



2003年5月28日

仕事の合間に伯母の家へ行った。母の本家にあたる。

母がどんなふうに私を育てているように見えたか、聞きたくて出かけてきた。
が、私はこの伯母には、会うと必ず説教になるので、苦手だ。
ずいぶん前に、説教と、それを言ってどうなるの!?ということを言われ、
嫌気がさして行かなくなった。

今回も、無駄足ではなかったが、辛いものがある。

私は、2歳7ヶ月で弟が生まれ、5歳9ヶ月でもう一人弟が生まれた。
記憶が何歳から残っているかわからないが、15歳までの母の記憶は、
早くしっかりしなさい
あんたが我慢すれば兄弟喧嘩にならないから、理由はなんであれ我慢しなさい
勉強しなさい と小言を言われ続けた。
これしかない。

いや、まだある。髪を伸ばしたいと言っても、絶対ダメ。
赤い服が着たいと言っても、他の色しか買ってもらえなかった。
父と、好き嫌いを言う長男には、特別のおかずがあった。

いいこと、ちょっとあるか。
高校の入学式に付いて来た。桜が満開でカメラを持ってくれば良かったと言ってた。
結婚式の時は、たまたま体調の良い時で、出席して写真に収まっていた。
孫を病院に連れて行ったら、顔を寄せていた。


15歳からは、父に おまえは女なんだ。早く帰って飯を作れ
学生の間は、早く帰ってこないと 学校に怒鳴り込むぞ
社会に出てからは、早く帰ってこないと 会社に怒鳴り込むぞと、言われた。

病気の母は、入退院を繰り返し、病院のほうが長かったと思う。
私は、そんな状態なのに、結婚の話が出て、躊躇なく家を出た。
結婚後も、父から、会社をやめて母の付添いをと言われた。
(付添いさんの支払いが日に1万くらいかかっていた。が、会社はやめなかった)

母は、苦労するだけして、私の高校入学と同時に病に倒れ、闘病のち亡くなった。
年頃になって、あんなことがあったね という思い出話ができなかったのも
記憶が無い理由の一つだろうし、
嫌だった日々を、私が思い出したくなかったのも理由だろう。


伯母は、私が病気の母に冷たかったことをなじり、それで私を憎んでいることを話し始めた。
それは、伯母が本家の嫁に来た時に、母が親切だったことに発し、
だからこそ、病気の時に、誰よりも親身に介抱した。

母も、いつかは もう先が短いことを悟ったせいなのか、
冷たい娘(家族?)に、嫌気がさしたせいなのか、
睡眠薬を大量に私の前で飲んだのだそうだ。
私には言われてもわからない。

母は、いつも25種とも27種とも大量の薬を飲んでいたし、
顔を見れば小言しか言わなかった。


自分の子を憎む親がどこにあろうか、それに、
上の子が我慢すれば喧嘩にならないから、上の子を抑え込む
こんなことは、当時みんなやってた と伯母は言う。

しかし、私は大人になり、人の話を聞いたり本を読み、
子を愛せない親もあるし、みんなが理不尽ではなかったことを知った。

母は、せめて私の記憶にない幼子の時は、可愛がっていたのだろうか。
話しながら、おっぱいを汗だくになって飲んで眠ったひよちゃん、
頭を、さらさらになるまで拭く私を見て、
そうやって可愛がっていたと、一言。

母は、おっぱいの出が悪く、この伯母にもらい乳に よく通ったそうだ。
そっちの話ばかりになって、他の様子は聞けなかった。
伯母も年をとったので、強く覚えていることだけになるのだろう。


他にも、母は、兄弟姉妹が多いので、姉妹には聞いてみたい。
私には、耳に痛い話が飛び出すかもしれないが、
母の話、私が小さい時の話は、伯母たちに聞かない限り聞くことはできない。
弟の子育てのことも聞いておきたい。

仕事の合間に、また聞きに行こう。伯母たちが生きてる間に。


今までの年月、私は、自分の母の悲しい思い出に、とらわれてきた。
よく、親になって、親の気持ちがわかると聞くが、
そんなふうには考えられず、
子供の頭をなでながら、私のことは、こんなふうに可愛がらなかったのだろう
と考えてしまう。

母が死んでまで、自分の悲しみしか考えられないのが悲しいが、
そろそろ、心を整理して乗り越えるか、悲しみと憎しみで生きていくか選択する時期だ。
子供がどんどん成長してきている。
心に幸せな思い出をたくさん詰めてやる時期がもうじきやってくる。

私が幸せにならないと、子供と夫を幸せにできない。

うちの夫婦間も、夫はよく耐えているが、私が憂鬱を解消できないなら、
別れて開放してやらないと、不幸な期間が長引くだけだ。


母にした親孝行は、あの世で、孫自慢の話に参加できるよう、
孫の顔を見せた それくらいしかない。


私が今悩むことは、子供の頃、甘えられなかったさびしさと、
姑の顔も見たくないことだ。

母も姑には泣かされていた。
祖母は、相当ひどく嫁(母)をいじめたみたいだ。
誰に聞いても、ひどいおばぁちゃんだったよ と、言う。

この祖母とは、小学5年から、交流を母に禁止され、
内緒で会ったのをたまたま父が見かけたらしく、母に言いつけたので、
次に会うことはなかった。
祖母が体調を崩してからも、そのことは一切両親から知らされることは無かった。

このことは、後に、別の親戚から、可愛がってもらったくせに
なんて冷たい子だ と、聞こえよがしになじられた。
(祖母は孫の中で私のことを可愛がった)

父は、私が祖母に可愛がられ慕っていたのは知っているはずだが、何を考えていたのだろう。
父のいいところは、ものすごいばぁさんだと評される姑から、母を離してやったことだ。


あと、私は、父と同じことをしてる。それも父よりもすごいスピードで。
・・・・・
現在の父と私のしてることはあまり差が無いように思える。


私には、父方の祖母が二人いるのだが、もう一人の祖母は、
母のことはいじめていないようだ。
その祖母の家で私は生まれている。

が、祖母は産んだ6人の子供のうちの一人と同居し、
嫁をいじめていた。
嫁もいじめ返していた。
どっちが先に始めたか、より悪いか、私にはわからない。
が、すさまじかった。

姑とうまくいかない連鎖、まさかそんなことはないだろう
と、思いつつ、気にしてる。
しかし、気にしても解決にならない。不幸せを何個も抱えたくないので、
とりあえず、うちの姑は(虫)。



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