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明日に架ける橋 Bridge Over Troubled Water ケン高倉☆彡
九章
ベッドのエピソード
美空ひばりが来た時、休憩する時の為にベッドを購入したそうです。
それを 父は、自分のベッドとして大切に使っていました。
わたしが、中学に入った時、父は、とても大事にしていたそのベッドを入学祝いにと貰いました。わたしも父の臭いのするそのベッドが好きでとても大切にしていました。中学3年生までの3年間、わたしはそのベッドを使用していましたが、15年間使用していたベッドは、スプリングがダメになってしまい新しいベッドに買い換えた後、母に教えられ知った事ですが、ベッドに何かいたずら書きがしてあると思っていましたが、まさかそれが、美空ひばりさんのサインだったとは知りませんでした。まして、それが、美空ひばりさんが、家に来た時休憩の為使用したベッドだったとも、そんなすごいものとは露知らず、わたしは、ただ、父の香りのするベッドで寝起きをするのが嬉しかったのです。父と母の出会った思い出がたくさん詰まってるベットだったとは、もう、ありませんが、あのベットを処分する時、父はどんな思いだったのでしょう。父にとって、家宝とも言えるモノでしたのにどんなに辛い思いをした事でしょう。父は、たまに『今あのベッドがあったなら・・・』とつぶやく事があります。まさか、あの頃、美空ひばりと言う人物が、こんな偉大な人になるとは、思っても居なかったそうです。今、そのベッドがあったなら大変だったのでは無いでしょうか。父と母の出会った時の思い出の品があったなら父も寂しい思いをせずに居たかもしれません。
美空ひばりさんが袋田の滝に泊まって「さしみ騒動」を起こしたエピソードがあります。美空ひばりさんが袋田の滝温泉で「刺身が食べたい」と言いったそうです。でも、袋田は山なので刺身と言ったなら「刺身こんにゃく」しかありませんでした。それを出したなら「わたしの食べたいのは本当の刺身」と言い、町まで本当の刺身を買いに行かせたそうです。このエピソードは、もしかしたなら、その頃ではないでしょうか?
祖父は、母と義母がいとこ同士だったことも有ってか、母が嫁いでから、今度は、母の別のいとこを父の弟(息子)と結婚させました。母の遠い親戚をお手伝いに雇い、後妻の親戚の子供達を映画館で働くようにと福島から呼び寄せて、映画館の仕事を手伝わせました。祖父は、母達の親族を集め、一つ屋根の下で共に暮らしました。
祖父は、早くに栃木の家を出、家族を捨てる様に日立に来て、自分の両親や兄弟の血縁者を失いひとりになって感じた事とは、「家族の団結」だったのでしょうか。ですから、親族を思う気持ちが人一倍強いかったに違い有りません。自分が、20歳も違う女性と一緒になり、老後を迎えた時、やはり、歳の差で考え方も違って行くのが解っていって、寂しかったと思います。だからこそ血のつながりを大切にし、傍に親族を置きたかったのかも知れません。早くに家を出、好きなことをしてきた祖父でしたが、寂しさと言うモノは、いつも抱いていました。その寂しさを拭う事と親族を大切にしたい気持ちというのが、活動写真館をやる事だったのかもしれません。
映画館を成功させる事で、バラバラだった親族の絆を深めさせたかったのでしょう。
昭和34年現・天皇陛下が、結婚する年です、巷では、皇太子明仁親王殿下と正田美智子様 今の天皇陛下と皇后陛下が結婚すると騒いでいる最中、同じ年の1月11日父と母は結婚しました。
この年は、日立の平和通りが出来た年で、今では毎年、桜の季節になるとNHKでも、撮影に繰るくらいの桜が日立にあります。同年その桜が植えられた年でもありました。
その結婚式の事を母は、生前、わたしに語ってくれました。これは、わたしの心の中で、今でもエピソードとして残っています。
父と母の結婚のエピソード
祖父のキップの良さを買われて興行師と出逢った事は、前にも書いたと思います。その為、父方の参列者は黒塗りの車に乗った人たちばかりでした。父と母の結婚式の当日、その黒塗りの車が、日立駅前の旅館前に並んだそうです。
母方の親族は、網元をやっている生真面目な親族ばかりだったのでさぞ驚いたのでは無いでしょうか。
新婚旅行のエピソード
エピソード 1
昭和34年、父と母の新婚旅行は奈良でした。
その時、母は二十歳でした。
奈良に行くのに電車が、小田原で、車両切り替えがあり止まった時の事だそうです。母は、お土産を買おうと電車を降りたなら、父の乗っていた電車が動き始まってその場から居なくなってしまいました。その時、母は一人になってしまい心細くって泣きじゃくってしまったそうです。ただの車両切り替えで一時父の乗っていた車両が動いただけなのに戻ってきた父に母は抱きつき泣きべそをかいたというのです、父はきっと、そんな母の姿を見て、あきれるほどの愛しさを抱いたのでは無いでしょうか。
エピソード 2
結婚式の時からおしりに異常を感じていた母が、向かった先は奈良でした。
観光に入っているのが奈良公園でした。そこで父と母は鹿に餌を上げて居たそうです。
もう、おわかりかと思いますが、その鹿に母は結婚式の時から異常を感じていたおしりを角で刺されてしまったのです。
旅館に帰った時、新婚だと言うのに母は、自分のおしりを父に差し出し、見てもらったなら おできが出来ていたので、父に薬をつけてもらったそうです。
エピソード 3
昭和34年の新婚旅行の服と言ったなら、とてもツバの広い帽子をかぶり、レースの入ったドレスを着、そこにハイヒールと云うファッションが、十八番でした。電車などに乗るとそんなカップルがたくさん乗っていて、あのカップルは新婚だとすぐ解ったような頃がありました。母も、新婚旅行に帽子をかぶって、すてきなドレスを着、馴れないハイヒールを履いて、新婚旅行に行きました。
まだ、履き慣れない靴を履き、奈良で歩きすぎたのか、足にマメが出来てしまいました。靴屋に入りサンダルをと見たなら、男物しかなくて、その新婚旅行用の帽子に服、そこに男物のサンダル、新婚旅行なのでそれなりの旅館に泊まったそうですが 旅館を入ったならその旅館の人たちが「いらっしゃいませ!」と頭を下げたと思ったなら、その瞬間、頭がビクともしなかったそうです。旅館の人も驚きすぎて笑いをこらえるのに大変だったのでは無いでしょうか。
母は生前、わたしの友人に恥ずかしがる事をせず、こんな話を自慢下に話していました。
母は、そんな自分を愛してくれた父を誇りに思って、自慢話の様にしてたのでしょう。
新婚旅行を終え、帰ってきたのもつかの間 現実の結婚生活は、甘いものでは有りませんでした。当時、長男である父は、従業員10人、お手伝いさん3人、そして、祖父母と実弟と義理の弟、お姑さんのお姉さんの18人が、ひとつ屋根の下で暮らしていました。今では、誰も想像の付かない処へ嫁入りをしたのです。
普通ならふたりで甘い生活を送れたでしょうが、嫁いだ先が映画館を経営しているでは、甘い生活など考えられません。従業員やお手伝いさん達のトラブル、お姑さん達の世話、父は、7人兄弟で皆 結婚はしていましたが、お正月になると各家族が勢ぞろいするのです。
これだけ人が居たなら、何も無いのがおかしいです。母は、新顔と言う事もあり、お手伝いさんに嫌がらせをされ、いとこである義母に善いように使われ、色んな事を耐え抜き20年間、家庭、従業員、お手伝いさんの顔色を伺いながら生活してきました。
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