ルナ・ワールド

ルナ・ワールド

当事者であることと第三者であること



第三者は当事者からしてみれば、部外者。

当事者は第三者から見れば、被害者または加害者。

当事者の当事者であるがゆえの体験・経験というものは願ったって第三者が手にできるものではない。それゆえに生まれた、血肉からわきでてくる視点や考えもどんなにがんばったって所詮は部外者である第三者が手中にできるものではない。

と同時に、自分と直接は関係がないから得られる、ちょっと突き放した、冷静(であるべき)第三者ならではの視点を当事者に求めるのはお門違いだと思う。第三者はその立場を利用して、さまざまな「客観的」視点を創造(&想像)するのに全力を傾けるべきだろうと思う。それが結局は解決法を本気で模索している全当事者たちの一番役に立つのではないか。

政治・社会活動に一生懸命になってる人に良く見られる兆候として、「当事者になりきって活動する」という方が本当によくいらっしゃる。これほど偽善的な、自分に酔いしれる行為もなかなかないと思う。

一見関係ないようだが、ミクロの立場で語らせてもらえば、当事者になりきるのがそんなに簡単だったら、演技すると言う行為自体、そんなに難しい芸術的行為だと持ち上げられることもないでしょう。演技と言うのは、自分でない人として行動することの難しさを端的にあらわしてる。

第三者と当事者の立場は違う。最初にそれを認識できて、その立場の違いを尊重して、その違いの利点を上手く利用するのが正しい政治・社会活動のあり方なのだと思います。

安っぽい同情心は不要です。逆に足かせになります。

自分のしっかりした信条に基づいていない、感情だけに突き動かされた意見に基づいて行動を起すことは当事者のどちらかに利用されるだけの、結局は解決を遠ざけるだけの結果になるかもしれないことを考えてから、どちらかの肩を持つのか、持たないのか考えてください。

どっちかの当事者が明らかに被害者か加害者に見えてきたら、その視点を疑って、その観点を覆せるかどうか試してみてください。そこまで掘り下げたくないんだったら、その問題についてもっともらしく偉そうなことは言わないで下さい。当事者たちにとっては逃げられない日常の事なんです。関心がないんなら、関心のあるフリはしないでください。迷惑です。

立場的に完全に当事者にも第三者にもなりきれない、または同時に両方である人たちにはまた別の苦労があることを特記しつつ。



© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: