ルナ・ワールド

ルナ・ワールド

ぷれっしゃー




私は自分が「異質」(と一般的には思われてる)人同士の結晶であるからか
他の「異質」な人やそのコンビである人には寛容でなければならない、
と自分を洗脳してしまった所がある。
(それは、はるか昔におきたこと。)

これはね、
「かぐやは将来、日本とアメリカを結ぶ架け橋にならなきゃな。」
と小さい頃から、折に触れて言われ続けたこととも関係ある。

私の立場的にそれが当然だと思われていたから、私もそんなもんなのかと思ってた。

「ハーフ」なら
英語も日本語もぺらぺらなこと。

「ハーフ」なら
将来その二国間の架け橋になること。

「ハーフ」なら
両国の文化間や人の間も自由に行き来できること。

「ハーフ」なら・・・・。

そういうものを「ハーフ」である自分の子どもに当然のように求める親だっている。

でも、違うじゃん。
それって、
本当に「ハーフ」「半分ずつ」でいることを求めてるんじゃなくて
「ダブル」つまり、「両方」でいることを求めてる。

それってすごい重荷だし。

特に自分の子どもに
「両方の」文化・言語を引き継いでほしい親に「ダブル」と呼ぶ人が多いのか?
(憶測だけど。)

「ダブル」だって語学が苦手で一ヶ国語をモノにするだけでも大変な人だっている。
「ダブル」だって、主に一国で育てば、もう片親の国は疎遠になるし、外国同然だ。

「ダブル」だからって、自然に「両方」になれるかといったら、それは環境による、としか言いようがないでしょうよ。

そんなの、当然じゃん。

そんなの、自分の習ってる言語を話す人と付き合ったり、結婚したりしてると、
その言語の上達が早い、って言うのと同じくらい当然な結論じゃん。
別に、その人の爪の垢に、何かその言葉を話せるための秘薬が入ってて、それを毎日煎じて飲んでるから、上達が早い、とかってわけじゃないじゃん。

単に、好きな人には伝えたいことがいっぱいあるし、伝えなきゃならない場面が増えるから、
それに応じてコミュニケーション能力(言語・文化適応力)が増すだけの話で。
しかも、小さい頃からそういうことしてたら、それが自然に身に付くよね。
だから、小さい頃からいろんなところ出身の人と付き合ってきた人って自然にそういうことができたりする。
あと、人に対する思いやりに長けてて、人の気持ちの機微に敏感な人も。
そういう人は、いろんな人と触れ合う機会もあったりすると、もう百人力だ。
鬼に金棒!ってね。

それで、思うんだ。
「思いやり」って
形式に外れたことに遭遇した時にも
まずは自分の目の前にいる人を人間だと認める、
その人の人間性を尊重する、
(「~人だから」「女だから」「男だから」うんぬんは外す!)
自分とのやり取りの中でのその人の気持ちを常に尊重する。
自分の気持ちにも
相手の気持ちにも
耳を澄まして
話を進める・・・。
ってことなんだと思う。

一瞬の間の出来事のことなんだからさ、まずはその人を人間と認めて、
それからその人の面白い部分、変わってる部分、興味深い部分、カテゴリー(「~人」「男」「女」「ゲイ」とかとか)について考えたって遅くないじゃん?

一見して変わってても、中身は別に変わってない人だっていっぱいいるし、
一見して変わってなくたって、中に面白いものや、面白い体験の宝物を持ち歩いている人だっている。

本当の「思いやり」をベースにした人付き合いって、
相手を思いやりつつ、
相手を知ろうとする自分の好奇心にも耳を傾けつつ
ゆっくり、ゆっくり進めていくものだと思うだけど・・・。

(2004/06/06 アップ)



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