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今日、母からメールが届いた。至急電話するように、って。幼なじみと言うか、地元の人ではないけれど、母親の昔からの友人の子供で、私の姉よりちょっと年上のお姉さんが亡くなったらしい。あの・・・、ショックです。あまり周りに自分と似た容姿の人がいない中で育ってきて、地元の私立の中学に通いだすまではそれが特別コンプレックスになることもなかったけれど。それでも小さい頃から下校途中に見ず知らずの子に「ハローハロー」とはやし立てられたり、普通に道を歩いてるだけなのにジッと見つめられたり、公園を歩いてる時にカップル(の特に女性)にジッと見つめれらた後、彼氏らしき人に何かしら耳打ちしてるのを見たりした時に疎外感を感じることはあった。だから自分と容姿の似てる人たちの存在はとても大切だった。私、変じゃないんだ。おかしくないんだ、と思えたから。だから、余計に私の中では、母の友人達で母と同じように日本人男性と結婚してて、私と近い年齢の子供のいる人たちとその人たちの家族の存在が大きかった。その子達もみんなインターナショナルスクールなどに通わず一般の日本社会で生活してた人たちだったし。容姿の違いに起因する体験とか、似たような体験も多くあった。でも結局は違う家庭だったので、教育方針も家庭環境もそれぞれ違いはした。ウチの家庭みたいに家庭内で母親の言語を話してる子達は少なかった。みんな大体日本語だけが第一言語だった。そういう私も英語を話す機会と言うのは家庭内だけに限られていたので、家族や親戚以外に英語を話す気はしなかったし、一番自信を持って楽に話せるのは日本語だったわけだから、大して違わなかったわけだけど。それでもみんな大学に入るぐらいの年齢ぐらいまでには留学したり、親の仕事の関係で母親の母国に住む機会があって、大学生になる頃ぐらいまでには母親の言語が一応は話せるようになってた。いつ頃覚えたかとか、本人の実力次第でアクセントが残ったりはしたし、結局はアクセントも含め、自分の母国語(日本語)並みに上手くなる人は少なかったけれど。何年か前に久しぶりに成人してから、昔のようにそれぞれの家族の子供たちも含めたほとんどが集まれる機会があった。そのとき、その子供うちの一人で当時アメリカの大学に通ってた子が友達を連れて帰ってきてた。その友達は両親共に日本人だけれども親の仕事の都合で海外を転々として育った子。私たちみんなが(もちろんニホンゴで)コタツを囲んで仲良く談笑してる中で、その子はちょっと日本語をたどたどしく、でも普通に話してた。そしたら突然、「何か、変な感じだ。私がこの中では唯一ピュアな日本人で一番日本人らしく見えるのに、私が一番日本語下手だなんて」と言った。そのとき、コタツの周りの空気がピシッと凍った。その雰囲気を和らげたのは、当時、慶応で遺伝化学系の研究をしていた、私の母の親友の子供。「まあ、人の遺伝子とどの国の言語が話せるかとの関係があるかは立証されてないからね。」その時にそういう無神経なコメントに対してピクッと反応したのが私だけではなかったこと、自分の立場をたった一人で弁護しなくて良かったことに対する心地よさを感じた。その場にいたみんなが多かれ少なかれ、そういう体験を共有してたからだと思うのだけど。その仲間内の一人と2年程前に二人だけで食事をしてた時に小さいころ「ガイジン」と言われたり、英語を話せるんだろうと思われるのが嫌だったことを話したときに、「でもかぐやちゃんはほんとに英語が話せたんだよね。僕は中学生になってアメリカに住むまで本当に英語が全然話せなかったからさ、小学校に入った時にどうしてガイジン、ガイジンって言われるのか全然わからかったんだよ。英語話せ、って言われても困ったし、何でそういうこと言われるんだか全然わからかったしね」って言われて軽い衝撃を覚えたこともある。そして周りのちょっとでも「ハーフ」に見える人に英語を話すことを期待する人たちに対する憎悪をもまた思い出した。容姿を元に私をヨソモノ扱いする社会の中で、同じように、ヨソモノじゃないのにヨソモノ扱いを受けて育った来た人たちのコミュニティーは大切だ。特に子供の頃から顔見知りであることが私には大切だ。だから自分の母親を通して、「仲間」の家族、特に私と同年齢の「仲間」一人一人の消息を聞くことはすごく楽しみだし、私にとってはとても大切だ。だからそのうちの一人が、しかも子供のうちの一人が死ぬ、ということは衝撃的だ。特にこのお姉ちゃんの場合、その毅然とした強さ、どんなことにも挑んでいく強さ、そして何事をも見抜ける洞察力、内からにじみ出てくる美しさが素晴らしくて、あまり会う機会はなかったけれど、いつも憧れててもっと話す機会が欲しい、と思ってる人だった。たまに会った時にはいつも、すごく美しいのに着飾らない、素晴らしい優しさで接してくれた。そして、モデルをやっていることに対して私が憧れ半分で「すごいよね~、かっこいい」と言うと、冷静に「あれは普通の人のやるような仕事じゃないから」と言ったり、モデルの仕事で成功するために自分の払ってる努力のことも教えてくれたり。モデル、という職業に対する真摯な打ち込みを見せてくれた人でもある。特に彼女の母親に見せる愛情を通して私は彼女の愛情の深さを知った。彼女は見かけだけでない、深みのある素晴らしく美しい人間で、母親ともよくそういう風に話題にのぼる人だった。彼女はモデルとしてもかなり成功して、雑誌にコラム掲載もしてた。私と同年齢の彼女の妹に会う機会があった時も、彼女が何をしてるのか必ず聞いた。そんなときの自分の姉について誇らしげに、嬉しそうに話す彼女の妹の様子を見ることも大好きだった。その妹は「うちのお姉ちゃんはね、日本のモデルでハーフであることを初めてかっこよくした人だったんだよ」と言ったこともある。確かに時期的にはあってるなぁ、と思って、彼女が一人でそれを成し遂げたかどうかはわからないけれども、とりあえず「ハーフ」であることのメディア内でのイメージ・アップを助けた人のうちの一人ではあっただろうな、思うだけでも嬉しいものだった。仲間内の成功は嬉しいし、誇らしいことでもある。特に自分でも素晴らしい人だと思ってる人の成功は。そんな彼女ともう会う機会も全くなくなったと思うのは悲しい。消息を聞こうとしても、訊ねる「消息」が失われたことが悲しい。彼女の家族のことを考えるとさらに悲しい。この家族はもう、日本という先進国で普通に暮らす人間に与えられる試練も悲しさも十二分に味わったと思う。愛情が欠けているわけではない。愛情は充分ある。今まで対面してきた様々な問題とかを乗り越えられてきたのもその深い家族愛ゆえ、のためだと思う。もう許してくれませんか。これ以上悲しい経験をこの家族にさせるのはやるせない。
2004年01月31日
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アパートのボイラーが凍え死にました・・・。元々シャワーの調子とか悪かったんだよね。それがついに全く点かなくなって・・・。水曜日から韓国の旧正月ってことで学校は連休。それでも火曜日からサボっちゃったんだけど・・・。イケナイ子だ、わたし。クフッ。そんで水曜日の晩、ズボンはいてるのにその上から足がぴりぴりして(寒さでだよ!)寒い夜、深夜2時過ぎまで空いてるお気に入りの喫茶店でお茶したあと寒い寒い夜から逃れようとアパートに入る。確かに外よりは暖かい・・・。でも、何だかちょっと寒い・・・。から床暖房と温水のスイッチを入れてみる。のに、全然暖かくならない。そしてなぜかランプがチカチカしてる・・・。なんか様子、おかしいよ・・・。と思いながらも一晩寝て起きたら案外元に戻ってるかも、な~んて全く根拠のない淡い期待を抱きながら眠りにつく。そして、朝。旧正月、当日。何も変わってない。温度はちょっと下がってるぐらい。やばい、やばいよ!!室内温度、下がってるってば!!!急遽、管理人のおじさんに連絡。そしたら案の定、次の日まで来れない模様。そりゃあ、そうだろうなぁ。だけどさぁ、やっぱりさぁ、すっごい寒くて暖房なしでは生きていけない寒さなんですけど。運良く、近所に住んでる人が泊まっていってくれ、と言って宿を提供してくれた。しかも2晩連続で。ありがとう、ありがとう。で、なぜそれが一泊じゃなくて二泊になったかと言うとですねぇ。管理人のおじさん、次の日の朝、すぐ来てくれたのはいいのだけど、パイプが凍っちゃったから暖めなきゃね、と言って持参のドライヤーやら私たちを泊めてくれた近所の人が貸してくれたミニ・ヒーター等を使ってパイプを解凍しようとしたところまでは良かったんですけど。「すぐ戻ってくるから」と言っておじさんがちょっとアパートを空けている間にどこからか「シューシュー」音がするなぁ、と思ってたら・・・。なんと、あなた、パイプが破裂しちゃってて、水が吹きでてんの。ボイラーはベランダにあって、寒いから窓はもちろん閉めてたんだけど。それ開けたら途端にかすかに聞えてたシューシューって音も、シューシューぐらいになって。元々音源を発見したのも「あの音、何なんだろう?」とぼやいた私のリクエストに促されたA。そのAが穏やかに、ベランダに続く窓を開けて、「パイプが破裂したんだよ」と言った時、何冗談言ってんだろう、って破裂したパイプなんか間近で、しかも自分の住んでる所で見たことない私は一瞬疑った。そんで、水の元栓とかもどかにあるかわかんないからねぇ、困っちゃって。ほどなく管理人さんが戻ってきたので、水は止めましたが・・・。とにかくそういうわけで親切な近所の方のお家には二泊させていただきました。今日、プロの人が来て管理人さんが壊したパイプ、治していったけど、その代金を私たちが請求されたのはなぜ?筋、通ってないでしょ、それじゃ。後ほど交渉する予定で「今はお金が無いから払えない」の一点張りで通してしまったが・・・。そしたら事務所側が「立て替えておく」って!?ってゆーか、パイプ壊したの、あんた。しかも、肝心のボイラーの調子、まだ全然治ってないんですけど。こういう場合、どうしたらいいんでしょう。ちょっと困惑気味のかぐや。良いアドバイスあったら、お教え給われ。
2004年01月24日
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今日、駅からバスに乗ってうちに帰る途中の話。A(自分の席から立って)「席、空いてますよ。座りませんか?」酔っ払ってるおやじと良識のありそうなそのおやじ友達「ああ、いい、いい。座ってなさい。」A「そうですか」・・・数分経過・・・酔っぱらってるおやじ「お、お前、どこから来たんだ?」A「えっ?えっと、今はS駅から。」おやじ「違う違う、出身地のことだよ。」A「ああ、僕、キョンジュ道の人なんです。」おやじ「ええ??うそだろ?どこの国から来たんだ?く・に!!」A「何人だとおもいます?」おやじ「インドネシア人だろ」(本当かよ!?)A「ええ」おやじ「ええ!?なに!?インド人だって??」A「ええ、そうですよ。」・・・おやじ「%&&$##」A「ええと、ちょっと何を言ってるのかわからないんですが・・・」おやじ「ああ、ダメだなあ、韓国にいるんだったら韓国がしゃべれんと」A「ああ、インド語で話してもらえればわかるんですけどねぇ」(と言って私の方を向いてスペイン語でべらべら話しかける。スペイン語を一言も知らない私は困ってフランス語で返す、と。もうここらへん、めちゃくちゃ。)おやじ「おお、何だ?今のはインド語なのか!?」A「はい、そうですよ。おじさんはどこかに旅行しに行ったこととかありますか?」おやじ「おお、あるぞ。スペインに行ったことがある!」A(突然スペイン語で)「じゃあ、スペイン語話すんですか?」おやじ「ああ、だめ、だめ。言ったことは何回かあるけど言葉は全然話せないんだよ。」A「じゃあ、スペイン語話せなきゃだめじゃないか、どうして全然話せないんだ?」(とか何とか言ってたのではないか、という勝手な推測。)おやじ「ああ、だめだめ。全然だめなんだよ。」・・・おやじ「でも、ほら、ここは韓国なんだからさ韓国式にしないと。この彼女の周りにある腕ね。これは悪い男しかしないことだから。やっちゃダメだよ。」(と言って腕を取り外しにかかる。抵抗するA。)A「ああ、そうですか。でもこれはいいんですよ。」・・・おやじ「宗教はないのか、宗教は?インドの宗教ってあるだろ?」A「ええ、ありますけど」おやじ「何なんだ?ヒンズー教か?」A「いいえ、神道です。」おやじ「おっ?それは何だ?」A「日本から来た宗教なんですけど、今はインド人も信じてるんですよ。ぼくたち二人とも神道信じてます。」(大嘘もここまでくるとねぇ。)・・・と、これ以外にも嘘八百、真っ赤なでたらめをたて並べ続けたA。その度胸にも恐れ入ったけど、あまりに可笑しすぎて隣で笑いをこらえてるのもちょっと辛かった。大雪の降る中、普段だったら5分以内で走れるところを20分ぐらいかけて走ってたバスの中、結構普通の声で話してたりしたので周りの若い人からも笑いを誘ってました。最後はこのおやじの連れが「ほら、降りるぞ」と言って、ひきずり下ろされてた。絶対もっと先のバス停で降りる予定だったろうに。かわいそうなおやじ友。その時もそのおやじ、「じゃあ最後に、握手。」と言って、Aが左手で握手をすると、「いや、右手でしろ。右手で」と言ってきたところ、Aが「ああ、そうでした。すみませんね。インドでは左手はおトイレの手だった。いや、失礼。でも、手袋してるし、長いこと韓国にいたから、きっと大丈夫。」とか何とか言って、右手で握手しなおされてた。この、Aのひょうきんさ、M氏のほうが先に見抜いてたなぁ。恐るべし、関西人のひょうきんレーダー!
2004年01月20日
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私の通ってる語学学校でよく耳にする言葉。「うちのクラス、日本人少なくてさぁ、いろんな国の人がいてすごくいいよぉ」はたまた「ああ~うちのクラス、ダメだ。日本人すごく多くてさ、すっごい静かなんだよねぇ。もうやんなっちゃう」私も今学期、今のクラスになって日本語兼出身者が大多数を占めるクラスに入るまではこういう愚痴をまともに聞いてたりとかした。そんでもって同情してたりして。ところが、その愚痴のくだらなさにこの新学期始まってから何日目かで気づいちゃったよ。って言うかさ、そもそもそういうこと(「日本人ばっかだから静か」「クラスに活気がない」)を言ってる人たちがその態度を率先して取ってる。そしてその「日本人ばっかいる」兆候をひどくしている。先生に対する文句なんかも「先生、こういう風に授業進めたら、もっとわかり易いんですが・・・」とでも前置きしといて、自分の思ってることを先生に直接言やぁいいのにさ、先生がいなくなってから自分たちの間だけで先生の愚痴言いまくり。そして結局はその問題解決への具体的なステップを全く踏んでいない。「いや~」って愚痴って終わっててもしょうがないじゃん?そして、なぜか自分は「日本人」(正しくは「日本語圏出身者」)だからその「いかにも」日本人らしい態度を取っても当然。活発に発言するのは「外国人」または「外国語圏出身者」(正しくは東アジア以外出身者)の役目、と割り振ってませんか?あなたら。前学期も同じクラスだった日本からの子は、前学期と変わらず、特別活発に発言をするわけでもないけど、自分でわからないところがあればそのつど質問し、マイペースにやってる。前学期と変わってない。確かに「活発に発言する」ってわけではないけれど、だからと言って愚痴ばっか言ってるわけじゃないし・・・。でも授業の外でほとんど話してないからねぇ。本当の胸のうちはどうなのか。そこまではわからない。もしかしたら他のクラスの人には愚痴りまくってるのかなぁ。確かに今学期の先生の言ってることってものすごくわかりにくい。単語の説明をするのもものすごく下手。結局何が言いたいんだか良くわからないし、単語の説明とか聞いてて、すでに意味知ってたりすると、説明が具体的過ぎるか抽象的過ぎる場合がほとんど。まあ、言葉の説明の難しさはよくわかるから、頭ごなしに「下手!」って言う気にはなれないんだけど。でも、学費分はプロであってほしいか、やっぱ・・・。
2004年01月19日
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今、うちは雪の降ったばかりの寒くも湿気のある心地よい空気をうちの中の淀んだ空気と入れ替え中。今晩は帰りが遅くなりました。大して楽しくもない理由で。と言うのも、普段は帰りが遅くなる、って言うと、昨日の晩みたいに映画(「ピーターパン」)見てそれから喫茶店に行ってお茶飲んでたから帰りが3時ごろになってしまったとかの楽しいパターン。(あ~、これこそお気楽遊学生身分の極味!)ところが今回はし残してたお引越しの残りをやってたから。それでAと一緒に旧居に戻り、荷造りをして重い重い荷物を現在すでにAと一緒に住み着いている新居のほうに引きずってまいりました。つ、疲れた・・・。でも、Aが最初から最後まで手伝ってくれて荷解きも手伝ってくれたりしてるので気分は最高。今、空気の入れ替えをしてくれているのもAだ。17で留学のために家を出てから8年間半。荷造り、荷解き、家の空気の入れ替え、洗濯、料理、いろんな料金の支払い、空港への行き来などなど、何でも一人でやってきた。学生のころは問題が起きれば両親とか、人に頼りたいのもやまやまだったけど、急な問題なんてのは結局誰かが現地にいなきゃどうしようもない場合がほとんどだし、他人は結局親ほど親身になってくれはしない。友人達は忙しすぎるか、大して助けにならないどころか状況を悪化させる場合すらあり。それでも家の両親は遠距離からでもできることは全てしてくれた方だと思う。でもおかげでどんなに重い荷物だって一人で運べるようになり、それが当たり前。人に手伝ってもらおうと思ったこともあまりない。22になるまでには言葉は話せるけど感覚的には外国だった地で自分の住居を見つけたり、契約を結んだり、一通りの身の回りのことは全部自分一人でできるようになっていた。(結構当たり前かな?)だからたまにうちに帰って両親が(実際は父だけど)当然のように荷物運びを手伝ってくれ、両親が(本当は母だけど)当然のように荷解きを手伝ってくれ、両親が(これは本当に2人とも)当然のように毎日おいしいご飯を作ってくれ、一緒に食べてくれることが本当にすごく嬉しかった。そういえば、だから韓国に最初に来た時にそういう身内でやるような助け合いを当然のごとく手伝ってくれ、それをこちらにも求めてくるM氏の態度もすごくすごく嬉しかったのだ。それにM氏はいっぱい家に遊びにも来てくれたし、ほとんど毎日一緒に食事をしていたから必ず一緒に食事をする相手もできてすごく嬉しかった。今度は両親じゃないけど、一緒に住んでいる、一過性のルームメイトじゃない人ができた。当然のこととして、日常生活していく上で起こることが二人の仕事として分担されていく。料理も洗濯も掃除も空気の入れ替えも気づいたほうが、時間の余裕のあるほうが、適宜やっていく。引越しみたいな大変な時は当然二人で行って二人でやる。今までずっと自分一人の責任として背負ってた負担を分割してくれる人が現れた。引越しなんてめんどくさいこと、そんなにしょっちゅうやってたくないんですけどね。予定では次の1年半以内にあと3回はする予定。一緒に手伝ってくれる相手が出来ただけでも良しとします。
2004年01月18日
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どっちに「ただいま」と言えばいいのかわからないと、言う放浪状態、まだめでたく続いております。今日は日本の実家からソウルの現在居住地まで。どっちがお家?さあ、どうなんでしょうねぇ。何でこんなに混乱するかと言うと、私の現在居住地は本当にほとんどがいかにも「仮の庵」らしい住まいだから。それは別にそれだけボロイって意味でなくて、それがどこであるにしろ、住む期間が何週間から何ヶ月間しかないことがほとんど。しかもそのあと市内やどこかその近くに別の住まいを見つける、というレベルでなくて全く別の地域とか(最近は特に)国に引っ越す、ということをやっていて迷子になった郵便物の届け先すらなくなってしまう状態に陥ることがしばしばあるから。というわけで、こういうとんでもない放浪(?)生活を始めた17の夏からは定住所、といえばいつも実家の住所にしてきた。まあ、学生なんてみんなそんなもんかも知れないけど。基本的には日本に住むことのない今、実家に帰るということは大事業。それに時間はある。だから夏ごとに一ヶ月近く戻ることもしょっちゅう。と言うか、両親の「いつでも帰っておいで~」コールにそぐい、常に私の部屋はいつでも帰ってこれる状態に整っているので、実家に帰ると「帰省」したと言うよりは、「お家に戻ってきた」という感じのほうが勝ってる。なんだかすぐ家の家庭のリズムにも馴染んじゃうし。特に他に住んでるところがみんな他の人がすでに住んでる所に腰掛け状態で住んでるから余計そう感じるのかも。あまりに引越しが多いので(特に遠距離に渡る)、私は本と日常に最低限必要な服と12箱分の本(量的にはこれが一番多い)以外は自分の所持品らしい所持品は全部実家に置いてきてある。台所用品とか寝具とか家具とかそういうものはほとんど持ってないのである。だから自分の所持品に生活臭はほとんどない。よって、住む所も引越し先で使うものっていうのもほとんど全部が借り物。で、その事実を忘れることはほとんどない。気軽にどこでもすぐ引っ越せちゃうのはいいんだけど、その代わりにどこにも正真正銘「自分のとこ」って言える・思える所はなくなる。いつも「仮に」そこに住んでる、としか思えなくなるんだよねぇ。これはやっぱりいつもその住んでる所のモノを買い揃えた本当の持ち主(=その時々のルームメイトなんですが)と住んでる、って言うのもあるとは思うんだけど・・・。と、言うわけで定住所不明、月の人なんだけど地球の住人のかぐや、今日は久しぶりにソウルの心地よい喧騒に囲まれ懐かしい気分を味わっております。
2004年01月06日
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