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私は元来、歴史にあまり関心がない。現在のことにしか興味がなく、「いま」とのつながりがよくわからない「過去」のことには関心が薄いからだ。ところが、大人になるにつれ、歴史を知ることの重要性を思い知ることが多くなった。ある日、こんなことがあった。とても博識で感じの良いおじさんとその人の部下と話をしていたとき。このおじさんはご両親が旧満州(現在の中国瀋陽)で教鞭をとっていて、生まれも幼少期も旧満州で過ごした。おじさんのお父さんはそのころの人には珍しく、現地語も覚えるべきだという姿勢をとっていたため、おじさんは終戦後に日本の片田舎に引き揚げるまでは中国語が話せたという。そんなときに出た話。「日本人論とはなにか」という話題。別に、一般の定義を踏まえたうえでの突っ込んだ話、とかいうそういうレベルのものではなくて、「日本人論」って聞いたこともない人がその場にいたのだ。おじさんは「う~~ん」と難しい顔をして、「それはね・・・」と言いよどんだ。私は一般的に言う「日本人は偉いんだ。日本人は特別なんだ。」という論をふりかざすだけが「日本人論」だとは思っちゃいない。その逆を行った「日本人は恥ずかしい」と言った、まあ、名前をつけるとしたら「日本人を極度に卑下する日本人論」だってその範疇にはいる、と思ってるからだ。そもそも「日本人」はすばらしい、とか恥ずかしいとか、どっちの姿勢をとってたって、「日本人は特別」で「日本人特有」の何かがある、という大前提を肯定していることに変わりはない。だから、どっちとも「日本人論」。でも、じゃあその正反対を行って、「結局はみんな一緒」というのも違う感じ。日本人論は突然、何の脈絡もなしに、ぽっと日本史上にあらわれたわけじゃない。日本人論が台頭してきた19世紀末から20世紀初頭に「我々は特別。我々がいかに周りより優れているか」という論を振りかざしていたのは日本だけではない。そのころ帝国主義を強めて植民地政策に取り掛かろうとしていた西欧諸国はその政策を正当化するためにいっせいにしていたことなのだ。(ただ西欧諸国の場合は「いかに白人は黄色人種と黒人よりも優れているか」という議論形態。だから西欧諸国から派遣された宣教師の中には本気で、心から自分たちは神の御世のため良いことを行っている、ってことが科学的にも証明されている、と思ってた人もいた。社会論的に解釈されたダーウィン進化論が多大なる影響を与えてました。)だから「日本人論」自体に「特別に日本人的なところ」なんてない。そもそも「日本人論」が生まれ出づる背景には「日本 対 非日本(外国)」というそれまでに希薄だった意識がなきゃいけない。それまでは清とか唐とかいろいろと呼ばれていた中国を中心にして、(今で言う)「外国」とは境界線のあやふやないろんな藩が集まった(今風に言えば)「日本連合国」だったわけだし。「われら日本人」って意識はほとんどなかったはずだ。それがいつ、(インテリの間では)いっせいに「われら日本人」なる意識が起こり、「日本人論」が普及し始めたか・・・・。日本で帝国主義が強まったのだ。でもそれが単に征服欲にかられてしたかというと・・・・、う~~~ん、そりゃあ、人間だもん、そういう人だっていただろう。でもね、黙ってたら自分たちが西欧に植民地化されてしまう、って危機感も少なからずあったはず。「日本人論」が(インテリ層や政府関係者に)そこまで歓迎されたのにはそういう背景も関わっているはず・・・。と、いうことを「日本人論」の出てきた背景として注釈を加えたあとに「日本人は特別にああだ、こうだ」ということを言うことなんだよ、と話してみた。そしたらちょっと沈鬱そうな表情をしていたおじさんは「ああ、そうか。そうだったの」といってにっこり笑った。そのおじさん、「日本人論」ってなんだったのかは知っていたけれど、そういう背景があったとは知らなかったらしい。これがすべてではないけれど、そういう歴史的背景を知っていると「日本人論」に対する解釈の仕方も変わってくるような気がする。「日本人論は恥ずかしい。あんな、日本人だけ特別、なんて考え方ができるのは視野の狭い日本人にしかできないことだ」なんていうのだって結局は日本人論に変わりはないわけで。だからそういうことを言って、リベラレぶってる態度に私は少し違和感を持つ。一応、反対すりゃあ「正しい側に立てる」とか「先祖のした過去が償える」とかそんな簡単なもんじゃないのだ。史実や歴史のさまざまな解釈のされ方を知って、それで初めて「現在」のことも語れるんだな、と知った今の私はさらに「歴史を知る」ということに興味を感じ出している。
2005年01月30日
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書きたいことは山ほどあるんだけど、ちょっと最近時間がみつからない。またバババッとアップするだろうけど、それまでは左のフリー・ページを読むなり、最近アップしたじゅうにひとえあれこれの記事を読むなりしていてくださいませ。よろしくお願いします。
2005年01月26日
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先日、Aいとこの結婚式に出席するためにテキサスという、別名ブッシュ王国に飛んだ。自慢じゃないが、私は世間知らず、というか「アメリカ」のことをよく知らない。でもAのおかげというか、そんな感じでいわゆる「アメリカ」発祥の地を知る機会が増えた。Aは自分が「アメリカアメリカしてるアメリカ人」ではないくせに、家族や親戚にそういう人が多い。だからかもしれない。それで、「アメリカ」だが、どうやら日本で知られている金髪碧眼のきれいなすらっとした人々が闊歩してる「アメリカ」の印象は、ロサンゼルスはハリウッドやサンタモニカあたりから発信されている情報で、だたっぴろい土地にでかいシッピングセンターなどが立ち並んでいて、どこに行くにも車。それでもって、でっかい太った人が多い・・・、という「病める現代アメリカ」な印象はテキサスなんかみたいなところから発信されているのかなぁ、と思った。ロサンゼルスもすべてにおいてスケールがでか過ぎて、どこにも行くにも運転しなきゃいけなくて、ついていけない・・・、と感じた私だったが、テキサスのある近郊都市に行ったら、もうなんか私は小人になってしまったんじゃないかと思うほど仰天してしまった。通り過ぎた中にはある有名なドラッグストア、ウォールマートもあったのだけれど、それは普通の店舗の大きさでなく、「スーパーセンター」店。Aも「あんな大きいウォールマート、生まれて初めて見た」と驚いていた。私はそれを見て、「あっ、そっか。スーパーマーケットって、<スーパー>(特大)なマーケット(市場)なのね。そういう意味だったのかぁ~。だからスーパーって呼ばれるところは(私から見れば)あんなに無意味に広いねぇ~。こういうところが発祥の地なのかしら?」とか考えてしまった。っつーか、なんだかショックが激しすぎて、いろいろと考えてないとショックに襲われそうな感覚を味わった。怖かったぁ~。町中、縦横に走ってる車道はほぼ全て高速道路だったし。インターネットどおりとかセブンアップセンターとかあったし。(大企業が支配してる世界だってことが良くわかった。)道標にただ単に「モール」と書いてあるところがあったし。(しかも15分運転しても到着しない。)都市部に住んでる人なんかは町にスタバがあふれ出すと、「今まであったカフェとかがなくなって地域性が失われる!」とか言ってるけど、(というか私の周りはそういう人が多い。)都市部に住んでる人たちはここのような、地域性のないのっぺらぼうなアメリカを知ってるのかなぁ~、とちょっと思った。少なくとも私は知らなかった。私の知ってる近郊都市とかは東海岸の近郊都市だからもっと古いし、(これに比べれば)こじんまりとしててかわいらしいもんだ。でもひとつ解けたなぞがあって面白かったのは、アメリカの大統領選挙とかでどうして州や地域によってそんなに投票パターンに違いが出るのだろう、という疑問。ジムにちょっと行って、軽くストレッチなどをしていたんだけど、そのときに地元のテレビ局のニュースステーションにチャンネルがセットされていたのね。そしたら、そのチャンネルではさまざまなブッシュ政権寄りの特集が組まれてるの。ブッシュ政権の要人の偉人伝みたいなことがえんえんと放映されてるわけよ。ああ~、こんなのがいつも放映されてたら、そりゃぁ、親しみもわくし、そっちに投票したくなるでしょうよ。と思って妙に納得した。イメージ的には全国放送ではそこまで偏った放送も少ないような気がしてたし、全国新聞だって一貫して偏ることは少ないしね。(ってテレビ見ない人が言ってますが。汗)でも、保守派の人がいつも言うのは、保守派のほうが政権の中にマイノリティを組み込むことに成功している、という点。面白いのが、それがブッシュ王国(笑)にもちゃんと反映されてるところ。本当に居住地帯とかが肌の色によってあまり分かれてない(と聞く)。一番最近のニュースでは今度、テキサス州ダラス市の警察長がヒスパニックでレズビアンの女性になったってこと。確かにブッシュ政権は今までのアメリカのどの大統領よりもマイノリティを起用している。私たちがいたあたりでは高速道路のような三車線も四車線もあるような大通りなのに、まだ信号がついていないところがいっぱいあったが、それでもみんなとのんびりと速度を守って、信号があるかのように運転していた。交差点などでも事故がおこるのは見なくなった。そうかぁ~、土地があるとこんな余裕が生まれるのかしら、とも思った。まあ、こんな機会でもなければ絶対に足を踏み入れることのない地帯。私の全く知らない「アメリカ」に出会えて、面白かった。(と同時に、私はやっぱり「アメリカ」は好きでなくて、住みたくない、とも思った。「アメリカ」=アメリカ全土でないことは前々からわかっていたけど、ここまで違うんだねぇ。)
2005年01月25日
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なぜか私は人の、周りに特別知られたくないことを嗅ぎ取ってしまうところがある。直感、というものらしいが、自分についてる中であまり好きな機能ではない。それどころかひた隠しにされると、さらに確信を持ってかぎつけてしまう。この間そのことを実感をしたのは、あるところでけっこう好きな知人の恩師に会い、その知人とその人のことが話題に出たときだった。その恩師というのはとてもいい人で、気さくで面白くて本当に好感の持てる人だった。もうそろそろ定年退職する、と言っていたのだが、「こういう人にこそ長生きして、後に続く人をどんどん育てていって欲しいな」と思った。でも、なんとなく体が疲れていて、長生きしそうにないような感じがしていた。奥さんも一緒で、普通に気遣いを見せていたのだけれども、それだけでない違う印象を受けたのだ。そしたらその知人が「あの先生、癌なんだよ。死期が近づいてるんだよね。」と言ったのだ。「やっぱり」と思うと同時に、ひどく悲しくなった。そして去年の夏、事故で亡くなった近所の息子さんのことも思い出した。その近所の人のお家は私たちが当時歩いていたところから何分もかからないところにあったのだが、きれいな普通のお家だったのに、その家のそばはいつも不気味でそばを通るのが好きでなかったのだ。その息子さんともほとんど話したことがなかったのに、明らかに鬱病を患っていたことを別としても「この人、大丈夫かなぁ。なんかとても悪いことがおきるんじゃないか」と心配になったほどだった。なんだか不運が渦巻いている家だったのだ。息子さんが亡くなった後、その家の不気味さはかなりひいたが、私にはそれがその出来事を予見する一時的な印象だったのか、それとももっと根深いあの家庭の不運を暗示する印象だったのかはわからない。
2005年01月24日
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アンナが人前ではもう泣かない、と決めたのは11歳のころだった。それなのに、気がつくと頬が濡れるようになっていたのは、アキラを見つけてからだった。今日もまた、アンナは目尻からあふれでる涙をどうにもできなかった。3ヶ月ぶりの再会に3日間は短すぎて・・・。また会えたときの感動も強すぎて、アキラは久しぶりに会ったアンナの目からとめどなく流れるしょっぱい水で指も唇も濡らしてばかりだった。二人が再び別れようとするこのときも、アンナは後部座席に座るアキラの腕にしがみつき、ついに静かに涙を流し始めていた。目からあふれる熱い液のわきあがってくるのを感じながら、どうすることもできずにアンナはじっとしていた。そしてついに飽和状態にまで達した熱い液は目じりからこぼれだした。流れてくるものを感じつつ、アンナはアキラの肩に顔をうずめ、アンナの涙に気づいたアキラは静かにアンナを抱き寄せるだけだった。ひととおり涙を流し終えたアンナはある種の安堵感を感じ、ほっと一息ついて、再び満面の笑みでアキラを見つめることができた。そうしたらアンナは、今週末一緒に過ごせたことの幸せに酔いしれ、次に会えることを楽しみにすることしか考えられなくなった。泣き虫って案外強いのかも、とアンナは思った。
2005年01月23日
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自然消滅になりやすいから続けるのか続けないのかさっさと決断しなきゃいけないよね。ある意味、道を急かされてて、ゆっくりと「恋愛」したりのんびりと「様子を見たり」ってことがすごく難しいと思う。それなりに目標か情熱がともなってないと「なんとなく疎遠になって」自然消滅・・・してしまいやすい。だから思わぬ約束事をしてしまったりして「しまった」と思う人もいっぱいいる?いるんじゃない?私はだらだら恋愛は今の生活スタイルにも気性にも合わないからいいんだけど、でもやっぱり「一緒に過ごしてる間になんとなく」って言うのんびり恋愛してみたかったなぁ~、とないものねだりもしてみたくなる。ま、いいや、これからAとのんびり恋愛ごっこをしてみるのも手かも。この間、あるホテルのコーヒーショップがあまりにエレガントで「こんなところでお見合いとかしてみたいわ」と思ったときに「Aと両親込みでマッソン(韓国語でお見合い)ごっこしよ。クフ。」と思ったし。(笑)お互い正装してなりきれば、結構楽しいと思うなぁ。(笑)そして出会って3時間後で「愛してもいい?」で決めてもらお~~~。
2005年01月21日
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おおお、すでに結婚式の予定を立てる時点でもめてます。おかげでAとA母は何日にも渡るけんかになり、Aは実家にとどまるのがいやになる始末。っつーか、新郎・新婦ともに「こうしたい」ってはっきり言ってることをどうして反故にするんでしょう。やっぱり「私が払ってるんだから、私のやりたいようにするのが当たり前でしょ」の世界なんだろうなぁ~。いやだ、いやだ。かぐや母は日本で挙式すれば?そしたらこっちがやるから全部あなたたちのやりたいようにできるわよ、と言ってる。確かにそうだろうなぁ。私は贅沢な披露宴とかそういったものに興味はない。私たちにとって大切な人たちに来てもらえて、おいしいものを食べてもらえて、正式な結婚式を挙げれればそれでいい。人に恥ずかしくないようにそれ相応なところで挙式とかしたいとか全く思わないし、人に恥ずかしくないようにこれとあれとあれもやっておかなきゃ、とか思わない。来てくれる人みんなに楽しんでほしいから、来てほしい人たちの都合に合う日にちで、私たちに無理のかからない範囲で挙式をしたい。そんなにお金がかけられないのだったら、まず大切なものにお金をかけて、その残りでやりくりすればいい。招待したいと思う人の分の式ができないのだったら規模を小さくすれば良いじゃない。韓国から帰ってばかりのときに、Aのためのお帰りパーティーを催したときに見てて思ったことだけど、(私から見れば)くだらないことを気にしすぎなんだよなぁ。料理がおいしいかどうかよりも見た目の出来栄えを気にしたり。(だって作ってるものをほとんど味見せずに出す。自分はダイエットしてて食べられないようなものばかり「ほかの人用」に作るから。)そして自分も、普通に健康に気を使うような人でも食べないような量のケーキなどをいっぱい作る。私から見れば、食べ物はてんこ盛りにしなければパーティーじゃない、と思ってる節があるように見えて、それはいいんだけど、残り物を食べる人も持ち帰る人もいないのだったら、最初からそれを作らなきゃいいのに、と思う。だって残りはどうするの?捨てるわけにもいかないでしょう?それともだめになるまで待って「仕方なく」ゴミ箱行きにするわけ??なんか、いかにも映画なんかで見る「はうす・ぱーちー」のイメージを追っかけてるようであまり居心地は良くなかった。A母に結婚式を任せたら、式もそうなりそうでやだよ。そういうわけで、式を私たちの手中に取り戻すべく、行動開始!
2005年01月20日
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すっごく楽しみ!楽しみなことが目白押しだから!!まずは一番身近なことから!先学期断念しなければならなかった大好きな先生の授業を受けられることになった。(幸せ~~~。)そして第二に気になる授業がもうひとつ取れる。良かったぁ~。先学期とは打って変わって、取ってる授業にとても興味があり、とても楽しみ。授業的にはまだひとつ難航してることがあるけれども、それも根気強く待てばどうにかなることは間違いないはず・・・。そしてすべてが計画通りに行けば、(私がなまけなければ)今年の末に結婚して遠距離状態を解消できるはず。むお~~~~、がんばるぞぉぉ~~~~。こういう、遠距離状態を解消する、というわかりやすい目標ができてがぜん、やる気が出た。ゲンキンだ、アタシ。(笑)
2005年01月19日
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ってあるのに、カミネタってないんだろう・・・?とかってくだらないことですが、ふと考えてしまった。
2005年01月18日
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小さいころは(今も)ぬいぐるみを買ってもらったこともなく特別欲しいとも思わない幼少時代をすごした。ところが最近、ぬいぐるみのかわいさに目覚めてしまった。それも「空飛ぶゾウさん」のおかげ。姉の家に泊まりに行くときに寝具がないので駅ビルに買いに行った先で見つけたのだ。体はブルー。鼻と牙はちょこんとついていて、空を飛んでるように前足が前に伸び、後ろ足は後ろに伸びている。どうしてこんなかっこをしているかというと、実は枕だからなのだ。で、やわらかい。ぷにょぷにょしてて、気持ちがいい。そして枕としても寝心地がいい。そして、そして、なんといってもかわいい!!!買った直後にこの姿をお見せしたくてさまざまな角度から撮ったゾウさん写真をアップする予定だったのに、撮った写真がダウンロードできなっかったのであえなく断念。そしてできれば一緒に持ち帰りたかったのだが、母の「連れてくの!?」という悲痛な叫びと、荷物に入れる場所がなかったため(さすがにこの年齢で持ち歩くのも恥ずかしかったので)それもあえなく断念。しかたないからここでその愛くるしい空飛ぶゾウさん、エルフィー(本名)を回想することにした。笑ってやってくだせぇ、みなさん。情けないだろ、こんな姉さんがよぉ~。
2005年01月17日
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これより再び東方に旅立ちまっす!なんだか最後までばたばたとあわただしく、忙しい(ってか本当は今こんなの書いてる場合でない。汗)のだけど、帰ったらネット接続は果たしてどうなっているのやら謎。(汗)とりあえずはつまんない機中を今回は爆睡して過ごせることを祈るばかり。(来るときは前の晩ちょっとしか寝なかったのに、なぜか目が冴えちゃって・・・。)ああ、しばらくはゆったりと湯船につかる生活もできない。お風呂に入ってるときに洗面所の角っこでとぐろを巻いて寝ている黒龍を見ることもできない。空飛ぶゾウさん、エルフィーもしばらくのお別れ。そして何よりもお腹がすいてるときにさっと健康的でおいしいご飯が出ない。(涙)あああ・・・。さよなら、母、父。姉ともしばらくはお話できないわね。まあ、いろいろととっても有意義な一ヶ月でした。・・・と、タイムアウト!!それでは皆様ごきげんよう。
2005年01月16日
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大切な友達や家族を傷つけたくないし、嫌いたくないから。「個人」のすることを「個人のせい」にしてしまったら、怒りはその人に向けられてしまうけど、「社会のせい」にしたら人がやったことの責任は部分的にでも「社会」にも担われる。実際人間ってそんなに自由ではないと思う。「社会の中心」から遠い位置にある人ほどより「自由」になれる可能性を持っている。でも「社会の中心」に近ければ近いほど、自分が受けてる「社会からの束縛」をそうとは認識しにくい。逆に他の人と自分を比較したときに、自分の方が「社会の中心」に近いことを認識したがらない人はダメだ。自分の立場の弱さを認める、ということは自分の立場の強さをも認めることと一体になっていなければならない。見方を十分変えれば、どっから見ても弱者である、絶対的弱者なんて存在しないことがわかる。自分がどんなに弱者に見えたって強者である場合を想定できない限り、その人は被害者意識に浸ってるだけ、と私は思うかもしれない。問題を「社会の問題」にするということは「個人」の抱えてる課題を「社会の課題」に抽象化するということ。でもそれは、「個人」の抱えてる課題を「社会の課題」にすりかえることとは違うと思う。少なくとも今は、そう思う。
2005年01月14日
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昨日の僕は疲れていた。彼と別れたばかりというのもあり、なんとなく落ち着かない。もう3年も付き合ってきた彼と別れてきたのだ。どっちから、というものでもない。あえて言えば自然消滅、というところか。出会いは17のころ。ある掲示板で知り合い、そこからメールのやり取りを始めた。お互い住んでいる場所はちょっと遠い。が、結局は同じ地方在住。会おうと思えば会える距離。そこで電話で話もする仲になっていた僕らは春休みを利用して、中間地点で会うことにした。二人とも電車に揺られて2時間。どちらもその中間地点の駅をよく知っているわけでもないから、適当にそこの近くにある店をネットで調べてそこで待ち合わせ。写真交換もしていたから、顔ぐらいはわかる。初めて会う人なのに、それまでのやり取りがきいていて、すっかり話し込んでしまった。店を出てからどっちも知らない町中を歩き、二人でいろんなものを発見して回った。すっかり日が暮れ、もう家に帰らなければならないときが訪れた。二人とも名残惜しかった。でもあまり遅くなってもまずいまずいような気がして、僕は後ろ髪をひかれる思いで僕とは違う方向の電車に乗るその子を見送った。メールでは、楽しかった、また会いたい、という気持ちを確認しあい、それからは一ヶ月に一回の頻度で、一番盛り上がってるときは一週間に一回の頻度で会うようになった。場所は、僕が高校を卒業するまでは、毎回その中間地点の駅で。お互い知ってる人もいないから気兼ねもしなくて良くて、なんとなくお手軽に非日常が経験できて良かった。二人で知らない町を探索していく快感はお互いをより深く知っていく快感に重なった。僕は大学に上がりその中間地点に近い所に住みようになった。まだ高校生だった彼の実家は変わらず、中間地点はお互いのところから1時間ちょっとのところに変わった。はっきりいって、そこはそれまでの中間地点よりずっとドンくさくて、少し楽しみが減ったような気がした。それなりの良さはあるのだが、やっぱり前の中間地点よりは「居住者向け」でたまに遊びに来るだけの人にとってはイマイチ・・・なのだ。彼とは相変わらずうまくいっていたと思っていたし、大人になるにつれ、電車で1時間とかいう距離がたいしたことないように思え始め、高校生のころは「遠距離」と呼んでいたのもちょっと大げさだったかも、と思うようになっていた。ある日、まだ高校生である彼と、大学生になりたての僕はその新・中間地点でデートしていた。いつもどおりで、周りから見ればちょっと仲のいい男友達同士にしか見えないかもしれないが、俺らだって人並みに薄暗い公園でキスしたり、とかだってする。それが運悪く、彼の近所の人に目撃され、彼の母親が「あなたの息子さんって・・・」と噂されるようになってしまったようなのだった。そして、それをきっかけに彼は大学進学のころにさしかかっていたのに、いろいろと悩みだした。もちろんその年は浪人である。ゲイであることとか、そういうことには踏ん切りがついていた、と思っていたのがどうやらそうでなかったようで、家族関係ともからまり、複雑なアイデンティティー・クライシスに陥り始めたようだった。僕はちょっとひいた。それと同時に「ちょっと待てよ」と思った。じゃあ、俺との付き合いはどういうことになってたんだろう?別にいいけどさ。俺だって親に何も言ってないし。家の親はどういうふうに反応するのだろうか。いや、そもそも親の反応が俺の生き方に影響を与えるのだろうか??なんで彼はそんなに悩んでるのだろう・・・、と不思議になった。周りから見れば俺らはどっちも「ゲイ」なわけで、そういう意味で悩みも一緒、と思われがちだと感じるが、僕にとっては家族の考えることはあまり大切ではない。だからそこに葛藤は生まれない。そこに一緒に葛藤を感じてほしい、という態度を見せてくる彼に戸惑った。会うたびに家族がどうの、アイデンティティーがどうの、という暗い話をされて、俺は彼といるのがあまり楽しくなくなった。じゃあ、前はどんな話をしていたのだろう・・・、と思い出そうとしても思い出せないのだが・・・。そして、そのころのめり込んでいた演劇サークルをだしにして、俺はだんだん彼から離れていった。それまで朝・昼・晩のメールは欠かさなかったのが、一日に一回になり、一日おきになり、ついには何週間おきかの「元気か?」になり・・・。そろそろまずいかな?と思い始めたころ、彼が久しぶりに会おう、と言ってきた。それが昨日。別に修羅場になったわけでもなんでもなく、お互い今までありがとう、これからも友人として、仲間としてつきあっていければいいな、と言うことぐらい。ひどく淡々としていた。そんなものなのかもしれない。(元)彼はもっといろいろと考えてることがあるようだったが、僕には打ち明けられない、と思い始めたのか。ほんとは話を聞いてあげればよかったのかもしれない、結局は同じ「ゲイ」の男なのだから。もしかしたら僕だって共感できることがあるのかもしれない、と人並みに思いもした。少し僕の努力が足りないのかなぁ、とも。良心の奥が、少しヒリヒリしたような気もしたが、今の僕はそういうやつだ。結局は一期一会だよな、僕はそうつぶやいて新・中間地点のホームに最後の別れを告げた。
2005年01月13日
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傷ついたときに、私はその痛みを自分に向けて自分で吸収してしまう人だった。すごく辛かった。痛みを全部自分で飲み込んでいるわけだから。人に(私から見たら)ひどいことをされても、言われても全部、「辛い悲しみ」にしか感じられなかった。本当は自分の中でおきてることは、一度傷つき、それに怒り、その怒りを自分の中で押さえ込み、それを「悲しみ」として昇華する、ということなのだった。だから私にとっては「怒り」を「悲しみ」としてではなく、「怒り」として外に向けて表現することが大切だった。そうでなければ自分がどんどん辛くなっていってしまうから。「いい子」で「人当たりの良い人」でいる代償だと思う。だから今は「合わない」と思った人とも無理して「お友達になろうとすること」は極力避ける。「お友達」としてでなくても、気持ちよく人と付き合う方法はごまんとあるし、案外そっちのほうが向こうも楽だったりするし。たまには運命論者になって、ちょっと周りに流されるときがあってもいいし、たまには自己を中心にすえて、自分の気持ちに流されるときがあってもいい。流れに逆らってがんばるばかりが人生でない、と自分に言い聞かせる。
2005年01月12日
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古都、京都に行ってまいります。目的?M氏と愉快なM氏家族に会うためとじゅうにひとえオフ会開催のためぇ~。オフ会はいろんな理由で楽しみ!!みんないろんなところから参加してくれるし!!うぅぅ!!ところでこのオフ会、多文化人のあなたなら、自由参加なんですが、そこらへんは通じにくいみたいだね。何でかな、ネット文化の常識がいろいろと違うのかな??ま、いいのですが。人数少ないとみんなお互いをよく知るチャンスにも恵まれるのでぇ。そんなこんなでしばらくお休みの予定。(って今までも十分お休みしてましたが・・・。汗)
2005年01月09日
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今晩は先輩に会ってまいりました。先輩のおかげで人の陰口もなかなか言わない、とてもいい人にも出会えて、幸せ満点な夜だったのですが、今日は先輩のありがたみをひしひしと感じた。ちょっとねぇ~、一つ重大な悩み事があって、「どないしよ」って悩んでたんです。(関西に行くので関西弁を復習中。・・・ウソ。汗)そしたらね、なんとも具体的にいいアドバイスをくれるじゃないですか~~~~~!!!感動しちゃったね、もう。それが聞けただけですごい収穫でしたわ。そう言って感動してたら、「私もね、かぐやちゃんぐらいの年齢のときにそうアドバイスされたかったなぁ、って思ってたから」って心優しいことを言われて、知ってたけど、本当にいい人だなぁ~、って目をきらきらさせておりました。先輩って本来はそういうもんだと思うし、私もできるところでは的確なアドバイスはしていきたいほうなんだけど(だから口うるさく取られることもあるかも・・・)、「私も苦労したから、あなたも苦労して自分でその道を見つけしゃんさい」的な人はいるよねぇ~、よく。確かにすべて頭で考えてどうにかなるもんじゃないけど、知っておくだけで役に立つことって言うのは、「知る過程が大切」とか何とかもっともらしいこと言ってないで教えてくれよ~~、と思うことが良くある。というわけで、その知識を分け与えてくれた先輩に感謝感謝の私なのです。最近、末っ子性格がもろに出てる私・・・。人生のそういう岐路に立ってるってことなのか、それとも単に周りに甘えてるだけなのか・・・。わかりにくいなぁ。(笑)
2005年01月06日
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フードプロセッサーかゴマ摺り器がお家にあれば、簡単にできるもの~。豆腐一丁(約350グラム)をフードプロセッサーかゴマ摺り器でフワフワになるまでよく砕き、そこにハチミツ大さじ2杯と塩ひとつまみを加え、さらによく混ぜる。あとはお好みで、シナモン(たっぷり)、カルダモン(の実を2~3鞘分)、バニラ・エッセンス、ココア、(さらに)甘味を入れる。甘さ控えめでとってもおいしい!!母の新作です。あと母が最近こってるのは小豆煮。小豆を袋に書いてあるとおりに煮るんだけど、そのときに、シナモンを一本、塩少々とレーズンを入れるのね。するとほんのり甘く煮あがります。あと、あく抜きはちゃんとしたほうがやわらかく、きれいに煮あがるらしいです。甘さが足りなかったら味加減を見ながら、ハチミツをプラス。
2005年01月05日
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もう絶対にやらないぞ。身勝手な人にふりまわされること。自分がしたことへの判断を仰いでいい人といけない人がいる、ということをはじめて知ったかもしれない。今日はそれを思い知り、もう絶対にこの人の意見は仰ぐまい、という人とこの人の意見はまた仰ごう、という人が一人ずつ記憶に刻まれた。また意見を仰ぎたい人は豊かな人生経験に基づいた、素晴らしい体験談や自分の考えを話してくださり、幅広く、奥深いアドバイスをくださった。簡潔にその経験談から得ることのできる要点を述べれば、「開拓者は最初、辛いことにも遭遇するかもしれないが、本当に好きなことならそんなことに屈せず突き進め。それなりの結果を出せているのなら、いずれは認めてくれる人たちが現れる」「リスクや困難を恐れていてはもったいない。本当に好きなことがあるのならば、それにかけてみるのも良し。それが怖いのであれば、より安易な道を選ぶのもまた良し。」「本当に好きなことは何かを見極めて、本当に自分の一生をかけるほどの価値があるかどうかを熟考しよう」「みんなに好かれることは無理。肝心なのは、自分が好きで尊敬している人たちに好かれているか、ということ」前にも他の人にこういうことは言われたことがある。でも、要点がどういう「お噺」に含まれているかで、染み入り方が全く違うってことを知りました。今の私にはそれぞれがとても重く響いた言葉でしたが、今までの私の人生を通じて特に重く響いたのは最初と最後の、かな?私は八方美人の嫌いがあるし、「開拓者」であることをいつも嫌がるから。だからこそ、ここで自分が自ら進んで「開拓者」になることにものすごい魅力を感じるんだけどね。この人にはそんなにしょっちゅう会うわけではないのに、ものすごい情熱をうちに秘めている人で、その炎が何歳になっても衰えることがない。この人には人生の転機で、いろんな決断をするときに感化されています。そして今晩もそんな晩になりました。まだ結果は出てないけど、師の炎に触れ、自分の炎のありかがまたあらわになった・・・。
2005年01月04日
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やってる時間がないはずなのにやってしまったこと。(親に見つかったら怒られる~~。><)じゅうにひとえの本格的引越し作業&再構築の開始。まぁ~ったく、何やってんだろ、って自分でも思うが、新年早々いやなことがあって、それへ吹っ飛ばす上での景気づけ、という面も多々ある。その「嫌なこと」ですが、新年早々みんな気分が盛り上がってるときにこういうことを書くのもなんか・・・と思っていたのだけど、cieloさんの言葉にも励まされて言っちゃえば・・・。某メーリングリストでね、「この勘違い日本人の明らかに翻訳マシンを使った投稿を見てくれ」ってメールが流れてきたの。その内容が「自分は外国に住んだことで普通の日本人とは違ってしまって、帰国してからの日本での社会生活が苦しくなってしまった・・・。」ってことを滔々と語った内容だったわけ。そういうものをさ、リストに流してさ、しかも明らかにその人が自分でがんばって書いた英語なのに、翻訳マシンを使ったって言うなんて、ひどい、と思って、それを非難したわけ。でもそれを流したリストのオーナーとは前にも個人的にちょっとあってさ、(その人が明らかなネチケット違反をするからそれについてメールしたの。今回のことで、この人は自分で日本語を書く能力がなかったからそれこそ翻訳マシンを使って、(笑)個別のサイトの内容を全く見ずに、全く同じ文面を、それぞれの掲示板にコピペしていったことがわかったんだけど)私は明らかに相手に嫌われてるわけよ。だから、私が何を言っても、「悪者の言ってること」として片付けられてるところがあるんだよね。なんかその人さ、明らかに「中学・高校のころとかに人気がなくて、今やっと人気のある立場になれたからそうなれた今、昔自分を認めてくれなかった人気者が他の人にしてたことをそのままやってやるぅ~」って明らかに現れててさ。ほんっとに年齢と大人度って関係があるはずなのに、見事にかみ合ってないことがあるんだよねぇ~というお手本のような人。あと、「血」と「文化」の相関関係をなんだかすごく単純にとらえてそう。(というか、今までの発言を見てるとそう。)あと、すっごい男尊女卑。こわいぐらい。この人が一番最初に現れたときにある友人にその人のことを聞いたら、ちょっとメールをやり取りしただけの相手なのに「あまり人の話を聞かなさそう人・・・」と言っていた友人はすごいと思う。見事に見抜いてました、あなたは。まっ、いんだけど。ここまで愚痴っちゃうってことは・・・やっぱりそれなりに傷ついてるんだよね。それでなんかさ、ちゃんと時間をかけてない私の責任でもあるんだけどさ、じゅうにひとえにさける時間もどんどん減っていくばかりだし、日本国内にしか需要はないってのに、私はほとんど日本にいないしで、続けてても意義なんてないんじゃないだろうか、ってめそめそしてしまったわけで・・・。昨日の晩、Aに電話して、励ましてもらいました。いい人だぁ~、ほんとに。それで出た結論、意義はある、続けた方がいいよ!とはAの意見。とりあえず、より大きなコミュニティ内の動向はまだつかんでおきたいので脱会はしないけど、(他のメンバーは結構大人でいい人たちぞろいのようでもあるし。オフ会にも機会があれば参加したい。)そのリストで流れるメールは週一ぐらいしかチェックしないアドレスに配達されるように変更。これで普段からチェックするアドレスをチェックする恐怖にもだえることもない、と。そんなわけで、小心者のかぐや、新年早々、心臓と胃に悪いことをしでかしてしまいました。(ストレスを感じると、胃がキュゥ~っとするんだよね。)今年は自分をもっと大切にしよう。そういえば、今年の目標まだ立ててないなぁ。仕事にもっとまじめに取り組む、とか?とか?とか?
2005年01月03日
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明けましておめでとうございます。年末年始のお休みがあってないような生活をしております。(涙)楽天では初の年越し。みなさま、今年もよろしくお願いいたします。と言うわけで、今日はドロンパ!*******子供のころから大好物のきゅうりサラダ。今晩作ってもらいました。材料:きゅうり、ゴマ油、しょうゆ作り方:きゅうりをななめに薄切りにして、ごま油としょうゆを1:1の割合で混ぜ、きゅうりにかける。おいしすぎて、今日は一気にきゅうり3本分を食べちゃいましたぁ。だって日本風のきゅうりってアメリカでは高価だったり、なかなか手に入らなかったりするんだもん・・・。
2005年01月02日
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