December 3, 2005
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このあたりでは 治水神社 くらいしか
行ったことがなかったのですが、
資料館はなかなかいいところでした。




海津市歴史民族資料館




【水との闘い~高須輪中の歴史】


海津市は木曽三川(木曽・長柄・揖斐)の
3つの大きな川に囲まれ、市の大部分が
海面より低く、昔から何度も大きな
水害に苦しめられてきた。


輪中で暮らす人々は水害から生活を
守るために様々な工夫をしてきた。
少しでも高い土地を選び、盛り土や石垣で
家の土台を固めて高くし、家を建てた。
命の次に大事な?仏壇は、綱をつけて
いざというときは2階に引き上げた。


水屋を高いところに建てて、水害時の
避難場所とした。ただし水屋に入れるのは
身分の高い者だけ。身分の低い者は
水が引くのを外でじっと待った。
それを哀れに思った豪商の佐野家が
自分の土地に 助命檀 を築き、困窮する
周辺住民のため共同の避難場所とした。



厳しい環境の中、そこで暮らす人々は
生活を守るために争いが絶えなかった。
例えば、堤防をはさんだ両側に田畑が
あるとすると、川の水が自分たちの方に
流れてこないよう、反対側に流したい。
そのため自分たちの側の堤防を少しでも
高くし、あるいは相手側の堤防を削り、
といったようなことを村同士がお互いに
やりあって、争いの元となっていた。
そこで当時の奉行が、「高さを示す杭」を
堤防に設け、互いに守るようにした。


宝暦年間には 薩摩義士たちによる
宝暦治水
(1753~1755)が、
明治6年からはオランダ人 ヨハネス・
デレーケ
による『明治改修』などの
木曽三川分流の治水工事が行われた。


とりわけ薩摩義士に対する地元民の
感謝の念は今でも厚い。
治水神社 だけでなく、海津市の
あちこちで薩摩の家紋が見られる。
薩摩義士を偲ぶイベントや鹿児島との
交流が、現在でも時折り行われる。


低湿地帯の生産を少しでも上げるために、
明治36年には大型の排水機が導入され、
埋め立てにより耕地も拡大した




2005-12-04 12:45:49









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Last updated  December 4, 2005 12:46:17 PM
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