June 3, 2007
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(昨日の日記の続きです)

幸せな夜を過ごし、一夜が明けました。
友人との朝食後は別行動とし、10時頃に
池袋の駅で分かれました。
私はそれからまず、靖国神社に行きました。


大きな時代の波にのまれて、愛する祖国を
守るためにある者は自ら志願し、またある
者はやむなく戦争で命を散らした御霊たち。
自分の命と引き換えに、今私たちが住むこの
日の本の国を守ってくれた御霊たち。


まず拝殿で、深く一礼をしました。
それから遊就館のほうへ。
2階の展示室(有料)に行きたかったけど、
今回は時間があまりないので1階のみの見学。
それでも、ちょうど『戦跡パラオ展』をやって
いて、なかなか見甲斐のあるものでした。

★靖国神社と遊就館(東京都)★

写真をクリックしてご覧ください。


太平洋のミクロネシア地域に浮かぶパラオ
諸島。
パラオはかつて欧米の植民地支配を受け、
1920年より日本が統治することになった。

欧米の、ただ支配し搾取するだけの統治と
違い、日本の統治はパラオに産業技術と
教育制度をもたらした。
修身教育をした日本の統治下では、パラオの
民族間の争いが格段に減った。

太平洋戦争がいよいよ激化し、日米両軍の
島での攻防戦が始まると、日本軍は
「島民を戦争に巻き込んではならない。」と
別の島に避難させた。

戦前の日本軍はたしかに、東南アジア諸国に
対して残虐非道なことをしてきた。しかし
こういう武士道をもって統治する指揮官が
いたことに、私は安心をした。

そういったこともあり、パラオの国民は
日本に対して友好的である。
今もパラオの各地には、日本名の地名が
残り、名前が日本名の島民も多い。

戦争中に、日本軍と一緒にアメリカ軍と
戦うことを志願したパラオの島民もいた。
日本軍が玉砕し、日本人の遺体は島の
あちこちに放置されたが、島民が手厚く
弔ってくれた。

日本人に武士道があれば、アメリカ人にも
騎士道をもった人がいる。
アメリカ軍の猛攻に耐えながら一切降伏を
しない日本軍の戦いを、
「実に見事な軍人たちだ。強い敵は尊敬され
る。」と称えたアメリカ兵もいた。



ふだんほとんど話題になることがない
パラオ共和国が、日本と意外な関係があった
ことをここで知りました。
いい展示を見ることができた時間でした。


明日の日記も、別の場所の歴史関係です。







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Last updated  June 6, 2007 10:02:39 AM
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