I love Salzburg

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2013.02.11
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カテゴリ: 読書
ちょっとまだ自分では消化しきれなくて、ここに感想を書くのはやめようと思ってた。

なのに、何らかの思いを綴らなければ次の本へ進めない。
いつまでも本棚に戻せない、机の上にあり続ける一冊があった。

そういう作品もあるんだな、と知る。

だが、読後半月以上経過しているため、詳細は定かでない。


*


それが、『カティンの森』。

随分長く積読していた本だが、わが年下の彼女(笑)、ブロ友 nanaco☆さん の、映画化された同作品のレビューで読む決心がついた。


ポーランド空軍墜落事故

カティンの森犠牲者追悼式典に出席するためにロシアのスモンレスクへ向かった、ポーランド大統領夫妻と同政府要人96名を乗せた飛行機が墜落、全滅した事故だ。

私はその事故で初めて、背景にあるカティンの森事件を知る。
ニュースに疎い私がそれを強く記憶し、ざっと歴史を調べた理由は、その翌月にモスクワを旅することにしていたからだろう。

あの時、プーチン首相(当時)の冷めた目に、ロシアに対する胡散臭さをどうしてもぬぐえなかったことを覚えている。


また、その事故の3日前にも行われた式典に、ポーランド首相と共に参列した プーチン首相は、カティンの森事件について改めてソ連の責任を認めた上で、ロシア国民に罪を被せることは間違いだとし、謝罪しなかった。

その式典参列者の中に、この作品の映画監督アンジェイ・ワイダ氏もいた。

ロシア側のその態度に、その時 ワイダ氏はどう思っただろう。

ワイダ氏の父は、カティンの森事件で虐殺されている。


ひょっとしたら父親は生きている、、、
彼の母親は、ほとんど生涯の終わりに至るまで夫の無事を信じ、帰りを待ち続けたという。

彼は、この映画があの事件の真実を明るみに出すだけでなく、

歴史的事実よりはるかに大きい感動を引き起こし、祖国の過去から意識的、かつ努めて距離を置こうとする若い世代に語りかけたかったのだ。


この作品は、そう映画化されることを前提に、アンジェイ・ムラルチク氏によって執筆された。

ムラルチク氏は言う。
「独りでは、この主題を取り上げる勇気はなかったと思います。
カティンについて虚構の物語を書くと考えただけで、身が震える思いでしたよ。


「ワイダと約束しました ― 彼には映画監督として独自のヴィジョンを創造する権利がある。
わたしは自著で自分のヴィジョンを守ると。
でも、映画と小説は理想的に補い合っていると考えています(同)」


私も思う。
この作品は原作を読み、映画を観ることによって、より深く理解できると。

映画の中で強烈な印象を残すのは、エンディングの、ただ淡々と、同じ血が通った人間の仕業とは思えない凍りつくような虐殺シーンだが、
片や原作では、そのような露骨な描写はなく、待ち続ける家族の痛々しい感情が細かく丁寧に記されている。
待つ女性たちに、一段とスポットを浴びさせている形だ。


それは、ポーランド将校であるアンジェイ・フィリピンスキ少佐の、母・ブシャと妻・アンナ、そして娘・ニカの物語。

ブシャとアンナは、アンジェイの生還をひたすら信じて待ち続けている。
「カティン以前」の光に満ちた生活と、「カティン以後」。

娘ニカも父との懐かしい想い出、父の誇らしい姿を忘れたわけではないのだが、彼女は父との再会をほとんど諦め、今を楽しみたいという気持ちの方が強くなる。


カティンを奇跡的に生き抜いたアンジェイの部下・ヤロスワフ大佐と、
後にニカのボーイフレンドとなる、戦時にパルチザンとして抵抗運動をしていた美術学生のユル、
この2人も物語を展開さす上で要となる人物である。

その6人の苦しみ、哀しみ、諦め、うらぎり。
ニカはある出来事から、アンナと同じ道(気持ち)を歩むこととなる。

それらを生み出したのが、カティンの森事件であり、 その罪をナチス・ドイツになすりつけたソ連の嘘 であり、
そして、 その真相に触れることすら しばしタブー であったポーランドの弱さであった。



強国に挟まれ、常に侵略され続けたポーランド。
このカティンの森事件の直接な背景に、 1939年のドイツとソ連によるポーランド侵攻 がある。
さらに遡ると、ドイツ・ロシア・オーストリアの三国に分割された時代にぶつかる。


弱国ゆえの宿命か。


だが、だからといって、 なぜ ソ連によって優秀なポーランド将校がカティンを含め1万数千人も虐殺されなければならなかったか

訳者はこう記す。

それは、ポーランドとソ連関係の「過去」と「未来」に関わると。

「過去」とは、ソ連が敗北した ポーランド・ソ連戦争 を根に持つスターリンが、ポーランド軍人に対して強い不快感を持っていたこと。
事実、虐殺された捕虜の多くが、ポ・ソ戦争に従軍した者だった。

それでは なぜ 、そのポ・ソ戦争が起こったかというと、第一次世界大戦後、ロシア革命で混乱しているソ連(ロシア)に対し、ポーランドがかつての領土を取り返すために侵略したからであった。


では、 なぜ そこに「未来」も関わってくるのか?

それは、ポーランドの軍人と知識人たちを抹殺することで、 指導者を失ったポーランドに真空状態を作りだし、そこにソ連仕込みの連中を入れる ことで、


結局、いつの時代もソ連(強国)の思惑通りにされてきたということだ。


これらを頭に入れた上で改めて物語と向き合うと、もっとすんなり話に入っていけるだろうし、

映画の冒頭シーン、ドイツ軍から逃れるアンナ母娘たちと、ソ連軍から逃れてきた人達が橋の上ですれ違う、 進んでも引き返しても先はないポーランド人の姿 を理解できるだろう。

真実を闇に葬る為に消された人々のことも。。。




真実を知ろうとすると、いつも現れる「 なぜ? 」。

この「なぜ?」に歴史があり、「なぜ?」をどんどん遡っていくことが歴史教育だと思う。

答えは見つからないかもしれないが、
それを導き出そうとする過程が、今後 我々の未来に必要なこと、同じ過ちを繰り返さずにすむヒントを教えてくれると思っている。


ほぅ。。。苦し紛れにこう締めくくろう。(笑)





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Last updated  2013.02.12 07:37:19
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