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一年が経ちましたね。長かったのか、短かったのか、正直よくわかりません。でも、すぐ里帰りしたのもあり、ぽっかりと穴が開いたようになっているのは事実。 今月に入り、テレビでは様々な特集が放映されています。忘れて欲しくない、風化させないためにも、大切なことだと思います。でも、「忘れたいのに忘れられない」ひとがたくさんいるのが現実。まだまだ観たくないひとがたくさんいるのが現実。ただ、津波を体験していない私は、見なきゃいけないって思います。見て、感じて、絶対忘れずに、伝えていかなきゃいけないと思います。 この一年、何度親友のことを思ったかわかりません。すごくすごく大切な人だったから、至るところ、至る場面に彼女との思い出があります。 学生時代によく聞いてた歌が流れたとき。たまたま私たちの結婚式に使った歌が流れたとき。流行りのウェディングソングが流れたとき。旦那ちんとの笑い話のなかで、ふと学生時代のことを思い出す単語がでたとき。ママ友との会話のなかで、学生時代に住んでいた街の話題がでたとき。そのときの街の情景が頭のなかに浮かんできたとき。休日、家族でゆっくりと、穏やかな時間が流れているとき。 子供を抱きしめて、幸せだなぁと感じるとき。彼女から長女の出産祝いでもらった離乳食調理セットでお粥を裏ごししているとき。「チビに貸すー!」と長女が持ってきたのが、彼女からの出産祝いの玩具だったとき。 彼女がプロポーズされた場所(クリスマスのイルミネーション)の話がでたとき。 その全てで彼女のことを思い出します。考えるよりも先に、胸が痛くなって涙が出てきます。すごくすごく会いたくなります。どうしたらいいのかわからなくて、苦しくなります。声がききたくなります。会って、会いたかった!!って抱きしめたくなります。 そんな時に決まって思い出すのが、彼女が見つかって会いに行った際に、彼女の父親が言った「〇〇の分まで幸せになってください」という言葉です。でも次の瞬間、一緒に幸せになりたかった、なるはずだったのに、としか思えない自分がいます。 いつか、この胸の痛みが消える日がくるのかな。笑って彼女のことを話せる日がくるのかな。果たしてそんな日がくるのを、自分が望んでいるかもわからないけれど。 とある芸能人のブログに 私が生きている今日は、亡くなった方たちが生きたかった今日。と書いてありました。その通りだと思います。 今を大切に、今日より明日は、もっともっと優しい私でいられますように。 生まれてきてくれた子供たちに感謝。出逢ったときから、いつもそばに居てくれる旦那様に感謝。私を産んでくれた両親、命を繋いでくれたご先祖様に感謝。出会ってくれたお友達に感謝。 どうか、どうか、みんなに生きる希望の光が届きますように。。。
2012.03.11
先ほど、私の住む地区は電気が復旧しました。3.11から約1ヶ月。ようやく気持ちも落ち着き、普段通りの生活を送る余裕が出てきた矢先でした。今週からちらほら娘の予定を入れ、お友達と遊ばせていたところでした。内陸にいる私たちでさえ「やっと前向きになってきたところだったのに」「なんとか気持ちを切り替えたところだったのに」と精神的にやられてしまっている人が多いです。会社もやっと復旧のメドがつき、士気も上がってた旦那様方も、みんなまた落ちてます。もうほんとに泣き叫びたくなるような、もうやだと駄々を捏ねたくなるような夜でした。まさかまた震度6レベルがくるなんて、正直思ってませんでした。内陸にいる私たちでさえこんな状態。津波の被害にあい、いまもなお怯える毎日を送っていた方々は本当に怖くてたまらない一晩を過ごしたことでしょう。津波の再来がなくて本当に本当によかった。昨夜地震のあと、津波と原発が気になって車からナビを取り外しニュースを見ました。しきりに津波に注意と避難を呼び掛けるアナウンサーがいました。地震直後すぐ停電になったので沿岸の被災地にいる人は見れないのに。たまたまナビがあった私たちは見れたけど、内陸でも見れない状態なのに…。何か違和感を感じました。「買いだめをやめよう」という動きがありますよね。私も賛成です。ガソリンもやっと今週から通常営業してました。なので、食品も日用品もガソリンも、買いだめはせずに必要な分しかありませんでした。ガソリンは一度も入れておらず、週末給油予定でした。そんななかでの再停電生活。お店もまた停電・倒壊などで休業。買っておけばよかった…と思わずにはいられませんでした。でも、こんな話もあります。昨夜地震のあと夜中にも関わらずまたガソリンスタンドは行列だったそうです。地震で5針縫う怪我をした妊娠4ヶ月の女性。救急車を呼び待っている間にお腹の痛み→出血までしてしまって。そんな状態での搬送だったのに、スタンド渋滞のためちっとも進まなかったそうです。何がいいのかわかりません。みんなそれぞれ事情はあるだろうし。本当に必要なのは何か自分で考えなくちゃならないですね。やまない雨はない。明けない夜はない。やるしかないんですよね。…って真面目な日記を書きましたが、私は元気です!ただ、この状況を残したくて、伝えたくて書いてます。明日は親友の火葬・葬儀があります。昨夜のことがあるので予定通り行われるのかわからないけど、その時間に空を見上げ友人を送りたいと思います。どうかもう、これ以上傷付く人が増えませんように…。みんながぐっすりと眠れる夜がきますように…。
2011.04.08
長文になると思います。3日前の日曜日、最後まで連絡のこなかった親友に会って来ました。数日前に婚約者の方を通して、親友が見つかったと連絡があったから。会いに行ける人たちで物資を調達し、会いに行くことを決めました。会いに行けない人たちからはメッセージを受け取り、手紙にすることにしました。正直、行くと決めたあとも、何度も何度も迷いました。変わり果てた街並み、そして、もう目を覚まさない親友の姿、現実を、受け止められる自信なんて正直ありませんでした。怖くて怖くてたまらなかった。そして、まだまだ続いている余震・地震。いつまた大きな地震がくるかもわからない、津波がくるかもしれない場所へ「会いたいから」と娘やお腹の子を連れて行くのは親のエゴなんじゃないかって思いました。一緒に行く人たちに弱音も吐きました・・・。私だけじゃない。私のほかにも妊婦さんや小さな子を連れた友人だっていたのに。でも、そんな葛藤の中、出発の前夜、旦那ちんが婚約者の方と電話をしました。こんな状況なのに、彼は私のメンタルや体調の心配をしてくれたそうです。親友はきれいな状態で見つかったと、むくみ始めてきてはいるけど、もともと丸っこかったからって笑っていたそうです。そして、ぜひ会ってやってくださいとも。電話を終えた旦那ちんからそれを聞いたとき、彼の強さが眩しくて、自分の弱さが情けなくて、涙が止まりませんでした。訃報を聞いたときよりたくさん泣きました。* * *いまは、会えてほっとした気持ち、 そして、津波に対する怒り。 色々な気持ちでいっぱいです。でもどこかスッキリしています。 行ってよかった。本当にそう思います。 そして、テレビで見ていた津波の被害。実際に見ると全くと言っていい程違いました。 今は津波のニュースは見たくない。津波の話も聞きたくない。新聞も全て捨てました。テレビを見て悲しんでた私。でも、実際はこれっぽっちもわかってなかったんだと思わずにはいられなかった。そして、彼女のご家族や婚約者の方、被災された方に 口が裂けても「頑張って」とは言えないと思いました。言っちゃいけないと思いました。 少なくとも、津波を経験していない私たちが言う言葉じゃないと思いました。 彼女の父親は、泣きながらたくさんの話をしてくれました。 でもまだ現実として受け入れられないと言っていました。 変わり果てた娘の姿を見るのもつらいと言っていました。 早く火葬をしてラクにしてやりたいと言っていました。 火葬までまだ二週間。これでも一週間早くなったみたいです。そして最後に、〇〇の分まで幸せになってください、家族を大事に、頑張ってくださいと言われました。本当は親友も一緒に幸せになりたかった。親友の幸せな姿をもっともっと見たかった。ノロケ話をいっぱいいっぱい聞きたかった。そう思うと悔しくて悲しくてたまりません。 * * *そして、友人と会った日、私たちは自宅に戻ってから婚約者の方に電話をしました。 彼は土木課の職員なので、震災の日からほとんど寝ずに働いているみたいです。 だから、気を張っていられる、だから、いまはまだ大丈夫です、と言ってました。 そして、まだまだ彼女の知らないことがいっぱいあったので、彼女のことを教えてください、聞かせてくださいと言っていました。いつか、彼の仕事が一段落したら、そのときは仲間も呼んで、親友の大好きだったお酒を飲みながら、婚約者の方も含め、彼女のことをいっぱい話したいと思います。そして、婚約者の彼しか知らない彼女のこともたくさんたくさん聞きたいと思います。 話をすることで、色々な感情を吐き出すことで、前に進めると思うから。そうしないと、前に進めないと思うから。。。今回、私たちと彼女のご両親が涙ながらに話しているのを、じっと聞いていた彼・・・。本当なら来月入籍予定だった。もし今回『夫』という立場だったら、誰の目も気にせずうんと悲しみ、泣くことができたのかもしれないって思わずにはいられませんでした。。。 彼女に一番近い立場で、思いっきり自分の感情を吐き出せたのにって。。。彼女は誰からも好かれる人気者でムードメーカーだったけど、ものすごく気い使いだし人見知りでした。だから、年末会った時に婚約者の方と2人でいる姿を見ることができ、彼女が自然体でいられる人に出会えて本当によかったと思ったと婚約者の方に伝えました。 * * *まだまだ見つかっていない方がたくさんいる状況で、こうやって家に帰ってこれて、大好きだった家族や婚約者の方に再び会うことができた彼女は幸せなのかもしれません。でも、こんな悲しいことなのに、それを幸せだと思わなくちゃ行けないこの状況が悔しい。こんな形で会うことを幸せだと思わなくちゃいけないなんて、納得したくありません。大学の4年間、そして卒業してからも、楽しかった思い出の全てに彼女がいます。今までは会いたくなったらすぐ連絡して、岩手や宮城、色々なところで会ってました。これから彼女に会いたくなったらどうしたらいんだろう。そう思うと今まで感じたことの無い気持ちで胸がいっぱいになります。会いたい。会って声を聞きたい。いっぱい笑いたい。。。でも、彼女はくよくよ悩むことを嫌っていたから、もう悲しむのはやめようと思います。今は1日でも早くきれいな海岸に戻り、また仲間と集まれる日がくるのを楽しみにしています。彼女に出会えて本当に本当に良かった!!本当にありがとう!!本当に本当に大好きだよ!!* * *長文失礼致しました。ここまで読んでくださりありがとうございます。
2011.03.30
なんだかんだで今日3つめの更新ですσ(^_^;) 明日からいよいよ旦那ちんも出勤!!なるべく今までどおりの生活に戻れるよう、このカテゴリはこれで最後にします。カテゴリの最後は、また笑って海を眺める日がくるよう、大好きな三陸の写真を 【松島】 日本三景「松島諸島」も一部が崩落するなどの被害がありました。 【石巻~牡鹿半島】 今回の地震で牡鹿半島は東南東に5m以上も移動しました。 【陸前高田~気仙沼】どちらも穏やかな街。海水浴やBBQの思い出がたくさん また笑って海が見たい。旦那ちんと、そして友達と、いっぱい笑って いっぱい はしゃいだ海。また笑って海の前に立つことができるよう、強い自分になりたい。 どうか、また皆と笑顔で集まれますように。。。そのときは、いっぱいいっぱいくだらない話をしよう!! T、みんな待ってるよ!!
2011.03.22
今まで何度かリンクを貼らせていただいていたyushuryoさんのブログ。娘のアレルギーのことでは、ブログやメッセージでとてもとてもお世話なっています。こんな形で紹介しなければならないなんて悔しいけれど、、、どうしても伝えたい!! そちらで紹介されている、福島県相馬市にいらっしゃる方のブログです。『なっぱちゃん★ママブログ』 http://plaza.rakuten.co.jp/nappachan0508/diary/ こちらに、すごく重くて深い言葉が書かれていました。『絶体絶命』見ても聞いても恐怖しか与えない文字だけど、希望の持てる文字に変わるって聞いた。 この文字をバラバラにすると「糸 色 体 糸 色 命」「いと しき からだ いと しき いのち」=愛しき体、愛しき命。 命さえあれば未来を紡げるから。。。『愛しき体、愛しき命』 私は絶対、この言葉を忘れません。 そしてもうひとつ。この方のブログに書かれていたることです。津波被害で家族が行方不明の人達は心配で離れられないと言っていました。捜索もされていません。原発から30キロ圏内は助かったかもしれない命も見捨てられています!福島県の行方不明者が多く死亡者が少ないのは、これが理由です。捜索できないんです。してくれないんです。 ニュースを見るたび増えている死亡者・行方不明者の数。。。ですが、福島県はかなり少ない報告数です。我が家の主人も「きっと福島はこの先どんどん増えるんだろうな」とボソッと言っていました。どうかどうか、悲しい思いをする人がもうこれ以上増えませんように。。。ただ それだけ。。。 pigcup
2011.03.22
まず最初に。。。私はすこぶる元気です!!震災以来、柄にもなく真面目な日記が続いてしまったため皆様方には私が想像していた以上に心配をおかけしてしまったみたいで申し訳ないです心配してメールやメッセージをくれた友人・知人の皆様ありがとうございます(_ _*)_ _*) 最初の二晩は裏のアパートに住む家族が我が家に避難しに来ていたのも心強かったです。食事も冷凍していた肉・魚がたっぷりとあったため「停電で悪くなっちゃう!」とドケチな私はご近所へお裾分けできるほど食べれていました。ガスコンロがものすごく役に立ちました!!※ただ、ガス缶1本で3食調理できるかできないか、というほどしか持たないので要注意です。さすが米どころ宮城!お米を作っている実家をもつ友人が多く、数人から分けて頂きました。野菜も義両親が来たばかりなのでたくさんあり、ご近所さんやママ友達とお裾分けしあったり買い出しに行く時は声を掛け合ったり・・・。昨日は久しぶりにパンを買えました(*>∀<)v「こんなときにぶくぶくと太る妊婦は私くらいじゃないだろうか(-_-;)?」と不安になり←毎晩かなり必死にエクササイズに励む日々です。もともと胃弱なので胃もたれはありますが。日常に戻ったら毎日一食はうどんを食べたいな。※他に手に入らないのは納豆や乳製品。卵・肉・魚・豆腐は専門店で少し買えるみたい。日用品やオムツはほぼ× 主人の職場もかなりの被害があったため、まだ出社できず家にいるので娘を任せっきり♪体力が有り余ってる私は家中掃除し、ピカピカとなった家に酔いしれています(* ̄m ̄)あ、もちろん高いところや汚れのヒドイ箇所は旦那ちんに掃除してもらってる鬼嫁ですww そしていつも以上に料理もでき、旦那ちんも喜んでます。←今までが遊び歩いてて酷かっただけw地震以来6時起床21時就寝!と老夫婦のような生活。娘はお昼寝無しで18時就寝です余震もだいぶ落ち着いたので、夜通し眠れる日も増えてきました。これはかなり嬉しい!!こんな感じで、毎日ちゃんと笑って過ごせています。なので心配しないでねっヽ(*´∀`*)ノ * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *以下は自分用に。今回の震災で心に響いたニュースや言葉を記録しておこうと思います。。。 ■http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/■http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110321-00000015-san-l03■http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110319-00000925-yom-soci■http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000691-san-soci■http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110321-00000004-maip-soci
2011.03.21
インターネットも復旧し、あとは電話回線のみです。我が家は給湯器が壊れただけで済みましたが、業者に連絡したところまだまだかかるとのことでした。1日おきに近所のお宅へお風呂を借りに行ってます。長丁場になりそうなので、地震後ずっと協力しあっていた2軒のお宅を交互に、それぞれ4日に1回借りてる状況です。地震後、初めてお風呂に入ったのは一週間後でした。最初の3日は顔も洗えず、下着も替えれず、でもそんな状況も全く気になりませんでした。娘は汗をかいたりお尻がかぶれたりするので、ガスが復旧した3日目に身体だけお湯で流しましたが・・・。停電生活が続き、それも次第に慣れていくと『電気は生活を便利(贅沢)にするためのもの』だと実感しました。そりゃ暖も取れず寒かったし携帯の電池が心配だったけど、一番不自由しなかったし!!そして少し落ち着き、周りでは明るく前向きに頑張ろう!という動きになっているいま、その【贅沢をするための電気】を供給するために作られた原子力発電で、想像ができない事態になっています。 ■1都5県の水道水から放射性物質、国基準下回る(読売新聞 - 03月19日 21:27)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110320-00000010-jij-soci水道をはじめ、牛乳にほうれん草、きっと今後も続々と出てくるのでしょうね。放射線物質の心配が出始めた頃から急激に寒くなり、冬型の気圧になったため放射線は海へ海へと流されたため、被害は少なく済んでいるのかもしれません。風向きによっては私の住んでいる街も、もうそこまで迫っているでしょう・・・。ってか時間の問題でしょうね。テレビの情報は信じられない。だって水道水だって発表があったのは2日後。ボロボロの原子炉が放映されたのはアメリカが先に自国で現状を放送したから。それまで日本は真新しい映像で誤魔化されていた。。。正直気にしたらキリがないし、どうせ素人にはわからないレベルの話、考えたくない。でも、避けては通れない状況になってきてると思います。楽友のyushuryoさんのいる福島県。国の発表は「大丈夫、安全だ」なのに原発が怖く、救援物資がほとんど届かない状態だそうです。(※ちなみに、情報がないだけで宮城県沿岸の避難所もまだまだ行き届いていないところだってあります。赤ちゃんが餓死したという信じたくないニュースもやっと明るみになりました。)放射性物質、私のことはどうだっていい。でも、お腹の赤ちゃんのこと、娘のこと、そして、将来娘が産むであろう赤ちゃんのこと・・・。それらを考えると今すぐ義実家へ、それか北海道の実家へ避難したほうがいいのではないかとも思う。でも、旦那様と離れたくない。離れると心配とか心細いっていうのもあるけど、それ以前にただただ一緒にいたい。でもそれって私の我侭なのかな?って思ってしまう。娘とお腹の赤ちゃんを守る母親としては失格なのかなって思う。もうどうすればいいのかわかりません。■前述したyushuryoさんのブログ。福島県の現状が書かれています。どうか見てください。 ※本当はもうこんな日記書きたくない。こういう毎日でも成長が見える娘の記録を書きたい!でも、これはマイナス思考に陥って書いてる日記じゃない。嘆いている日記じゃない。ただただ皆さんに知って欲しいだけです。携帯が復旧し、実母と1度話しましたが、ニュースだけからしか情報を得ていない実母。「救援物資も届いているようでよかったね」と言われ、ギャップを感じました。TVで伝わっているのは、本当に恵まれたところの情報なのに!でも仕方のないことですよね。被災地にいる元気な私たちが伝えていかないと何も伝わらないって痛感したので、いまこれを書いています。もう、こんなこと忘れて思いっきり遊びたい!!最初から考えられたであろうこの危険性を考えず「大丈夫、安全だ」と繰り返していた東電幹部に腹が立つ!!決死の覚悟で第一線で働いてくれている方たちにはもうなんて言葉をかけていいのかわかりません・・・。「神様、いるのなら、何とかして下さい!!」と本気で思う!!
2011.03.20
友人のmixi日記で紹介されてたものです。すごく励まされたので紹介します。これを見てまた泣いちゃったけど、今までとは確実に違う涙です!!こちらはみんな頑張ってます!!http://prayforjapan.jp/message/m被災地に光を。。。被災者に強さを。。。子供たちに未来と希望を。。。
2011.03.19
先に書いたmixi日記へのコメントで知ったのですが、いくら大震災でも、いずれ人々の記憶から薄れたり忘れられたりしてしまうもの...。悲しいけどそれが現実なんですよね。そうなったとき、例えば数ヶ月後や半年後、復興に向けて頑張ろうというときに必要な資金が無くなってしまうそうです。だからこその義援金みたいです。いますぐ救援物資を届けたい!という場合は、赤十字や各地のNPO団体への寄付がいいみたいです。いずれ風化されてしまうのは、悲しいけど理解できます。そうしなきゃ前に進めないですし。それと同じように、今回被害にあった方の悲しみや傷ついた心も癒されてくれることを願うのみです。これで学んだこと・感じたことを忘れず生活していかなければならないと思います。うまく表現できないのでコメントも掲載しておきます。◆個人からの支援物資は被災地ではあまり歓迎されないみたい。荷物の受け入れ対応や細々と入った段ボールをあけて仕分けするのが、自治体職員の負担になってしまうそう。 私も以前洪水被害で市職員として対応したとき、申し訳ないけど廃棄させてもらったものが多くあったよ。それよりも、やっぱり現金が一番いいと思う。 使われるの半年後かもしれないけど、被災者の職場の再建だったり、 住居の再建だったり、また、今後の津波・地震対策には莫大なお金が必要なの。 今辛い思いをしている人達のために素人の私たちに出来ることは、救助や援助のプロから確実に円滑に、そしてまんべんなく被災者全員に手が差し伸べられるように、見守るのことだと思う。 ◆「義援金」という形で集められるお金は被災された方にわたるのは何カ月かかるかわからないそうだけど・・。悲しいことだけど、災害は時間がたつとメディアからの情報も少なくなって、集まる寄付もしだいに少なくなっていくそうです。 けど、本当にお金が必要なのは、半年後なり、1年後なりの被災された方が日常生活に戻ろうとする時。だから、いつになるかわからないけれどそういった意味で「義援金」もとても大事だと聞いたことがあります。 ◆もし今必要なものを届けたい!と思う場合は、「赤十字」などの団体への寄付とかがいいみたいだよ。 その団体への寄付になるから、寄付金が何に使われるかはわからないけど、炊き出しの食料・毛布などの救援物資に換わってくれる可能性があると思います。
2011.03.18
陸前高田 住民台帳すべて流失http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1537684&media_id=4岩手宮城各地で津波の被害にあった友人や同僚たち、昨夜までに一人を除く全員が無事とわかりました。毎日少しずつ入ってきていた無事の連絡に、どんなに励まされたことか。あとは陸前高田市にいる、大学時代の親友の一人の連絡を待つのみです。市役所の職員です。年末、仲間のうち集まれる何人かで会いました。その友人は婚約者を紹介してくれました。二人でいるのがとても自然で、いい人に巡り会えたことを嬉しく思いました。最近、式は7月だと連絡がきたばかり。『ここだけの話、沿岸ならではのとっても豪華な料理だから楽しみにしてて♪』と教えてくれました。そして昨夜、岩手県内陸の市役所に務めている友人経由で、彼女の婚約者の無事が確認されました。市職員の生存者名簿に載っていたそうです。心底ほっとしました。だって親友だけが助かって、もし婚約者の方に何かあったら、きっとすごく苦しんでしまう…と思ってたから。だから、本当に本当に良かったと思いました。あとは親友の無事を祈るのみです。実家は市内でも高いとこにあるから、もしかしたら自宅で家族といるのかな。みんな待ってるよ。すごくすごくたくさんの人が無事を祈ってるよ。夢に出て来てくれて無事だと言ってくれたのを信じてるよ。7月の結婚式、みんなで笑って会おうね!!最後に、出回っている救助者リストですが、高田市職員の生存者名簿も含め、それが全てではないと自衛隊の方が言っていたそうです。現に、他市にいた私の同僚も避難所にいますが名簿に載っていませんでした。自宅にいる方も載っていないことが多いとか。テレビで見れる避難所は情報が行き届く恵まれてる避難所だそうです。どうか、どうか、一人でも多くの方が助かりますように。
2011.03.17
昨夜、あんな偉そうな日記を書いたし大丈夫なつもりだったのに、夜中の地震が怖くて怖くて押し潰されそうでした。夜になると不安でどうしようもなくなります。でも体力が一番大事。少しでも寝ないといけないですよね!幸い、娘は余震でも起きず夜泣きもせず、さらには相変わらずの食欲です。余震には怯えてるけど、過敏にならずぐっすり寝てくれるのでそれが救いです。皆さんのコメントや震災についての日記も、すごく励みになってます。嬉しくて嬉しくて、ほんとに救われてます。さきほど、山口県と書かれた消防車や救急車、レスキュー車が30台ほど連なって沿岸地域のほうへ向かっていたとママ友から聞きました。東京で消防士をしている義弟も、明日には宮城県へ派遣されてくるそうです。北海道の親友の旦那様も、自衛隊として岩手県沿岸部へ派遣されてます。また別の親友の旦那様も、警察官で沿岸部へ…。まだ小さい子を抱え、旦那様を送り出さなくてはならない奥様たちの気持ちを思うと胸が痛むけど、彼女たちは『生きている人の務めだから』『私は旦那を精神的に支え、体調を崩さないよう祈るのみ』と言ってくれました。彼女たちの強さに感動しました。私も頑張ろうって思いました。この町のママ友の弟も、警察官で宮城県沿岸部へ派遣されてます。正直、耳を塞ぎたくなるような状況です。何百もの遺体処理。だけど手を洗う水もないそうです。もちろん暖をとることもできない地域も。今日なんて1月下旬並みの気温。雪が降り風も強く、彼らの体力が心配です。沿岸部はここ以上の強風だそうです。まだ救助を待っている生存者の体力、避難所にいる方の体力、全てが心配です。そして海外からの派遣や物資の援助。そんなニュースを見るたび感動してます。私たちも、前に進むため、いま出来ることを一つずつやっていかなきゃですね。昨夜少し落ちてしまった分、今日は友人達と連絡しあって、倍以上に復活しました!!まだまだ頑張ります。もちろん無理しない程度に☆
2011.03.16
前回の日記には、コメントありがとうございます。返事できなくてごめんなさい。私たちは変わらず元気です!今日からテレビを見れてます。四日ぶりに救出された方々のニュースをみて希望が持ててます。私たちも被災者だけど、津波の被害を考えると被災者ではなく、何かをする側だと思っています。そう思えるのは電気も復旧し、恵まれてる状況にいるからなのかも、偽善なのかもとも思ってしまうけど、やっぱり何かしたいと強く思います。我が家は今日、ドコモを通して義援金を送りました。来月またするつもりでいたのですが、義援金が実際に活用されるのは半年後だと、友人のmixiで知りました。いままさに温かい毛布や食事を必要としてる方々がいるのに…。学校などの避難場所はもちろん、本当に大変な地区は避難場所もないそうです。津波で壊滅状態だという陸前高田市ではキャンプ場で野宿してる被災者が数百人とのこと。海岸なのに…。しかも、それがわかったのは、被害にあいながらも自力で50キロ近く避難しSOSを出した方がいるからだそうです。大変な被害にあった方たちのほうが、より外部から遮断された避難場所にいると知りました。本当に、義援金以外でも何か出来ることはないのだろうか、と思うだけの自分がもどかしいです。地震からもう四日。でも、まだ四日。この冷え込みのなか、救助を待ってる方々がいるんですよね。そして、まだ安否確認ができない友人たちが、いままさに頑張っているんだと信じています。何かできること、○○で毛布や防寒着などを受け付けてるなどの情報があればください!!そして、いま我が家は、主人の地元であり私も大学・社会人時代を過ごした岩手県の沿岸の友人や知り合いの安否確認を、各地にいる友人達とやってる所です。mixiやTwitter、災害掲示板、避難者名簿、救助者名簿、総合病院への搬送者名簿など…。他に何か探す手段があれば教えてください!最後になりましたが、地元や関東圏にいる友人、楽友の皆様が多数、被災地への義援金をしてくださってると知り、すごく嬉しく励まされてます。ありがとうございます!!
2011.03.15
私たち家族はみな無事です。やっとこの地域で電気も復旧しました。(ガスや水道は昨日から使えてます)ただ、先ほどまた強い余震。この数日、地響きがなるたび生きた心地がしません。地響きのない直下型の余震も絶え間なくあります。でもここは津波の心配がないだけ恵まれています。昨日携帯が通じるようになって、心配だった人たちが無事だという知らせと共に、独身の頃いた会社の支店が津波で消えたと知りました。沿岸地域の友人や元同僚で連絡がつかない人もいます。沿岸にいる実家の家族と連絡がとれない友人も多数います。そして、何より被災地には情報がほとんどきません。今は携帯が復旧して多少よくなったけど、電気が復旧しないうちは充電ができず、安否確認だけで情報まで取得できません。避難所では食事もままなりません。そして、家が倒壊し、車内生活をしてる方も多数いるのにガソリンがこちらまで供給されていません。電気が復旧し、携帯で情報を見れるようになった今、首都圏での食料品・ガソリンの買いだめを知りました。ガソリンがなく、危険な家に戻った方もいるのに…まだ寒いなか毛布一枚で頑張ってる方もいるのに…ミルクを薄めて飲まされてる赤ちゃんもいるのに…こんなにも地方は弱いのかと胸が張り裂けそうな思いです。ガソリンがあれば、まだ電気が復旧していない地域の方も暖まることができます。携帯を充電することができます。食料品や情報を求め、市役所やお店に行くことができます。(お店にもほとんど物資はありませんが)お水があれば、赤ちゃんにミルクをあげることができます。こちらの水は復旧したとは言えまだ汚ないです。被害がひどかった地域はまだ水もありません。どうか、こちらまで物資が回るよう、買いだめは控えて下さい。取り急ぎ、安否の連絡だけするつもりがつい長くなってしまいました…。1日も早く、平穏な日々がくることを願っています。そして、一人でも多くの方が助かるよう祈っています。
2011.03.15
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