PISCES ~癒しのアフィリ~

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雀蜂-SUZUMEBACH-まよ嫉妬恋  



             登場人物
まよ-この物語のヒロイン。家庭&人間環境が複雑な引き換えで嫉妬を生んだが・・・
nagamegu-雀蜂シリーズの総合主人公で、中学時代から一緒だった。今現在は働きながらの臼井式ヒーラー(レベル3)でHPを立ち上げ日記も書いている。
*このストーリーは実話です。私以外は仮名ですので御理解を。

             出会い

私が、富山に越す前の何ヶ月前に「中学の時の女同級生が1度だけのリスカ」した・・・・・

それが、「恋人との別れよりも元に戻せばくるのかな・・・・・」のきっかけだった。

これが、中学時代の彼女からの変貌なのか・・・・・

丁度、20年前。
「サクラサク」と始まった中学の入学式。
小学の時にイジメられた私が悲しみと複雑さが入り混じるかの様な感じだった時代の私とその同級生の友人「まよ」。
お互い中学の規則でショートだった。
まよは、当時親の借金(サラ金)があって、引っ越しし捲ってた家庭であった。
だがまよは、性格の変貌も有った。
強気なものや何かと「意味不明」な感じだったが、時には親のケンカで「気分が悪く=怒る(爆発的に)」にたし、何故か私や他の人も八つ当たりになる。
特にモテ易い私や女先輩「昭美(あきみ)」(私と同じ小学の母校だった)にとっては彼女には陰で「嫉妬」の文字が付いていた。
まるで気分屋だったが。

私が1人遊びに「フリスビー(プラ製の円盤投げ遊び)」をしてたら、まよも私の遊びのまねをした。
また、まよから年賀状にも「あたしはあんたとは友達だからね。」との照れくさい隠れコメントで来ていた事も有った。 
それでもまよは頑固だが照れ易い女性だった。

だが、彼女にも「恋したい」事も有った。
私達のクラス(特殊学級は、年クラス混じりです)で、1年先輩の「双子」の男を「好意」を持った事だった。
だが、彼女の濃厚な「好意攻撃」に「双子」の男は逃げていた。
あばずれなアタックだが、これが毎日何ヶ月に及んだこともあった。
こだわり方も濃厚だったが、「狙った男は逃さない」のが嫉妬感な恐さだった。
私も彼女の恋愛のアタック方には、恐怖感を感じていた。

            まよからの嫉妬

毎度のように、まよの「暴走恋」は続いていた。
しかしながら、心のコロコロ変わり出す。
私は、彼女の「心のコントロ-ル」が利かなくなってるんじゃ無いのか?と思うと恐怖心が注ぐかの様な・・・・・
今現在の私にとっては、中学時代の私では気づかなかった心理的な恐さが思い出すかと思う程打っていた。

また、まよが暴走的に好意的を持った双子の男は、最初っから、まよのことは「ノー」だった。

猛毒的心を持つまよは、まるで「意味不明」な攻撃的になった。
しかも私を牙を向く様に・・・・・
まるで、「神が悟られるかの様な」感じだった。

しかも、当時の私は「恋」の文字も知らずに喜怒哀楽的なモテモテ状態だった。
男女問わず人気が有った私が、その裏腹なのかまよは「嫉妬な恨み」を書き出すかのように八つ当たり状態が始まっていた。
まよは、中学時代から同じ学級で「からかわれいじめ」があって、凄く嫌っていたのであった。
体系も少しは太めな彼女が「怒り屋」で「暴走心」が芽に出たのか、精神も複雑状態な感じが浮き彫りになった。
それが中2時代(昭和60年)から始まっていた。

私が、病気で休んでた1日後の学校での事。
朝早く来るとまよと同じ学級で将とゆう男子と一緒に2人きりになっていたがまよがそのセリフが私に牙を向くセリフだった。
「バカのmeguがきた。」
*その当時、一時的でしたが同じ学級の1年先輩の双子の弟(一時、まよが好きだった男の弟)を好きになっていた時代だったが、弟はあっさりと振られた。
私が一心凍り付いたかと思うと逆に怒りが爆発した。
「あんた達、何かたくらんじゃねーのか?」
当時私も口悪くこっちも牙を向いた。
「全然。何も企んではいないわよ。」
まよはあっけらかーんといってた。

これが、まよの裏腹からの正体かと思うと当時の私は「何を考えてるのか?」と思う程の腹立ち様であった。
これが増々とエスカレートしていく・・・・・

         3年生~2人の迷い~
「嫉妬のキバ」を向いたまよ、そして怒りをあらわに感じた私。
最初は「何なのか!」と思ってたが、今とは「友達からの警告」みたいに行き過ぎた行動だと察した。
だが、「モテやすい」「モテにくい」とは全く違って、昔の言葉「オーラ」さの違いも有ってだろうか?

まるで「天と地」のような・・・・・

次の年(昭和61年)は、双子の先輩や私との小学校が一緒だった女先輩「昭美」も卒業し騒がれた連中が静けさに居なくなった。
色々と有ったが皆は「先の道へ行ったのだろう」と1っ歩ずつ行っている。
またその年は、先輩達が遊びに来た事も有った。
私の事を片思いしている先輩「稔正」(なりまさ)も来ていた。
色々と社会人への話も語った事も有った。

懐かしさに混じっての・・・・・

そして、次に来る後輩も騒がしい連中だった。
また、子供じみた感じだったが中には「言葉にパクられた」意味不明言葉もしばしばあった。
先輩達は、手に終えない程だった。

私もこの学級の会長になった。
モテモテ人気は相変わらずだが、「きまぐれ不良っぽい」です。
また同級生「将」も私の事を惚れてたが、毎日のように追っかけた。
私は、「ノー」ですが・・・・・(今では理解は出来たが)
緊迫が迫る程将来へと突き進んだ。
職業訓練校(今では、職業開発センタ-の名を付けてる)の試験までの朝から晩迄勉強してた。
「恋」なんて少しは有っても、「試験が先!!」と優先だったが、結局試験は「落選」だった。
その救いなのか、職場実習で「縫製会社」を見事合格した。

その逆にまよは、なんでかおもしろくない・・・・・
ブス~っとしているのは相変わらずだし、独り言では「なんでmeguがモテるのよ~!」とキバが向く様なブツブツと・・・・・
「怒るからやだ」と新1年の後輩連中がキラわれるターゲットに。
耳鼻科&歯科を通って社会人になる迄に綺麗になる事迄入ったが、職場実習は「落選」した。
2、3回もやってみたがこのパターンだったが4回めで合格に。

そして卒業し、社会人になった私達。
今迄の中学時代の思い出は「まるで桜色」から始まった。
この3年間「喜怒哀楽」さがあってか、私は「いじめ」られた小学時代よりは「忘れない!この学校はいい思いで。」との心から感じてきた。

だが社会人からは「学校時代」じゃ無くあくまで「仕事を伝授」し仕事をするって事である。
なんだか寂し気に「皆は何をやってるのかな?」と心かたりしながら仕事をしてた。 

逆にプライベ-トになると「出かけるのが恐いのか」いじめのトラウマで1歩が来ない程だが、恐怖を注いだ。
でも今は、恐怖は無い。

だが救いなのか「*特殊学級卒の青年会」のつないだ友達がいっぱいで来た。
新しい友や稔正や昭美や久々に話し合ったし。
そして髪型も中学時代より肩迄セミ・ロングにパーマをかけたまよもだが、「本当は中学から私に友達になりたかった」のであった。
これが本音だが。
そしてまよにも「恋」に芽生えが・・・・・
ここから、先の事ですが「人生の暗殺剣」がまよに襲い掛かってくる事が来る事を知らずにいた。

*特殊学級や養護学校を卒業された皆さんが集うOB会である。 

           初めての両思いから

まよが恋に落ちてた男は「特殊学級卒の青年会」の護だった。
だが護は、自己中な彼女柚樹(ゆき)がいる。
柚樹は、大阪生まれのワガママに育ったがお金使いも荒い。自分の事はやってるつもりだが、何か有ると親に過保護で育った。
中2の時に大阪から船橋で引っ越して私やまよの同じ中学校では無く船橋市内の違った特殊学級の扱ってる中学で転校した。

*ここ船橋市の特殊学級(知的障害者や私達みたいな学習や家庭環境が複雑・イジメ等の人間関係等)の扱ってる中学校は5校有る。
どの学校も「コミュニケーション」が溢れてる程がモットーである。
今でもそのままの状態である。
*今現在でも高校も「「特殊学級」を取り入れたい!」議論のケースがあるが今のとこはまだ未定です。

柚樹は、相変わらずのわがままだがその逆の飽きがりやさん。
職も「これは嫌だ~(寒い、熱い、立つ仕事も嫌い。まるで「3種の嫌職(やしょく)」って事。)」、「休みは土日の方がいい~(この時昭和60年代時代は土日の休みが有るか無いかの時代だった。)」等ワガママ放題で親や担任の先生方も困り呆れさせられた事も。
その時も会社1社辞めていた。
理由も休みが「土曜日休みで何で日曜日休みじゃ無いの~?日曜日(青年の会が毎月第1日曜日だった)あった方がいい」との簡単なワガママで・・・・・

だが、男が要る柚樹にとっては「甘えの薬」でもあるが、その後にたっても変える事もしばしば・・・・・
柚樹は、意味不明な変え方で護との「別れ話」がまよのチャンスが来ていた。

柚樹は、まよにこういった。
「私~護と別れるから~まよちゃんが護の彼氏になって~」
まよ「エ!?」
複雑なまよに取っては、頭の中は真っ白。

それが、まよは何日中も考えた結果が「ハイ」と答えて護も同時「ハイ」に始めての結ばれる仲になった。
16歳のパーマの無いセミロング私も「ホッ」としてますが拍手喝采であった。

それなのか、喜んでいるかと思いきやまよの精神は複雑なのは変わらない。

その1年後(昭和63年)にまよは福祉作業所等の職を何回も転々としていた。
原因は何パタ-ンかありますが「態度」等の問題も有った。

*家庭環境が複雑に育ったまよにとっては、「過去」との精神的にインプットしたのが引き換えである。

そして、付き合ってるのも同時にケンカもあった。
でも仲直りもあった。
まるで繰り替えし。

だが、段々とエスカレートになった。
護の悪い女グセな下心や逆にまよは「嫉妬」な怒り火が再び勃発化になった。
それでも繰り返しケンカ。

だが幸せとは逆な感じが「人生の暗殺剣」なものが静かに近付き始まった。
そしてまよの精神は「のらりくらり」と波打ち際に・・・・・

         破局からの崩し
昭和天皇が亡くなり昭和時代から平成になった。
そして私達は社会人3年経った。
まよと護のカップルは、お天気なギグシャク状態が入り混じった。

私の仲間が新たに仲間入りなった。
私と同じ学年で(学校が違うが)亜子ってゆう友達だが真面目で敬語を使って喋ってる方である。
邪道に来ると許されない性格であるが、根では優しい。
私や亜子は「可愛い系」の様な男性サイドには「チヤホヤ」と集まってた。(本当です)

だが性格のアンバランスなまよは、相変わらずに気にくわない状態であった。
何が気にくわないが判らないが。
以前の「女同士の嫉妬」なのかも知れないし、それとも護の問題なのか?
それも複雑だった。
付き合って2年以上たってまよの心のお天気状態が続いたが、護はまよの恋人の付き合いで限界が達する様な感じがした。

そして平成2年。
護はまよの知らない内に、「新たな彼女」が出来ていた。
その彼女は、同じ青年の会(護とは学校が違うが)の年上の双子の片割の女性「憂美(ゆうみ)」だった。
そして、護はこう言った。
「まよ、お前との付き合いはイヤになった。オレは、新しい彼女と付き合う!」
と、まよの前からズシーンと重みが有る様な言い方になってた・・・・・
そして「失恋」で泣いてた・・・・・

そこからなのか、まよの心の限界は始まっていた・・・・・
心から・・・・・
「あたしは、護の傍に居たかった。恋しかった。甘えたかった。」

そして憎悪や悲しみの言葉も有ってか・・・・・沈んだ感じで・・・・・
「あの女に護は渡さないけど。でも負けたんだ、、、、。あたしは、あたしは、、、、。」

また私や仲間達の事も。
「megu、亜子、皆、助けてーーーーー!そして、あたしをーーーーー!」 
泣きながら、まよは心叫びを・・・

そして、まよはカミソリを出して右手首を出して「手首切る(今ではリストカット)」事に・・・・・
そして、右手首から出血が一杯出た・・・・・

その次の日に私のとこから電話掛かって来た。
相手は私の男友達「允志(まさし)」(青年の会のつなぎで護の同じ学年&学校で有り友だった。おまけに私の同じ学校だった。)だった。

允志は言った。
「megu、まよが手首自殺を計った・・・・・」
「エ!?」
と言い私達二人は衝撃を走りながら、まよの家に行った。

まよの家は、以前は事情の関係で船橋やお隣の鎌ヶ谷迄転々してたが、ここでようやく鎌ヶ谷の家で落着いたとこだった。   
丁度、まよの母が看護婦(今は看護師)の免許を持ってたのがまよの命は救われた・・・・・

母は、こう言った。
「まよがあの男の事を付き合うのは反対してたのだが、、、、、、。」
と子供の心の感じが読み取ってたつもりが「ここ迄気が付けば良かった・・・・・」と懺悔のように言ってた。

そして、まよの右手首に包帯をグルグル巻いてた姿が有り心も沈みがちだった。
護の事をいっさい触れず私は、心配しながらこう言った。
「あんた、バカなことして!!」
と言いながらまよは・・・・・
「megu、允ちゃん、ゴメンね。」
と沈みながら言った。

と思っても、彼(護)は他の女の所にいったんだ。
私達が説教してもしょうがない。
仕方が無いけど2人の言い分がそこ迄行ったんだよね・・・・・
しかし、小学時代のいじめにより「愛情」を全く感じない私に取っては微かな物が感じた。
複雑だが、「「本当の愛」が有ればこんな事が無いのに」と憶えがしい物も・・・・・

そして宅配ピザを頼み食べてそしてまよの家から別れた。
また允志と私は、あるいて10分以上の東武線の鎌ヶ谷駅から別れた。
允志は船橋方面、私は柏方面へと行ながら。

柏に着いた私はフラフラと行った。
そしてまよの物事に語った様に。
「まよが何で手首自殺を・・・・・あの二人に何が有ったの?」
と複雑に言いつつ過るように・・・・・

そしてこの事が皆にも伝わっていた。
まさに複雑だった。
おまけに説教した人も居たとか・・・・・

それが、私が富山の越す前の半年前以上であった・・・・・
暑い夏がキラキラと輝く様にと・・・・・

         破壊への歯車
まよの1度だけの手首自殺(リスカ)の件から1ヶ月が経ち、少しづつ落着いた感じが見えてた。
しかし、護との事が頭にいっぱいな事は間違い無い。

「好きだったのだろうか」の返しだろうか・・・・・

私は、何故か人の好きな気持ちの知らない・・・・・
愛情が無い自分を何故出来たのだろうか・・・・・
人の事は「幸せ」の支えにすればそれでいいのだろうが、後の自分が「好き」ってゆう言葉が感じ無かったのが悔しい・・・
自分の心のコントロールが上手く利けばいいけどね・・・・・

4ヶ月後の平成2年12月まよは同じ特殊の青年の会時代の2歳年上の「相沢君」と付き合い始めたがその後の平成3年には相沢君との恋のピリオドが終わった。
短期間だったがまよのきまぐれな恋愛だった。
*その相沢君とはかって私の元彼であったが今は親友である。

その時私は「始めてのスリリングな恋愛」を感じる事が出来た。
相手は1歳年下の「元春」だった。
お互い感じる愛をいっぱい来るようになってかなり甘えてた。
何故か幸せな日々だった。
富山に越す迄は・・・・・

まよは、護の事を忘れようと努力はしてたが、「忘れられない」のがいっぱいでもあった。

私達は、「友達」みたいに遊んでた。
楽しく。

そして平成3年5月に私は、「父親の転勤」で富山に引っ越す事になった。
まよ等の友達との別れが寂しく特に恋愛してたばかりの元春には寂しい思いでいた。

そして何ヶ月が過ぎ富山生活を送った。
地方弁で喋りにくかったが意味が判った。

また、何ヶ月過ぎ千葉にも遊びに来た事も有った。
皆や元春やまよの顔も見れたし。
「ほっとしていました」って感じ。
護の姿も元気に見れたがまよとの関係は「完全に切れた」感じだった。

また平成4年私、亜子、まよが「成人」になり、大人の道に・・・・・
その時私は、仲間もいない写真だけで終わった。

そして2年後の平成6年まよの歯車が狂った。
家庭が壊す様な事が起こりまよと父は口論のケンカになり、家族であった父が蒸発(家を出た)をした。
そしてまよは酒を飲み捲ってその後「アル中」になった・・・・・
父のいない家で母や弟の「省吾」がいるが、「心破壊状態」のまよに構ってる。
心の苦しい状態であったが「限界」が近付いて来た。

そしてこの年の夏まよは「精神科の病院」入院をした・・・・・
私は里帰りと同時にお見舞いに行くハメになった・・・・・

雀蜂-SUZUMEBACH-・ピンクゴールド・まよ嫉妬恋 (2)へ続く


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