奏 文 SOUBUN

都幾川木建


建築士の「高橋俊和」さんと知り合った時から始まった。

高橋さんとの出会いは11年前。
「美術評論家から素晴らしい仕事をする人物がいる」と紹介されたのである。

当時、高橋さんが手がけていた「尺角の家」には度肝を抜かれた。
なにしろ家のすべての柱が尺角(30センチ角)で、
家の中央には巨大なケヤキが1階から2階へそびえ立ち、
階段がその周りに巻き付くように延びているのだ。

それは、私の中の「家」という概念を完全に変えてしまった。
人より遥か生きてきた「木」という存在にすっかり魅せられてしまった。
大工をしていた祖父の血もあるだろうか。

ところで、記憶にある「家」は?と聞かれれば父の実家を思い出す。
もの心つく頃の記憶だ。
茅葺き屋根で黒くて大きな松の梁。
トイレとお風呂が家の外にあり、夜そこに行くのが恐ろしく怖かった。
今思えば、それは典型的な古民家だった。

ところで、一度本物に出会ってしまうと、
半端なものすべてがうさん臭く見える。
高橋さんの家は、私にとっての本物の「家」だったし、
懐かしい臭いのする「家」だった。
いつしか、家を建てるなら高橋さんに手がけてもらいたい、そう願うようになった。

その後も私が関わるイベントには必ずご夫婦で参加してくださるなど、
関係が途切れることはなかったが、
家つくりへの姿勢は少しずつ変わっていたようだ。

出会った頃は、同時に3つの現場を立ち上げるなど手広く仕事を手がけていたが、
近年は多くて年2棟くらいに抑え、設計から完成まで責任を持って見届けているという。

「年間2棟のペースで行けば、あと何軒つくれるか知れている。
ならば、手がけた「作品」を心血注ぎつくりあげたい。」
長年家を手がけてきた中でそう悟ったという。

奏(かなで)もそんな「作品」の一つになる。

ところで、高橋さんは、我が家を手がけている途中で、
会社の名称を「高橋木造建築研究所」から「都幾川木建」へと変えた。
心機一転との思いと、
合併で消えてしまった「都幾川」という標記を残したいとの思いがあったようだ。

つまり、我が家は「都幾川木建」としての作品第1号となる。
これはとても光栄なことだ。

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: