【48】~【53】 






untitle【48】 売約済み






「ちょっと、待って!なに、それ、本当なの?」



さすが、破天荒の山下さんも私の告白に驚いてしまったみたいだ。



今まで、話しながらも、手を休めなかった山下さんの手が止まっている。



「すみません。驚かすつもりは毛頭、なかったんです。

ただ、あんな、状況ではとても打ち明けられなくて・・・」



「そりゃ、そうよ。それはわかるわ。

あの時、行き先も言わずにさっさと車に乗せていったし・・・

こちらこそ、ごめんなさい。びっくりしたでしょう?

牧野さんの気持ちも知らないで、悪かったわ。」



山下さんは一呼吸、置いた後、また、しゃべり始めた。



「でも、あの場合はビジネスに徹して間違いなかったと思う・・・

道明寺さんって、いい判断したわね。たいしたもんだわ。

心の中はどうであれ、全く、表に動揺を表さなかったし・・・」



「はい、あたしも、道明寺の判断が最初、判りかねたんですが、

後で考えると助けられました。

ある意味、あたしの事、無視してくれたんですから。

それに、藤田さんのことも・・・」



「藤田君がどうかしたの?」



「えぇ、藤田さんはあたしと道明寺の事、知っているんです。

だから、道明寺が教えてくれたんです。ロビーにいるってこと。

みんなの前であいさつされでもされたら、黙っていてくれたことが

無駄になってしまうと思って焦ったんですけど、なんとか回避できました。」




「そうね。藤田君、全然、悪気のない、いい奴だけど、昔からなぜか、

周りの状況が読めない人だから、見つけたら、きっと、話しかけたかもね。」



クスクス、笑いながら言う。



「でも、ちょうど、友達が来て、藤田さんを連れ出してくれたんです。

見てたら、ほとんど、無理やりみたいでしたけど・・・

でも、その友達は道明寺の友達でもあったから、

うまく、話しをつけてくれたみたいで、

たぶん、今頃、友達に遊ばれているんじゃないかと思って、

ちょっと、気の毒なんですけど・・・」



「あぁ、それで、急にいなくなったのね。

でも、道明寺さん、私に電話番号聞いてきたわよ。

藤田君にたいする、せめてのも罪ほろぼしだったんでしょうね。」




「すみません。結局、藤田さんにも、山下さんにも迷惑をかけてしまって

申し訳ないと思っています。道明寺にここのこと、話すべきでした。」



「牧野さん、誰にでも、隠しておきたいことや、知られたくないことが

ひとつやふたつは、あるわ。自分を責める必要はないわよ。

その時、あなたがそれがベストだと判断したのなら・・・ね。

でも、もう、これでわかったんだから、いままでと同じようにしてはだめよ。

わかった?それにあなたにはいい友達がいるから、みんな、助けてくれるわ。」



あたしが返事をしようとした時だった。



事務室の村田さんがあたしの名前を呼んでいるのに気付いた。


「牧野さん!牧野さん!どこにいるの?」



慌てて、倉庫から飛び出し、返事をした。


「牧野、ここです。村田さん、すみません。」

「2人でいなくなったと思ったら、こんなところにいたのね。

電話よ。良子さんから。」


村田さんが電話の子機を持ってきてくれた。



「あっ、すみません。もしもし、良子、どうしたの?」



「えっ、作品が売れた?あたしの友達が?朝、来たの?忘れてた・・・

わかった、確認してみる。でも、たぶん、冷やかしじゃあ、ないと思う。

ホント、お金持ちだから。世良京子さんって人の作品?

山下さんに聞いてみるからわざわざ、ありがとう。

今日はごめんね。うん、じゃあ、また。」



山下さんがどうしたの?という顔であたしを見ている。



「すみません。世良京子さんの作品ってあるんですか?

朝、あたしの友達が来て、買うっていったそうです。

慌てて出て行ったそうなんですが、とりあえず、本当に

買うのかどうか確認して欲しいそうです。

そして、もし、それが本当なら、売約済みにしておいて欲しいそうです。」



「えっ、そうなの。あるわよ。奥の部屋の入って3番目の作品だわ。

あれ、買うって?」



「はい、たぶん、髪の短い方だといってたから、

大河原さんだと思うのですが、彼女の家もすごい、

お金持ちだから、買うって言ったのは間違いないと思います。」



「へぇ、牧野さんってお金持ちの知り合いがたくさんいるのね。」



まぁ、確かに・・・今、思い浮かぶだけでも、

1人、2人、3人・・・数えたら、きりがない。



「そうですね。あたしの家は笑えるくらい、貧乏なんですけど、

友達はお金持ち多いですね。なんでですかね。」



「わかった!簡単よ。牧野さん、高校が英徳だったでしょう?

だからよ。でも、よく、あんなお金持ちの子どもが行く学校に入ったわね.」



「いえ、単なる親の見栄というか・・・あたしは行きたくなかったんですけどね.」



「で、そこで、会ったんだ、道明寺さんと。違う?」



「そうです。一生、出会うはずのない人と会ってしまいました。」



「牧野さん、その言い方はよくないわ。どうせなら、

『一生、出会うはずのない人と会うことができました。』でしょう。

そう、言わないと、せっかく、出会えたんじゃない、道明寺さんに失礼よ。」



山下さんがチャーミングなエクボの笑顔をあたしに向ける。



同じような事、言ったつもりなのに、全然違う・・・



どうしてなんだろう?



「彼って、確か、アメリカのNYにいたでしょう?

大学行きながら、経営の勉強もしていた・・・

なんとなく思い出したの。


藤田君に最後に会った時、私が帰国する直前だったけど、

確か、大きな会社の御曹司の秘書に抜擢されたって言ってたの

全く、興味なかったから、名前も言ったか、どうだか、記憶にないんだけど・・・

ちゃんと聞いとけば良かった。惜しいことしたわ。

こんな、大きな取引相手になるなんて思ってもみなかったから。」



「そうですね。どこで、どう、つながっているか、わかりませんね。

今回、あたし、身を持って体験しました。

画廊なら、関わりないだろうって!勝手に思い込んで・・・

あっ、これも思い込みだったんですね。」




「それがバイトとはいえ、第一日目から、会うんだもの、たまらないわね。

しかも、昨日、ケンカしたって言ったわね。

牧野さん、よく、逃げ出さなかったわ。

えらい!よく、我慢できたわ。」



山下さんはあたしの頭に手を乗せて、

まるで、子どもにするかのように

髪をやさしく、なでてくれた。



その時、肩の力がフッと抜けていくのがわかった。



「あっ、ごめん!話し、それちゃった。お友達、連絡取れるの?

絵の事、確認した方がいいけど、ま、いいか!

とりあえず、売約済みにしときましょう。」



山下さんとあたしは倉庫を出ると作品のところにいき、

「売約済み」と書かれた紙を貼り付けた。



「で、牧野さん、これから、どうするの?

なんだったら、これに『道明寺様お買い上げ』って書いて

牧野さんに貼ってあげましょうか?」



と「売約済み」と書かれた紙をあたしに見せて、

自分で言って一人受けている山下さんがいた。



あたしはこの人に救われた。








Untitle【49】あなた、変わる必要ないわよ。





あたしがしがみ付いていた変なもの…


それがいつの間にか、体から抜け落ちている感覚


あたしの軽くなった気持ちはある方向に動いていた。




山下さんと2人で、作業に取り掛かる。


倉庫から、下に毛布を引き、台車に乗せて、一作品ごと、運び出す。

慎重にやる作業。




「写真もそうだけど、リトグラフなんかの版画も照明がきついと

色の退化が進むの。これは重要な注意点よ。

間接照明にできるだけしてね。」


山下さんは丁寧に教えてくれる。




運び出された作品群

シンディが色んな人に扮装し、色んなポーズを取っている。

同じ人だとはにわかに信じがたい。




人はどうしてこんなに変われるんだろうか?


あたし、今も、昔も、全然、変わっていない。


笑えるくらい…



進歩していないと言いかえたほうが正しいかも。





意を決してこう言う。


「山下さん、ごめんなさい。あたし、こんなこと聞いて馬鹿みたいだと

思われるかもしれませんが、人って変われるんですよね?」


山下さんはあたしのこの質問に最初、きょとんとしたような顔をして

こっちを見つめていたが、急に思いついたようにこう言った。


「あら、牧野さん、あなたもコスプレしたくなったの?

貸してあげましょうか?

わたし、ナースの衣装を持っているわよ。写真も取ってあげるわ。」



あたしの額に青筋が…


そして冷や汗。


山下さん、頼むから、あたしを笑わせないで…お願い。




えっ?「『あなたも』ってことは山下さんはするの?」


思わず、つっこみたくなった。


が、その前に山下さんが答えてくれた。


「牧野さん、コスプレ、冗談よ。道明寺さんとのことでしょう?

それなら、あなた、変わる必要ないわよ。

彼、今のあなたも過去も含めて、あなたを愛してくれているはずよ。

変に気を利かせる必要はないわ。相手はその方が困るわ。」




あれ、なんか、まともな答えが…



「そうでしょうか?今までのあたしを脱皮したいというか、

山下さんに色々、教えられて、わかったんですけど、

自分で自分をしばっていた重りが取れていってる気がするんです。

今ならそれが、できそうなんです。」



「それは気持ちの脱皮だけで十分よ。あなた、形に何か表したいの?

わたし、言ったでしょう?目に見えるものがすべてではないのよ。」


確かに山下さんはそう言っていた。


生身のあたしだけの勝負か…


素に戻る?


なにも余計なものはいらない。


そんなことできるだろうか?


「あたし、かなり、いやな女、なんです。昨日のことなんですけど…」


つくしは山下さんに、昨日からのことを詳しく話した。


すこし、長くなったが、山下さんは聞いてくれた。


はず、だったのだが…





「笑わないでくださいよ。あたし、必死なんですから…」

おなかを抱えて笑う、山下さん。


もう、完全に壊れている。




村田さんが事務室からその笑い声を聞きつけて、出てきた。


「どうしちゃったの?彼女、壊れたわね。山下さん、笑いすぎですよ。

なにがどうだか知らないけど、牧野さんが原因なの?」



村田さんは山下さんとあたしを交互に見ながら目を白黒させて、聞く。

「すみません。そうです。

あたし自身は真剣に話をして真剣に聞いてもらったはずなんですけど、

どこでどう、受けたのか…」


つくしは困惑してしまう。



村田さんは半ば、諦め顔でこう、言った。


「これじゃ、今日は営業中止ね。社長いないし、

もう、シャッター、下ろしちゃおうかしら?」




えぇ、そんな、村田さんまで…



結局、村田さんも加わってしまった。







untitle【50】なんとかなるって!」




笑い疲れて、落ち着いた山下さんを見たのはそれから、

30分は経っていた。




「牧野さん、いいわ。最高!あなた、昨日はお疲れ様でした。

本当に一人で色んなことしたのね。感心したわ。

でも、悪いけど、一番大変だったのは、やっぱり、道明寺さんよ。

その人、意外と偉いのね。感心するわ。

あなたに振り回されて、文句も一言も言わずにあの場を治めたんだから…」


村田さんが話しを一通り聞いて最初に発した言葉だった。



「そうでしょう!ただの跡取バカ息子じゃないわね。

何度か、会ってビジネスの話ししかしなかったから、

私もよく、わからなかったけど、今日はそう思ったわ。」




あたし、ひとりを置いたまま、なぜか、普段は全く、

意見の会わない2人はここに来て、すっかり、

同意見であいつのことをほめ合っている。





どうも予想外の展開…





「牧野さん、悪いけど、今回の事もそうだけど、

早いとこ、謝ったほうがいいわ。

愛想つかされて逃げられる前にきちんと話し合わないとね。

ねぇ、山下さん?」



本当に玄関の鍵を閉めてきてしまった村田さんが、

鍵の音を鳴らしながら言う。




「そうねえ、牧野さん、あなたのその変なプライドだか、

なんかわからないものはこの際、取っ払って、

アタックあるのみよ。応援してあげるわ。」



山下さんがなんか意味ありげな笑いを浮かべている。




「その笑いは危険よ。

やっぱり、この人だけには頼まない方がいいわ。」



村田さん、本人を目の前にしてもっともなアドバイス。


「危険ですか…?

あたし、頼ってみたくなったんですが…

ダメでしょうか?」



思わず、あたしも本人を目の前にして失礼なことを言ってしまった。



が、例の如く、全く動じない、山下さんはこう言う。



「藤田君に電話番号、教えたのよ。

何らかのアクションがあるはずだわ。

今日はたぶん、連れ回されているから、無理としても、

明日あたり、電話があると思わない?

その時がチャンスよ。フフン♪」



チャンス?  

チャンスと聞いて、一瞬、何のチャンスなわけ?と思った。


「仲直りというか、関係を修復するチャンスに決まってるじゃない。」



えっ、どうして、それがどう、つながるわけ?


なんか、やっぱり、この先が怖い。


考えてみたら、山下さんに藤田さんの組み合わせ。


最強に変だ!


うまく、いくはずがない!



ここは丁重にお断りをしようと思う。


が、山下さんは急に思い出したように

「ちょっと、倉庫に行って来る」と言い、その場を後にした。



「村田さん、あの、あたし、山下さんの提案、お断りしようと思うんですけど

どう思いますか?なんか、方向性を見失いそうな気がして怖いんですけど…」


「あら、そう?それはあなたが決める事だから、

わたしは口出しできないけど、

はっきり、言って、修復は早いに越したことはないよ。

伸ばせば、伸ばすほど、気まずくなるからそれだけはしない方がいいわ。

牧野さん、なかなか、自分から、アクション起こせないんだったら、

思い切って頼んでみたら?今さっきは危険よなんて言ったけど、

あぁ、見えて、根はまともよ。いい、アイデアあるのかも!」



そう、それはわかっている。


山下さん、冗談ばかり言ってるけど、頭いいし、


何より洞察力があると思う。


人をからかわなければいい人なのに…

と、思った矢先だった。


「あら、今まで、気が付かなかったけど、牧野さん、後ろ向いてくれる。

また、山下さんにやられたわね。はい、これ、あげるわ。」




と言って、差し出された一枚の紙には


売約済みの文字といっしょに

道明寺様ときちんと宛名書きもされていた。


「いつ、貼り付けたんだろう?」


と考えてみたものの、もう、この時点で怒る気になれずに


村田さんと笑うしかなかった。




その後、戻ってきた山下さんと3人で作品を会場に飾っていき、

今日の朝、寂しくなっていた部屋がまた、主を得て活気を取り戻していた。



村田さんが

「はい、これ、バイト代。午後からも、手伝ってくれたから、

少し、追加して置いたから!」

と帰り際、封筒をくれた。



そして、山下さんが、私に言った。

「いい?明日もちゃんと午後から来るのよ。

藤田君と話しつけとくから・・・」


話、つけとくからって・・・



本当に電話がかかってくるかどうかもわからないのに

大丈夫なんだろうか?

と不安になりつつも、


「よろしくお願いします。」


と、やっぱり、山下さんにしがみ付いておこうと思う

あたしがいた。



明日になるのが怖いような気もしたけど


頼もしい2人のお姉さんが「なんとかなるって!」と言うので

なんとかなるんだろうな・・・


そんな気がしてきた。



司、ごめんね。

昨日といい、今日といい、散々、迷惑かけたけど、

明日、人を頼ってみようと思うあたしがここにいるから・・・




いやな気分にさせたこと謝ろう。

そして、もっと、正面から、これからの事もきちんと話し合いたい。


今日は家に早く帰って、たっぷり、寝ようと思う。








untitle【51】なるに任せるしかないな。









なんか、気に障る奴だ…




さっきから、そわそわしやがって!


理由はわかっていた。


が、簡単にそうはさせないぞ…





おい、こっち、見るな!


仕事、たまってんだろ?しろよ、早く!


俺だって、こんな仕事、できれば、投げ出したいんだ。




例の電話番号を渡して以来、なぜか、

おちつかない様子の藤田が目障りだった。



俺だって、俺の女に電話したいんだ。

ただ、今、電話して、連絡とっても

どんな会話になるのか、見当がつかない。


また、電話口で、言い争うのは、まっぴらごめんだ。




さぁ、どうするかな?


いくら考えてもいい案は思いつかない。





その点、お前はいいよな。


わだかまりなんてないんだから、お気楽な奴だ。




目の前の机に積み上げられた書類が、うっとうしい。


今にも、ずれ落ちそうだ・・・


全部、落ちて 、床に散らばってしまえと思う。





その書類の、隙間から顔をちらりと覗かせて聞いた。


「おい、藤田、今日は午後から、なにが入ってるんだった?

どこか、出かけるようになっていたよな?」



急な質問に驚いた様子の藤田だったが、

すぐさま、頭の中のコンピューターが作動したのか、質問に答えた。



「はい、打合せで、先方に出向く件が2時から一件と

それが終りましたらこちらの方にお客様がお見えになるのが

3時からと3時半の2件です。

それから、できましたら、その書類、早く、目を通してください。

急ぎがありますので、付箋のついている分です。

この前みたいに目を通した振りをしてこちらに返さないで下さい。」




けっ!こいつ、この前のこと、まだ、覚えて、言ってやがる。




俺が、あまりに膨大な量の書類に嫌気がさしたので、

途中、目を通さず、全く、予備知識のないまま、

その件の会議に臨んだ時のことだった。




なんとかなるだろうと安易に考えていたが・・・

焦った俺は藤田に聞いたんだ。



「おい、今、何の話をしているんだ?

なんのことだか、さっぱり、わからねぇ…」



会議用に配られた出締めを見ても、

それらしいことは何も載っていない。


藤田に助けを求めるしかなかった。



用意周到に書いたと思われるメモが横から机に置かれた。



そのお陰で、俺はかろうじて質問されて、

意見が求められてもどうにか済んだ。



だが、メモの最後にこう書かれていたのが気に食わなかった。




「ご自分で抜かりなく、書類に目を通されること!」





くそ!俺だって、いい加減、この書類の洪水から

逃れたいときもあるんだ。


そんなことで目くじら立てんな!


お前はなんの為にいるんだ。


俺のフォローをしなくてどうする?


冷たい奴だ。



また、こっち、伺ってやがる。





とりあえず、その視線を無視して、

一番上の急ぎの書類の一束を引き寄せると

藤田にぶつぶつ、言われないように目を通し始めた。



10時過ぎにコーヒーブレイクで少し、休んだ以外、

ほとんど、書類との格闘だった。



おかげで、朝は、高く積まれていた書類も

お昼前になって、ほとんど処理できた。





そろそろ、可哀相になってきたのと、

この前の借りのお返しだ。


藤田に言ってやった。



「仕事が一段落着いたら、先に昼飯してきていいぞ。

俺はまだ、書類のチェックとサインしないといけないのが

2,3枚残っているから、あとでいい。」




小躍りする藤田。



お前、ほんと、幸せそうだな。


電話でも、何でもすればいいさ・・・。



「あの、副社長は昼食、どうなさいますか?

こちらの方に適当にみつくろって用意させましょうか?」



はっきり言って、全く、食欲もなかったし、どうでも良かったが、

食べないと、こいつが、一人でいつまでもうるさいんで、


「それでいいから、頼んでくれ。」と返事をする。



藤田はどこかに電話すると、いそいそと出て行く支度をしている。




なんだ、ここで、電話しないのかよ!

俺に聞かれたくない話でもするつもりか?





しばらくして、俺が書類に目を落としている時、

バタンとドアの閉まる音が静かにした。





広い空間にひとりになって、広がる孤独。


今日はとにかく、書類の処理に徹した。


誰もここには入らせなかった。




なぜか、出る、大きなため息。



気持ちの切り替えをしようと思う。



俺がどうこう言って、始まる問題じゃないんだ。


あいつにわかってもらわないとさきには進まない問題だ。






なんて、名前だった?


あの眼鏡女・・・


確か・・・そう、山下だ。


いい加減、名前を覚えないとまた、藤田にうるさく言われる。




あいつ、あの女と同じ職場で一緒に働くのか・・・


あの画廊の社長も、あの女も良さそうだし、


まぁ、あいつにしては、いいとこ見つけたよな。





と、ここで、俺は重要な事に気付いた。


藤田の口から、俺とあいつのこと、ばれるかもしれないということ。


だが、いまさら、追いかけて、口止めはないだろう・・・



こうなったら、なるに任せるしかないな。


どう、あがいたって、なるようにしかならないものだ。





俺は半分、開き直りの心境で、残りの書類をめくった。









untitle【52】今までのあたしが笑える。








もう、春なんだ・・・



つくしはショーウインドの中に春を見つけていた。


マネキンの着ている春物のワンピース。

軽そうな素材の春にぴったりの服だ。

シフォンかな?

色もやわらかいピンク色。





画廊から地下鉄の駅に向かうつくし。


道すがら、ブランド物のお店のショーウインドに並ぶ高級そうな服が目に付く。




「お前、いいから、これで服でも買えよ。」


何度も司からカードを差し出されながら、言われた言葉だ。


そのたびに、断ってきた。



バカみたい… 

なにをこだわってきたんだろう?


今までのあたしが笑える。




昨日から今日にかけて、色々ありすぎて、

自分でも上手く、気持ちを整理できていなかった。



でも、今は迷いはなかった。


あたしはいい気分だった。


あれから・・・





夕方まで、画廊にいて、手伝いながら、勉強させてもらった。


山下さん


この人といると本当に勉強になる。

わからないことはすべて答えてくれた。


きっぱりと自信を持って答えてくれるのが心地良いくらいだ。


本当にいい人に出会えた気がした。


その山下さんが、帰り際、尋ねてきた。



「ところで、牧野さん、社長には道明寺さんとの事、伝えるの?

その判断はあなたに任せるけど、どうする?」



あたしはこう、答えた。

「しばらく、黙って置いてください。

いずれわかる事ですけど、少しだけ、時間を下さい。」




あとで考えたら、この時点で、もう、社長は知っていた訳だが、

そんな事とはもちろん、露知らず・・・だった。





その日、自宅のアパートに帰る前、行きつけのスーパーに寄って、

今日のバイト代で夕飯用のお肉を買った。



お肉の特売日だった。


進が喜ぶだろうな…

思いきって、すき焼きにでもしようかな?


すき焼きっていつから、食べていないんだろう?

忘れるくらい前?


肉のパックを手に取りながら、考えたが、

本当に忘れるくらい前なんだと気付く。





お肉のいい匂いが牧野家の台所兼リビング兼寝室に漂う。


「ほら、進、遠慮しないで食べてよ!今日は奮発したんだから!」


「遠慮なく、いただきます。姉ちゃん、ありがとう!」


湯気の向こうにうれしそうな進の顔が見える。


「ほら、パパも食べてよ!いいお肉が安かったの!」


パパが遠慮がちに箸を伸ばしているので気の毒になってくる。


ママがニコニコしている。

生卵をいっせいにかき混ぜる、一家4人。


「つくし、あんたが今日は買い物してくるからって連絡が入ったとき、

正直、ラッキーと思ったけど、すき焼きとはね!ありがとう。」


こんなにみんなが幸せな気分になっている。


やっぱり、お肉、買ってきて良かった…


本当は自分のものが欲しかったけど


つくしは幸せな気持ちだった。




夕食後、片づけが終ってから、連絡を取らないといけないことを思い出す。



そうだ。今日、良子に聞かれたんだ。

『本当に絵を買うのかどうか、確認して欲しい』って!



慌てて、携帯を捜す。


昨日、あの時、喫茶店で会った時が携帯を使った最後だった。


だが、携帯が見当たらない…


えっ?あたし、あれから、どうしたっけ?


昨日のバッグを見つけ、中を探るが、やっぱりない…


でも、置いてきたはずはないと思うがそれも自信がなかった。




あの時、かなり、混乱していて、

勝手に怒って、勝手に帰っちゃったんだ。


今朝も遅刻しそうで携帯を探しどころじゃなかった…。


あぁ、そう言えば、花沢類にも結局、呼び出したあげく、


途中で帰ってしまって迷惑かけちゃったんだ。


謝らないといけない・・・


電話しづらいけど、するのが礼儀だ。


仕方がない。

とりあえず、家の電話を使おう。



えっと、番号は…っと。


手帳を見ながら、まずは滋に電話をかけてみる。


12桁もある番号を間違えずに押すのは意外と難しい…。


あっ、もう、イライラする!また、間違えた。


受話器をいったん、置いたときだった。


不意に鳴り出した電話。


1コールもせず、取った。


「はい、牧野ですが…」


「早かったね、電話を取るの!びっくりした。」


それは花沢類の声だった。





untitle【53】仲直りしたら、問題ないでしょう?






「あっ、ごめんなさい。滋さんに用事があって、

電話かけようと受話器を取る寸前だったから・・・」


「あぁ、それでね!それもそのはずだ。牧野、携帯持ってないでしょう?」


「花沢類が持っていてくれてるの?

本当のこと言うとあたし、

今さっきまで携帯がないこと気がつかなくって・・・

探しもしていなかったの。

滋さんに電話しようとして気がついたの、ないって!

今頃よ、バカでしょう?」



本当に自分のバカさかげんに呆れるつくしだった。



「いや、それがさ・・・俺、昨日、喫茶店出るとき、

牧野の携帯、手に持っていたんだけど、家に帰るとないんだ。

たぶん、司の車の中だと思うんだけど・・・

あの後、乗せて帰ってもらったから。」


花沢類が申し訳なさそうに言った。



『エッ! あたしの携帯、あいつの車の中?』

と、思いつつも、とにかく、

昨日の事だけは先に謝らないといけないと気付く。



「あっ、ごめん、最初に花沢類に謝らないといけなかった。

ごめんなさい。

あたし、突然、逃亡しちゃったから・・・

呼び出した挙句、これだもん・・・

呆れたでしょ?

今、思うと自分でも可笑しくて情けない気分・・・」



「まぁ、確かにびっくりしたけどね。

牧野らしくていいよ。逃げるなんて!

意外とそれって勇気のある行動だよ。

なかなか、できないよ!」



誉められているのやら、けなされているのやら・・・

電話の向こうで笑い顔をしている花沢類が想像できる。



「どうぞ、なんでも言って結構ですから。

今回の事に関しては、『ごめんなさい』しか出てこないの。

今、じっくり、反省しているとこ・・・」


「俺じゃなくて、その言葉、司に言ってあげたら?」


深いため息が出てしまう。


「そうだね・・・あのね、少し、長くなるけど、聞いてくれるかな?」


「どうぞ、なんなりと言ってよ。いくらでも、時間はあるからさ!」


ありがとう。

花沢類。

今日は人に頼ってみるもの悪くないってこと覚えたの・・・


良ければ、助けて欲しいから。



全く同じ、状況だった。



山下さんに今日、画廊で話した時の反応と

今、花沢類に話した時の相手の反応が・・・



わかっていたとは言え、

笑いが止まらないのが受話器からダイレクトで伝わる。



なかなか、次の話ができない。


でも、話した内容は全く違う。


だって、山下さんに話したのはデートしてから、

喫茶店で会って、逃亡するまでの話。


でも、今、花沢類に話したのは今日のホテルでも出来事だった。


同じ反応。やっぱり、あたし、かなり、変なわけね・・・


すっかり、落ち込む、つくし。


いくら待っても、笑いが止まらない・・・

ってもしかして、泣いてない?

可笑しすぎて・・・

でも、笑い、止まるの待っていたら、夜中になりそう。

なんか、苦しそうな花沢類を無視して話を続けた。


「あのね、それで、山下さんに頼んだの。

どうにかしてくれるって言ってくれたから・・・」



ようやく、話が出来るようになったらしい。

答えが返ってきた。


「良かったじゃん。いい人みたいだし、頼るって悪くないよ。

牧野がそんな風に気持ちを切り替えたってことは良い傾向だと思うな。」


こう答えてくれるだろうとわかっていた答えを言ってくれた花沢類。


ありがとう。



わかりきった答えが今のあたしの一番の勇気になるの。



「で、さぁ、携帯のことなんだけど・・・どうする?」


あぁ、どうするって?

どうしよう!!

花沢類の話しからしてたぶん、携帯は道明寺家の車庫の中だ。


あの車、司が自分で運転する時しか、たぶん、使用していないはずだ。


普段は運転手付きの車に乗っているからあれは使わない。


取りに行くしかない?


「だから、早く、仲直りしたら、問題ないでしょう?」


花沢類、ごもっともな答え、ありがとう。



「そういうことよね・・・」


冷汗、かきながら、答えるあたしだった。





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