人生朝露

人生朝露

金庸と荘子 ~屠龍と碧血~。

Shooting condor heroes 。
『射雕英雄伝(しゃちょうえいゆうでん))』の続き。

参照:金庸と荘子 ~丘処機と養生~。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005198/

まずは、武侠の中で多用される用語について。

内功。
●内功 いわゆる気功。意念や呼吸・血流など、身体の内部機能を修練し、体内の「気」が生み出す内力を自在に操る技。攻撃・防御・治療などに用いられる。全ての武術の基本であり、徒手・器械を問わず、各種技術の裏打ちとなる存在。一般に「○○功」と称されるのはこの内功の鍛錬法である。

外功。
●外功 いわゆる武術。皮膚や筋肉を鍛え上げるほか、型や技法の修練もこれに属する。

点穴。
●点穴 特定の経穴(ツボ、穴道)を衝いて、内息の循環を遮断する技。経穴の位置によって、動きや各種の身体機能が封じられ、死に至ることもある。止血や毒が回るのを防ぐ作用もあるため、治療にも用いられる。機能を回復させる場合は、ふたたび経穴を衝くか、みずから内息をめぐらせて、徐々に解除することもできる。

軽功。
●軽功 身ごなしを軽くする技。軽身功ともいう。武侠小説では、軽功を得意とする武芸者は、常人の何倍もの速さで疾駆したり、身軽に宙を飛んだりする。(以上、徳間文庫『神雕英雄伝』(岡崎由美監修・金海南訳)「武侠小説基本用語解説」より。)

西洋のファンタジーにおける「魔法」のような形で「気功」が使われています。
『北斗の拳』第4巻 武論尊原作、原哲夫画。『ドラゴンボール』第3巻 鳥山明著。
 日本で言うと『北斗の拳(1983~1988)』や『ドラゴンボール(1984~1995)』の世界に使用されているものです。
 特に『北斗の拳』の秘孔は、武侠小説の点穴から着想を得ているというのは明らかでして、もともとの医療行為としての鍼灸術と武術の関係性から導き出されるものです。武侠小説における点穴は、他の作家の作品に登場しても全く問題のない、共通のツールであり、お約束事なんですが、日本では『北斗の拳』の知名度が高すぎたために独占状態になり、後続がほとんどありませんね。
 『射雕英雄伝』のあらすじを「親子三代に渡る物語の二代目で、ちょっと間が抜けてはいるが、純朴な少年の成長物語。主人公は、強烈な個性を有する多くの優れた師に恵まれ、その素質も相俟って当代随一の武侠となる。」「武功天下一を決定する「華山論剣」とバラバラになった幻の経典「九陰真経」を求める旅とがパラレルに進行する。」「妻の父も有名な武侠、妻も優れた武芸者だが、結婚以降、妻の性格が豹変しファンが激減する。」ということもできますが、そうすると『ドラゴンボール』そっくりです。

北斗七星点心。
他にも、『北斗の拳』においてラオウとの戦いでリュウケンが見せた「北斗七星点心」という、北斗七星の陣形を描く技などは、『射雕英雄伝』で全真七子の奥義「天罡北斗陣(てんこうほくとじん)」が元ネタであると言っていいと思います。

参照:百度百科 天罡北斗陣
http://baike.baidu.com/view/146240.htm

参照:四方拝と北斗七星。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005172/

『射雕英雄伝』(1977)映画版。
金庸の作品は、日本では1990年代に入ってようやく翻訳され始めましたが、香港では1958年には映像化が始まっていました。ブルース・リーやジャッキー・チェンの作品との関連で、「ファンタジックなカンフー」として受け入れられるようになったのだろうと思います。

The Brave Archer 射雕英雄傳 (1977) **Official Trailer** by Shaw Brothers
https://www.youtube.com/watch?v=r_DbcyCVQLI

金庸(Jin Yong 1924-)。
本来、武侠小説は大衆小説であり、娯楽作品です。同時にこのジャンルは老荘思想、特に『荘子』の影響が強いです。たとえば、武侠の舞台となる「江湖」は荘子によく登場する地名です。金庸の作品は、武侠の中国文化における立場を強く意識していまして、多くの『荘子』の引用があります。

江湖。
●江湖 本来は「官」に対する隠者の隠棲する場所、また「野」つまり民間の象徴。武侠小説では、主に侠客や武芸者、盗賊などの世界をいう。(同上)

Zhuangzi
『孔子曰「丘、天之戮民也。雖然、吾與汝共之。」子貢曰「敢問其方。」孔子曰「魚相造乎水、人相造乎道。相造乎水者、穿池而養給。相造乎道者、無事而生定。故曰「魚相忘乎江湖、人相忘乎道術。」子貢曰「敢問畸人。」曰「畸人者、畸於人而牟於天。故曰「天之小人、人之君子。人之君子、天之小人也。」」』(『荘子』大宗師 第六)
→孔子曰く「礼を重んじる私は、礼節に縛られた天の罪人だよ。しかし、私とお前も彼らと共にできる道もある。」子貢曰「それはどの道なのですか?」孔子曰「魚は水に生き、人は道に生きる。水に生きるものは池を掘り下げると滋養にありつけ、道に生きるものは、平穏な生活に安定を取り戻す。故にこんな言葉がある「魚は江湖に水を忘れ、人は道術に道(Tao)を忘れる。」子貢曰く「敢えて畸人についてお伺いします。」曰く「畸人とは、天においてはそうでなくとも、人の世にあっては変わり者の連中だ。故にこんな言葉かある。「天の小人は人の君子、人の君子は天の小人」と。」

『倚天屠龍記』(1961)。『碧血剣』(1956)。
他にも射雕三部作の三作目『倚天屠龍記(いてんとりゅうき)』の「屠龍」、『碧血剣(へきけつけん)』の「碧血」というタイトルも、それぞれ『荘子』からです。

Zhuangzi
『朱泙漫學屠龍於支離益、單千金之家、三年技成、而無所用其巧。聖人以必不必,故無兵、衆人以不必必之、故多兵。順於兵、故行有求。兵、持之則亡。』(『荘子』列禦寇 第三十二)
→朱泙漫は支離益に龍を屠ふる技を学び、千金の財と三年の月日を費やしてその技を習得したが、結局、使うことはなかった。死を恐れない聖人は窮地においても、窮地としないから内に敵意がなく、死を恐れる世俗の人間は、窮地でなくても窮地にしてしまうから敵意ばかりになる。その敵意をむき出しにして、外に向うのだから、己を滅ぼすのだ。

参照:『竹取物語』と道教。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005193/

Zhuangzi
『外物不可必、故龍逢誅、比干戮、箕子狂、惡來死、桀、紂亡。人主莫不欲其臣之忠、而忠未必信、故伍員流於江、萇弘死於蜀、藏其血三年、化而為碧。人親莫不欲其子之孝、而孝未必愛、故孝己憂而曾參悲。』(『荘子』外物 第二十六)
→外物を絶対とすべきではない。なぜならば善行を積んだ龍逢(りゅうほう)ですら誅され、比干(ひかん)も殺されているではないか。箕子(きし)は狂い、悪名高き惡來(おらい)も死に、桀、紂も結局は死んだ。臣下を持つ者は彼らの忠誠心を欲しないことはないが、忠臣の誠が主君によって必ず報われるということはない。なぜならば伍員(ごうん)の遺体は江に流され、萇弘(ちょうこう)は蜀で自らの命を断ち、その血が留まるところ三年にして、化して碧玉となったではないか。人の親であるならば子の孝行を欲しないことはないが、孝行息子が必ず愛されるということもない。なぜならば、孝己(こうき)は憂い、曾參も悲しみに暮れたではないか。

屠龍。碧血。
「屠龍」と「碧血」は、共に剣の名前として使われています。特に『倚天屠龍記』では殷素素というキャラクターが『荘子』の言葉を暗記しているのでよく出てきます。「碧血」」の方は日本でも戊辰戦争の慰霊碑として函館にあるので、それで知っている方はいるかもしれません。

参照:Wikipedia 碧血碑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%A7%E8%A1%80%E7%A2%91

カンフーパンダ 緑色の剣。
『カンフー・パンダ』の中でポーの持つ剣が不自然に緑(碧)色なのは、「碧血剣」のことを指していて、これは、『荘子』や金庸作品へのオマージュとして、あえて緑色にしています。

参照:カンフーパンダと荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5104/

ヨーダ。
この人の剣も緑です。これは偶然かも知れません(笑)。

参照:(HD 1080p) Anakin Skywalker & Obi-Wan Kenobi & Yoda vs. Count Dooku
https://www.youtube.com/watch?v=BvnwLLXHabg

マスター・ヨーダと老荘思想 その2。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005026/

今日はこの辺で。

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