2頭目の自馬

2頭目の自馬

 障害が飛べるようになってからの初めての苑内大会は、私を飛ばしてくれた
 「ペルシュロン」で出させてもらいました。
 試合の時は、頭の中は「次!次!」と次の障害のことばかりで、不思議と平場で 感じる恐怖心はありませんでした。

 そして、去年ジムカーナで出場した県内の乗馬クラブの大会に80センチで出るこ
 とになりました。
 そのためには、みんなが乗る競技馬に乗らなければなりません。不安もありまし たが、絶対飛べないと思っていただけに、喜びの気持ちも倍ぐらいありました。

 障害が飛べるようになると、クラブの練習も変わってきました。
 1クラはクラブの馬で障害。1クラは自馬の運動。
 私の自馬も飛ぶことができたのですが、私が乗ってでは駈歩もムリだったのです

 クラブでは、夏の間合宿をする大学の馬を預かっていました。
 その大学の馬が、その年18歳になったので引退してクラブで引き取ることに
 なりました。鹿児島生まれの九州男児、オスの鹿毛。
 バカッ走りすることもなく、障害も嫌がらずとてもイイ馬でした。

 クラブで引き取ってすぐ県内の大会に出場。私も乗せてもらいました。
 障害を飛ぶのに必死!!の私を乗せて一生懸命飛んでくれていると感じました。

 年はとっているけど障害は飛ぶので、たくさんの人に乗せるのではなく
 一人の人を乗せて、大切にしていきたいと先生は考えていたようです。
 その大会の後、私が持っていた自馬をクラブに返して、鹿毛を自馬にしないか
 と言われたのです。
 初めて持った馬。私を乗せて1日2クラずっと速歩に付き合ってくれたあし毛。
 手放すのはとっても複雑でした。
 でも先生に『あし毛にももっといろんな運動させてやったほうがイイよ』
 と言われて『それもそうだなぁ~』と思い、悩みましたが・・・
 鹿毛を面倒見ることにしました。

 その後あし毛は、またクラブの人気者に戻り、県内の大会に障害で出場したり
 なかなかの活躍ぶりでした。(これはとってもうれしかった)
 そして鹿毛は、先生に「アローボード」訳して「矢・板」(?!)と名づけられ
 私の大事な大事な愛馬になったのです。


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