陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

この空の下で 31




時間がたつのも忘れ、二人はおしゃべりをしていた。

「あれ、もうこんな時間。暗くなってきているわけだね。」

銀座の、ビルに明かりがつき始めていた。

向かいの和光のショーウインドウーはもうクリスマスを感じさせる飾り付け。

11月も下旬に入っていた。

「きれいですね。プリティー・ウーマンでセスナに乗って、オペラを見に行く場面の夜景ほどではないけど。」

「森川さん、ジュリア・ロバーツになりきっちゃった?」

「そんなんじゃないですよ。」

「そろそろ行こうか。」

二人は、銀座中央通りに出た。

まだまだ休日の銀座は人でいっぱいだ。

「新宿まで、丸の内線だね。」

二人は、地下鉄の駅へと階段を下りていった。

翔は、またそっと彩子の手をとった。

彩子は、翔の横顔を見た。

『このままずっと一緒にいられたら。』

休日の丸の内線は、買い物帰りの人だけで、席が空いていた。

二人は、並んですわり、おしゃべりを始めた。

「翔さんって、仙台出身だったんですよね。私の父は、仙台に単身赴任していたことがあって、何回か遊びに行ったことあります。いい街ですよね。」

「そうだね。住むにはちょうどいい大きさの街って感じかな。」

「緑も多いし。そういえば、父がいた頃、父のマンションの近くに朝早くからやっているパン屋さんがあって、朝食はそこでパンを買ってきて食べていました。名前忘れちゃいましたけど、おいしいパン屋さんでしたよ。」

「僕は、大学から仙台を出ちゃったから、最近の仙台のお店とかあまり知らないんだ。でも、おいしいお店はたくさんあるよ。海の幸、山の幸が豊富だからね。」

「そうですね。それに、歩いて街中を回れて、住みやすい街だなって思いました。蔵王も近いし。翔さんもスキー上手なんですか?」

「スキーはよく行っていたね。今度スキー行こうか。」

「わたし、テニスと同じで、スキーもあんまり上手じゃなくて。」

「厳しく教えてあげるから大丈夫だよ。」

「ええ~。お手柔らかに。」

新宿に着いた。

翔と彩子は違う私鉄に乗り換える。

「送っていくよ。」

「いいですよ。」

「お・く・ら・せ・て。」

彩子は、まだ翔と一緒にいられるのが嬉しかった。

彩子の家の最寄の駅に着いた。

もう、6時を過ぎていた。

『翔さんは、寮だから、寮で食事をするか、帰りにどこかで食事をして帰るかだわ。』

「翔さん、もし、よければ、夕飯、どこかで食べていきませんか?今日のお礼もかねて。」

「僕も、今、言おうと思っていたんだ。でも、大丈夫?それにお礼だなんていいよ。僕が誘ったんだから。」

「この辺、あんまり食べるところないんですけど。小さなイタメシ屋さんがあるんですけれど、そこでいいですか?」

「お任せするよ。」

「じゃあ、行きましょう。」

夕闇の中に包まれた休日の駅前の商店街、人たちは家路に急いでいた。

そこは、彩子が子供の頃から、親に連れられていっているイタリアンのお店だった。

店長もよく知っているが、彩子が男性と一緒だとわかると、話しかけてこなかった。

「ここの、パスタは、手打ちなんです。小さいお店だけど、味は、いけますよ。」

「よく来るの?」

「子供の頃から。両親ともよく来ます。店長さんもよく知っています。」

「へえ、そんな大切なお店につれてきてもらって光栄だな。」

「あっ、ちょっと失礼します。」

彩子は、店内の公衆電話から家に電話した。

「今日の、夕飯は外で食べて変えるから。」


初めてのキス


「あ~、おいしかった。君のお勧めのお店だけあるね。」

「昔懐かしいって言うか、おしゃれじゃないけれど安心して食べられるっていう感じのお店でしょう?」

「そうだね。そろそろ行かなくちゃ、お宅で心配しているんじゃない?朝、出て行ったきりで。」

「さっき、電話してきたし。大丈夫。裕子、あ、同じ沿線に住んでいる親友なんですけれど、よく食事したり、出かけたりするから大丈夫。」

「あれ、結構、遊びまわっているの?」

「そう、遊びまわっていますよ~。」

「じゃ、行こう。」

「ええ。あ、ここは、私のおごりで。」

「じゃあ、お言葉に甘えて。ご馳走様。」

二人は、駅の方に向かって歩き出した。

「ここで。」

「家まで送るよ。」

「10分くらいだから大丈夫。」

「今日は、休日で、人通りも少ないから、送って行くよ。心配だし。」

二人は、彩子の家に向かって歩き出した。

商店街を抜け、住宅街へ入っていった。

人通りは、もうほとんどなかった。

葉の落ちきった桜並木を抜け、大通りを渡り、右に曲がってすぐのところが彩子の家だった。

「今日は、ありがとうございました。とても楽しかったです。」

「僕も。疲れたんじゃない?つれまわしちゃって。」

「いいえ。私の知らなかった東京を見せていただいて。素敵なところでした。」

「明日、午後から、先輩、ほら、前、一緒にテニスした先輩に誘われているんだけど、その前に、会えないかな?」

「私も、会いたいなって思っていたの。」

「じゃあ、新宿の高野の前に11時半でいいかな?」

「いいですよ。わざわざ送っていただいてありがとうございました。おやすみなさい。」

「お休み。」

彩子が、門を入ろうと後ろを向こうとした瞬間、翔が彩子の腕を取り、自分に彩子の身体を引き寄せた。

「あっ。」

翔が、彩子を抱きしめた。

彩子が、ゆっくり翔の顔を見上げると、翔が彩子を見つめていた。

翔がゆっくりと彩子の唇に自分の唇を近づけてきた。

かすかに震える彩子の身体。

目を閉じる彩子。

やわらかい翔の唇。

彩子の身体から力が抜けていくようだった。

ゆっくり、翔は、唇を彩子の唇から離した。

また、彩子の身体をやさしく抱きしめた。

そして、彩子を解き放した。

彩子は、ゆっくり門の中へ入って行った。


唇に残る思い


「おやすみなさい。」

「おやすみ。」

二人は、少し、ぎこちなく言葉を交わした。

彩子は、自分で鍵を開けた。

後ろを振り返ると翔がまだ彩子を見つめていた。

「あした。行くね。」

翔が、駅に歩き始めたのを見て、彩子も家の中へ入った。

今は、翔の身体の温もりや唇の感触を静かに思い出していたかった。

リビングでテレビを見ている家族にその思いを途切れさせられたくなかったので、黙って二階の自分の部屋へ入った。

ドレッサーの前に座り、ボーっと自分の顔を見ていた。

「翔。」

翌朝、彩子は、いつもより早く目が覚めた。

カーテンを開けると、冬の濃い青色の空が広がっていた。

「わあー、きれいな朝。」

窓を開けるとひんやりした空気が部屋の中に入ってきた。

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