陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

この空の下で 36




「おはようございます。」

「おはよう。」

またいつもの朝が始まった。

今日から3日一樹は、名古屋へ出張。

『何だか気が抜けて嬉しい。』

彩子は、朝から気持ちが軽かった。

でも、夕べの翔からの電話が気になっていた。

翔が、部屋へ入ってきた。

彩子の方に目を向け笑顔で挨拶をしてきた。

『何でもなかったんだ。疲れとれたかな?』

彩子は、一樹に言われていた仕事に取りかかった。

『ちゃんとやって、見返させなくちゃ。』

もくもくと仕事を続けた。

3時になった。

『青木さん、また変なこと言い出さなきゃいいけど。』

いつものように後ろを向いて由美子と一緒にお茶を飲んだ。

「今日は、お昼休みに銀座まで行っていました。これ、レカンのケーキです。」

「へえ、銀座まで行ってきたの?青木さんのおかげで美味しいおやつが毎日食べられて嬉しい。」

「今度は、和菓子を日本橋のうさぎ屋まで行って買ってこようと思って。」

『昨日の話は終わったみたいでよかった。』

と思ったら、

「田中さんがいなくて、清々しているでしょう。目の上のたんこぶ?恋の邪魔男?」

「青木さん!どうしてそんな話ばかりするの?やめなさい。職場で。」

後ろの佐藤さんがいきなり口を挟んできた。

「はあーい。すみません。」

彩子も前を向いた。

翔の視線を背中に感じる。

翔の優しさを。


心の堰


翔も彩子と同じで、優しさと強さと弱さを持っていた。

人間誰でも強いだけではない。

優しいだけではない。

弱いだけではない。

でも、大きな壁の前に立たされた時、その内のどれが出てくるかだ。

「川村君、お昼、どう?」

部長の中村が翔に声を掛けた。

中村と、中村の同期で厄介者扱いされている岩畑が翔と一緒に部屋を出て行った。

「あら、川村さん、面倒な二人に連れて行かれちゃった。」

後ろの席の由美子が言った。

こういう職場で厄介者扱いされている岩畑。

定年まで、毎年、後輩達に「お先に。」を繰り返されていかなければならない。

そんな、中、ちゃんとした精神を保っていくことが出来るのだろうか。

世間から見れば、『エリート』が集まる職場。

そこにいることだけにも意味があるのかも知れない。

翔が、夕べ一樹と一樹の直属の上司の村橋からどんな話をされたのか、まるで知るよしもない彩子だった。

『今度の週末も一緒にいられるといいな。』

「彩ちゃん、お昼、一緒に行こう。」

隣の部屋の理彩が来た。

「今日は、外に行く?」

「そうしよう。寒いかな。」


信じる心


翔には、二人からの口からで来る言葉は聞く前から分かっていた。

一緒に昼食をとる気分などではない二人だと言うことも。

しかし、上司。

ついて行くしかない。

「日比谷公園の松本楼にでも行こうか。」

部長が言った。

部長と、岩畑が並んで話しながら歩き、その後ろから翔が黙って歩いていった。

「えーっと、岩畑さんは何にしますか?」

「ビーフカレーにでもしますか。」

「川村君は何にする?」

「同じもので。」

「そう、ちょっと。」

ウエーターが注文を取りに来た。

「ビーフカレー3つね。」

部長の中畑が、運ばれてきた水を口に含み、口を開いた。

「川村君、仕事の進み具合はどう?この部署にきてから、半年が経とうとしているけれど、本庁との仕事やり方の違いはどう?」

「今、報告書の最終段階です。今月半ばには、提出の予定です。」

「さすがだね。上司の柳瀬君の指導がいいのかな?まあ、君も出来るって牧野先輩から聞いていたがね。聞いていたとおりだったね。」

「そんなことは。」

「謙遜しなくていいんだよ。」

「ところで。」

と、横で話を聞いていた岩畑が口を挟んできた。

「君の同期の田中君、来年春にはイギリスへ行くだろう?今、花嫁募集中そうじゃないか。この間も、部長に、森川さんと一緒に食事の席をもうけて欲しいって頼みに来ていたよ。よっぽど森川さんのことを気に入っているみたいだね。まあ、だれでも、彼女みたいな女性には惹かれるのかもしれないがね。顔も悪くないし、性格もいいし。結婚相手には申し分ないよね。まあ、仕事ぶりを見ればだいたいわかるってものだよ。」

「岩畑君も、職場結婚だったね。」

「私の場合は、見当違いでしたが。」

「またまた。この人の奥さん、美人なんだよ。」

「君と森川さんの噂聞いているよ。でも、まだ、結婚の約束とかしている訳じゃないだろう?同期同士でゴタゴタするのは我々の職場ではちょっとね。それに、田中君の今の立場を考えてやってくれないか?」

翔は、黙ったままだった。

『田中の立場って何なんだ。同期がなんなんだ。』

心の中では、怒りが煮えたぎっていた。

しかし、そんなことを一言たりとも口にすることはできない。

ただ、黙って堪えているだけだった。

「まあ、考えてくれ。分かってくれると思っているけれど。」

食事を終え、中村と岩畑は翔を残して先にレストランを出て行った。

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