陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

この空の下で 39




「もしもし、森川さんのお宅でしょうか?私、同じ職場の川村と申しますが、彩子さんいらっしゃいますか?」

「はい、少々お待ち下さい。」

彩子の母親が出た。

「もしもし、翔さん?」

「今、大丈夫?週末、美術館に行く約束していたでしょ?確認の電話。10時に公園口の改札で。」

『翔さん、何も言われていないのかしら?』

「はい。段々寒くなってきましたね。そういえば、再来週の土日で山中湖の近くにある寮に職場で行くことになっているけれど翔さんも行きますか?」

「行く予定だけど、森川さんは?」

「行きます。」

「カラオケ大会するらしいよ。」

「えっ?私、歌、知らないんですよね。どうしよう。」

「何でもいいんだよ。どうせ、上の人たちがマイク、離さないだろうから、大丈夫。じゃあ、明日、公園口で。」

翔の気持ちは、決まっていた。

彩子は、そんな翔の決心を知るよしもなかった。


あなたの幸せを祈る


「待った?ごめん。」

「いいえ。今来たところです。」

「いこうか。」

「ええ。」

「また寒くなってきたね。」

「もう、12月ですもの。」

「そうだね。後もう少しで、今年も終わりだね。」

『私は、もう、来年、あの職場にはいない。』

「早いですね。年末年始は、仙台に帰省されるんでしょ?」

「そうだね。」

「楽しみですね。」

「まあね。高校時代の友達らと集まるのが一番だね。」

「今日は、何をやっているのかしら。ちゃんと調べもしないで誘っちゃって。」

「きょうは、ジャポニズム展だって。行ってみよう。」

中にはいると、大勢の人がいた。

有名なところでは、マネの『ニナ・ド・カリアスの肖像-夫人と団扇』、『エミール・ゾラの肖像』、モネの『日本娘(ラ・ジャポネーズ)』、エミール・ガレの『草に蝶図大皿』。

ピサロやドガ、そして、ゴッホの絵もあった。

ゴッホの『タンギー親爺の肖像』では、人物の後ろに浮世絵や富士山、そして、昔の日本の風景画が描かれている。

また、『アルルのゴッホの寝室』。

ゴッホの心の中で、日本を思わせる澄んだ鮮やかな極彩色の組み合わせが、「絶対の休息」のイメージと結びついているという。

ロートレックの絵もあった。

そして、翔が好きだというセザンヌの絵、『サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール』。

翔は、セザンヌの青が好きだと言う。

かなりの作品数であった。

外に出ると、日差しが暖かくなっていた。

「さーて、どこかで食事にしようか。そうだ、ここからバスで、浅草へ行ってみよう。」

「わっ、いいですね。」

「何が食べたい?」

「そうですね~、有名な天丼屋のお店ありましたよね。」

「ああ、大黒屋ね。行ってみよう。」

丁度お昼時で、行列が出来ていた。

二人は、その行列の最後尾に着いた。

「どうだった?」

「かなりの出展数でしたね。でも、知っている絵が沢山あって、楽しかったです。思わないところに日本の影響があったりして。」

「そうだね。僕は、セザンヌの絵がみられてよかったよ。」

おしゃべりをしている間に列が進み、店の中に通された。

二人は、天丼を注文した。

大ぶりのエビ天がのった豪快な天丼だった。

彩子には、食べきれなかったが、翔は、一気に食べた。

「ふ~、満腹。歩こうか。」

二人は、浅草寺へ向かった。

境内の前で、体の悪い部分に効くというお線香煙を体に当てた。

境内の中へ入り、お賽銭を入れ、拝む。

おみくじがあった。

彩子がおみくじを引こうとしたら、翔がいきなり「やめよう。おみくじは。」と言った。

彩子は、きょとんとした。

「やめておこう。僕、好きじゃないんだ。」

「そうなの。」

二人は、だまって、境内を出た。

「翔さん、何をお願いしたんですか?」

「ナイショ。」

「そう。」

「ああ、たいしたことじゃないから。」

彩子が声を低めたので、翔は慌てて答えた。

「私は、翔さんが幸せになりますようにお願いしました。」

『私は、あなたの幸せを祈ります。あなたの。』

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