陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 26



「美奈、行くぞ。」

「はい、パパ、今行くわ。」

ぎりぎりまで寝ていた美奈だった。

「お待たせ。」

「行ってらっしゃい。気を付けてね。パパ、お願いね。」

「じゃあ、行ってくる。」

父親の運転する車で病院に向かった。

今回も病院のカフェで朝食を摂った。

「新しい、仕事が始まったって言っていたけれど、大丈夫か?これから、忙しくなっていくだろうが、くれぐれも、無理するな。分かっているだろうが、体が一番だからな。」

「うん。」

美奈は、仕事について余り口にしなかった。

今日は、診療順番は、10番目だった。

「村沢美奈さん、3番診察室にお入り下さい。」

美奈の名前が呼ばれた。

今日は、1時間半程待たされた。先週より、待合室で待っている患者の数も多いように思われた。

「失礼します。」

「どうぞ、お座り下さい。いかがですか?」

美奈は、明るい日差しの入ってくる窓の脇に座っている森口の方を向いた。

美奈の心の中に『安心感』が広がった。

今まで自分でさえ見たことのない、自分の姿を森口に見せたことで、美奈は、森口に対して暖かい何かを感じていた。

美奈は、森口の前に座ると、自分が解放されるような気がした。

「その後、体調は、いかがですか?」

「今は、会社へはタクシーで通っています。」

「忙しくなってきましたか?」

「まだ、忙しくなってきていないので、早めに帰宅しています。でも、疲れが・・・。」

「そうですか。以前、あった過呼吸のような症状は、どうですか?」

「そこまでひどい症状はありませんが、仕事で地下鉄に乗った時は胸がどきどきして、手のひらに脂汗がでてきました。」

「そうですか。その他の症状は、いかがですか?食欲はありますか?」

「余り。何となく以前の自分とは違った人間になったような感じがします。仕事に対する意欲も。会社でも、周りの人から自分だけが別の世界にいるような感じがすることがあります。」

「それは、人離という症状です。自分が自分でなくなるという感覚のことです。非現実感などの感覚を持つこともあります。」

「自分に自信がなくなってきて・・・。また同じような発作を職場で起こしたらどうしようと思っただけで、不安です。」

「通常のお薬をきちんと飲んでいただいて、頓服を早め早めで使って下さい。大丈夫です。お薬で体調を整えていっていただいて、症状が出なくなれば、また元のように自信を持つことができますから。」

「はい・・・。」

「大丈夫です。この後、今日は、一応、チェックということで、MRI検査をして帰って下さい。」

「はい。」

診察室を出ると美奈は、父親とMIR検査室へ向かった。

美奈は、名前を呼ばれ、検査着に着替えて、検査室へ入っていった。

「診察台に横になって下さい。頭を固定しますから。大丈夫ですか?」

「はい。」

「何かあったら、このボタンを押して下さい。体を動かさないようにお願いします。」

美奈は、MRIの検査台に横になり、頭に、ヘルメットのようなものをかぶせられ、緊急時の時に押すボタンを渡された。

検査台は、ドラム缶のような検査機の中にスライドして入って行った。

その瞬間、胸がどきどきし始め、胸に痛みを感じ、美奈は、体中が燃えるように熱く感じた。

「きゃあ-。助けて!」

美奈は、検査機の中で暴れ始めた。

「大丈夫ですか?直ぐに、出しますから。落ち着いて下さい。」

検査技師がマイクで検査機の中の美奈に呼びかけた。

検査機の中から検査台が出され、美奈は、検査台から転げるように降りた。

そのまま、美奈は、床に座り込んでしまった。

呼吸が乱れてきた。

「大丈夫ですか?」

検査技師が美奈を支えようとした。

「止めて!触らないで!」

急に、美奈が大きな声を上げた。

そして、美奈の目からは、涙が溢れ出ていた。

外の待合室で座って待っていた父親が、検査室に入ってきた。

「美奈!どうした?」

「何でもない。大丈夫。」

「大丈夫じゃないじゃないか。どうしたんだ。」

「急に、検査台で動揺されて。」

検査技師が、父親に言った。

「先生を呼んできましょうか?」

「大丈夫です。」

美奈は言った。

「でも。今日は、一応、検査は中止しましょう。」

そこに看護士から連絡を受けた森口が検査室に入ってきた。

「大丈夫ですか?」

「検査台で急に動揺されて・・・」

「急に、不安になって。すみません。」

「ここでは、お話できないので、着替えて、診察室に来て下さい。」

美奈は、着替えて父親に付き添われて、精神科の診察室へ行った。

「パパは、外で待っていて。」

美奈は、森口の待っている診察室に入って行った。

「どうぞ、お座り下さい。」

もう、待合室には、診察を待つ患者は、ほとんどいなかった。

「すみません。ご迷惑を掛けて。」

「いいんですよ。気持ち悪くなったりされる方は、沢山いますから。」

美奈は、うつむいたまま涙を流していた。

「急に、怖くなってしまって。私、おかしくなってしまったんじゃないですか?自分がコントロールできない感じで。」

「電車で初めて過呼吸を起こされる前に、何か、精神的にストレスになるようなことは、ありませんでしたか?」

美奈の脳裏にあの爬虫類系の顔をした男の顔が浮かんできた。

思わず、ぎくっとした。

森口は、その美奈の表情を見逃さなかった。

「何かあったんじゃないですか?精神的にストレスを感じるようなことが。」

穏やかの声で森口は、尋ねた。

美奈は、両手で自分の顔を覆った。

「お話できないのなら、しなくてもいいですよ。」

森口の言葉は、どこまでも優しかった。

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