食いしん坊ぽっぽの日記

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2015.08.15
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カテゴリ: ひとりごと
私の一番好きなアニメーション「火垂るの墓」―中国人学生
            Record China 8月14日(金)22時53分配信


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「昭和20年9月21日、僕は死んだ」。こんな痛ましい切り出しでアニメは始まりました。敗戦後2カ月のことでした。ボロボロの服を着た少年はふらふらと歩き、「節子」とつぶやきながら、とうとう倒れてしまいました。草むらの中できらきらした蛍の明かりが兄弟の顔を照らしました。二人は幸せそうに笑いながら、行ってしまいました。物語はそこから始まりました。

この「火垂るの墓」というアニメーションを初めて見たのは、大学に入ったばかりの時でした。それから、10回もこのアニメを見ましたが、見るたびに感動して、つい泣いてしまいます。特に節子が死んだ蛍とお母さんのためにお墓を作っていた光景には、何度も泣かされます。「お墓を作ってるの。お母ちゃんはもう死んで、お墓の中にいてる」と幼い節子は真剣に言いながら、蛍の死体をお墓の中に入れました。節子は小さいのに、もう「死」と「墓」の意味が分かっていました。節子はお兄ちゃんに「兄ちゃん、どうぞ。おいしいよ。食べてみて。どうして食べないの」と言いながら、石ころをお兄ちゃんに渡しました。「兄ちゃん、おおきに」これが節子の最後の言葉でした。

「火垂るの墓」は戦争が日本人にもたらした痛みを映し出しています。このアニメーションは戦争の恐ろしさを直接的に表していません。戦争が人々にもたらす苦痛を間接的に表しています。これは、幼い兄弟だけの悲劇ではなく、日本人みんなの悲しみです。戦争のため、親子が散り散りになり、たくさんの子どもが孤児になりました。男は家族から離れ、戦場に向かいました。

このアニメーションを見る前は、私はずっと日本は戦争が好きな国だと思っていました。学校で先生の話を聞いたり、写真を見てそうだと思っていました。でも、「火垂るの墓」を見てから、戦争で苦しむのは一方の国の人だけではないと分かりました。戦争というのは敵も味方も苦しくて悲しい思いをします。自分たちだけ戦争の被害を受けているのではありません。

「日本国憲法」には、「戦争の放棄」が書かれています。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇や行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と。日本の人々は中国の人々と同じように戦争が嫌いです。「火垂るの墓」を見た私たちは、戦争の残酷さを理解しました。だからこそ、私たちはもっと今の平和を大切にしなければなりません。前の人の失敗は後の人の戒めとなります。もう決して戦争を起こさないために、若者の力が必要です。「火垂るの墓」を見て、戦争を再び起こしてはいけないと強く思いました。(編集/北田)

※本文は、第六回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「メイドインジャパンと中国人の生活」(段躍中編、日本僑報社、2010年)より、劉美麟さん(長春理工大学)の作品「私の一番好きなアニメーション『火垂るの墓』」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

毎年、この時期必ずこのアニメは放映される
ここ数年は、もう観ることが出来ない 
ボロ泣き号泣してしまって体力を一気に消耗してしまうから・・・

だけど、歳を重ねていくとこのアニメの見方が変わってくる
子供の見方、大人の見方、社会のあり方
もっと、こういう選択肢もあったはず。。。と。
だけど、これはこれでひとつの物語として目を背けてはいけないと思う


現実にも疎開をしていた母の話
身を寄せる祖父の実家でイヤな思い、辛い思いもしたという
今は亡き祖母も耐えきれず母を含め5人の子供らを置いて東京に家出をしたこともあったと言った
だけど生きていくためには、そこに留まることしか出来なかったという

また、今は亡き父は東京大空襲のあの日、祖母と隅田川に飛び込んだという
その時、祖父と生き別れてしまったそうだ・・・
焼き野原と化した東京の街を彷徨い死体を掻き分け裸足で歩き続け、
親切な方に助けられ、数日お世話になった後、横須賀の祖母の実家に身を寄せたという
こういう現実を体験している高齢者の方々の事を考えると
二度と戦争は起こしてはいけないと思う

9日の夜、たまたま付けたテレビで
シリーズ 戦後70年 極秘裏に中絶すべし~不法妊娠させられて~
あまりにも悲しく悲惨な現実
なぜ、こんな戦争をしなくてはいけないの・・・

戦争だけはしちゃいけないよ・・
薄っぺらいかもしれないけど、これが全てだと思う・・・









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Last updated  2015.08.16 01:02:14
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