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2006.10.10
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おはようございます。
世界はまるで光に満ちたかのように
澄み渡り輝きを放っておりますね。

はい、五月蠅い。
実は上映開始直後に駆け込んでいたのだが、
将来の面倒臭がラー気質が幸いして――ん?

何だかしっくりこない書き出しと味付け。
面白くないが面白くする才気もない。
どうしようもないので話を続けようか。


遡ってしまえば一週間以上も前に
すでに表題作は観賞済みである。

実際どこぞにはその旨書かれた文章が
存在したりしなかったりするわけなのだが、
まあここではそのことに対しては
言及の手を及ぼさせないこととしよう。

で表題作イルマーレなのだが、
正直つっこみ所も多かったとは思う。
がCMで私の琴線に触れたものを
そのまま作品の基幹にしたような映画だった。
CMで感じた何かを喚起させたいのならば、

きっと得はせずとも損はしないと思われる。

元来「映画」というものは、
どこかしらに「破綻」「欠損」を伴うものだと思っている。
人間というものを忠実に描くには、
二時間という上映時間は甚だ短すぎるからだ。

二人が出会って、お互いの気持ちに気が付く。
という物語を今回は起用したとしよう。
さて時間配分をどうしようか。
出来れば二人の過程に多く時間を割きたい。
ゆっくりと愛が芽吹くのをじわじわ伝えていきたい。
とでもしようか。では。
出会ってから気持ちに気が付くまでを1時間30分。
出会いまでに登場人物の設定を交えた日常の風景を30分。
こういう段取りでいこう。
さて、上記の時間配分を如何思われるだろうか?
丁度良い按配のペース配分だと思うだろうか?
それとも何か異論を唱える隙間はあるだろうか?

端的に言えば、判断とは究極的には個人=監督に委ねられるので、
本来ならば異論も何も存在し得る隙間すら介在を許されないのだが、
ここでは敢えてそうした事象を無視した上で話を進めていこうと思う。

まず結末に割く時間がないけど?
といったヤボな質問は除外しよう。
話の結末=気持ちに気が付くと解釈してもいい。
そこになんら問題は生じ得ない。
問題が生じるのは二人が親交を深めるという
その過程概念そのものにおいて生じてくる。
どういうことか?
時間は1時間30分。
映画である以上、ここで普通にデートを数度繰り返して、
やっぱりオレ彼女のこと好きだわ。
などという展開では視聴者は納得しない。
どこかしらに運命的なエッセンスではないにしろ、
想いを確信させる劇的な出来事でも起こらなければ、
見せ物としての役割を果たし得ない。
つまり1時間30分の後半30分は、
その「非日常」のために残しておかねばならぬことになる。
となれば、二人が「日常において」親交を深める場面。
それに割ける時間は必然的に大凡1時間程度となる。
喫茶店などで少しでもおしゃべりをしたことがあるだろうか?
いや別にそこに何か意味があるわけではない。
あなたは野暮ったいから、そんな小洒落た場所でなど
人と話をしたこともないだろうけど、という揶揄でもない。
誰でもしたことがあるであろうことの方が、
喩えとして通り易いのでこうした物言いをしてみたのである。
先ほどの問いかけに戻ろうか。
答えは恐らく「もちろん」だと思われる。
ならばおわかりになられると思うが、
意外に少し話をしただけでも時間というものは呆気なく過ぎ去る。
それは現実でも映画でも変わり映えはしない。
持ち時間の「1時間」
先ほど認識して頂いた事象を準える形で
全て喫茶店でのやり取りに終始すると仮定して、
恐らく大きく時間を持たす場面は2つか3つが限度だろう。
つまり場面分け=異なる日程と設定したとしても、
たかだか2、3日が描画されるに過ぎない。
二人の絆が少しずつ少しずつより確かなものになる。
そのほんのりとした緩やかな過程を描こうとして
1時間30分もの時間を割いたわけである。
だが、いざ盛り込まれた場面を想定してみると、
これだけで本当に心に何かを堆積させられるだろうか?
と思わず疑念を抱いてしまう。
なぜか?
それもそのはず。
劇中では何週間、何ヶ月に設定しているかわからないが、
実際の場面にしてしまえばたかだか2時間程度である。
本当に劇的一目惚れの成就に近いような錯覚を受けたとしても、
それは我々の本来の時間軸から考えれば当然のことなのだから。
何のことはない。過程表現に問題があったのである。
1時間を数週間に見せるには根本的にムリがある、という。 
つまりじっくりと愛情を積み重ねる恋愛を描くには、
甚だ表現の時間が足りていないということになる。

でここで初めて本題に移ることが出来る。
つまり「映画」というものは、
どこかしらに「破綻」「欠損」を伴うものなのだ。
2時間そこらで完璧に描ききれるものなどない。
と言ってしまっても差し支えないかもしれない。
特に人間模様というものを語るとすれば、
時間は他の事象を語る以上に時間を必要とするだろう。
だから「元来」不可能なのだ。
完璧な映画などというものは。
ここからは私の持論になってしまうのだが、
映画とは描きたいものを描くものであり、
またそのために生じた破綻については、
見て見ぬフリを決め込むものである。
作品を映画という媒体に置き換える上での犠牲。
そう言い換えてしまってもいいのかもしれない。
例えばアクションはその華麗さを見せるために、
シナリオに多少不可解な点が生じていても、
そのまま押し通してしまうことが少なくない。
また不可思議な展開に重点を置いた作品は、
全体的な説明不足を余儀なくされ易い。
原作付に至っては、原作を既読でなければ、
全く何がどうなったのかわからないものまである。
まあそれは行き過ぎにしても、だ。
映画とはどこか綻んでいるセータのようなもの。
そういうものだと思うのである。


そして良作不作の違いもまさにここにあると考える。
もちろんまず描きたいことを描けていて、
それがエンターテイメントとして面白いことは
大前提中の大前提であろう。
その上での話になるが、
「生じた破綻に目を瞑れるかどうか」
重要な部分はここだと思うのである。
もしかすると、こう変容するかも知れない。
「生じた破綻に目を瞑っても良いほどに、
 その映画には賞賛出来るものがあるかどうか」

つまりだ。
最終的には『長所短所の差引の結果=評価』という、
至極簡素で当然の引き算に行き着くのではないだろうか。
というのが私の持論である。


であるからこの持論を容認して頂けるならば、
先の恋愛映画についてはある条件下において
不問となることがおわかり頂けるかと思う。

不問となる破綻内容は、「恋愛過程の表現希薄」。
ある条件下というのは以下。
『この映画が根底にある愛の育成の演出において、
 当然賞賛を得て然るべきとされる面白さを有する』

さらに運が良ければ、不問となっただけでなく、
受け手による作品補完が行われる可能性もあるかもしれない。
『ここでは恋愛過程の一部しか表現されてはいないが、
 実際は他にも様々なやりとりがあったのだろう。
 いやきっとたぶんそうなのだ、そうに違いない』
とかなんとか。
もちろん全て良い方向に転べば、であるが。



なげぇ。





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最終更新日  2006.10.10 07:50:22
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