侃々諤々日記

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続き


 わかりますか?気違い親子に対してトラウマのない人間は別に気違い親子見ても、そらなんとも思わへんやろうけど、あいつらに対してトラウマのある人間(俺)は見てるだけでも精神的苦痛を受けるんですよ。自分がクズ女見ても気持ち悪くならへんからって、誰でもそうやと思ったらアカンねん!トラウマ持ってる人間と、持ってない人間の主観が同じである訳がないやろ!
 ん~でや、俺に俺のトラウマの元凶見せて何の意味があるん?嫌がらせか?バス運転してる時に運転手のトラウマいじり倒すってどういう事?しかもご丁寧にバックミラー見たら写るように一番後ろの真ん中に座って。。。あんな状況で平常心保てるわけないやんけ!事故らせたいの?別に俺が事故ることでトラウマいじり倒してくれた連中が死のうが怪我しようが、そんなもん自業自得やから全く良心痛まへんけど、関係ない人間も乗っとんねん!運転手はその人らに対して責任があるねん!どうせ「バスやったら逃げられヘン」みたいなアホの知恵やろ?ホンマに浅はかやな。それにしてもあのクズ女、よくもまあオレの前に顔出せたな?どんだけ面の皮厚いねん!

 ↓コレそんな難しい日本語ですかね。
「自分のトラウマの元凶と結婚する奴は居らん!鬱の原因と結婚する奴も居る分けない! そんな事したら気狂てまうやんけ! どれだけ時間が経とうが、何がどう転ぼうが、 俺があのクズ女と結婚するなんて事は有り得ない! 」←有り得ないって意味わかります?日本語わかります?オレもう一年以上も同じ意味の事言ってますよ。

クソガキ連れてまた来やがったなあのクズ女。もう意味分からんわ。何なんあの生物。

・バス運転してる俺のすぐ後ろ座って聞こえよがしに俺の悪口言ってた酒○の親会長と達○。どんだけ陰湿やねんお前等!そういうのを「精神的リンチ」って言うてんねやろがい!しかも、俺の言ってる事の意味全然解ってないし。せめて意味理解した上で悪口言ってもらえませんかね。教えても教えてもアイツら延々言うとるな。(酒○の人間なんて俺のこと欝にしてトラウマ作って更にトラウマいじり倒した、正真正銘「加害者側(気違い親子とグル)」の人間やのに、何で悪口言えるのか謎や。)
 そういや前の時(俺が欝になった時)もあの二人の組み合わせでネチネチ同じ事バスでやってくれてたよな。忘れたい忌まわしい記憶をお蔭様で鮮明に思い出したわ。(そんなんしょるから欝の人間が出来るねやろがい!)今にして思えば、あれワザとやってたんやな。「聞こえてた」んじゃなくて「聞かされてた」訳や。意図的にイビってくれてた訳や。つまり「俺に俺に対する非難を聞かしたら俺が折れて気違い親子の要求を呑む」って発想か?アホやな。何も悪ない人間非難したら、ただの誹謗中傷やっちゅうねん!(精神的リンチにかけてくれた御礼に肉体的リンチにかけたろか?コッチだけボロボロじゃ割に合わん!)

・「ひたすら騙す」「ひたすら誹謗中傷する」「ひたすら付け回す」どれか一つだけでも欝になっておかしないのに全部やからな。ま、被害に遭うのが「自分」でさえなければ痛くも痒くもないか。

・先に言うとくけど、どこぞの娘さんが嫁に行ったからって、俺が気違い親子を相手にすると思うなよ。気違いの思考パターンからするとまた何かやりそうや。何がどうなろうと↓これ一言一句変わらへんで。

「自分のトラウマの元凶と結婚する奴は居らん!鬱の原因と結婚する奴も居る分けない! そんな事したら気狂てまうやんけ! どれだけ時間が経とうが、 何がどう転ぼうが 俺があのクズ女と結婚するなんて事は有り得ない!

何がどう転ぼうが 」=「何がどうなろうと」は同じ意味です。何がどうなろうと「ありえない」ことは ありえない

それと、この状況でまさかとは思うねんけど。。。あの気違い親子「かわいそう」とか思てもらえるなんて考えてないよな?誰が自分のこと欝にまでしてくてた相手を「かわいそう」とか思うわけ?憎んで憎んで憎みぬいてる相手を、恨んで恨んで恨み抜いてる相手を誰が「かわいそう」とか思う訳?できることならこの手でぶち殺して復讐したいトラウマの元凶を「かわいそう」とか思うか?散々汚い事やり倒してくれた相手を「かわいそう」なんて誰が思う?(復讐されへんだけでもありがたいと思え)そもそも何もかも自業自得の癖に、何がどう「かわいそう」なわけ?例えば。。。無差別殺人犯した人間が「死刑」になるからって「かわいそう」か?そう言うのを自業自得(因縁)って言うねやろ(「かわいそう」なんは殺された被害者側や)。自分で作った「原因」が「作用」して今の「結果」があるねやろ?恨むんやったら「原因」作った自分自身を恨め。まして、何で被害者が加害者を「かわいそう」とか思わなあかんねん!ふざけんなボケ!俺の哀れみなんか買えると思うなよ。(まさかとは思うけど。。。一応釘刺しとくわ)

・もう一本釘刺しとくわ。「自分のトラウマの元凶と結婚する奴は居らん!鬱の原因と結婚する奴も居る分けない! そんな事したら気狂てまうやんけ! どれだけ時間が経とうが、 何がどう転ぼうが 俺があのクズ女と結婚するなんて事は有り得ない! 」って事は、もちろん「哀れみ」なんかかったところで何の意味も無いって事です。「哀れみ」かったところで俺が欝にされた事実は消えへんし、トラウマが消えるわけでもないやろ?(「哀れみ」かうことすら不可能やけどな)。「何がどうなろうと」ってのはそういう意味です。

 あと「欝」とか「トラウマ」を軽く考えてたらあかんで。欝病ってただ単に気分が沈むだけの病気じゃないで。気違い親子のやってること見てると、どうも甘く見すぎとるわ。舐めすぎとる。欝病で「死にたい死にたい」と思い続けて実際にそのうち一割は自殺するねんで(自殺の原因で一番多いのは鬱病や)。自殺せんまでも一生「欝」ひきずって人生棒に振る人間はもっと多いわ。なったモンしか分からんやろうけど「何やっても楽しくないし嬉しくない」「人と関わりたくない」「寝ようとしても寝られへん」「何か知らんけど延々何回も夜トイレに行きたくなる」「一日中しんどいしイライラする頭痛がする」「何もしたくない」「ひたすら死にたい」ホンマに毎日地獄やからな(←人によって症状は違うかもしれん)。それを何年も、しかもよってたかって逆恨みの陰口言われ続けながら(←追い討ち)やからな。欝にしてくれた連中(原因)に対してどんな恨みと憎しみが育つか想像つきます?~で、自力で立ち直ってやっと心が明るなったと思ったら~、また欝にされた全く同じ過程を、また全く同じ連中が俺にそっくりそのまま追体験させてくれてる(=トラウマいじり倒した)わけやろ?トラウマの元凶(クズ女)が全く同じこと言ってるわけやろ?そんな事やり続けられたら完璧に欝がぶりかえすわ!やってる方はどない思てるか知らんけど、された方はホンマに殺意で頭いっぱいになって、目の前が真っ白になるからな。意識が飛びそうになったことも一回や二回じゃないで。何時までもフザケタことやってたら、ホンマに俺に殺されても知らんでな。「理性」で自分抑えるのも限界があんねん。しかもこの一年、俺の「理性」酷使しすぎて(=我慢しすぎて)もうボロボロや。何時折れてもおかしないねん。はじめは、なるべく角が立たんように、穏便にすますように手加減してたけど、もうそんな余裕は俺にないねん。「欝がどんなもんか、トラウマがどんなもんか知らんかった」ですまへんねんで。死んでから自分の「無知」と「無理解」後悔しても遅いで。

・散々人の悪口大声で言いふらしといて、露骨に無視ってくれといて、マズイと思ったら、次の日には何事も無かったかのごとくヘラヘラ笑いながら話しかけてくる人間って。。。。どういう神経?無節操?風見鶏?日和見主義?ご都合主義?バレテないから惚け切れると思ってるのか、若しくは俺の事舐めきってるのか。。。もっとまともな人間かと思ってたけど、どうも俺の買いかぶりやったみたいですね。もう娘の利害が絡まんようになったから?あんなモンどんだけおかしなろうが知ったこっちゃ無いか?分かり易いな。誰のこと言ってるか分かってるよな?(「何を言ってたか」はどうでもええ。問題は「複数で相談して」「どんな発想で」「何をしようとしてたか」や。そこが許せん。)

・主観の相違・・・人は各々違うから思いも各々違うこと。主観っていうのは「その人がどう思うか」ということ。これって常識ある人間なら「言葉」としては理解してなくても「感覚」としては誰もが理解してるはずですよ。そんな難しいもんじゃないで。
 解りやすく極端な例をあげると、他人に対しては騙す、盗む、脅すの極悪非道な人間、でも家族にはとても優しい頼りになるお父さん。この場合他人から見たらその人間は「極悪非道な人間」。家族から見れば「優しいお父さん」これが主観の相違。「他人の主観=他人がどう思うか」と「家族の主観=家族がどう思うか」は当然同じではない。いくら家族の側が「私には優しいから良い人だ」と言い張っても(主観を押し付けても)他人には全く通用しない。それを無理やりに押し付けるのは 非常識 。(ちなみに「騙す、盗む、脅す」これは客観的に「悪」なので、この場合は客観的にも極悪非道な人間です)
Aさん のせいで人生を滅茶苦茶にされた Bさん Aさん に別に何もされたわけでもない Cさん 。当然 Aさん に対する「 Bさん の主観」と「 Cさん の主観」は全く違いますよね。 Cさん が自分の主観を Bさん に押し付けようとすれば当然「フザケンなよテメー」となるわな。
 平気で人を騙す人間は、人を騙す人間を見ても「普通の人間」と思うかもしれんけど、人を騙す事を「汚い」と思ってる人間が見れば「汚い人間」。まして、自分が騙される側ならなおさら「汚い」と思うわな。これも主観の相違。(騙す事を普通とか言われたら堪らんけどな)
 「主観の相違」なんてごく当たり前のことです。主観なんて一人一人違って当たり前。全く難しくもなんともないことです。(↑むかし長々と説明した「価値観について」と、説明の切り口が違うだけで意味は同じ。)

・また三○のオッサンが汚い知恵巡らせてそうなので十三峠はパスします。

次ページへつづく


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