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さて、疲れた、疲れた、脚がむくんでいる、痛いとばかり騒いでいたスペイン旅行。写真をupするのに見ていて気づいたのは、脚が普段と違っていること。 左側がin Spainで右側がin Japan。(靴のデザインは異なりますが、ヒールは同じくらい) 皆様にはどうでもいいことと、思われますが、膝下、特に足首から脹脛にかけてが如実に太い! 体重はin Spainの時の方が2-3kg痩せていた・・・侮れない・・・ 着圧ストッキングって効果ありなんだろうか・・・・今、写真をみていると、脚だけじゃなくて、寝ぼけてるとばかり思っていた顔も、むくんでいる! Pepsiをclick!
May 9, 2008
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マドリードに戻り、スペイン最後の夜は生ハム専門店に行く。一階はBarになっていて、地元の人たちで随分賑わっている。お店の名前のガラス越しに生ハムがブロックのまま、収納されているの、見えますか?まず、サラダが運ばれてきた。レタスに紫キャベツ。そして、イタリアンのランチ時に使われるような大きなお皿にびっしりの生ハム。 この時点では4人前だと思っていた。お皿が全然透けて見えないんですけどぉ?が、次から次へと同じ大きさのお皿が運ばれてくる。もしかして・・・・これが一人前ですか? 私は生ハムは好きだし、決してお安いものではないので、有り難味はわかっている。でも・・・これは・・・数えるとお皿には16枚の生ハムが・・・あとで喉が渇くんじゃ・・・うわっ、おいしーと思えるのはまず3枚。5枚食べたら他の物が食べたいなぁと思ってしまう。サラダとスープしかないもの。レタスと一緒に食べたりする。10枚食べる頃には・・・「別に生ハムじゃなくてもいいんですけどぉ」って気になっている。別の物を注文するにも、ご覧下さい、生ハムばっかりで、どうも口直しになるような物はなさそう。周りのテーブルを見ても、スペイン人たちもやっぱり生ハムを食べていてそれ以外の物を食べている人はいない。やっぱりないんだー。 私は12枚でgive upした。ロシアの朝食で生ハムが出たときにたくさん食べた人がお腹を壊したので、ちょっと不安になる。母は生ハム好きで16枚完食した。あなた、本当に私の母なんですかー。 量は多すぎたが、やっぱりスペインで食べた物の中で一番おいしかった。明日、帰国する。 Pepsiをclick!
May 8, 2008
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マドリード市内観光もそこそこにトレドに向かう。ちょっと雲行きが怪しくなって来ている。12-13世紀のトレドでは、ユダヤ、イスラム、キリスト、それぞれの宗教からエリート集団が形成され、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳された。このことが中世ヨーロッパのルネサンスに大きな刺激を与える。宗教を越えて共存できるなんて素晴らしい! 16世紀にはトレドが首都であり、絶頂を迎えていた。数年後フェリペ2世がマドリードに遷都した時、「死に値するほどの打撃」であり、トレドは衰退しはじめる。 それにしても、要塞都市と言う感じで中世に戻ったようだ。高い城壁でぐるっと囲まれている。衰退して置き去りにされたから、中世の街なみを残すことができたのか。 まず、エル.グレコの描いた「オルガス伯の埋葬」のある、 サント.トメ教会。すごい人で絵の前はおしくら饅頭状態。この絵の中にはエル.グレコ自身も描かれているし、たくさんの参列者は当時大金を払って描いてもらったそうだ。勿論、顔の向きや位置によっても値段は違っただろう。最も美しいゴシック建築と言われるトレドの大聖堂。中が素晴らしいそうだが、駆け足ツアーなので外から写真を写して終了。ここ近くには有名なユダヤのシナゴーグもあって、それがアラビア風建築で外からはシナゴーグだとわからないそうだ。キリスト教ならゴシックとかロマネスクとか独自の建築様式があり、仏教だって、イスラム教だって、たいてい建築様式が決まっているのに。ユダヤ人は自分の国を持てなかった為、その国、その国のルールに従ってシナゴーグを建てた。マドリードと違って緊迫感がないので、ずーっとぶらぶら歩く。結構な距離を歩いてきたと思う。 石畳は脚にけっこうダメージを与える。私は底の分厚いウォーキングシューズだったので、歩いたなぁと言う程度の疲労で済んだが、底の薄いタイプの靴を履いていた人たちは腰まで痛いと言って、座り込んでいた。9世紀にアラブ人によって建てられたアルカンタラの橋。途中、バロック真珠なんかを扱う宝飾店に寄った。寄木細工や小物なんかもあった。 Pepsiをclick!
May 6, 2008
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マドリードに滞在した日、ブランドのブティックはお休みだった。(土日祝日お休みさせていただきます)が多いのだ。土日祝日お休みなんて日本では考えられない!そこで活躍するのは日本人御用達の免税店。ミハス以外は殆ど自由時間もなく、買い物できるスポットへは行っていないので皆様買い物モード全開。そこそこの品揃えで対応もいい。私はバルセロナの空港に降りた時、ロエベの前を通りかかり(まだ開いていなかった)買うならこれにしようと思っていたバッグがあった。それとピアスを買おう。 それまでフォリフォリは可愛いけど、シルバーだから手入れが面倒そうと敬遠していたが、全然お手入れ不要で下がるタイプの物が多いので今は気に入っている。フォリフォリはギリシャのブランドだが、スペインでフォリフォリデビューすることとなった。husのネクタイを3本ばかり見繕って持っていたら、ツアーの方に「あら、お父さんにお土産ね。偉いわね」と言われる。どうなってるんだ。面倒なのでそのままにしておく。マドリードで買ったロエベのバッグはヴィトンほど重くないのにとても頑丈で雨でも風でも気にしないで持てる。その後、色違いの物を2つ買って、通勤用にしている。使い勝手もいいし、気にしなくていいし、日傘をパッと入れられるのがいい。三越で買う半分の値段で買えた。(フォリフォリのピアスも半額くらい。レコパンのネクタイは1/4くらいだった。) Pepsiをclick!
May 2, 2008
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プラド美術館のセキュリティは物々しかった。バッグの中は全て見せたし、大きな鞄は中身を出して見せなければならない。ゴヤの「裸のマハ」 ベラスケスの「マルガリータ王女」マルガリータ王女はいかにもハプスブルグの顔立ち。 エル.グレコは「ギリシャ人」と言う意味のニックネーム。ギリシャ出身だから。 ラファエロの絵は赤、ブルーがいつものとおり美しく、顔が優しい。時間がないので、ピンポイントでどんどんまわる。いつも思うことだが、通常鑑賞するのに何日もかかる美術館をこんなかたちで駆け足で、それも有名な絵画に絞ってピンポイントで見て歩くなんて、これが芸術鑑賞だろうか。もし、フリーで自分で行って、数日間かけてその美術館を見てまわったらもっと違った感激があるだろうか。 現在のマドリードは非常に治安が悪いらしい。その昔、スリと言えばロマの人たちだと言われた時代があったが、今は旧ソ連や旧ユーゴスラビアからの「出稼ぎ」が組織的に行なわれているという。よって、ぶらぶら歩くなんてことはさせてもらえない。観光ポイントにバスはなるべく近くに横付けされ、バッグは両手で押さえるように言われる。ハードスケジュールで寝ぼけていたが、ここは大都会だし、ガイドさんがこれだけ言うのだから危ないのだろう。ちょっと緊張してきた。 大々的に骨董市をやっているstreetがあった。人がたくさんいていろんな物がおいてありそう。「もし、ここで自由時間を設けて皆さんに歩いてもらったら、今の格好で戻ってくることができるのは20人中2-3人でしょう。彼らはナイフを持っていて、バッグの紐は簡単に切られ、お財布が入っているかもしれない服の部分は切り取られます。怪我しないで戻ってこられたらラッキーです」こわすぎ・・・ロマの人たちがグループでスリをやっていた頃は子供数人が旅行者を取り囲んでバッグの中に手をいれるだけだったではないか・・・この結果、マドリードの写真として残っているのはバスから撮影した町並みと、レストラン内部くらいになってしまった。 Pepsiをclick!
May 1, 2008
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ピカソの傑作のひとつ、ゲルニカはヨーロッパの戦火を避け1939年にニューヨーク近代美術館に渡った。ピカソ、フランコ将軍の没後、現国王のファン.カルロス1世がニューヨークまで交渉に行き、スペインに返還された。思っていたよりもとても大きいサイズの絵で芸術のわからない私にもその迫力は伝わってくる。 流石にここの警備員の方々の制服はパリっとしている。スペイン現代史はピカソ、フランコ、ファンカルロス1世の存在抜きには語れない。ベネズエラのチャベス大統領を一喝してニュースにもなった現国王は軍事政権下フランコ将軍に16歳で引き取られる。(家族はイタリアに亡命中)それからの20年間「フランコの後継者」としての仮面をかぶりつつ、フランコの死後、見事に王政復古を成し遂げた。チャベス大統領に「黙れ」と言うくらいなんでもなかったろう。16歳の少年が家族から引き離され、殆ど幽閉に近い生活。王族であるにも関わらず、フランコによる軍事独裁の継承者たるべく教育され、実は王政復古を狙っていた。狙うだけじゃなく、本当にやり遂げた。すごい・・・ソフィア王妃はギリシャの王女ですね。ヨーロッパ各国王室の離婚、醜聞の話題となると必ず、ソフィア王妃を見ろと言う結論になる。生まれながらの王族。ファン.カルロス1世に「彼女はプロフェッショナルさ」と言わしめた賢妃。 ランチはタパス。昨夜は中華料理で一度リセットされたので、かなり楽に食べられた。 Pepsiをclick!
April 30, 2008
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ヴィクトリア ベッカムはマドリードに住みたくないとただこねましたね。買い物ができないからと。AVEを降りると50代くらいの口ひげをはやした地味ーなおじさんが立っていた。この可愛らしい日本人のおじさんがガイドさんなのー?おじさんはすぐに私のスーツケースをひいてくれて、優しい。「スペインはいかがですか?」いかがもなにも・・超ハードスケジュールで何がなんだかわかんないんですけど。それもアルハンブラでスペインおじさんにタックルまでしましたからね。 ガイドさんは本当に思いっきり、笑って、「私はマドリードに住んで20年以上になりますが、女性にタックルされたことは一度もないし、スペインの男性が日本人女性にタックルであっても抱きつかれるなんて、それはとても、とてもラッキーなことだと思います」と言っていた。そうは思えませんが。本日はこれから中華料理を食べ、ホテルに入るだけ。だって、フラメンコショーの翌日、朝、セビリアからスタートですよっ。セビリア→コルドバ→マドリード。一日が長い。朝から晩までオリーブオイルたっぷりの料理もかなり辛くなってきた。中華だってあっさりしてるわけじゃないのに、何故かとても新鮮だ・・・首都だけあって、車も人も多い。確かにパリほど洗練されているわけでもなく、ローマのようにしゃれているわけでもない。バスから見る建物、モニュメントはわりと酸性雨の影響を受けたまんまだったりする。そして、やっぱり男女ともシワくちゃの服、バサバサの髪の人が多い。なぜ?なんと、レアルマドリードのオフィシャルショップと言うものがあって、アクセサリーまで売っている。 Pepsiをclick!
April 29, 2008
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コルドバで大阪弁のガイドさんの話でゲラゲラ笑った後、AVEに乗り込む。駅のエスカレーターはこんな感じで非常に傾斜がない。なぜ? そして、いよいよAVE登場。鉄道マニアではないものの、ずっと、ずーっとバスなので新幹線に乗れるのはとても嬉しい。中の写真も撮っておけばよかった・・・日本の新幹線の座席とは違って、回転させることはできないタイプで向き合っている。向き合った席の間には小さいテーブルがある。おしゃべり好きなスペイン人にはこのスタイルが好まれるんだろうなぁ。私たちの席は2等だったようだが、日本の新幹線なみに快適だった。さすがに車内販売はなくて、食堂車に行ってオーダーして食べるなり飲むなりする。2時間。通り過ぎる駅でスペインの人たちの日常を見る。それが悪いと言うのではなく、スペインの人は概ねシワくちゃな服、多少ぐちゃぐちゃな髪は全く気にしていない様で旅行先にもヘアアイロン、ホットカーラーを持っていく自分がバカバカしく思えた。 Pepsiをclick!
April 28, 2008
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長い歴史の中でイスラムのモスクがキリスト教会へとかわる。一方から見れば、それは侵略であり、また他方から見ればそれは奪還である。アルハンブラの次に楽しみにしていたのがメスキータだった。イスラムの時代、人はこのアンダルシアでどのような生活をしていたのだろう。この辺りはサンタクルスも近い、ユダヤ人街は賑わっていただろうか。レコンキスタでイスラムが終われ、その後黒死病が流行った時に「ユダヤ人が井戸に毒を投げ入れた」と彼らは迫害、追放された。鐘楼の高さ93m要塞の様な高い城壁が続く。歩いているとみるみる靴が白くなってきた。メスキータのシンボルと言うべき円柱の森。なんだかエキゾチックでロマンを感じるのはマニアックすぎか。 このあたりは何もなくてガランとしている。床は結構砂だらけだ。しましま模様はところどころ傷んだり、はげたりしている。これでいいのかなー。アルハンブラにしてもメスキータにしても、もう少し、手をかけてもいいのではないか。キリスト教側は大聖堂として使用しているので比較的キレイに保たれている。カトリック信者の方々もたくさん来ていらっしゃる。皆様真剣にお祈りをしているので、写真を撮るのがはばかられる。スペイン人ガイドさんのおでこ。日本語がお上手だが、大阪弁である。十字軍の遠征の頃、アラブ文明は西洋文明より遥か先を行っていた。123この数字だってアラブの発明。入浴の習慣もアラブが先。イスラム都市だった各都市が陥落した時、人々はどうしたろう。これからAVEでマドリードに行く。本日もハードです。 Pepsiをclick!
April 27, 2008
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細くてくねくねした迷路に迷い込む。レコンキスタで追放されるまでユダヤ人が生活していた街サンタクルス。一見、真っ白な壁に花が飾られ「かわいい」街という風情。窓は人の目の高さよりも遥かに高く、中を覗うことができないようになっている。不自然なくらい開放的な空間はなく、全て閉じられ、言われなければ中庭が存在することすらわからない。イスラムの時代、ちょっとばかり割高な税金を払い、ユダヤ人はここで自治権を持ち、財産を持ち、宗教の自由を謳歌できた。(寛容の時代)グラナダ、ミハス、セビリアと南部に入ってから異国情緒いっぱいで中世にtimeslipしたかのようだ。道幅がとても狭いのでちょっとふっくらめの欧米人とすれ違う時はどちらかが止まって壁に張り付かなければならない。(たいてい道を譲っているのは日本人、勿論) 小さな食器のお店があって、黄色やブルーの色とりどりのボウルやお皿が並んでいた。こんな燦燦とした太陽の下で暮らしているなら、きっと素敵に食卓を彩ることだろう。日本の我が家でこれを出したら、かなり浮いてしまいそうな気配。サンタクルスのクルスは十字架です。聖なる十字架の街。 Pepsiをclick!
April 26, 2008
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セビリアの大聖堂には4人の王が担ぐコロンブスの棺がある。棺が宙に浮いた形式であるのも珍しいし、そもそもコロンブスはイタリア人ではないか。その上、4人の「王」が彼を担いでいるとはどうだろう。遺言通り一旦は新大陸(ドミニカ)に埋葬されたものの、ドミニカがフランス領となった為、キューバに移された。その後、キューバ独立の際、スペイン本国に戻ってきた。死しても尚、大航海。でもどうしてスペインなんだろう・・・莫大な富をスペインにもたらしたのはわかるが、王が担ぐのか・・・公園にある、大航海時代を記念したモニュメント。やっぱりここでもライオン。スペイン無敵艦隊であったのだ。ちょっと今では忘れがち。「無敵艦隊」で検索してみたら、なんと、ローレンス.オリヴィエ、ヴィヴィアン.リーのこんなのが出てきてびっくり。豪華キャストではないか・・・その上この二人は・・・無敵艦隊時代のspyの攻防を描いているらしい。絶対みたい。ちょっと歩くと、「アルハンブラ物語」を書いたスペイン駐在アメリカ外交官ワシントン.アービングの住んだ家というのもあった。比較的かわいらしい感じのhandsomeに彫られているが本当か。旅行に行く前にはその国にまつわる本をできる限り読んでいくけれど、この「アルハンブラ物語」はやっと探し出したと言うのに10ページくらい読んで断念してしまった。 本を途中で止めることのない私としては珍しく。帰国後また読み始めたがどうもおもしろくなくて、ウリの「アメリカ人外交官が見た客観的なスペイン」と言うのは感じられず結局また止めてしまった。今度はこっちを読んでみようかな。 Pepsiをclick!
April 25, 2008
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なんて真っ青な空だろう。ブルーがとても濃い。CMに出てくる空なんかは加工されているのかと思っていた。本当にこんなブルーなんだ。1929年の万博の為に建てられた広場。スペインの各都市の代表的エピソードがタイル画によって表現されている。たーくさんある中からとりあえずバルセロナを。 昨日のフラメンコショーで益々寝不足になった為、頭はがんがんしているものの、この真っ青な空と塔、それぞれのタイルの装飾は素晴らしい。それぞれの都市にまつわるエピソードにも興味津々なものの、ネットで検索してもなかなか見つけられず今日に至っている。画家のような、ホームレスのような、微妙な感じの人たちがところどころにいて、勝手に自分たちの荷物を広げている。よく見るとごみなんかも普通にある。日本の観光地では考えられない状態だが、おそらくスペイン人はこんなことは気にしないのだろう。もし、空がこんなに青くなかったら、こんなに美しくないだろうな。 Pepsiをclick!
April 24, 2008
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グラナダでお弁当を持たされた朝、まだ同日の話。グラナダからミハスまで3時間。ミハスで昼食、散策のあと、セビリアまでさらに4時間。そして、今夜はフラメンコショーまである。フラメンコにさほど興味のない私はキャンセルできるものならホテルにいたいと考えていたが、ホテルに入る前にフラメンコに行き、その後チェックインなので別行動をとるわけにも行かなかった。ホテルに入れるのは11時は回りそうだ・・・翌朝はまた5時半起床なのに11時に入って、それからお風呂、その他諸々となるときつい。 レストラン前の人形。おなかもでていて結構リアル。夕食時にはもう口もきけないくらいで、テーブルに突っ伏してしまいたかった。そして9時よりショーが始まる。おー、キレイ、キレイ。踊り子さんたちは顔が小さく、エキゾチックでやっぱり他のヨーロッパの方々と顔が違う。どんどんセクシーというか、情熱的な音楽、踊りに変わっていく・・・ドレスの裾がキレイに舞、美しい。10時を回った頃、この喧騒の中で私は眠りについた。 電車の中でも寝ない私が、フラメンコショーのこの喧騒の中で寝られるとは思っていなかった。たまにつつかれて起きるもののすぐにZZZZzzz ごめんなさい。スペインの方々はお酒を飲みながら楽しんでおられる。それにしても、よく飲み、しゃべり、笑い、楽しそう。あなたたち、シェスタで体力温存してましたねっ。 Pepsiをclick!
April 23, 2008
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ミハスと言えば、ロバ。多くのヨーロッパの地域ではロバ=愚鈍そんな風に語られる。耳といい、目といい、あんなに可愛らしいのに。細い小道で荷物を背にしたロバと行きかうとなんだかにっこりしてしまうのだろうと思っていた。でも匂いがすごい。昔「ロバのパン」屋さんと言うのが、日本にあったらしいが、日本に来たロバは体臭がなかったのだろうか。とても食べ物を運ぶには適さない強烈な匂い。遠ーくにいてもすごい。このあたりはちょっと前に竹野内豊がデジカメのCMをしてたところ。確かあの時鉢植えを運ぶロバが写っていたと思う。竹野内豊もこの匂いを体験したんだ・・・ 可愛いこども服のお店発見。スペインの子供は大きいから私のサイズもあるかもしれない。 かわいいー、でも子供が着るから可愛いのであって・・・ちょっと無理っぽいナァ。とてもこの街が気に入ったので、この街の絵が描かれた絵皿時計を買った。ブログを書くとわかっていたら、鼻をつまんで、ロバを撮って来たのに・・・・ Pepsiをclick!
April 22, 2008
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ミハスは青い空と白い建物、まるでギリシャの島のような世界。このレストランでいかすみのパエリア。見晴らしもよく、いいムードなのだが、胃が弱ってきているのでいかすみはきつい。 それにやっぱりサフランのオレンジのような黄色のようなパエリアの方が好き。 食事も早々に表に出ることにした。想像していたよりも、はるかに綺麗で目が覚める。ドイツのロマンチック街道の町のようにこじんまりした佇まい。他のスペインの都市から見れば、ゴミは落ちてないし、ちゃんと整備されている。太陽の下、人々はゆっくり、のんびりと歩いている。 人があまりいないので、久々にリラックスしつつ、ぶらぶら。 お店には色とりどりの物が並ぶ。 長い休暇のとれるヨーロッパ人はこんなのどかな街で何日ものんびり過ごしている。あ゛ー、羨ましい。 Pepsiをclick!
April 19, 2008
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本日も5時起床。ホテルの朝食が間に合わず、お弁当を持たされる。 眠いのと疲れているのとで、ボックスの中身はなんだろーなんて気も起こらない。 グラナダ旧市街観光。8時前なので外気はかなりひんやりしている。 昨日のアルハンブラと違い、やっぱりカテドラルは洋風。 ちらほらと人は歩いているが、皆様活動開始はしていない様子。 bar向けなのか、コーラや飲料水を積んだトラックがあちこちに停まっていた。眠い・・・脚もむくんでいて痛くなってきた。肩も凝ってるなぁ・・・ボックスの中にはパン、ジュース、オレンジ、サラダ、デザート(機内食のランチくらいのボリュームあり)が入ってる。でも眠い・・蓋を閉めて寝る。次はミハス。 Pepsiをclick!
April 18, 2008
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ライオンと言うより・・・猫のような。。。そして、このライオンたちは12頭ともここにはいないのだそうだ。修復中でございます。このパティオにたってガランとした空間を見るのはさぞかし残念なことだろう。猫に見えるが、ライオンとイメージは違うが、やっぱりこれはあったほうがいい。トルコのアタチュルク廟の「ライオンの庭」のライオンも私たちがライオンと言ってイメージする「三越のライオン」とはかなり違う。権力者はライオンが好き。 円山応挙の虎もちょっと猫っぽいところを見ると、このライオンは実際にライオンを見たことのない彫刻家が作ったものかもしれない。本当はこれが金色なのかと思っていた。多分、テレビや雑誌では夕陽があたって金色に見えていたらしい。模様の細かさは素晴らしいの一言につきる。そして、なんともエキゾチックでこの下をどんな人が歩いたのかと考えるだけで感慨深い。 この庭園の水はどうしてか淀んでいる。緑色。スペイン屈指の世界遺産なのだから、もうちょっと管理してもよさそうだが・・・ カルロス5世の円形劇場。アルハンブラに行った時点では、イスラム色のある都市といえばクアラルンプールやシンガポールしかなかったので、それはそれはエキゾチックに感じられた。手入れの行き届いていないアルハンブラもそれはそれで歴史の悲哀を感じる上で趣がある。駆け足でなく、もっとゆっくり見ることができたら、また更に感動したかもしれない。 Pepsiをclick!
April 17, 2008
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すっかり目が覚めてアルハンブラ宮殿内部に入る。心臓はまだバクバクしている。(イケメンガイド?のせいではありません)明日の予約がとれなかっただけあって、混雑気味。 グラナダはアラビア語で「ざくろの実」アルハンブラは「赤い城塞」鍾乳石飾りの天井ムカルナス。7種類のムカルナスを5000個組み合わせてできている。絨毯を敷き、寝そべりながら天井を仰ぐことが多い生活習慣の中で天井飾りは芸術的に発展していった。 イスラムは偶像崇拝禁止なので、人をモチーフにすることはない。たいていは草木や星、自然からのデザイン。元々は城塞であったからか、ヨーロッパ各国の所謂「宮殿」とは赴きが違うし、手入れは行き届いていない。そもそも少し前までは荒廃しきっていて、浮浪者や盗賊の棲家となっていた。「宮殿」として人々が暮らした当時、どれだけ美しかったか想像することはできない。当時の人々はこの丘から見た風景はどんなだったろう。 トルコ同様、キリスト教国とイスラム勢力の攻防は深い歴史を感じずにはいられない。レコンキスタまではユダヤ教徒も自由にこの地で暮らすことができた。現在のスペイン国王はブルボン系であり、その昔はハプスブルグ帝国の一部であった。にも関わらず、スペインの方々の暮らしぶりは他のヨーロッパのそれとは少々違う。日に5回食事をし、シェスタをし、夜通しお酒を飲んで楽しむ。明日が仕事でも。 多分、日本人の2倍は人生を楽しんでいることだろう。 Pepsiをclick!
April 16, 2008
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イケメンガイド登場でも、すっかりヘロヘロな私は頑張らねばと言う気力を持ちつつも脳からの命令が体のすみずみまで届かないようになっていた。 宮殿の入り口を入り、建物が見え始め、10段くらいの階段を上がっていた。そして、この建物のどこにイスラムの面影を残す、あのライオンの庭があるのだろうと考えていた、その時、最後の段を私の足は越えなかった。 一瞬何が起こったのかわからないまま、あたりの様子はスローモーションとなる。目の前にはスペイン人団体ご一行様が楽しそうにご歓談中。ああ、私はいったいどこまで飛んで行くのだろう・・・ そして、私は背は高くないものの、がっちりとした大きなおなかのおじさんのお尻に顔面からタックルした。止まった。 でも私の腕はこの見ず知らずのおじさんの腰にまだ巻きついており、顔は大きなお尻にうずもれている。「すみません!!!」(思いっきり日本語,動転している)おじさんはニコニコと私の顔を見ながら、大丈夫か?という面持ちで私をhugした。おじさんのお友達と思しきおじさんたちは目をまんまるにして私を見ている。そりゃ、そうだ。。。あまりのことにびっくりして正気が戻った。 もし、あの位置におじさんが立っていてくれなかったら、もし、あのおじさんではなくて華奢なイケメンなら間違いなく私は怪我をし、(おそらく顔面もろとも)ストッキングは勿論、服も破れ、デジカメは破損していたことだろう。おじさんがいなかったら、ここからの写真は一枚もなかった筈だ。怒りもせず、不快な様子も見せず、気遣ってくれたおじさんに感謝。この話をマドリードの日本人おじさんガイドに話したら、「そんな幸せなおじさんはいない。きっとそのおじさんはそれから1週間は幸せに過ごせたことでしょう。そして、会う人ごとにその自慢話を大げさに披露していますよ」と言った。おじさんは奥さんに怒られなかったろうか。きっと、おじさんのズボンのお尻には・・・ファンデーションと口紅がついていた筈だから。Pepsiをclick!
April 15, 2008
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グラナダに着いた時にはかれこれ7時間は経っていたと思う。ホテルに直行の筈だった。しかし、翌日に予定されていたアルハンブラ宮殿の予約がとれず、急遽この長い移動の後に敢行されることとなる。 どうして、スペインに来たか。アルハンブラ宮殿が見たかったから。なのに、こんなヘロヘロの朦朧とした状態(昨日よりひどくなってる)で見学!?!?そこへ誰しも羨ましがるスペインのイケメンガイドが現れる。 如何でしょうか? 賛否両論ってとこですかね。おじさんでもなく、まだ太ってもいなく、はげてもいませんね。アルハンブラ宮殿ではスペイン人のガイドがいなくてはならず、日本語のガイドさんも別にいる。日本人ガイドが全て説明して回るので実は彼は「こんにちは」くらいしか話せない。そして、彼の家族は近くの土産物店というか、宝飾品を扱うお店をやっていて、アルハンブラの後、我々はそこに行かなくてはならない。あ゛ー、そんな彼だけにおいしいシステム。 これが私のストライクゾーンのイケメンなら、ヘロヘロな体も元気になろうってもんだが、そうはいかない。 頭が痛い。。。脚が重い。。。。なんだか朦朧とする。。。。でもこれからアルハンブラ!! Pepsiをclick!
April 14, 2008
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ドンキホーテで有名なラマンチャ地方に向かう。乾いた土地、なーんにもない風景。いきなり風車が現れる。それにしても風が強い。風車の周りは勿論舗装されていないので、靴が真っ白になる。空が真っ青なので白の建物がひきたつ。お土産物もなんでもかんでもドンキホーテ。ランチもセルバンテスが泊まったという旅籠。お店の前にはやっぱりドンキホーテ。ラマンチャ地方の郷土料理。牛肉の煮込みスープなのだが、ちょっと好みではなく一口でgive up。サラダとパンのみ食べる。 早く食べ終わったので、外に出て、ちょっと歩いてみよう。何かお店があるかもしれないし。小さな食料品店に入る。お肉や調味料、オリーブの缶詰。アンチョビーなんかもあるが、瓶詰めは危険だし、結局オリーブの缶詰だけを買った。(オリーブだけよりも塩けがあって大人な味だった。) さて、これから6時間かけてグラナダに向かう。やれやれ・・・・・ Pepsiをclick!
April 13, 2008
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バレンシアの夕食。アルコール×の私は迷わずオレンジジュースを注文。まず、前菜にちょっと生ハム。店内に飾っているこれを見ると・・・スライスされてきた生ハムでもちょっとひいてしまうのは私だけでしょうか。まるごと、足・・・つめまでついている・・・・サラダはやっぱりレタスのような葉っぱとトマトなんかをきざんであって、またまたオリーブオイルをかけていただくスタイル。 お昼はパスタのパエリアだったが、夕食はお米のパエリア。私がパエリアとして頭に思い描いているのは海老やムール貝がびっしりのっかってるやつで・・・ちょっとイメージが違う。 「明日も7時の出発ですー!」ああ、そうですね、そうだろうなぁ、移動が7時間もあるし。。。ああ、だめだ・・・横になりたい・・・脚も思いっきりむくんでいる・・・ Pepsiをclick!
April 12, 2008
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昼食をとった後、バレンシアに向かう。バルセロナ→バレンシア 5時間その上、バレンシアの観光もまだあるのだ。(朝、5時に起きて、6時に朝食、7時にはホテルを出発している)きっつーい。とりあえず、バスで寝られるかどうか。乗り物酔いの薬を飲んで寝てしまおう。とりあえず、バスで寝られるかどうか。乗り物酔いの薬を飲んで寝てしまおう。 バレンシアに着いた時にはもう午後6時をゆうに回っていた。まだ明るいけれど、こっちがヘロヘロ。エル.シドが11世紀にバレンシアを奪還してイスラムのモスクを教会に変えたカテドラルは工事中。エル.シドの死後またイスラムに征服される。映画ではチャールトン ヘストン、ソフィア ローレン。近くまで行って、広場あたりをちょっとプラっとする。それにしても、薬を飲んだせいか、朦朧としていて、ここどこだっけ?と思ってしまう。通りかかるお店にはオレンジがたくさん積まれているので、そりゃ、やっぱりバレンシアなんだから、オレンジを食べてみよう。「2個くださいー」 ああ、そうか。英語なんて全然通じないのか。頭も回らないし、元々スペイン語なんてできないので、オレンジを2つ持ってとりあえずかざしてみる。「2kg?」おばちゃん、今、2キロって言った?両手にオレンジを1個ずつ持ってひたすらおばちゃんの前に差し出す。 オレンジはなんだかとっても色が濃くて、ずっしりと重い。味も濃くて甘かった。あ゛ー、眠い。疲れた。早く横になりたい・・・明日はもっと過酷な日程かと思うだけで、頭がクラクラしてくる。 Pepsiをclick!
April 11, 2008
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ヌードビーチ近くのシーフードレストランでランチ。いや、その時はヌードビーチだとは知らなかった。サラダにはドレッシングやソースはかかっていなくて、オリーブオイルをかけて頂くらしい。これから次の都市まで長いのにそんなことはできない。Saltで頂く私。メインはパスタのパエリア。(焼きそばではありませぬ)パエリアを食べているのは日本人だけで、欧米人らしき方々は物も言わず、ムール貝を手で食べている。バケツくらいの鉢に殻つきで入っていてそれを2人くらいで食べつくす。よっぽどおいしいんだなぁ。 どのテーブルも貝を食べているようだ。誰もナイフやフォークは使っていない。パスタのパエリアは・・・私個人の意見ではお米の方がいいかな。お店の前でマスコットと一緒に写真を撮ろうとしていたら、店のおじさんが「おぅ、おぅ」とやって来て、何故か一緒にポーズ。ご丁寧に手までとってくれた。そして、hug,hug。Hugと言うのは・・・こんなにおなかがあたるものなのか・・・・ 店の前の階段をどんどん昇っていくと海が見えてきた。寒いのに結構人はいるものだ。ん? なんか足りないぞ。。。みんなトップレスだ!と、言っても・・・うら若き乙女はいない。もう、大変なことになっている方々ばかり。一緒にいらっしゃる、あなた、ご主人か、boyfriendかわかりませんが、パートナーがB160W180H200の体をそんな風に曝してもいいんですか?止めなくてよかったんですか? 写真を撮ろうとしたら、この人がいきなりツカツカとやってきて、ムシャムシャと何か食べ始めた。そこには私しか座っていなくて、ずーっと端から端まで座るところはあったのに。カメラかまえているのもわかってる筈なのに。あー、ヌードはよく写ってないですね。 Pepsiをclick!
April 10, 2008
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ピカソ美術館を出ると、そのあたりはお金持ちの邸宅があったあたりでお菓子の老舗に入る。 ここで有名なのはトロンと呼ばれる蜂蜜と卵白を混ぜてウエハスではさんだスペインの伝統菓子。ショーウインドウにはおいしそうな物がたくさん並んでいるが、持ち帰れなさそう。全ての物に値段がついていない。 「これ、いくらですか?」「18euro」結構なお値段だなー、箱入りでもないのに。ま、それでも老舗なわけだし、そのへんで買うよりはおいしいのかもしれない。「2つください」165cmくらいのまんまる顔のおじさんが袋に入れてくれる。スーパー袋にがしゃがしゃっと。それにしても、おじさん、そのスイカが入った様なおなか、邪魔じゃないんですか---!アーモンドトロンはずっしりと重い。500gくらいあるのではないか。(帰国後、勿論手では割れず、包丁でも切れず、ハンマーでたたいた。バラバラにはなってしまったが、とてもおいしい。18euroの価値はある。トルコにも似たような菓子があった。) スペインの男性はとても話好きで井戸端会議をするのは男性なのだと言う。確かに、スペイン国内からのツアーとおぼしき団体の男性たちはとにかくずーっとしゃべっていてこの人たちは絵を見ているのだろうかと思うくらいしゃべり続けている。街のあちこちで立ち話をしているのも男性ばかりで、とてもすぐ終わるような感じではない。それがなんだかとっても楽しそうなのでこちらもニヤっとしてしまう。 それにしても、どうしたらそんなになるんだというくらいおなかがすごい。アメリカ人やオーストラリア人の太り方とはまた違ってとにかくおなかが急にボーンと出ている。女性は若い子は非常に肉感的でやっぱりこういうのがsexyというのだなぁと感じる。私は寒くてニットにジャケットを着ているのに、胸の大きく開いたノースリーブなんかを着ている。胸は半分は見えている。さすがですな。お年を召すと事情は変わり・・・ロシア同様、大変なことになっている。あそこまでなる前に自分で気をつけるとか、誰かがとめるとか、そういうことはないのだろうか。 Pepsiをclick!
April 9, 2008
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「アトリエに来なさい。絵を見せよう」「不思議だ、君を描いた気がする」 画家はそう言って女をアトリエに呼ぶ。パブロ.ピカソ2度の結婚、3人の女性の間に4人のこどもを持つ。 38歳。最初の妻はロシアのバレリーナ、オルガ。46歳。17歳のマリーテレーズとの間に娘をもうける。オルガと結婚しつつ、マリーテレーズを持ち、ドラと出会う。ゲルニカ製作中、マリーテレーズとドラがアトリエで鉢合わせとなり、彼女らが「どちらかを選んで欲しい」とせまったところ、「君達が戦って決めろ」と言った。 61歳で21歳のフランソワーズと会う。1男1女をもうける。ドラは精神を病む。この絵のモデルはドラ。浮気癖と横暴さに嫌気がさしたフランソワーズは彼の元を去る。(既にジャクリーヌとの関係は始まっている)「俺から去れば、そこは砂漠だ。君は生きていけない」お金も渡してなかったのに??パロマ.ピカソはフランソワーズの娘。フランソワーズは「life with Picasso」と言う本を出した。 その後映画化されたのがアンソニーホプ゜キンス主演「サバイビング.ピカソ」フランソワーズの去った後、ジャクリーヌと結婚。 しかし、この前後にジュヌビエーヴがいる。彼女は近年、ピカソからもらったデッサンをオークションにかけ、2億を手にした。ジュヌビエーヴの言葉より「ピカソという太陽に焼き尽くされる生贄として、喜んで身を捧げる。ピカソとの情事を通して、彼の太陽に焼かれ、灰にされることの方が、ピカソの軌道の外で生きるよりもまし」え?!ピカソの死後、マリーテレーズとジャクリーヌは自殺を遂げた。 そんなことを考えながら、ピカソ美術館を出る。ピカソ美術館のスタッフは、髪はぼうぼうの起きたまんま、洗っている風でもなく、ワイシャツはノーアイロンの極しわしわ、ネクタイはしみだらけ、もうちょっとなんとかならんのかー! アントニオ.バンデラスは。。。いない。 Pepsiをclick!
April 8, 2008
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ガウディは生涯独身だった。きっとそれは・・彼が望んだわけではない。「結婚は天命ではなかった」と弟子たちに語っていたガウディだが、少なくとも3度の恋は実らなかった。ぺピータ.モレウ30歳代のガウディはシルクハットにモーニング姿、馬車で建設現場を回るほどおしゃれだった。ぺピータとの結婚を夢見ていたものの、彼女には別の結婚話が進み、×ジョセフィーナ敬虔なカトリック信者で「神に全てを捧げる」と尼僧になる。×フランス女性出会った時には既に婚約者がいた。×彼女との約束「地中海をイメージした建築」はカサ.ミラである。40代の時、信仰に目覚め、それまでの人生を懺悔。40日間の断食を決意し、2週間後に半死状態となる。60代から教会の下に住み込み、着たきり雀、ほこりだらけの浮浪者のようになる。72歳 路面電車に轢かれ死亡。浮浪者だと思われた為、病院での処置は遅れた。ローマ法王の特別許可により、遺体はサグラダ.ファミリアに埋葬。 Pepsiをclick! blogrankingに参加しています
April 7, 2008
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グエル公園とは・・・もともとはガウディが設計した分譲住宅であった。 計画では60軒だったはずが・・・・ 売れたのは・・・なんと・・・3軒。それも買い手はガウディ自身とエウセビオ.グエル伯爵と医師1名。芸術とは・・・理解しがたいものである。素晴らしいと思っても、そこに住みたいかどうかはまた別の問題でもあり・・人に優しいコンセプトだったらしいのだが・・台車を押している男性の向こうにまあるい石が並んでいますね。「きゃぁ」と言う声で振り返ると日本人女性が思いっきり転がっていて、眼鏡のフレームは曲り、手は血だらけ、pantsは破れ・・・この石に躓いたから。公園までのスロープはちょっと妙な感じの柱廊であり・・夜、怖いと思うんだけど。これまた妙な具合の憩いの広場であり・・・自然とは融合するつもりはないと思われ。近くで見るとモザイクの装飾がなかなか綺麗ではあったものの。。 ここで一番気に入ったのは、おとぎ話の様なこの家。ヘンデルとグレーテルのお菓子の家はこんな感じだったのかと思わせる。 可愛い。素敵なのか、素敵じゃないのか微妙なスタイル。音響効果はいいらしく、たくさんのミュージシャンが集う。 Pepsiをclick! blogrankingに参加しています
April 6, 2008
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バルセロナのシンボル、サグラダ.ファミリア。(聖家族教会)朝のバルセロナはかなりひんやりしている。予報ではmax20度になるはずだが、今は10度以下だと思う。この真下に高速鉄道が通る計画がある。(スペイン←→フランス)ただでさえ、不安定そうなこの教会の真下にトンネルを作るなんてどうかしてる。教会側は取りやめを求めたが、なんと建設変更にあたり市の許可をとっていないことが判明。1885年から無許可のままの建設が続いている。崩落の危険性があってもトンネルなのか・・・既に90M級の尖塔が8本、170Mの塔の建設予定さえあるというのに。贖罪の為の教会なので、建設資金は全て寄付、お布施で賄われている。 鐘楼へはエレベーターで行くことができた。よかった。そこからは市内が一望できる。さらに上へ階段で行けるようだ。てっぺんに黄色のつぶつぶが。ぶどう=豊穣を意味していると聞いたような気もするが怪しい。そもそもつぶつぶは黄色でぶどうの色ではない。はたはたの卵のような、とうきびのさきっちょのような。内部には玉子をイメージした柱が並ぶ。他のヨーロッパの教会内部を想像してはいけない。ここは・・・建設現場。 白っぽい粉が舞い散り、加工された石が無造作に積まれ・・(マスクしてる団体もいる。ここを出たときにはジャケットが白くなってた)父はここに入った瞬間「なんだこれ」と言ったそうだ。スペイン内乱の時、ガウディが作った大模型は木っ端微塵となった。弟子たちの資料も消失。各時代ごとの建築家がガウディの構想を推測しながら建設を続けている。 と、言うことは・・・もしかして、ガウディはぎょっとしているかもしれない。 Pepsiをclick! 人気blogrankingに参加しています。
April 5, 2008
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4月ルフトハンザ、フランクフルト経由でバルセロナに向かう。私的にはスペインと言えば、ロエベと、パエリアと、ファン.カルロス一世と、 アルハンブラ宮殿。 こんな知識でいいのか・・・スペインの旅は、それはそれは過酷で、今までの海外旅行の中でもっとも疲れた。ヨーロッパ勢の友達は日程を聞いて、みんな「crazy!」か「You will be dead tired」と口々に言った。あなたたちは2週間、1ヶ月とお休みをとれるかもしれないけど、私は日本人、働いている日本人なんですよっ!でも・・・・それは本当だった。彼らはヨーロッパを知っている。スペインは広く、それを8日間で回ろうとすれば、当たり前なのだが、毎日の移動時間が半端じゃない。これからスペインに行こうと思っている方々、人は皆、年をとります。少しでも早く行っておいた方がいい・・・・ Pepsiをclick! 人気blogrankingに参加しています
April 4, 2008
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