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萌園の闘病日記 いくつもの難病を抱え奮闘中
第1章(2) 重症筋無力症との闘い
重症筋無力症との闘い
1971年2月 発病
眼瞼下垂、複視が出る(眼筋型)
母が私の眼の異常に気がつき近くの眼科(個人病院)に連れて行く。
「ただの疲れ眼でしょう」と言われ、そのまま帰宅。
1971年3月
疲れやすくなり、手足の力が入りにくくなる。
眼の症状も進行し、瞼が上がらなくなる。
眼科に連れて行っても医者は首をひねるばかりで病名も原因も不明。
心配になった母は父親(祖父)に相談し、祖父のかかりつけの眼科に行くことになる。
当時私は静岡県御殿場市に住んでいて、祖父は焼津市(当時の志太郡)に住んでおり、
眼科は藤枝市にあった。嵐のような雨風の中、母とその眼科に行ったのである。
その眼科医がたまたま重症筋無力症の事を知っており、病名が判明する。
「大変な病気なので、すぐに東大付属病院を紹介しますから行って下さい」と
言われ、紹介状をもらって帰る。
1971年4月
東京大学医学部付属病院に紹介状を持って母と二人で病院に行く。
小児神経内科を受診することになる。
そこでテンシロンテストを行い、「重症筋無力症」と診断される。
遺伝子の関係もあるからと、家族(父、母、姉、私)4人で同じ血液検査を受けるが
私以外に免疫異常の人間はいなかった。
当時重症筋無力症は死の病と言われており、母は長く生きられないかもと絶望したと言う。
このとき主に受けた検査は
血液検査
テンシロンテスト
筋電図
の3つだった。筋電図は機械が出来初めの頃で、金網の折の中に入れられ
恐怖心から泣き叫んだ記憶がある。
刺激の痛みも今より強烈で、子供だった私はその痛みにも泣いたのだが。
1971年5月~1976年3月
東大付属病院に週2回通院する。
このときはステロイドは使わず、メスチノン、マイテラーゼを服用していた。
眼瞼下垂は治らず、思春期を迎えつつあった私は、とても悩んだ事を覚えている。
1976年4月~1986年10月
東大の主治医が近くの総合病院に一月に1回、予約制で診察することになり転院する。
マイテラーゼを服用していたが、1981年に潰瘍性大腸炎を併発したため
ステロイドも服用することになる。
1987年は比較的元気で、個人の耳鼻咽喉科で医療事務の仕事をしていた。
9月頃から、嚥下障害が出始め、症状が悪化する。
10月、食べ物が度々飲み込めなくなり、胸腺摘出手術をする事を主治医に勧められる。
1986年11月17日
重症筋無力症の症状の悪化が進んだため、胸腺摘出術を受けるために
順天堂大学医学部付属病院(脳神経内科)に入院。
ステロイドの大量投与が始まる。
プレドニン20ミリグラムの時に初期増悪が起こり、嚥下障害が著しく悪化
食べ物が食べられなくなる。
1987年1月8日
胸腺摘出手術を受ける。
手術のストレスのため、さらに症状が悪化。
ステロイドを限度まで増やし、隔日120ミリグラムになるが症状が改善せず。
血漿交換を行う。(3日間を1クールとし5クール行った)
血漿交換後は一時的に回復し、普通の人と同じくらいに
行動できるようになるが、1ヶ月くらいで元に戻ってしまった。
血漿交換を行うたびに、低栄養状態になり、貧血もひどくなる。
赤血球の値が正常値の半分以下になり、輸血を受ける。
1988年12月
5回目の血漿交換を終えて、ようやく退院となる。
1年1ヶ月に及ぶ長期間の入院であった。
1988年5月
順天堂大学医学部付属病院に再入院する。
教授が交代し、治療方針が変わっていたため、化学療法よりリハビリ療法を重視。
退院するまでの2ヶ月間、リハビリに励む。
1988年7月
順天堂大学医学部付属病院退院。
1988年8月
静岡赤十字病院神経内科、国立静岡病院神経内科に転院。
国立静岡病院にて、38年間の闘病生活の間で私と母が最も信頼した医師、U先生と出会う。
U先生は重症筋無力症の権威で、東大医学部の名誉教授でもあった。
1989年3月
国立静岡病院神経内科に気管支炎のため、入院。
炎症反応を表す、CRPの値が高く、抗生物質を使っても
なかなか下がらず、重症筋無力症の症状も悪化。
プレドニン、メスチノンに加え、ウブレッチドも服用するようになる。
1989年4月
国立静岡病院神経内科を退院。
以後、1997年11月まで静岡赤十字神経内科に入退院を繰り返す。
入院中の主の治療は
ステロイド大量投与(連日60ミリグラム)
パルス療法(ステロイド1000ミリグラムを点滴。3日間を1クール)を3クール行う。
重度の貧血で(Hbの値が5まで下がる、正常値は12.0~18.0 g/dl)入院した時は
輸血3回と鉄剤の点滴を1ヶ月続ける。
2004年 5月
信頼していたU先生の退職に伴い主治医が変わるが、その主治医の患者に対する扱い方
などに不満を持ち、また信頼も出来ずに2年間通う。
2006年 8月
通院する病院をひとつにしたいとの理由で、藤枝市立総合病院神経内科に転院する。
建前は、病院の統合だが、本当の理由は主治医との信頼関係が築けず、通院が苦痛になったためだ。
2007年2月
藤枝市立総合病院神経内科に入院。
嚥下障害が悪化し、食事が出来ず体重が著しく減ったため
体力の回復と薬の調節のための入院。
入院した時はプレドニン15ミリグラムだけだったが、メスチノンを追加
プレドニンも20ミリグラムまで増量した。
2007年3月
藤枝市立総合病院神経内科退院。
2009年 2月
藤枝市立総合病院神経内科再入院。
嚥下障害が悪化し、クリーゼを起こす。
挿管し人工呼吸器をつける必要がなかったことので
自宅療養となる。
しかし、2月から3月まで生死の境をさ迷っていた。
奇跡的な回復をし、以来リハビリに励む毎日である。
現在、プレドニン25ミリグラム、メスチノン3錠で、何とか症状のコントロールが出来ている。
ただ変動が激しく、一日の間でも症状が悪化することもあり
また日によっても変動するので、薬の調節が必要なのかもしれない。
自分が信頼できる医者にめぐり合うまで、病院を転々と巡り歩いたが
現在、ようやく信頼できると思える主治医に出会うことが出来た。
闘病生活を送る上で、医者との信頼関係はとても重要だと思う。
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