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萌園の闘病日記 いくつもの難病を抱え奮闘中
第7章 心の病
病名は
神経性食思不振症
と
境界性人格障害
でした。
神経性食思不振症とは…
摂食障害の一種である。一般には拒食症(きょしょくしょう)とも言われる。
若年層に好発し、ボディ・イメージの障害(「自分は太っている」と考えること)、
食物摂取の不良または拒否、体重減少を特徴とする。
神経性食欲不振症、神経性無食欲症、思春期やせ症とも言う。
症状
●極度の体重減少
●女性の場合、無月経
●活動性の上昇、易興奮性、睡眠障害
●抑うつ症状
●食物への興味の上昇…しばしば料理関係の情報を収集する
●強迫的な思考
●自傷行為
●手掌・足底の黄染(高カロテン血症)
●低血圧
●低体温
●徐脈
●便秘、腹痛
●電解質代謝異常、特に低カリウム血症
●骨粗鬆症
●続発性甲状腺機能低下症
●色素性痒疹…胸や肩などの痒みの強い発疹が出現する皮膚疾患
治療
入院・外来での疾患教育、認知行動療法や集団療法などの心理療法、
薬物療法、家族のカウンセリングなどが中心となる。
境界性人格障害とは…
不安定な自己-他者のイメージ、感情・思考の制御の障害、衝動的な自己破壊行為などの特徴がある。
界性人格障害から境界性パーソナリティ障害と変更されている。また、ボーダーラインと呼称される事もある。
診断基準
●現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気違じみた努力。
●理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式。
●同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像または自己感
●自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも二つの領域にわたるもの
(例:浪費、物質乱用、無謀な運転、むちゃ食い)。
●自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰返し。
●顕著な気分反応性による感情不安定性
(例:通常は2、3時間持続し、2、3日以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気分、いらいら、または不安)
●慢性的な空虚感
●不適切で激しい怒り、または怒りの制御困難
(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのケンカを繰り返す)。
●一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状
治療
薬物療法と精神療法が基本になります。薬物療法は、抗不安薬、抗うつ薬、抗精神病薬が使われます。
また、精神療法については、精神科医によって違ってきますが、精神分析療法、認知行動療法、行動療法などが
使われることが多いようです。
神経性食思不振症、境界性人格障害との闘い
1996年 発病
主人と籍を入れる前から、同居を始めました。
同居を始めて生活環境、生活の時間帯の急激な変化についていけず
大きなストレスを毎日感じるようになり、不眠から始まりました。
食生活も大きく変わり、私は体重が増え、主人と知り合った頃より
太りました。もともと痩せている方だったので、体重増加を気にしながらも
「これくらいが丁度良いかも」と思っていたのに、主人が
「太ったよね…」と言ったのをきっかけに痩せようと思い、ダイエットを始めました。
そのうち、痩せることが大きな喜びになり、太ることが恐怖に感じられ
一口の水でも太る気がして、吐くようになりました。
私は高校3年生の時、体重が64キロありました。
薬の副作用もあったと思いますが、1日5食食べていたのが肥満の原因だったと考えられます。
当時、私は夏休みの前まで、男子バレー部のマネージャーをしており
朝食、昼食(お弁当)、授業が終わって部活が始まる前かあるいは部活が終わって家に帰る前に
買い食い(購買でパンを買う、学校の近くのファーストフード店でハンバーガーなどを食べる)
部活が終わり、家に帰って夕食、そして一応受験生であったため夜食を食べる…。
このような食生活を送っていたのです。
でもウエストが70センチ以上になり、年頃だった私はおしゃれも出来ないことに悩み
3年の夏休み、ダイエットを実行しました。
当時は重症筋無力症の症状も落ち着いていて、普通の人と同じ生活が出来ていたし
体力もそれなりにあったので、無茶なダイエットをしても身体がついていってくれました。
完食を止め、一日3食にし、週刊誌に載っていた美容体操とヨガを朝晩30分続ける。
食事は徹底的に油抜きしたおかずにおかゆか雑炊と脂肪、炭水化物をとらないようにしました。
たんぱく質は出来るだけ取るように心がけていたので、比較的健康的なダイエットではなかったかと思います。
夏休みの1ヶ月と2週間で、見事体重-12キロ、ウエストも10センチくらい細くなり
2学期の通い始めは学年全員から注目されました。
太っている時には男子から声も掛けられなかった私が、急にもて始めました。
女子からもダイエットの秘訣などを聞かれたり、急に交際範囲が広がりました。
多分、私は優越感に浸っていたと思います。
「太っているより痩せていたほうが、人から好かれる」と言う考えが心の隅に焼きついてしまったのです。
今考えると、このことが結婚してから太ったと言われた時、摂食障害を発病した引き金になったような気がします。
「太るとまた以前の様に人から相手にされなくなる。主人にも嫌われてしまう」
そういう恐怖心があったと思います。
極度の体重減少、活動性の上昇、易興奮性、睡眠障害、強迫的な思考 、自傷行為
これらは神経性食思不振症の特徴的な症状ですが、このときすでにこの症状が出ていました。
抑うつ症状も出始め、治したい、治さなくてはいけないと思いつつも
吐く事をやめられず、一日に何回も体重計に乗っていました。
そのうち、食べたい欲求に駆られ、食べたいものを大量に買ってきて
過食し、すべて食べ終わった後に、水を大量に飲んですべて吐き出すという
行為に走るようになりました。食べては吐き、食べては吐きの繰り返し…
吐いたあとは自己嫌悪と罪悪感にさいなまれ、死にたいと思うようになりました。
そして自傷行為を繰り返すようになったのです。
私の場合、リストカットは1度もせず、精神安定剤や睡眠薬を持っているだけ
飲んで自殺を図るというものでした。
1997年1月
藤枝市立総合病院心療内科入院
吐き続け、吐くのに疲れると、大量に安定剤と睡眠薬を飲むことに疲れた
私は、心療内科にかかる事を決意し、自分から心療内科の扉を開けました。
でも、摂食障害の事は主治医に言えず、極度の不眠を治したいと
入院をお願いしました。
3月に主治医の転勤に伴い、主治医が変わりました。
その主治医に摂食障害を見つけられ、治療が始まりました。
体重が私が生きていける体重より極端に少なく
また栄養状態も最悪だったため、食事と点滴で体重増加、栄養状態の改善をしました。
IVH(中心静脈栄養法)
で高カロリーの点滴を24時間
持続でしていました。ひとつの点滴のカロリーが2000カロリーある点滴です。
食事はまずは量が少ない糖尿病食を食べました。私の場合、一日の総カロリーが1200カロリーの
食事を与えられました。当時の目標は体重を最低限度の体重に増やす、食事は完食することでした。
また買い食いをしないようにするため、行動療法といってお財布を看護師に預け
売店などに買い物に行く時、母からお金をもらった時など、逐一報告し
お金をもらったり預けたりしていました。
体重が目標体重になったとき、点滴を減らし、減らしても体重が維持できれば点滴終了
点滴がなくなっても2週間以上体重を維持できれば退院
それが主治医との約束でした。
半年の入院生活を送り、やっと目標体重を維持できるようになった私は退院となりました。
食事も少ない量ですが、病院から出る食事は毎日完食出来るようになっていました。
もちろん食べたものを吐く事も止まり、もう大丈夫と思えるようになっていました。
治療がうまく行き、順調に回復してきたように思われると思いますが
私は入院中、一度だけ自傷行為をしました。
IVHを自分で引き抜いてしまったんです。
この点滴は太いカテーテルが心臓近くまで挿し込まれていて
抜く時は医者がやらないと大変危険な点滴です。
それを医療に素人の患者が抜いてしまったのです。
抜いてしばらくして、息苦しさを感じ思わず看護師を呼ぶため
意識が朦朧としている状態でナースコールを押していました。
肺に穴が開き、一時は絶対安静、また家族以外は面会謝絶となり
再びIVHを始めた時は、しばらくは看護師の監視の目が厳しかったです。
後から仲の良い看護師に「○○さんは要注意人物だったんだよ。危険人物と思われていたんだから」と
言われてしまい、自分でもそうだろうなぁと納得してしまいました。
1997年7月
藤枝市立総合病院心療内科退院
1997年9月
藤枝市立総合病院診療内科再入院。
治療はIVHと食事療法で、行動療法は行いませんでした。
この入院では同室の患者にいじめを受け、強いストレスと極度の寝不足により
度々過呼吸を起こしパニックを起こしていました。
結局、また自分でIVHを引き抜き、今度は本当に死のうと病院の8階の窓から
飛び降りようとしました。でも入院中に知り合った友達が私の異常に気がつき
私の後をそっとついてきて、飛び降りる所を必死で止めてくれました。
病室に戻り、看護師と主治医にその事を話してくれたのもその友達です。
母親が病院に呼ばれ、主治医と話し合った結果、退院することになりました。
主治医は「強制退院させる」と私に話しましたが、母の話を聞くと母のほうから
「家に連れて帰ります」と言ったそうです。主治医は「今家に帰ればこの子は死にますよ」と
いったそうですが、母は「そうなった時は、それがあの子の寿命だったとあきらめます」と
答え、私を連れて帰る事を決めたそうです。
1年通院を続けましたが、主治医の事を信用できなくなっていた私は段々心療内科から遠ざかり、
1998年12月の診察を最後に心療内科の通院はやめてしまいました。
以後1年間は自宅で食べては吐く、薬を大量に飲むなどの自傷行為を繰り返していました。
そして2000年3月、溜め込んでいた相当量の睡眠薬安定剤を飲み、自殺を図りました。
自宅で飲んだのですが、いち早く異常を察知した母が病院に連れて行きました。
病院に着いたときは、呼吸停止、心停止になっていたそうです。
救急の担当の医者が、たまたま私を知っている医者で、必死の蘇生を試み
命を救ってくれました。
38年間の闘病生活の間にかかった病気の中で一番暗く辛かった病気です。
心の病は自分をだめにするだけではなく、家庭、家族を壊すと思います。
私が挿管して人工呼吸器をつけても、点滴を4本ぶら下げて点滴のみで
生きていても、泣き言ひとつ、弱音ひとつはかなかった気丈な母が
この病気の時は弱音を吐きました。
治療を必要としなくなったときに、初めて母の本音を聞きました。
「治ったから言うけど、あの時は地獄を見ているようだったよ。
○○(私の本名)の首を絞めて殺して、自分も死のうかと思ってた」と。
思い悩んでいたのは私一人だけではなかったのです。
2009年7月16日追記
頭の病気が判明して、手術を受け激しかった頭痛が治った途端
神経性食思不振症と境界性人格障害の症状がぴたりと止まりました。
脳神経外科の医師たち全員(6人いました)私の心の病の事は知っていました。
心療内科で処方されていた薬を見て、「多すぎる」と言い(十種類以上の
精神安定剤と睡眠薬を服用していました)どんどん減らしていって
脳外科に入院する時には安定剤1種類、睡眠薬2種類にまで減りました。
外科の医師でありながら、心のケアもしてくれて悩みも聞いてくれました。
いつも明るく接してくれ、冗談っぽく
「吐くのは厳禁ね」「薬は自分で管理しなくちゃね」
など、いつも声を掛けてくれました。
心療内科に入院しても治らなかった心の病を治してくれた
脳外科の医師たちに、心から感謝しています。
心の病はふとしたことがきっかけで治るとその時思いました。
そのきっかけを見つけられずに、治せずに苦しんでいる人たちが
沢山います。そういう人達が一日でも早く、立ち直るきっかけを
つかめるといいなと思います。
今でも、落ち込みが激しくかったり、一人で悩んで追い詰められたと
感じた時薬に逃げてしまいたいと思う事はあります。
でも、助けてくれた医師たちの顔と言葉を思い出し、思いとどまれる
ようになりました。
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