【ゆるしの40日--DAY1--】

ゆるせない苦しみ
「どうしても、ゆるせない・・・」もしかして、あなたは、そんな風に苦しんではいませんか?
「ゆるせない」、という気持ちは、長い歴史の中で、人類の抱える大きな悩みの一つです。
何がつらいって、「もう、絶対にゆるせない!」と思うたびに歯ぎしりをし、怒りに燃え、たくさんの時間とエネルギーが消耗され、疲れ果ててしまうこと。そんな経験はないですか?
聖書はこのように諭しています。
「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。」
(エフェソ4:26)
「そんなこと言ったって、なかなかできないですよ・・・」というのが、誰もが持つ正直な気持ちかもしれません。
でも、ここで誤解して欲しくないのは、「絶対に怒ってはダメ!」、と言っているのではない、ということです。
「怒り」は神様が与えてくださった、大切な感情の一つです。誰かがあなたに危害を加えようとしたとき、怒ることによってその攻撃を遠ざけて、あなた自身の身の安全を守るためにはとても重要な能力なのです。
この御言葉が教えていることは二つのポイントです。
1.怒ってもOKだが、罪を犯してはならない。
これは、怒りに身を任せて、悪意をもって復讐をしたり、罪を犯したりしてはいけませんよ、と教えています。
ですから、そのことをエフェソ4:32では、 「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい」
と勧めているのです。
悪意を持つと、心にはムラムラと復讐心が芽生えてきます。「仕返しして、同じ苦しみを味わわせてやりたい!」と、さらに怒りが燃え上がってしまうパターンです。
しかし、もし物理的に仕返しをすれば、相手を傷つけるばかりでなく、自分自身もさらに傷つき、関係ない周囲の人々までそのトラブルに巻き込んでしまうというマイナスのスパイラルに落ち込んでしまう危険性があるのです。
聖書には 「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」
と書いてあります。これは、あなたが神様の前で正しく立ち振る舞っているならば、神様はあなたを最期まで守ってくださる、という心強い約束です。
もし、あなたに対して悪意をもってひどいことをした人がいれば、その人は神の御前に立たされて裁きを受けなければなりません。 罪を裁くことができるのは神様だけです。罪を赦す権威をもっているのも神様だけなのです。ですから、あなた自身の手で罪を犯すのではなく、正しく裁かれる神様にゆだねることが寛容なのです
。
「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。」 (IIコリント5:10)
2.怒ってもOKだが、 怒り続け
てはいけない。
聖書が、 「日が暮れるまで怒ったままではいけません」
と言っているのは、怒り続けているせいで疲れ弱り果てているあなたを、その苦しい状態から助け出すための神様の知恵です。
怒り続けることは、例えるならば、暴れるライオンにしがみついている状態に似ています。怒り続ければ、傷つき続けるのです。あなた自身を守るためにも、時が来たら、早いうちにその怒りを手放した方が無難なのです。
いずれにしても、怒り続けて、罪を犯してしまうことは、 「悪魔にすきを与えること」
(エフェソ4:27)であり、 「神の聖霊を悲しませる」
(エフェソ4:30)という結果になってしまうことを十分に心に留めておくべきです。
怒ること自体は罪ではありません。しかし、怒り続けることで、自分自身を痛めつけてはいけません。また、怒りに任せて罪を犯してはなりません。それは、神様があなたを愛するゆえの、切なる勧めなのです。
「神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。」 (ヘブル6:10)
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