こころの宴(うたげ)。    

こころの宴(うたげ)。    

りんごのうさぎ


「りんごのうさぎ」

その頃、僕の弁当箱にはりんごのうさぎが住んでいた。

会社でのつかの間の昼休み。
「飯、食いに行こうぜ」という同僚たちを横目に、
僕はりんごのうさぎといつもにらめっこだった。

「いつも弁当作んの大変だろ? 明日は近くのラーメン屋にでも行くよ。」
君を強く抱いた後、少し風邪気味の鼻をすすりながら僕はそう言った。
「ううん、全然大変じゃないよ。っていうか、いつも明日のおかずは何にしようかなって考えるのが最近楽しみなんだよ。」
君は乱れたパジャマの襟を直しながら、その長い髪を軽くかきあげた。
「それに今日もお弁当作れて良かったなぁって、いつも思うから。」

君はお世辞にも料理が美味いとは言えなかった。
それでもつき合い始めた頃に比べれば、腕も知識も格段進歩したことは認めよう。
君と出会った頃、君がまさか「サンマ」と「イワシ」の区別もつかないなんて、
北海道の港町生まれの僕には到底理解できないことだった。
「どっちも焼けば同じようなもんでしょ?」

クリスマスケーキを自分で作るって君が言い出した時も楽しかった。
「こう見えても、高校の時にケーキ屋でバイトしてたことあるんだから。ふふふ。」
「・・・どうせレジか何かだろ?」
「・・・」
「・・・図星か・・・。」

そして、その年のクリスマスイブはまるで年末の大掃除が早めにやってきたような忙しさだったわけで。
でもおかげで、この世にたったひとつしかないケーキを二人で食べることが出来たんだよね。

初めて君が弁当を作ってくれたくれた朝の事ははっきりと覚えている。
照れた顔して君が差し出した弁当箱は
僕にとっては少し小さいサイズだったけど、
何だかムズムズするような嬉しさが詰まっていた。

そして確かその日からだ。
僕の弁当箱の片隅に、りんごのうさぎが住みはじめたのは。

赤いウサギ、みどりのうさぎ、甘いうさぎ、すっぱいうさぎ。

全部のおかずを食べ終わった後、隠れるところを無くして恥ずかしそうにこっちを見てる、そんなうさぎ達は、いつも僕を笑顔にしてくれた。
でも今思うと、あの愛くるしいうさぎ達は、きっと僕を見張るために君が仕掛けた監視役だったのではないか。
いつだったか、秘書課の女の子にちょっと声をかけたとき、
弁当箱の入ってるバッグがモゾモゾ動いたような・・・。
案の定、その日、家に帰ると「なーんか浮気の匂いがする・・・」だって。
それから昼休みにりんごのうさぎを食べる時は、毎日かかさず
「今日も愛してるから」と声をかけるようにしていた。

いつだったか僕が弁当箱をいつものように開けると
りんごのうさぎの横に、ウィンナーのタコがちょこんと座ってたこともあった。
一口食べてみると、タコにはうさぎの味がちょっとだけして、
うさぎにはタコの味がちょっとだけした。
なんかまるで、愛し合った次の日の朝、お互いの髪が同じ香りになった僕たちのようだと思った。

洗面所にある僕の歯ブラシが4本目に変わった頃、
僕は「結婚しようか」と言った。
君は何も言わずにただ笑っていた。


それからしばらくして僕達は別れた。
君はせっかく「サンマ」と「イワシ」の区別がつくようになって
二人でレシピ見ながら苦労して作ったシーフードグラタンも、
一人で上手に焼き上げることが出来るようになったのにね。
君のキスが目覚し時計の代わりだった僕は、その電池が切れてしまってから
いつも遅刻ばかりしている。
まだしばらくは新しい目覚し時計は買えそうにないね。

そして君がいなくなった日から
僕の弁当箱のりんごのうさぎがいなくなった。
うさぎはさみしいと死んじゃう動物らしいけど
賢い賢いりんごのうさぎは、さみしさのあまり死んでしまう前に、どっかに逃げ出してしまったらしい。

今頃、どこの誰の弁当箱に住みついているんだろうね?






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