光のはしら通信

光のはしら通信

2021.05.30
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自分が何故保育士になろうと思ったのか長い間自分でも謎だったけれど

理屈ではなく直感だったんだなあと改めて思う。

学生時代を私は満喫しきっていたけれど
恐らくだからこそ
ある時から自立への強い欲求が湧き、仕事というものを持ちたくなった。

進学を選択したのもそのためで、自分が何を為す人になるかを決める前に
まだ何者でもない立場で、視界を広げることをしたかったからだ。
そして仕事を持ちたい気持ちが湧いてからというもの、自分に問い掛け続けた。

どんな仕事なら、人生の大半を費やす仕事において打ち込む気になるのかを。



子どもと接する場面があったわけでもなく、そういう人が身近にいたわけでも、そういう本や話や映画などに触れたわけでもなく
まるで気まぐれみたいだったけれど
その思いは小さな消えない炎となって、私の中にあり続けたのだから。

敢えていえば、私は子どもに初めから興味があったわけではないけれど、その頃子どもの本を読むのか好きだったということはあるかもしれない。

または母性というか、親性の変則形という側面もあったかもしれない。

というのは、私は自分の子どもを持ちたいという欲求に駆られたことがない。

それは、血筋というものが自分にはちょっと生々しいというか、きつ過ぎたからで、

それでも動物的な?母性または親性を注ぎたい欲求はあったのかもしれず
それが保育の仕事に就きたい思いとなって現れたのかもしれない。

その頃保育園と幼稚園の違いも知らなかったが

友達に話したところ、


実際調べてみて、保育園と幼稚園では管轄が異なることを知り
保育士の方は学校に通い直さなくても国家試験でも資格を得られるとわかった。

既に大学4年生だったので、再び学校に通う気はなかった。

ちなみに私は一般的な就職活動といものをしたことがなく、大学の進路指導やら進路相談やら就職説明会なども受けたことがなく

自分のやりたいことが一般企業にはないことだけははっきりしていた。



保育士になったことは親には事後報告で、父親には、大学まで行かせて子守かよと嘆かれはしたけれど

あなたの娘は大学へ行かせてもらえたことも、まわり道をして保育士になったことも本当に感謝しているし、満喫して、幸せな人生を歩んでいます。

と、亡き父に言いたいところだ。

大人になって思えば裕福な家庭というほどでは全く全くなかったのだが、結構ちやほやと

物資的にもメンタル的にも豊かに育てられたせいか

元々物欲のない子どもだったらしいのでそれもあるかもしれないが

そっちの世界はもうお腹いっぱいというか

育ちのその反動が物凄く出てしまい

自分でも何様?と思うのだけど

ずっと貧乏が憧れだったので

大人になってからは、ギリギリのお金で何とかやり繰りせざるを得ない状況になるほどワクワクしてしまい

それをイベントとして楽しめてしまうので

お金がない時も楽しかったし

お金を得る大事さもだんだんわかってきたお陰で、そっちも楽しめるようになった。

その頃は世の中の景気がよくて、認可園の給料は公立に準じていたし

私は保育科卒でないにも関わらず大卒待遇にしてもらえたし

着々と昇給もしたし

転職しても元の園で昇給した給料をそのまま引き継げたので

今より全然恵まれていたとは思う。

ボーナスも退職金も気前がよかったし

給料からの天引き率が今では考えられないほど低かったので
手取り額がとにかくよかった。

仕事も正規職員の数が充実していたので質が保たれていたし

それから私の記憶違いでなければ

昔の8時間労働は8時間のその中に休憩時間もきちんと含まれていたので

仕事量的にもかなり余裕があった。

要するに、税金でまかなわれている保育士の待遇というのは、社会の景気とかなり密接に直結しているのだ。

といっても、当然のことながら、無認可園や未認可園はその頃でも給料ががくんと低く、仕事内容的にもきつい面はあったが

なにしろ若くて体力もあったし
好奇心も旺盛だったので

そういう園で働くのも好きだった。

給料面は結構どうでもよかったし

そういう園では子どもの境遇が多彩で認可園では出会えないような子どもと接することができたので、面白かったのだ。

その頃は国家試験で資格を取る人はそれほど多くなかったし、保育士の退職率や転職率も低かったので

私のように社会に出てから資格を取り、様々な園を経験したというのも当時はレアケースだった。

それこそ無認可のベビーホテルから家庭保育園(保育ママの補助)、ベビーシッター、スポーツクラブの保育所、公立私立の認可保育園、ダウン症の子の保育など、何でもやった。

そんな風にして得た、念願の保育士生活だったけれど、ある保育園を6年ほど勤めたある時、

0歳児クラスで担任を持った子どもたちが卒園するタイミングで

これまた突然閃いてその年度いっぱいで退職した。

新しいことが始まる予感があったけれど何もしない時間というのも体験したくて

失業手当が出終わるまでの1年間は何もせずのんびりしようと思った。

でも半年も経たないうちに新しい世界と出会ってしまった。

それがスピリチュアルな世界で、
失業手当が切れてしばらくは保育士を再開しながらヒーリングを学び

ヒーリングセッションで開業してからは13年間それで生計を立てていた。

もう二度と保育園には戻らないだろうと思っていたのに

再び私は保育士をしている。

以前にも増して新鮮な思いを持って。

保育とヒーリング、この2つの仕事に出会えたことは、私にとって人生における大きな幸せの1つだと思っている。





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最終更新日  2021.05.30 11:47:47


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