独り言 反 女権主義

独り言 反 女権主義

男女共同参画


ホームページをみると
女性のチャレンジ
女性の配偶者からの暴力
とおよそ「男女」共同参画とはいえないような
表示が並んでいるが男女共同参画局=フェミニズムの巣窟
=女権主義者の巣窟なのでしょうがないでしょう。

フェミニズムを行政から排除するか
男性の人権を積極的に守ろうとする人間
がフェミと同数入らない限りこの不平等はなくならないだろう。

さて男女共同参画での中で
特におかしいのが
「アファーマティブアクション」

これは「機会の平等」ではなく「結果の平等」
という点でフェミニスト以外からは大体反対されている。
というか男は大体反対するし賛成者は女が多いだろうな
(女に得だから)

さてフェミニストは普段から性差の違いは認めるといってるが
アファーマティブアクション(以後AAとする)は
そもそもフェミニズムが性差を認めないことをよくあらわしている。


AAを支持するフェミニズムの言い分は「男と女はフェアに
競争すれば管理職の数も政治家の数もだいたい一緒になるはず」

=>「でも現在数は圧倒的に男が多い」

=>「おそらくまだ差別が残っているに違いない。
だから女の数が少ないのだ」

=>「だからその差別を受けている分、女を優遇しよう」

というかんじである。
自分が見る限りでは。

フェミニズムは「男と女はフェアに
競争すれば管理職の数も政治家の数もだいたい一緒になるはず」
なのに現状は男が多いから差別差別いってるのだろう。


しかし自分は「男と女はフェアに
競争すれば管理職の数も政治家の数もだいたい一緒になるはず」
とは思わない。

そこには性差が存在するからだ。

かりにありとあらゆる差別がなくなったとしても
やはり管理職や政治家は男が多くなるだろう。

それは女の方が男よりも政治家や
管理職に向いていないという性差があるのだ。

それは好みを含めて。

管理職にしろ社長にしろ政治家にしろ。

こういう職は権力が手に入る代わりに
責任が重くなる。責任をとらなくてはならない。

たとえば政治家になって一生選挙を戦っていく人生を
歩みたいと思う人間は男のほうが多いだろう。

それは男の子がちゃんばらを好み
女の子がままごとを好むのと一緒である。

まさか「男の子のほうが多くがちゃんばら
をして遊んでいるのは差別である」とはいうまい

昔のジェンダーフリー全盛のころは
それもジェンダーだ。といってそうだが
今は「性差は否定しない」といってるのだから
そうはいうまい。



そして「アファーマティブアクション」
を使わなければ政治家や管理職に男女比が
圧倒的に開いてしまうのは性差があるからである。

向き不向きの差があるからである。

個人的に向いてる人もいよう。
そのために機会の平等がある。


もう一度いうが政治家や管理職の数に男女差が
開くのはあくまでも男女の能力差、向き不向きである。
そこに差別があるからではない。

男女の脳に違いがあるのに「差別がなければ管理職とか
政治家の数が男女同数になるはずだ」と思うのは甚だ間違いであろう。



さらに言わせてもらえばそもそも
アファーマティブアクションという結果の平等を求める前に
機会の平等すらない親権や、離婚の際の慰謝料。
またDV冤罪、女から男の暴力などが先に解決すべき
問題だろう。

機会の平等すらない男性に不利な差別系はほっておいて
結果の平等を優先する。

それこそまさに男女平等ではなく
女権主義だろう。

男女共同参画基本法がある限りAAは行われるだろう。
男女共同参画基本法を廃棄すべき大きな理由のひとつは
AAだと思う。

ちなみに自分は親権に機会の平等は認めるべきだが
結果の平等を認めるべきだと思ったことはない。


自分は親権が単独親権で男女平等(つまり機会の平等)
になってもやはり割合的には女のほうが親権を取れるのは多くなると思う。

それは全体的な傾向として向き不向きがあるからだ。

もし男性が離婚した際、親権のを獲得する親の割合を
父4割にしろ。
と言い出したら、おかしいと思わないか?

あくまでもやる気、能力がある父親は親権がとれるようにすべきだ。
しかし全体の数でいえば母親が多くなるだろう。

それが性差だ。

もしAAを支持するということは20年後くらいに
男性が不利なことについて行われるかもしれないということを
忘れないように。








© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: