独り言 反 女権主義

独り言 反 女権主義

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赤字mascka    青字小谷野氏の著書

« 小谷野敦『すばらしき愚民社会』文庫版加筆部に見る「ニセ科学」的心情東京女性財団のトンデモパンフ『GENDER FREE』を今こそ笑う »無駄エントリ:小谷野敦著『若者とフェミに媚びる文化人』と あそぼう 3/1/2007 - 1:29 pm by macska
さて、前回のエントリでは小谷野敦『すばらしき愚民社会』の文庫版加筆部分に書かれたわたしへの「悪口」(批判とは呼べない)を扱ったけれど、今回はおまけとして予告通り同じ「若者とフェミに媚びる文化人」の章から、笑える部分をピックアップして紹介していくことにする。もちろん若者論や文化人論は専門じゃないので、フェミ関係が中心。ためになる内容はそんなにない無駄エントリだけど、 小谷野ってこんなにデビューボ度高かったのか とあらためて確認したい人は読んでください。
まずはこんな記述。


「若者への媚」がこの時期に擡頭したのは、やはりフェミニズムが、「女・子ども」の立場を、成人男性と対置させる形で提示したことと関係しているだろう。そこでは論理ではなく情動に訴えかける形で、あたかも成人男性(「オヤジ」ちう蔑称で呼ばれる)が諸悪の根源であるかのようなイメージ操作が行なわれ、「女」や「若者」が無条件に正しいかのような言挙げがなされる。 (p.179)

オヤジ=成人男性全員、みたいな言い方している人はいないし、「諸悪の根源であるかのようなイメージ操作」ってなにその陰謀論? それを言うなら、これだってフェミニズムに対するイメージ操作だよなー。

そしてまた斎藤(美奈子ーー引用者注)は、あたかも「ギャル」が常に正しいかのように語ってしまうのだが、そんなことはあるまい。バカで礼儀知らずで困ったギャルなぞたくさんいるに決まっている。

(…)

宮台真司なども、この種の、ソープ三昧のオヤジが、娘の援助交際を許さん、と言うのは滑稽だ、などと言っていたが(…) それはたとえば、若者が電車内で携帯電話で話しているのがマナー違反だ、と人は言うが、中年男だってやっているではないか、という形で反復されている。しかしそれなら、双方ともに非難すれば済むことである。 (p.180)


ツッコミその1、自分だって斎藤美奈子のオヤジ批判に「ギャルだって~ではないか」と反論してるじゃないかよ。ツッコミその2、若者と中年男の例は、「若者を非難している中年男自身が、実は電車内の別の若者と電話で話していた」ということでないと例になりません。ていうか、全然ちがう話じゃんー。 

ただし、仲間同士で大声で話しているのはよくて携帯電話はいけない、というのは、どうしても説明できないので、私は自分は電車内で話はしないが、他人のことは容認することにした。 (p.181)

仲間同士であれ携帯電話であれ、周囲に迷惑がかかるほど大声ならいけないに決まっているでしょ。仲間同士で大声で話すのは良いなんていつ誰が言ったんだよ。 


いくらなんでもこれはおかしくないか?
自分は小谷野氏のこの文章を読んだがあまりにも感じ方が
違う、というかこの突っ込みが変だ。


(小山女史に断っておくが自分は別に小山エミ女史に
個人的に恨みはないし、悪感情をもっているわけじゃない。
嫌いだから叩くわけではない。だが、いくらなんでもこの
反論は変だと思うので書く。)

特にフェミニズム独特の用語が出てこない
文章の前半部分をみる。

まず「あそぼう」はどうなんだ?
小谷野氏と議論ではなくただ馬鹿にするために書いた
用に見える。

>>ツッコミその1、自分だって斎藤美奈子のオヤジ批判に「ギャルだって~ではないか」と反論してるじゃないかよ。ツッコミその2、若者と中年男の例は、「若者を非難している中年男自身が、実は電車内の別の若者と電話で話していた」ということでないと例になりません。ていうか、全然ちがう話じゃんー。 (小山女史の文)


そして読んでて意味がわからなかったのがここ。
本当にこのツッコミの意味がわからない。

>>ツッコミその1、自分だって斎藤美奈子のオヤジ批判に「ギャルだって~ではないか」と反論してるじゃないかよ。

ここがよくわからない。

小谷野氏は「オヤジ」と「ギャルと若者」を二項対立でとらえ、
オヤジ=悪、ギャル 若者=善としてしまうフェミ二ズムの傾向
を批判している。(少なくとも自分はそう読んだ。)

だから小谷野氏が「ギャルだって~ではないか」といったのは
そのオヤジ=悪、ギャル=善という「固定観念」はおかしいということを
表すために「善じゃないギャルもいる。」と書いたんだろう。

ツッコミその2はさらに意味がわからない。

>>宮台真司なども、この種の、ソープ三昧のオヤジが、娘の援助交際を許さん、と言うのは滑稽だ、などと言っていたが(…) それはたとえば、若者が電車内で携帯電話で話しているのがマナー違反だ、と人は言うが、中年男だってやっているではないか、という形で反復されている。しかしそれなら、双方ともに非難すれば済むことである。(素晴らしき愚民社会)


>>ツッコミその2、若者と中年男の例は、「若者を非難している中年男自身が、実は電車内の別の若者と電話で話していた」ということでないと例になりません。ていうか、全然ちがう話じゃんー。

小谷野氏が言ってる意味はわかる。「若者は電車内で携帯で話してるのはけしからん」
と中年男性たちが言おうとしても、中年男性でも電車で携帯で話している人がいるので
「中年男性だってやってるじゃん」と反論され、若者批判
ができないような空気がある。

だけどそれは電車内で話す中年男性も、若者も批判すればいい話だ。



>>ツッコミその2、若者と中年男の例は、「若者を非難している中年男自身が、実は電車内の別の若者と電話で話していた」ということでないと例になりません。

いや「中年男性が電車内で携帯を使っていた」で例として成立する。
注意した自身が「別の若者と話していた」とする必要はない。



>>ただし、仲間同士で大声で話しているのはよくて携帯電話はいけない、というのは、どうしても説明できないので、私は自分は電車内で話はしないが、他人のことは容認することにした。

>>仲間同士であれ携帯電話であれ、周囲に迷惑がかかるほど大声ならいけないに決まっているでしょ。仲間同士で大声で話すのは良いなんていつ誰が言ったんだよ。

電車内での携帯通話は声の大小に関わらず禁止されている。
が基本的に電車内で談笑するのは自由である。
大声の基準は人それぞれなのでまた電車の中で
会話する場合はある一定以上の音量になる。

その「電車内の携帯通話はいかなるとき
も迷惑」なのに「電車内で会話、談笑OK」
というのが説明できないから、小谷野氏は
他人の電車内での携帯通話は容認するといってるのじゃないか?
(自分はそう読んだ)

だから小山女史の
>>仲間同士で大声で話すのは良いなんていつ誰が言ったんだよ。
というのは反論になってない。

というか意味がわからない。理論ずらしじゃないのか?


何で前半を取り上げたのかというと
フェミニズム的な専門知識が使われてなくわかりやすいと思ったから。

「あそぼう」だの「小谷野ってこんなにデビューボ度高かったのか」だの
議論というより口喧嘩である。

別に小山女史に喧嘩を売りたいわけじゃないが
上記にあげた部分はいくらなんでも変だろうので書いた。


まあこれで自分は小山女史に目をつけられ
潰されるかもしれない


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