独り言 反 女権主義

独り言 反 女権主義

virgin論争フェミ側の虚偽とその権力性 1

処女非処女論争1 処女を男が結婚相手に求めることが生物学的本能であるという理論経緯

なぜフェミ連中はあそこまで「処女を男が求めるのは生物学的本能」という
近年決着がついた生物学的事実が認められないのか。
いや、認めないのか


簡単だ。女に都合が悪いからである。
この「男が処女を基本的に求める(特に結婚相手、言い換えれば子育てのパートナーに)」という事実が。

この貞操論争は単なる「性癖」の問題じゃない。必ずこの論争をやると「処女が好き」
「処女フェチ(?)」とかいうのでごまかそうとする人間(必ずといっていいほど女)がいる。そして大好きな言葉は 「処女信仰」 である。ともかく生物学的要素を否定して社会的文化的要因にして逃げようとする。


自分はこの処女、非処女論争はとりわけ処女を男が好むのは普遍的な生物学的本能であることを書こうかどうか少し迷った。フェミ系の嘘は徹底的に暴きたかったが、しかし「今さら処女を男が求めることが本能」と言っても、DNA鑑定や避妊具(ピルも)がある現在では基本的に意味をなさないので述べる必要性はないと思っていた。


しかし、あまりにもネットでフェミ側(女側)がこの「処女は信仰理論」を使って
てめーらに都合のいい理論を作ってるのが多すぎる。
そして結局貞操観念の理論なので、 結婚など社会制度におおいに影響する。
そして自分の遺伝子を継ぐ子供を育てるという男性の権利問題にも。


事実、フェミ側、これは日本だけじゃなく海外のフェミニストもそうなのだが、死ぬほど
この処女理論にこだわってきた。

サモアのマーガレッド・ミードなんて典型だ。そしてなんとしてでも、「処女は文化」で「信仰」であり「生物学的男性の本能」であるという事実を握りつぶしたかった。なぜ??
それは女に都合がいいからである。 それは要するにはっきりいうのもはばかれるが、女は乱交であろうが自分は血のつながった子供をもてるからである。

男が処女を求めないという社会は要するに乱交社会だ。完全乱婚じゃなくても、男にしてみれば、
避妊具のない世界で、DNA鑑定のない世界で、過去に他の男と性的関係を持った女と結婚するのは
基本的に乱婚と変わりない。自分の遺伝子を正常に残せない可能性があるのだ。

くそフェミ側は必ず男性の遺伝子を残す本能部分、遺伝学の部分をあいまいにして逃げようとする。 男性が子育て(結婚という形態をとって)をするのは自分の遺伝子をつぐ子供をある一定の年齢に
なるまで飢えと外敵から保護し、より自分の遺伝子のコピーを増やすためである。

その辺はダーウィンの進化論とドーキンスの利己的な遺伝子あたりを参照。


そしてしつこくいうがこの処女は本能か信仰か論争において、文化人類学者(社会学の分派、社会学のジェンダー理論がフェミの大元であり、文化人類学も男女関係はフェミばっか)
VS 社会生物学者、遺伝学者では学問的決着はついたのである。

結果は「処女を男が求めるのは生物学的本能だ」ということ。
日本語になってるのは「社会生物学の勝利」だけだがな。だがもはやこんなの海外では常識だが。例によって海外の日本の女に都合の悪い理論や論争は輸入されていないが。


基本的に遺伝学者や社会生物学者VS文化人類学者(くそフェミ)の論争ではほとんど文化人類学者が負けている。何故なら遺伝学や社会生物学は科学的事実だが、文化人類学は「こうだったらいいな。」「こうだったら政治的に都合がいいな。」というものだから。


しかし繰り返すがなぜ、フェミ側はここまでヒステリックに 男が処女を求めることが社会生物学的な本能であり、普遍的に存在すること (ここはあとでよーく説明する、ここに日本のフェミの欺瞞と詭弁の嘘がこめられてるから。)を否定しようとする。

なぜか?例えば個人レベルにおいて、男が生物学的に処女を(結婚相手として)好きだとして、一度他の男と性交した女は結婚できなくなってしまうと思って必死に反論してるのか?
(俺の議論をきけば要するに現代社会では結婚するのには何の支障もないと言ってるんだが、
他の社会生物学者もね、「現代においてそれを追及するのを是とするという話をしてるわけじゃない」と言っている。)

しかし明らかに学問的フェミニストも必死になって(本当に必死になっている)この処女理論を無かったことにしようとする。  「信仰」「信仰」「文化」「文化」。
なぜか、単に個人レベルで都合が悪いからではない。 女権社会、母権社会、要するに男性差別
父親差別社会にとって都合が悪いのである。

この嘘が論破されると。そう、男が遺伝子を残す、いや男が自身の遺伝子をひく子供を育てる権利の話をされると
非常に都合が悪いのである。

そうこの非処女・処女論争は男が自身の遺伝子をひく子供を育てる、という基本的人権に関わるおおいなる
問題なのである。自分も単なる「性癖」レベルの話(男性全体がもつ本能だということは遺伝学の論争で知っていたが)にとどまる話かと過去は思って、別にとりあげることはないかと思っていたが、それこそまさにフェミいや母権主義者にごまかされていた議論なのだとあらためてわかった。この過剰反応から。



まあこの議論は男性側はフェミ側のアホな理論に対抗するのに使ってほしい。
そして一応言っとくが別に現代の社会で男性は結婚相手に処女を求めるべきだみたいな話をしてるわけじゃないということ。ここはわけてほしい。あくまで男が処女を結婚相手に求めてきたのは男性が遺伝子を正常に残すための知恵の一つ、手段の一つであって今は代替手段がある。



詭弁:
男が処女を求めるのは西洋から入った西洋文化であり、昔の日本にはなかった。

この言説には3つの間違いがある。

1つ、処女を求めるのが西洋文化(またはキリスト教)であること

2つ昔の日本には処女を求める考えはなかったこと

3つなかったからといってそれが正しいわけではないこと



1つ目まず処女を男が結婚相手に女性に求めるのは西洋文化でもましてやキリスト教文化でもない。
というかこういうこと言ってるやつはちゃんと勉強したら、もしくは今すぐその学者の肩書きを捨てろと言いたくなる。処女を男が結婚相手に求める文化はイスラム教圏のアラブやヒンズー文化にも見られる。(過去のインドのバラモンにすら見られる)
とりわけ地位の高い男性が求めることが可能になる。

そしてあとで説明するがアジア圏もそれがあっただろう。

何故なら生物学的本能だから無理やり抑え付けられて抑圧でもされてない限り、パワーがある男性社会的に力がある男性はそれを求めるだろう。

そしてこの処女は西洋文化という詭弁、言説をおおいに信じてその仮説のまま進んでしまったのがサモアでのミードの実験だ。文化人類学を知ってる者ならマーガレッド・ミードmeadをしらない人はいないだろう。そして社会生物学でも。また、日本のジェンダーフリー論争を見てきたものなら、知ってるはずだ。

くしくもミードはサモアでのフィールドワークでこの「処女を男が求めるのは西洋文化が作り出した迷信、信仰だ」ということを証明するはずが、逆に「人類のオスに普遍的な本能である」ということを証明してしまったのである。


ミードは今の日本のくそ「処女信仰」派のフェミと同じように「男性が処女を結婚相手に尊いと思うのは一夫一妻制の西洋文化が作り出した信仰だ」と思ってたわけだ。
思い込んでいた。文化人類学の特にミードの時代の使命は西洋の社会文化が人間的に普遍的な
ものではないことを証明するためにそうでない文化を探し出すということにあった。
文化相対主義というものである。その中にジェンダーが入っていた。文化相対主義は男女に関わる文化だけではないが、ジェンダーもあった、そしてジェンダーの部分は当然のように
フェミが担当した。かなり昔のことだ。


そのジェンダーには「男が働き、女が家を守る」なんてものもあった。「男らしさ(責任感や
積極性、戦闘性)や女らしさ(略)」も西洋文化が作り上げたジェンダーだと、その時代の文化人類学者は思っていた。
自分はこの試みやチャレンジが間違っていたとは思わない。歴史の中でとても意義のあることだった。
この考え方は要するに、氏か育ちか、生物学的要因か環境的要因かという問題で、彼らは
環境要因を重視したということだ。現代では生物学的要因も環境要因もどちらも存在するという考え方が普通だが、この時代の文化人類学者は極端に環境要因のみを重視して生物学的要因を否定した。

そしてこういう考えから文化人類学者のフェミは西洋文化の影響の無いところでは、このようなジェンダーが無いから男女の役割が逆転している文化があるのではないかと考え、探そうとした。


そしてそれを発見したのがミードである。サモアという全く西洋文化とは隔離された遠く離れた
場所の民族を探し出して、そこでは「男女の役割が逆転し、男らしさ女らしさの要素も男女逆転していた」と報告した。これによって、ジェンダー、男らしさ女らしさ男役割女役割というのは生物学的要因ではなくて、単に西洋の文化的要因、環境によるものということが証明された…
はずだった。

このジェンダーの中に、実は「男が処女にこだわる」のが西洋文化というのが入っていた。
ミードはサモアでは「男は処女にこだわらず、女は性的な体験を楽しい青春の体験として結婚前に冒険していた」と報告した・・。この文脈、どこかで見たことがないか? そう、日本のフェミが常にぬかしてる「昔の日本では~」とそっくりなのだ。 どうしてもフェミはこういうセオリーにしたいらしい。


さて、ここからが科学的真実に近づく。まあ、日本のフェミはどうせ理論を変えやしないからほっとけばいいが男性側は知っとく必要がある。フェミ側の自分らに都合のいい嘘を看破するためにも。


ところが遺伝学者、や生物学者がこの結果に疑問を思った。当然生物学者なんかは進化論とかを見てるから男と女の脳の構造がある程度進化の過程で違ってきている、生物学的要因があることを知ってたからだ。

そして、フィールドワークの別の研究者がサモアで同じように調査をし、ミードの調査結果は相当いいかげんなもの、というか間違ったものであるということが明らかになった。
ミードの調査は期間は短く、いいかげんであり、その民族に対する近づき方もレベルが低かった。またうちとけてもなかった。普通その民族の人と一緒に暮らして衣食住を共にしうちとけてから話を聞いたり観察したりするのにミードにはそれが不足していた。寝る場所も共にしていなかった。

そして新たなフィールドワーク研究者がそのミードの世紀の発見の報告を知り調べにいって
間違いが明らかになり、サモアでは男役割や女役割が逆転してることはやはりなかったし、
男らしさとか女らしさとか西洋や日本やアラブで見られるような性別のらしさは存在していたのだ。

そりゃそうだ。生物学的要因が存在するのだから。

へ 


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