独り言 反 女権主義

独り言 反 女権主義

wikiの「反フェミニズム」07,06,16での内容

反フェミニズム(はん-)またはアンチ・フェミニズム(anti feminism)とは、フェミニズムに反対する思想や運動のこと。反フェミニズム論者のことを、アンチ・フェミニストという。バックラッシュもほぼ同意。

目次 [非表示]
1 概要
2 反フェミニズムの主張と類型
2.1 1.「性別役割分担肯定(ジェンダーフリー反対)」型
2.2 2.「男性差別主張」型
2.3 3.「女性蔑視(ミソジニー)」型
2.4 4.「宗教」型
2.5 5.「右翼思想」型
3 問題点
4 参照
5 参考文献
6 関連項目



概要
反フェミニズムには、時勢に応じたその時々のフェミニズムに対する対論を含む。現在でも、フェミニズムを批判する者ら(知識層含む)とフェミニストと呼ばれる者ら(知識層含む)の対立は続いている。その一方で、フェミニズムは多義的な概念であり、一人一派というべきものであるため、「フェミニスト」と一括りにして批判されるべき実体が無いとする指摘もある[1]。

反フェミニズム思想を持つ者は、政治家・教職者・企業経営層(保守層・右派)から、サラリーマン(中流層)、フリーター・ニート(弱者層)まで幅広い層に存在する。


反フェミニズムの主張と類型 フェミニズムやフェミニストが「男女平等の実現」という基本概念が共通している以外は多種多様なものである[1]のと同様、反フェミニズムや反フェミニスト(アンチ・フェミニスト)にも、「フェミニズムに反対する」という基本特性以外には、様々なタイプが存在する。主なものとしては以下のタイプがある。

但し、個々のアンチ・フェミニストがどれか一つの類型に完全にあてはまるというよりも、複数のタイプにあてはまる場合もある。例えば、タイプ3の傾向が少し混じったタイプ1やタイプ2のアンチ・フェミニストなども存在する。[要出典]




1.「性別役割分担肯定(ジェンダーフリー反対)」型
男は男らしく、女は女らしく生きることが生物学的にも社会的にも自然であり、男性と女性は異なった役割を有していると主張するタイプ。
家事・育児はもっぱら女性の役割とする主張を有するものが多い[2]。
男女平等(男と同様女も幸せであるべきだということ)にはあからさまに反対しないものの、男女平等の実現の手段として、伝統的な「男は男らしく・女は女らしく」という価値観の社会構成員への押し付けと男女の役割分担を否定するタイプのフェミニズム(ジェンダー・フリー推進型)を「家族の解体」と「男女が敵対する社会の実現」とみなし、そのような施策に反対する。男女共同参画社会基本法の廃棄を目指す「美しい日本をつくる会」などが典型例である。
何をもって「男らしさ、女らしさ」、「男の役割、女の役割」を定義するのかについては、個々の社会や個々人において異なる[3]が、伝統的な日本の武士道では、いわゆる「夫唱婦随」が男女の役割であるとされてきた[4]。
現代社会は男社会だと認め、総じて男のほうが女よりも有利に扱われていることを認識しながらも、社会秩序のためにはいくらかの女性差別は社会が甘受すべきものであり、必要悪だとする考え[5]の者が多い。
このタイプの男性
男性でこのタイプの思想を有する者には、社会的な男らしさを有している者(富裕層・支配層の自己肯定)や、男性本能が強い(良く言えば異性としての女性に対する愛情が強く、悪く言えば女性に対する性欲・支配欲が強い)者が比較的多いと考えられる(但し、必ずしも全員がそうだというわけではない)[要出典]。
家父長主義的なメディアが「フェミニズムとは男性を敵視するものだ」と誤解させる報道を行っているとする指摘もある[1]。
また、企業社会で役職の高かった人は定年後も女性を蔑視する傾向にありがちであることが報告されている[2]。
男性政治家には、「男らしさ」に固執するあまり、男性から妻や恋人以外の女性への過剰な性欲も正当化したり、子供がいない女性や年配女性を卑下したりする発言などがしばしばみられることがある(下記の有名な「反フェミニズム発言」参照)。
このタイプの女性
女性においてもこのタイプの思想を支持する者もいる。既にそのような人生を選択した後で、現状維持が有利な状況にある者、自らは経済力がなく、男性に依存した方が総合的にみて有利な状況にある者、尊敬できる男性と所謂上方婚ができたため、自分は黒子に徹することを選択した者、職業上、男性権力者に迎合することでもっぱら自分の地位を築いた者などがその代表例である(但し、必ずしも全員がそうだというわけではない)[要出典]。男性の場合とは反対に、政治家やタレント(芸能人)、一部のキャリアウーマンなどで、男性の目を意識し最大公約数的な支持を得ることが得策な職業の者の場合は、自分自身はフェミニストが推奨するような人生を歩んでいても、対外的には性別役割分担を肯定するスタンスをとる者もいる。(細木数子や佐藤ゆかりなど。)
批判・指摘
このタイプの反フェミニズムについては、「男らしさ、女らしさ」を単なる形式・概念としてとらえるのではなく、それを社会における男女の役割にまで拡張する点については極論ととらえられることも多い[6]。

また、「ジェンダーフリー教育や男女共同参画社会に疑問を呈する人たちは、そうした考えを『男らしさ・女らしさをいっさい排除しようとする極端な思想だ』と指摘しておきながら、自分たちも『すべての男は男らしく、すべての女は女らしく』、『それは誰にとっても生まれつき決定されていることなのだ』と極論に走るのはなぜなのだろう」との意見もある[7]。

更に、このタイプの反フェミニズムがフェミニズムを「男女が敵対する社会の実現」とみなしがちなことに対しては、「フェミニズム」は「性差別をなくし、性差別的な搾取や抑圧をなくす運動」であり、男性を敵視するものではないとする指摘もある[8]。






2.「男性差別主張」型
男性差別に書かれているような項目を男性差別だと主張するタイプ。これらの差別は、行政や経済界の権力者(もっぱら男性)により設けられ、運用されているものであり、男女同権主義(フェミニズム)によって達成されたものではないのであるが、批判の矛先が女性や女性フェミニストに向けられることが多い [要出典]。 
また、司法・警察の痴漢冤罪や、暫定的な防止措置として行政・企業が設けた女性専用車両を批判する。(例えば、フェミニストの主張を「SF」と表現し、「女性専用車両には『男=ワル』と薄いペイントが施されていて、サブリミナル効果によって人々を洗脳している」などと主張する[9]。)
このタイプの主張は、伝統的には「男らしくない」主張と社会からみなされるため、現実社会でこのタイプの主張を声高に主張する者は比較的少ない。彼らの活動の場はもっぱらインターネット掲示板やブログなどである。[要出典]



3.「女性蔑視(ミソジニー)」型
「男は女より高く扱われて当然」と身分差別・人種差別(黒人蔑視等)に似た思想(蔑視感情)を女性に対して有するタイプである。タイプ1(性別役割肯定型)の「男は男らしく女は女らしく」という主張に便乗し、女性蔑視的な男尊女卑を復活させたがる傾向がある[10]。
社会生活上、表立ってこの手の主張をする者は比較的少ないが、インターネットなどでは普段抑えている本性をあらわにする者もいる。
専業主婦となる女性を選んで結婚しながらも(タイプ1的な行動)、定年後妻から三行半を突きつけられると「女は男と同等の義務を果たしていないのに同じ金銭上の権利を受けるのはおかしい」と主張(タイプ2的な言動)する者や、性別役割を肯定し、自分は女性社員を決して男性社員と同等に扱わないのに(タイプ1的な行動)、形式的には女性にも機会がゼロではないことをもって企業社会における男女不平等を否定(タイプ2的な言動)する者など、自らの行動と言動が一致していない者もこのタイプの亜流といえ、女性蔑視の気持ちが根底にあるといえる。
一方、自分も女性であるのに、他人の女性に対してはこの思想(蔑視感情)を有する者もいる。現在では昔より少なくなってきてはいるが、伝統的な姑の嫁いびりなどがその代表例である。



4.「宗教」型
宗教上の思想から、教団組織として男女の性別役割分担を肯定し、信仰上の教義として生活上で実践する(させる)タイプ。統一教会などカルト教団もこのタイプである[11]。




5.「右翼思想」型
「従軍慰安婦問題」(否定)や「靖国参拝問題」(賛成)と同時にフェミニズム批判がなされることが多いのが特徴である。グーグルで「ジェンダー」を検索した際に現れる唯一のスポンサーである日本政策研究センターがその代表的なものである。これに対立する概念としては、フェミニズム推進(女性の地位や経済力向上)と同時に、痴漢冤罪を受けた男性の救済や、「日の丸・君が代」・「総理大臣の靖国神社参拝反対」などを主張して活動する左派(国家の思想統一よりも、思想の自由や個人の人権を重視する立場)があるが、その正反対の動きをしているのが右翼型の反フェミニズムである。

問題点
タイプ1とタイプ2は、同じアンチ・フェミニストであっても思想的には正反対である。当然フェミニストにも、(a)生物学的な差異を除き、基本的に男女を対等な存在として権利と義務の双方の同権を主張する者[1]、(b)社会的な女性性や、その時代において女性の置かれた立場を考慮し、女性の待遇の改善や女性に対する配慮を主張する者[12]、(c)その中間的な立場をとる者などが存在する。

しかしながら、アンチフェミニスト(反フェミニズム)はフェミニズムに対峙する概念であるので、アンチフェミニスト同士で批判しあうことは少なく、(しばしば意図的に)フェミニストを批判の矛先とすることが多い。


参照
^ a b c 上野千鶴子・小倉千加子『ザ・フェミニズム』 筑摩書房・ちくま文庫
^ 三砂ちづる『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』 光文社
^ 2004年2月20日の読売新聞朝刊は、同年2月17日に同新聞が日本の高校生が「男は男らしく、女は女らしく」という概念を否定する傾向が強くなっている意識調査結果を発表したことを受けて「何を男らしい、女らしいと考えるのかは、民族、国、時代により異なる」としている。
^ 新渡戸稲造の『武士道』には、「第14章 婦人の教育および地位」において「女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つるは、男子が主君と国のために身を棄つると同様に、喜んでかつ立派になされた。自己否定(中略)は男子の忠義におけると同様、女子の家庭性の基調であった。(中略)女子の果たしたる役割は、内助すなわち『内側の助け』であった。奉仕の上昇階段に立ちて女子は男子のために己れを棄て、これにより男子をして主君のために己れを棄つるをえしめ、主君はまたこれによって天に従わんがためであった。」とある。
^ 『武士道』新渡戸稲造
^ 読売新聞2004年2月20日の社説では、「性差による就職差別、家事や育児の女性への押しつけなど、社会に残る男性優位の構造は改めなければならない。男尊女卑などは論外だ。だが、性差別の解消と性差の否定とはまるで違うものだ。」として、家事・育児の分担や女性の企業社会への進出を、性差の否定とは別次元のものと位置づけている。
^ 香山リカ『いまどきの「常識」』岩波新書P66
^ 堀田碧『フェミニズムはみんなのもの』新水社
^ 『男と女の戦争―反フェミニズム入門』千葉展正
^ 慶應義塾 塾員ネットワーク福澤メッセージ(福翁百話)
^ 「世界日報」(統一教会系新聞)2006年12月10日社説
^ 例えば、最高裁判事の横尾和子は戸籍上の妻ではなく内縁の妻に対して遺族年金の受給権利を認めた2005年4月21日の最高裁判決において、判決に関与した最高裁判事の中でただ一人、「戸籍上の妻との婚姻関係が形骸化していたとはいえない」として反対意見を出している(最高裁判所平成16年(行ヒ)第337号)。

参考文献
『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(千葉展正著)ISBN 4886562469
上野千鶴子・小倉千加子『ザ・フェミニズム』 筑摩書房・ちくま文庫 ISBN 4480863370 他
三砂ちづる『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』 光文社 ISBN 4334032664

関連項目
フェミニズム
男女共同参画社会
性別役割分担
男性差別
ミソジニー
男女同権
国際結婚
ローレンス・サマーズ
ババァ発言
統一教会
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0" より作成


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