独り言 反 女権主義

独り言 反 女権主義

追及3



女への加害性の追及が少ないということは
刑罰においても顕著に男性不利が現れる。



例えば同じ犯罪を犯しても男の懲役のほうが長かったりする。

またテレビなどで批判対象、悪者とされるのは常に男性である。
つまり常に叩かれるのは男という社会である。まあ今の日本がまさにそうだが。
テレビマスコミで常に男は叩かれ、女は同情される。

まずこれだけでも社会的な男性差別であるし、また男女関係で犯罪が
起こったとき等も結局加害性が追及されるのは男だけであるので、判決は男不利になる。

例をあげれば夫ばらばら殺害事件。
DVを受けていたからかわいそうという同情報道。
刑罰の軽減。

男が妻ばらばら殺人をおかしたらどうなる?
男が悪いそれだけである。

つまり女の加害性を追及しないかぎり、男性差別はなくならず男女平等にはならない。
じゃあ、誰が女の加害性を追及すべきか?

例えばフェミニズムは男女平等を唱えているから(またはジェンダーフリーを)
権利の平等と同じく、責任や加害性も男と同等に問うべきだという主張をしているのだろうか?

本来なら理論的に追及しなければおかしいがフェミニズムは女の加害性の追及など全くしない。
するのは男の加害性だけである。

まあ、実感として気づいている人も多いだろうがフェミニズムは男女平等思想でもなんでもなくただの女優遇思想、
または女権力支配思想でしかない。

特に日本はそのご都合主義がひどいよう。




たまたま女の加害性で調べていて見つけたフェミの文章(こんなものありふれた一例である)

このところ連日報道されている、秋田県藤里町の33歳女性の子ども殺人事件は決して許されることではないのだが
、彼女の生い立ちや、学校でのいじめ、21歳で離婚とその後の子育てなどを考えて、落合さん的な女性擁護の立場に立つと
、“鬼母”として断罪してしまっていいのかとも思ってしまう。この女性の元夫や家族は彼女を非難しているが、
そんな女性に自分の子どもや孫を託しっぱなしにしていた責任はど~なんだ! 男は逃げられちゃっていいよな~と言いたくなる。
 “ちまた”に溢れている“バカっ母、鬼嫁”がいることも事実だろうし、女が女の足を引っ張るということも事実だから、
面白おかしく、そして厳しく非難することは簡単だと思う。
 しかし、フェミニズムとして、暴力や、モラルハラスメント、子どもへの過干渉など、
女の側に立ったとしてもはかばいきれない“女の加害性”に、“ちまた”とは違う声を上げていかねばならないと思っている。





女の加害性があるということを否定しきれないからそれを男女平等として
追及していくのかと思ったらフェミニズムはそれを いかにかばおうか としているのだ。





話にならない。これでは男性不利になるはずである。


男は犯罪者に対して、庇ったりしない。加害者が男であれ、女であれ
批判する。まして男の犯罪者を庇ったりしない。


ところがフェミニズムという思想は男女平等にするどころか、
女を庇おうという明らかにジェンダーフリーとは逆のことをやっている。
常に自分達が権利と義務に対して主張すること逆のことを。




結局
普通の男女・・・男と女の犯罪を同等に批判


フェミニズム(女性差別反対派)・・・女の犯罪を庇い、男は叩く


<総合的に男のほうが強く叩かれる社会>


というような現状になっているならば
この男性差別をなくすためには
男性差別に反対する人たちが・・・男の犯罪を庇い、女は叩く
(つまり例えば強かんなどにおいても男性陣がその犯罪者もつらかったんだよ。などと
庇う)


とするか
男性差別反対派・・・フェミニズムをぶっ潰し、女の加害性を追及していく という
という方向にするしかない。



なので、「男や男社会を批判すれば男性差別がなくなるなる」などの主張は詭弁かつ自分らへの批判をそらそうとする大嘘でしかない。

(フェミニズム)女を批判するか、男の加害者とされる人を庇うかしていかない限り
男女平等にはならない。


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