小説「桜が咲くにはまだ早い三月」「無明の果て」 

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第十六章 「誓い」 二節




「お疲れではないですか?」

岩沢神父は祭壇の隣にある古い重い扉のドアノブを押し、

背中越しに声をかけながら、


「この部屋で麗子さんとも色々な話をしたんですよ。

鈴木さんにお会い出来る日を、楽しみに待っておりました。

麗子さんをアメリカに送り出す懐の大きな若者と、

話をしてみたいと思っておりました。」


そう言って振り返り、もう一度

「よくいらっしゃいました。岩沢輝と申します。

麗子さん、いえ奥様から聞いているかと思いますが新米の神父です。

この歳になって久しぶりに新入社員の頃を思い出すような、

懐かしい気持ちを味わっています。

おかげで少し若返ったかもしれません。」


と、微笑みながら丁寧に頭を下げた。


あまりにも違う人生の長さ、深さ、そして重さ。


その人の前で緊張している心を隠そうとしても、

隠しきれない心臓の鼓動はきっと岩沢の耳に届いているだろう。


「いえ、大丈夫です。

ただ緊張しているだけです。

ここへ来る車の中で聞かされた事実にどう対応したらいいのか、

正直よく分からないでいます。

でも神父様、いえ岩沢さんが会社の先輩だったと云うだけで、

私はここに来る意味があったんだとお会いして確信しました。

先輩でもある神父様の岩沢さんが、私達のはじまりを導いて下さる事も、

会社を辞めた麗子と、その会社で出会った私との不思議な繋がりが

ただの偶然ではない事も、ここに来てようやく分かったような気がします。

麗子が運んで来る奇跡みたいな事柄に私はずいぶん驚かされて、

それは岩沢さんとの事もそうでした。

本当は岩沢さんの事を聞かされる度、胸騒ぎのようなそんな感情を持っていました。

すみません。

失礼な、ばかげた気持ちでした。」


「そうでしたか。

そうですね。

離れていれば当然の気持ちです。

ましてお若いし、結婚されたばかりでは心配されるのが当たり前ですよ。

こちらこそすみませんでした。


鈴木さんは正直な方ですね。

仕事をしている時には迷いなどあまり感じなかった私も、

ここではまだまだもがいている途中なんですよ。

大きな間口を広げて私がすべき事が何なのか探している途中です。

この歳になって自分自身の矛盾と向き合っています。

私の亡くなった妻は、この教会でここに立ち寄る方に言っていたそうです。


”明日は追い掛けるもの“だと。


待っていても明日が来ない人もいる。

いつ命果てるのか、それは誰が決めるものなんでしょうね。

生まれた時から決まっているものなんでしょうか。

明日に希望を持って明日を追い掛ける事が出来る幸福に感謝していると、

妻がそんな事を言っていたと聞きました。

鈴木さんご夫婦は、正に明日を追い掛けておられる。

眩しいようです。」


岩沢の優しい瞳の透き通るずっと先に私は何を見、何を感じ、

何を語ればいいんだろう。


若いというだけで人にぶら下がり、流行りに躍らされ、

引きずられた日々をいつか話してみたいと思った。




私が愛した女性に恋してしまった大切な友の、人生を賭けた闘いを。


そして、ひたむきに挑戦を続ける昨夜の園の歌声を、ふっと思い出していた。


「M」の前でさよならと呟いた、昔の恋を。






「話し込んでしまいました。

そろそろ挙式の打ち合わせをしなくてはいけませんね。」


「はい。

それが実は、明日はふたりだけではないんです。

両親と友人達が来る事になりました。

麗子には言っていないのですが、

その時まで秘密にしてくれと麗子の父親からきつく言われています。

バージンロードを歩くのは私だと叱られました。」


岩沢は優しく微笑みながら


「それは素晴らしい事ですね。

では麗子さんには内緒にしておきましょう。

祝福は多いに越したことはありませんから。

それから、鈴木さんは小池君を知っていますね。」


「はい。

小池専務には麗子の特修でお世話になりましたので、

結婚の報告をして来ました。

岩沢さんは同期だったそうですね。」


「はい。

実は明日、彼もここに来る事になっています。」


「えっ、専務がですか?」


「鈴木さん達には申し訳ないのですが、私の神父姿を見届けると言って、

本当は鈴木さんには伝えてはいけないと釘をさされていましたが、

それは麗子さんだけにしておきましょう。」








こんな風に、風の音を聞いた事があっただろうか。


美しい花々がそれに応え嬉しそうにそよいでいる。


それを見ながら涼からの着信を消した。











「あなたを愛し、あなたを敬い、あなたにつかえ、

あなたと共に生涯を歩みます。」



指輪の祝福は愛の約束のしるし。


長く延びたベールは、これからの人生の永遠の道。






つづく・・・






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