いろんなことがあったね、でもやっぱりきみはだいじだいじのたからもの

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2003年10月31日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日も快晴。
BSでオータムインニューヨークを視た。
お洗濯をしていたので、残念ながら、9時からしか視れなかったが…
リチャードギア渋くってすご~く好き!
でも、トムハンクスの方がずっとずっと好き!(笑)
彼女は死んじゃう前にすごく幸せだった、何だか、その時母の事を思った。
母は、幸せな時はあったのだろうか?
親の反対を押し切って父と結婚したばかりに、ずっと働きづめだった。
やっと定年し静かな老後を迎えるべく旅行にでも行きたいと思っていたであろうに…

定年しても、行くのは病院だけだった。
その上、私は親不孝の塊だったし、同性の私しか母を助けてあげれなかったのに…
母の愚痴すら聞いてあげれなかった。
父に殴られてもののしかれても、私と弟のために必死で耐え続けた母。
物心付いた時には、両親の喧嘩は日常茶飯時、本当に嫌だった。
父の事で愚痴る母に「そんなにイヤなら、離婚すればよかったのに!何で離婚しなかった訳?」と言い放って突き放した私。
「そうすれば良かったかもしれないね、でも、お母さんは1人であんた達を育てていける自信がなかった、金銭的に無理だと思ったから、辛抱したのよ」と初めて私に話してくれ、辛かった胸の内を打ち明けてくれた。
母にはいつも叱られてばかり、褒められたり、抱きしめられたり、微笑んでくれたり、そんな事は夢にも思わないほど、縁遠い空想だけの世界だった。厳しいばかりの母親だった。
私は母を何時の頃からか否定して生きるようになった。
ずっと母の敷いたレールの上を疑うことなく進んでいた頃の自分を思い返しては、そうさせた母を恨んだ。
愛情を感じる事は1度もなかった。

私は何度も入退院を繰り返していた母のお見舞いに行った事がなかった。
最初で最後のお見舞いが意識を失う2H前だった。
最後の入院になるとは思わなかったあの日、家を出る母に私は「あ~、やっと静かになる、早く出て行けばいい!」と聞こえよがしに言ったのである。
どれほど、母は辛かったであろう。
入院した翌日、病院から帰った父が2Fへ上がり、声を上げて泣いているのが聞こえてきた。

その後、父が降りてきて「お母さんを親と思うなら、病院へ行ってやれ、もうダメだそうだ」と言った。
近所の母の友人も私に「もうお母さんを許してやって、とにかくお母さんに会わなくっちゃ」と言ってきてくれた。
私は息子を連れて、病院へ行った。
母はベッドにいて、簡易トイレが置いてあるのしきりに気にして息子に声を掛けていた。
「臭いでしょ?」と。
言葉もなかった、母はこの期に及んでも他人行儀な言葉しか私には言えなかったのだ。可愛そうに…ひどい娘。
買い物はないかと尋ねると母は「うん、ティッシュもあるし」と…遠慮がちに、でも嬉しそうに言った。
紙おむつがいると看護師に言われたので薬局へ走った。
暫くして母が息子に「もう帰りなさい」と、私には直接言えなくて息子を通して伝えたのだ。
私は、いたたまれなくなり、家へ帰った。
その後2Hほどして、母は静脈瘤破裂で意識を失った。
処置をしている時、母の苦しそうなうめき声が病院中に響いていた。
立派な機械はあるのだが、それを扱える経験を積んだDrがいないのである、母は不慣れなDrの処置に苦しんだのである。
弟は死期はまだ先と思っていたので、電話をしても信じなかった。
結局、弟は最終の飛行機に乗れず母の最後は看取れなかった。
母が心停止をした時、処置をしたのは、当直の皮膚科のDrだった。
担当医は自宅へ帰っており、間に合わなかった。
最後を看取ってくれた、若い看護師が涙を流してくれた。
救われた気がした、機械仕掛けのように淡々と仕事をこなす中に、1人でも、母のために涙を流してくれた看護師が居てくれた事に…
その母の形見の時計を私は身につけていた。
しかし、同僚のお父さんの葬儀へ行こうとして着けようとしたら、止まっていた。
何だか、無性に悲しくなった、母が生きている時から時を刻んでいた時計が母の様に動くのを止めてしまったのだ。
リチャードギアが最後にプレゼントの箱を開けた。
入っていたのが時計だった。
その、彼が持った時計を見て、母を思い出してしまった。
母は幸せな時はあったのだろうか?
私は一生、母への懺悔を心に刻んで生きなくてはいけないと思っている。
何時も母を思っている。
可愛そうなお母さん、ごめんね、ホントにごめんね。
いつか、お母さんの側に行ったら、思いっきり親孝行するからね!約束するから!待っててね!






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最終更新日  2003年11月01日 23時19分57秒
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