ミュークの視線の先では、プルミエールがそそくさと旅支度を始めていた。 その場に同性しか居ないとはいえ、ポンポンと衣服を脱ぎ捨てる人族の少女に、王族としての気品や威厳は皆無である。
「(否、誠に王侯貴族らしい厚顔無恥な気質を兼ね備えているのか)」
ミュークが下手な感慨に浸っていると、警戒を喚起する銅鑼の音が耳朶を打つ。 警鐘が掻き鳴らされる度に喧騒が高まり、教会船に漂う空気が徐々に張り詰めていくのがわかる。
「レムなら心配ないと思ったが、少々やり過ぎたようじゃな」
ミュークが独り言つ。 レムリアには甲板で小火騒ぎを起こせと命じていた。 船員の注意を惹きつけることが目的だが、度を越せば逆効果である。 早々に脱出を計らねば手遅れになるだろう。
「では、こちらも逃走経路を確保せねばならぬな」
ミュークは名残惜しそうに目の保養を打ち切ると、足早に窓際へと移動する。 遥か遠方、深い霧越しに見上げる漆黒の中、巨大な黄昏色の焔が視界に灯る。
「古の炎……テトラモルフ大灯台か」
屍族の目を以ってしても、夜闇と霧に閉ざされた外形を視認することは適わない。 だが、その存在は遥か天空に輝く灯明が証明していた。
有史以前、黒歴史と呼ばれた時代に、この巨大な塔は築かれたとされている。 しかし、大灯台に関する知識は、その監視者であった大屍族グリムデンの血統と共に絶たれていた。 一部の秘蔵書が、教皇庁アレシャイムの大図書館に保管されていると噂されるが、真意の程は定かでない。
「主が滅びても尚、その輝きは失われぬとは皮肉なものじゃ」
ミュークが廃れた哀感を零す。
大灯台が頂く灯台光の正体は“古の炎”と称される巨大な蛍輝石である。 蛍輝石は脈動する瞬間、強烈な単一色の光を放つ。 それは純粋で波長が長い分、視程の短い霧中でもよく透る。 船の墓場とされるこの海域を突破するには欠かせない道標であろう。
「ん?」
その時、ミュークの視界の端に夜よりも暗い影が映りこむ。 船窓を開き身を乗り出すように見上げると、両翼をうねらせながら船央楼の上空をゆっくりと旋回する巨大な飛影。
「グリムデンの竜鳥!?」
ミュークが暫し呆然と立ち尽くす。
“グリムデンの竜鳥”とは大屍族ベルムード三世が、大灯台を守護する為に使役した夜の眷属である。 貪欲そうな狂眼に長く鋭い嘴、蝙蝠の翼と歪な巨躯を誇る夜行性猛禽類で、醜く曲がった鉤爪には猛毒を備えていた。 常に群れで行動する習性を持ち、大型の肉食獣、時には人間をも捕食する危険な古来種である。
「なるほど騒ぎの原因はこれじゃったか……と、すれば尚更急がねばなるまい」
ミュークは窓辺を彩る紗布を数枚、力任せに引き抜くと、それらを手際よく結び付けて縄状の束に仕上げる。 念入りに結び目の強度を確認した後、布束を引きずりながら露台へと運ぶ。
「レムがこの騒ぎに巻き込まれておらねばよいが……」
聡い少年であるから人族に捕まるようなドジは踏まない筈だ。 だが、一方で不幸を呼び寄せる妙な体質である為に、突如現れた怪鳥の胃袋に収まっている可能性も捨てきれない。
なにより、ミュークには一抹の懸念があった。 竜鳥の生育域は大灯台周辺に限られており、海上の船舶を襲うことは稀である。 主であるベルムード三世と同等の負の魂―――つまりミュークと双子の存在に惹かれて、この教会船を襲来したのかもしれない。
ミュークは船室でプルミエールを見張らせていたルムファムを呼び寄せると、
「ルム、甲板に降りてレムを探してくるのじゃ」
ルムファムはこくりと頷くと、幅広の欄干にふわりと飛び乗る。 そのまま躊躇することなく、下方に広がる闇に溶けて消えた。 ミュークが上甲板を見下ろすが、夜の闇をも見通せる屍族の暗視能力も、陰鬱な霧に閉ざされた空間では大して役には立たなかった。 知覚できるのは、人の動きに合わせて踊る角灯の淡い光と、耳障りで鬱塞な喧騒だけだ。
「ルムの前世は軽業師じゃろうか……」
ミュークが捻りのない物思いに耽っていると、
「プルは赤いのが良かったです」
背後から不機嫌そうな声と共に、黒法衣を纏ったプルミエールがやってくる。 目元の化粧は落とされ、今は頭の左右で結われた長い金髪も解いていた。
アダマストルの王族であるプルミエールには上位聖職者用の紅い法衣が給されていが、夜闇に乗じて行動できるようにと、アリエッタに配給された黒地の下位法衣に着替えさせたのだ。
本来、聖職位階とは身分や血統に左右されない、神聖で冒すべからざるものである。 しかし、一部の高位聖職者は世俗権力と結びつき腐敗しきっていた。 聖女の妹君といった特異な立場を鑑みれば、致し方ない部分もあるが、プルミエールに対する厚遇もそういった背景が少なからずあるのだろう。
「この船を無事に降りたいのならば、我慢するのじゃ」
ミュークは少女の嘆願を引き合いに説き伏せようと試みるが、
「ぶぅ~。 コソコソするのはもっとキライです」
プルミエールは不服そうに頬を膨らませる。 どうやら現状把握能力に欠陥があるようであった。
「今しばらくの辛抱じゃよ。 それで人族の娘よ、其方はこれを使い下に降り―――」
「うにゅ。 わかりました―――とうっ!!」
皆まで聞かず、可愛らしい気合声。
布端を欄干に括りつけて、命綱を用意していたミュークは慌てて振り向くが、止める間も無く、プルミエールは宙に身を躍らせていた。 特等船室は船央楼の最上階、上甲板から数えれば三階の高さに位置する。 そのような高みから、生身の人間が飛び降りて無事で済むわけがない。
「だぁ~、待つのじゃ!」
狼狽したミュークが急ぎその後を追う。 上甲板に降り立つと、すぐ目の前にプルミエールがいた。
「うぐ……ぐぅぅ」
プルミエールは痺れた両脚をガクガクと痙攣させながら苦しげに呻いている。 着地には成功したようで、表立った怪我はしていないようだ。 ミュークはプルミエールの人間離れした身体能力に唖然としながらも、ほっと胸を撫で下ろした。
「いったい、なにを考えておるのじゃ、一歩間違えれば死んで―――」
そこまで言って、ふっとミュークの顔から表情が消える。
―――血の匂いを嗅いだからである。
「どうやら、早々に引き上げたほうがよいようじゃな」
鼓膜を揺さぶる重々しい羽ばたきに、ミュークが頭上を振り仰いだ。 一匹の竜鳥が血風を巻き起こしながら急降下してくる。
「大人しくしておれよ」
ミュークはプルミエールを抱きかかえると、真横へと跳躍した。 その後を追うように、巨大な影が低空から迫る。
「な、なんですか。 アノでっかい鳥!?」
プルミエールが楽しげな声で訊ねてくる。
怯えて泣き叫ばれるよりはましだが、緊張感が皆無なのは、それはそれで調子が狂う。
「黙っておれ、舌を噛むぞよ」
反転したミュークが船縁を蹴り、強襲する鉤爪の下を間一髪で潜り抜る。 プルミエールを抱えたままで攻勢に転じるわけにもいかず、再び体勢を立て直して身構える。 だが、終局は呆気なかった。 目標を喪失した竜鳥が、勢いを削ぎ切れずに船縁へと激突したことで、一方的にも思えた戦いは決着をみた。
「それでルム、お主は何をやっておるのじゃ?」
甲板に横たわる巨体に唖然としながらも、ミュークはもっと別の疑問を口にする。 竜鳥の背に見慣れた人影を認めていたのだ。
「レムが喰われた」
グリムデンの竜鳥に馬乗りになったルムファムの返答は端的でわかり易い。 どうやら、竜鳥が船縁にぶつかる様に仕向けたのもルムファムなのだろう。
少女屍族の言葉通り、よく見ると、巨大な嘴の間から小さな手が突き出ていた。
「誰か~。 助けて……ください」
か細く泣きそうな声が聞こえてくる。
ミュークは竜鳥の口内から漂う悪臭に顔を顰めながらも、中からレムリアを引っ張り出す。
「その様子では、ワチキの言付けは遂行しておらぬのじゃろう?」
「うっ、うぅ……ぅ……、申し訳ありません」
レムリアは澄んだ碧眼に涙をいっぱいに湛えていた。
「泣き虫」
と、ルムファムが融通無碍に切り捨てる。
「まったくですね」
その横でウンウンと頷くプルミエール。 こちらも初対面のレムリア相手に遠慮会釈がない。
屍族と人族、種族は違えど二人の少女の間に奇妙な連帯感が生まれていた。
「ぐすっ……だって何処も彼処もびしょぬれで……とても、火なんてつけられなくて……。 そ、それに変な鳥が……急に飛んできて……」
レムリアは肩を震わせながらしゃくりあげている。
「そ、そうか。 せ、精一杯やったのなら仕方なかろう。 失敗は誰にでもあるからの」
ミュークはレムリアから視線を逸らすと、気まずそうに頬を掻く。 どうやら命じた本人が霧の影響を計算に入れていなかったらしい。
「ミュークさま……、今日はなんでそんなにお優しいのですか?」
レムリアは驚いたように頭を跳ね上げる。 優しく労わるミュークの声に、深く感じいるどころか不審の眼差しを浮かべている。
「ワチキが優しいといけないのかや」
ミュークが少し憮然とした口調で返す。
「だ、だって……、普段のミュークさまなら問答無用でど突き回した挙句、海に投げ入れるぐらい日常茶飯事なのに……」
そこで、はたと気づいたレムリアが硬直する。
「ま、まさか、散々弄んでおいてポイ捨てするおつもり―――むがっ」
ミュークの鉄拳がレムリアの顔面に命中。
「ひ、人聞きの悪いことを申すな! ワチキがそんなことするわけないじゃろう。 それに、優しいのは生まれつきじゃ」
言動の不一致から些か説得力に欠けるが、ミュークは至極当然といった口調である。
「そ、それで、ミュークさま。 そちらは……、もしかして聖女シャルロットさまですか?」
鼻面を抑えながらレムリアが尋ねる。 これ以上この話題を長引かせても損をするだけだと判断したのだろう。 なら最初から深入りしなければ済む話なのだが、浮かんだ疑問を口にせずにはいられない損な性分であった。
「むっ!? シャル姉さまはプルのだからあげませんよっ!」
プルミエールが肩を怒らせて反応する。 どうやら、聖女に関連する単語が琴線に触れる仕組みらしい。
ミュークは再び無益な問答を繰り返そうとする人族の少女を手で制すると、
「いや、この娘はアダマストル公国の第二王女プルミエール・リュズレイじゃ」
「うみゅ、よきにはからうです♪」
ミュークの紹介を受けたプルミエールが、態度だけ王族の風格で無い胸を張った。
「えっ、え~と、その……宜しくお願いします」
レムリアは頭に疑問符を浮かべながらもペコリとお辞儀をする。 だが、こそこそとミュークの耳元に口を近づけて、
「なぜ聖女シャルロットではなく、その妹君を?」
「そういえば、忘れておったわ」
ミュークは思い出したようにレムリアの脳天に拳骨を落とす。
「あぐぅ……、いきなり酷いですよぉ」
レムアリがたん瘤のできた頭を抑えながら抗議の声をあげる。
「当然の報いじゃ。 聖女はこの船には乗っておらなんだぞ。 まったく、とんだ誤情報を掴ませおってからに」
ミュークの口調は厳しい。 もっとも、最終的な決断を下した負い目もあり、手加減はしている。
「で、でも、さっき、誰にでも間違いはあるから仕方ないって……」
「それを真に受けたワチキの浅はかさに腹が立つから殴ったまでじゃ。 ワチキは自分自身には厳しいのでな」
無茶苦茶な自己理論を展開するミュークに、レムリアは「それならご自分を殴ればいいのに」などと心の中で思ったが、勿論口にはしない。 というか、出来ない。
「それに、その様子では脱出手段も確保できてはおるまい」
「うっ……」
図星を指されてうろたえるレムリア。 確かに仕置かれて当然のように失態を繰り返していた。
「使えない下僕ですね」
「同意」
プルミエールがレムリアを扱き下ろして、今度はルムファムが賛同する。 性格は真逆のように見えるが、内心で考えていることは同じらしい。
「そもそも―――ムグ!?」
二の句を継ぎかけたプルミエールの身体が崩れ落ちる。 ミュークは当身で気絶させた小さな体を物陰に引っ張り込む。 瞬時に双子の屍族も後に続いた。
「最初からこうするべきじゃたな」
今し方居合わせた位置に、物見台の投光器から光りが照射されていた。 所々に設置された角灯や篝火の明かりも、霧の影響で弱々しい。 光源から数歩離れれば暗がりになっている為、夜目が利かない人間相手ならば見つかる心配はないだろう。 息を潜めていると、案の定、周囲は再び闇に閉ざされる。
「これ以上、この船に長居は無用なようじゃな」
如何に百戦錬磨の水夫とはいえ、視界が悪い上に空を自由に飛び回る敵が相手では些か分が悪いだろう。 なにより、レムリアの件もあり、竜鳥の襲来にミュークたち屍族の存在が無関係とは言い難い。 この上、船が沈みでしようものなら、流石に目覚めが悪かった。
「で、でも、どうやって航行中の船から? 下は海なんですよ」
レムリアが至極もっともな質問をする。
「教会船ともなれば緊急避難用の小型艇ぐらい常備してある筈じゃが、今はそれを探している暇はあるまい」
ミュークは落下した竜鳥に歩み寄ると、暗紫色の羽毛に覆われた眉間に指先を突き立てる。 僅かな脈動と共に暖かな血流が派手に飛び散った。
「ふむ、まだ息はあるようじゃな。 では、役に立って貰うぞ」
覚醒した竜鳥が苦悶から跳ね回り、迫害者を啄ばもうと身を捩る。 翻された前脚がミュークの首筋を掠めた。
「ミュークさま!?」
「心配は要らぬ」
驚いたレムリアが駆け寄ろうとするが、ミュークはそれを手で制した。
『我が意は汝の意となり―――』
ミュークは胸元に垂れ落ちた血液を指先で拭うと、それを竜鳥の躯に塗りつける。
『我が血の一滴は不滅なる契約となろう』
ミュークの両眼が冥紅に染まっていた。 魅入られたように竜鳥の巨躯から力が失われる。
一連の秘儀は、血統アルカナ“女教皇”の三能力の中でも最たる力を宿す“精神操作”である。 この能力は術者の血液を触媒に、絶大なる強制力を対象の精神に植付けるものであった。
「ふたりともワチキの身体に掴まるのじゃ」
ミュークはプルミエールを小脇に抱えると、脱出用に用意した布束を竜鳥の首回りに巻きつける。 竜鳥が大きく咆哮して両翼を羽ばたかせ始めた。
「まさか、これで逃げるおつもりですか!?」
レムリアが目を白黒させて訊ねる。 屍族特有の色白の肌から血の気が引いて、輪を掛けて青白くなっていた。 もっとも、竜鳥の胃袋に収まりかけた経緯があるので、腰がひけて当然である。
「ああそうじゃ。 泣き言など聞いておる暇はない故、さっさとせぬか」
「で、でも……」
ミュークが強く促すが、レムリアの反応は煮え切らない。
「仕方ない。 ルム、やるのじゃ」
コクリと頷いたルムファムが、まごつくレムリアの首根っこを鷲掴む。 そして、竜鳥が船縁から飛び立つ瞬間、間一髪で巨体へと飛び乗った。
「って、ひぅわぁぁぁぁぁぁぁぁ~~わぁぁぁああ……」
竜鳥はぐんぐん上空へと舞い上がっていく。
「どうじゃ、なかなかに爽快な脱出劇じゃろう」
「行き当たりばったりの間違いじゃ……」
「何を申す。 そもそもレムの失態が原因なのじゃから。 見苦しいぞよ」
などと、緊張感の無いやり取りが続く。
暫くすると霧の彼方にイプス岬の稜線が浮かび上がっていた。 岸壁付近の海面には、まるで巨大な魔物に食い散らかされたように船の残骸が数多く横たわっている。 近海で座礁した船が海流の影響で流れ着いているようだ。
「あ、あのミュークさま、心なしか高度が下がっているように思えるのは気のせいでしょうか?」
レムリアの言葉通り、竜鳥の羽ばたきも不安定なものへと変わっていた。
「心配するなや。 イプス岬近海は船の墓場と呼ばれる岩礁地帯じゃ。 少しばかり水に浮かなくとも、どうにかなる」
ミュークの返答はごく近い未来を予期していた。
「え~と、ボクが訊きたいのはそういうことじゃなくて……。 そもそも、なぜ落ちることが想定済みなのですか?」
レムリアが汗だくで真意を質す。
「元々竜鳥の巨躯は空を飛ぶには適しておらん。 本来はその長い翼で上昇気流を捕まえて高度を維持しておる。 ワチキの操作では気流を体感できぬし、仮に察知できても、この竜鳥は手負いの上、余分な重しを四つも付けておるのじゃ。 順調に飛行しろと云うほうに無理があるじゃろう。 以上の事実から墜落といった結論が帰納される」
ミュークは多角的な見地から断言してのけた。
「そんなの嫌だぁぁぁぁぁぁ……」
レムリアの悲鳴が岸壁を削る波の音に混じって消えた。
「はて、なにか大事なことを忘れている気がするの……」
ミュークは暗い海に身を投げだされてから、そう自問したが、結局答えは得られなかった。


