「ふぅ……」
ミューク命名“不幸請負人”のレムリアは、文字通り不幸のどん底に居た。 否、正確に描写するならその過程にあった。 怪我の功名というべきか、ミュークが派手に倒れ込んだ為に、形ばかりの質疑応答で、優先して自由都市ザクルフォルドへの滞在許可が降りたまではよかった。 問題はその後、事体が最悪の方向へと急転直下したのだ。
「いつまでも、こんなところにいるわけにもいかないし……」
この街外れの廃屋に住み着いて、早三日目の夜を迎えている。 無論、最初から宿無しだったわけではなく、不幸な人災が連鎖した挙句、路銀が尽きて宿を追われてしまったのだ。
「それにしても、人族ってみんなこうなのかな?」
レムリアの恨みがましい視線の先には、微妙に傾いた長椅子の上で爆睡するプルミエールの姿。
ことの始まりは、この人型災厄発生器が屍族同様の生活習慣に、早々に耐え切れなくなったことに起因する。 日中の外出規制と、自由行動の禁止など、人質兼賓客の立場に対して至極当然な処置にも、当の本人は納得いかなかったらしい。 むずかるプルミエールを持て余したレムリアは、少女の機嫌をとる為に賭博場へと付き添う羽目に陥ったのだ。
「まぁ、ボクにも責任がないわけじゃないけど……」
当初、レムリアも負けが込めば、切り良く退散する腹積もりであった。 しかし、プルミエールの野生の勘が、その計算を狂わせた。 あれよあれよと神懸かった連勝を続けてしまい、引き際を見失ってしまったのである。 あまつさえ、制止役のレムリアまでもが「これでミュークさまの散財癖で冷えこんだ懐も暖まる」などと欲を掻いたのが不味かった。 調子に乗って、胴元相手に大博打を挑み惨敗。 掛金を失うどころか借金までこさえる始末。 お陰で今では宿代にも窮する非常事態であった。
「まぁ、アレは誰が見てもイカサマだったと思うし仕方ないかな。 それに、この子に関しては、あのミュークさまですら、多少(※意訳)傍迷惑でも大目に見ているぐらいだしね」
自分のことを棚に上げ、レムリアは上から目線で大人振る。 屍族の少年にもミュークの下心丸出しの思惑は明らかだ。 プルミエールを聖女シャルロットとの取引に利用するとは建前で、あわよくば“聖霊環”もろ共、双方の身柄をせしめてしまおうとの魂胆なのだろう。 そうそう上手くことが運ぶとは思えないが、ミュークがそれを望むのならば、従う以外に選択肢はない。
「うにゅ……」
プルミエールが手狭な座面上で器用に寝返りを打つ。 その拍子に、包まっていた安手の毛布がずり落ちてしまう。
「ふぅ」
レムリアは毛布を拾い上げると、プルミエールの身体に丁寧に掛け直す。 少女の長い髪が黄金色の川となって溢れだして、長椅子から床板へと伝っていた。 金髪の隙間から垣間見える顔立ちは、まだ幼さく愛くるしい。 小児愛好趣味のミュークが食指を伸ばしたくなる理由にも頷けた。
「綺麗な髪だな……」
レムリアが無意識の内に、少女の金髪を指先で掬い上げる。
「えっちぃ」
唐突に、掛けられた無機質な声。 レムリアは摘み食いを見咎められた子供のように、条件反射で後ろ手になる。
「こ、これは違うんだ……」
レムリアが狼狽しきった顔で戸口を振り返る。 常時、気配を絶っているのはルムファムの悪癖だが、崩れかけた廃屋で物音ひとつ立てず移動できるのは、明らかに物理的法則的におかしい。 どうやら、古びた床板も錆びた蝶番も、耳障りな奇音を奏でて修繕を促す古家具特有の普遍的所作を忘れてしまったらしい。
「そ、その……なんていうか。 ひ、人族の生態に学術的興味を掻き立てられて観察なんかをしてみたり……。 で、でも、天地神明に誓って疾しい気持ちなんてこれっぽっちもないから。 ほ、ホントだよっ!!」
レムリアは、耳の先まで真っ赤にして、しどろもどろに身の潔白を立証しようとする。 それもその筈、人族の少女の寝顔を無遠慮に検分している姿を、こともあろうに最も見られたくない相手に目撃されてしまったのだ。 屍族を異端視する国家が大部分を占める西大陸では、同族との交流さえ儘ならない。 異種族であっても、同年代の異性を相手に興味を抱かないほうが異常である。 しかしながら、感情的要素が一切欠如しているルムファム相手にその手の言い訳は通用しない。
「それはミュークさまの。 残念だなレム」
弁明の甲斐もなく、ルムファムがよくわからない慰めを貰う。 レムリアの碧眼が泣きだしそうに潤むが、今は落ち込むよりも先んじて、聞きたいことがあった。
「そ、それで、ミュークさまの容態はどうだった?」
「起きない」
ルムファムは能面のような表情で端的な状況だけを伝える。
「そうか……。 血統アルカナの力を使いすぎて休眠状態に陥ることは今までもあったけど……。 流石に一週間も眠りこけたままだと心配だな」
「医者に診せるか?」
珍しくルムファムの口数が多い。 表向きな変化には乏しいが、この屍族の少女も内面ではミュークを慮っているようだ。
「人族の医者に? それは無理だよ。 屍族だと知られて、役所に通報でもされたら余計に厄介なことになるからね」
かといって、レムリアにも対案があるわけでもない。
結局、この場の誰にも、現状を維持しつつ、ミュークの回復を待つ以外の選択肢は見出せなかった。
「とりあえず、あの子の食い扶持だけは確保しないと。 人族は屍族と違って、三日飲まず食わずだと死んじゃうらしいからね」
「かいしょーなし」
ルムファムの辛辣なツッコミ。 三度の飯を何よりも愛する屍族の少女にとって、食料供給の対象外にされたのが不満なのだろう。
「誰のお陰で、この寒空のなかで、雨露を凌げていると思っているんだよ」
宿屋を追い出されて路頭に迷う最中、レムリアは丸一日をかけて、この廃屋を見つけ出したのだ。 潔癖症のレムリアにとっては、苦渋の決断であったが、見慣れると家屋を蝕む青黴も壁画めいた趣があるなどと思えるから不思議である。
「それと、前から薄々感じていたことだけど、ミュークさまとルムは、ボクの善意の無償労働に対して、もう少し感謝の念があって然るべきだと思う」
レムリアが唇を尖らせて抗議する。
「よくやったな」
苦労の対価は、抑揚の無い賞賛だった。 これでも、ルムファムにとっては最大限の譲歩であろう。
「少しは表情筋を使わないと、将来、皺だらけに―――ヒッ!?」
何気なく放った言葉が災いして、レムリアの意識は強制的に現実から遮断された。 果たして、その一言多い癖が“不幸”を呼び寄せる最大の要因だと、屍族の少年が気づく日は来るのであろうか?


