「リナリナ! むむっ、ユイユイとレムレムまで……」
プルミエールが驚きの声をあげる。 どうやら、扉口に現れた幾つかの人影に見覚えがあるようだ。 内の一者、杖をついた老女は、露台に吊るされたプルミエールに視線を送って軽く苦笑すると、
「相変わらず元気そうですね」
そう言って流れるような足取りで貴賓室へと足を踏み入れた。 簡素な身形にやつしてはいたが、高貴な血筋であることは間違いない。 隠しようのない気品と威厳が一挙一動から溢れだしていたからである。
ミュークも同様に歩を進めて、両者はちょうど部屋の中央で向かい合うかたちになった。
「貴老が名に聞くカタリナ・アヴィスかえ?」
「はい。 二十二家の大屍族ともなれば全てお見通しのようですわね。 それとも貴女が特別なのかしら、ミューク・ウィズイッド卿」
ミュークの不躾な問いに白髪の老女―――カタリナ・アヴィスは柔和な微笑みを浮かべて、そう切り返してきた。
「チッ、食えないババァじゃな」
ミュークが小さく舌打をする。 誰何せずに相手の正体を看破して、心理戦の機先を制しようと試みたが、敢え無く相殺されたのだ。 更に「それはお互い様です」と皮肉まで返品される。
もっとも、ミュークの場合、“記憶探知”の能力を使うまでもなく、様々な要因が事前に提供されていた為、この程度の推量は容易であった。 問題はカタリナの方で、ミュークを屍族と、そしてウィズイッドの血族と裏付ける為には、情報の漏洩者が必要不可欠であり、それは状況から考えて間違いなく、
「レム、其方喋ったな」
「うう……申し訳ありません」
ミュークに睨まれたレムリアが兵士に両腕を捉われたままで、器用に身を縮こませる。
「あら、レムリアさんを責めるのはお門違いですわ。 彼の自白・自供の類があろうとなかろうと、遅かれ早かれこうなったのですから」
長い銀髪を大きなリボンで結った少女が、小馬鹿にしたような口調と共にミュークの視界に割り込んできた。 まるで、レムリアは自分のモノだと言わんばかりの態度である。
「そんな小娘にたぶらかされおってからに」
迂闊に動くことも出来ずにミュークは歯噛みする。 憎まれ口こそ叩いてはいるが、本心では直ぐにでもレムリアを手元に引き入れたいところであるのだろう。
「ウィズイッド卿、数日前、この水都に教会船アメナディル号から特使が到着しました。 この意味はお分かりでしょう?」
カタリナが不足する事実を補うことで、食い違った見解の整合性を図った。
現状は、この水都で誘拐事件の内情を知る者とプルミエールが接触すれば、十分起こり得る事態である。 教会船で名を明かしてしまったミュークにも責任の一端はあるだろう。 特に此度の一件に限れば、ミュークの油断が招いた産物であり、泳がされていた節もあるプルミエールの元にノコノコ合流してしまったことなど、愚の骨頂ともいえた。
ミュークは扉口で生意気な口を利く銀髪の少女から視線を外すと、再度カタリナと向き合う。
「なるほどの、寧ろ一国の姫君の大事にしては対応が遅すぎたとも云えるくらいじゃな」
そして、大きく息を吐いて肩を竦めた。
「それは致し方ありません。 教皇庁に続きアダマストルでも内乱が生じている今、上位機関からの指示確認に手間取り、手配が遅れたのでしょう」
カタリナは「責任を伴うほどに、融通が利かなくなるのは世の常です」と更に付け加えて、苦笑いをする。
「(アダマストルで内乱?)」
ミュークは怪訝に眉根を寄せて、カタリナの言葉を脳内で反芻した。 アダマストルを出立してからまだ一月も経っていない。 滞在時も内乱の兆しどころか、不穏な噂ひとつ耳にしていなかったのであるから、腑に落ちないのも当然である。
「どうやらウィズイッド家は、アダマストルの件について無関係のようですわね」
得心したカタリナが軽く指先を鳴らすと、扉口に控えていた兵士がレムリアの拘束を解く。
「ミュークさま~」
解放されたレムリアが、今にも泣き出しそうな声をだしてミュークに抱きついてくる。
「余計な心配をかけおってからに―――ん?」
ミュークは無事を確かめるように、レムリアの頬や肩を掌で撫でる。 と、やにわにミュークの指先が弾かれたように痙攣した。 少年の首筋を包む見慣れぬ首環に触れた瞬間、得体の知れない脱力感に見舞われたのである。
「レム、身体に異常はないのかや?」
「は、はい。 ちょっと気怠いぐらいで、特に問題はありません」
レムリアの返答に変わった様子はない。 よく見れば若干顔色が優れないようにも思えたが、内に潜む微妙な機微を感じ取ることは適わなかった。
「これで此方に敵意が無いことはお分かり頂けたかしら?」
「ワチキ等を見逃すというのかえ?」
ミュークは軽く首を振って、レムリアを下がらせるとカタリナに尋ねる。 老公女の言葉に偽りはないだろう。 それは、殺気や害心といった気配に敏感なルムファムが動かないことからも判断できた。
「さすがに無条件というわけには参りませんが、それは取引次第です。 なにより、アダマストルの一件とは無関係でも、教会船への密航や王族の拐取など、事情を訊かねばならないことが山ほど残っています」
「ふん、交換条件を持ちかけるのならば、レムを解放したのは軽率じゃったな。 ワチキ等が逃げ出す可能性も考慮して然るべきじゃろうに」
ミュークの口唇にひとの悪そうな笑みが宿った。
ここ天上貴賓室は地上五階の高さに位置している。 人族相手なら、入扉を固めさえすれば脱出は困難だろうが、屍族であれば、露台から飛び降りるという選択肢もある。 無傷とはいかないまでも、余程打ち所が悪くない限り死ぬことはないだろう。 ミュークの運動音痴振りでは例外の方に当てはまりそうだが、それを進んで教える義理もない。
「あら、逃げ出す前に訊きたいことがあるのではなくって?」
扉口で成り行きを見守っていた銀髪の少女が、頃合を見計らったように再度、口を開いた。 そのまま足早にカタリナの左隣に立ち並ぶと、試すような視線をミュークへと投げかけた。
「蛍輝石じゃな?」
「気づきましたか。 お察しの通り、レムリアさんの首に巻かれているのは、蛍輝石の封印具です。 屍族が忌み嫌う天然蛍輝石を、太古の錬成技法で結晶級にまで純度を高めて、ウチの機関が開発した装飾具に埋め込んであります。 本来なら発光に費やされる蛍輝石の正の霊的原水を、屍族の肉体に強制的に流し込むことにより、魂魄に宿る負の霊的原水と相互干渉を行い対消滅を引き起こす仕組みですわ。 まだ試験段階だったのですが、先日、偶々、研究素材が手に入ったので試させてもらいましたのよ」
銀髪の少女は得意気に専門知識を披露する。 その表情は自信に満ち溢れていた。
「(ノルドに関する知識に加え……ウチの機関? そうか、この娘がプルミエール嬢の妹のユイリーン・リュズレイかや……)」
ミュークが与えられた情報の断片から記憶の照合を果たす。 先程プルミエールが発したユイユイという言葉。 加えて以前、レムリアから渡された資料に、アダマストルの第三王女はノルド学術検査機関の実施責任者を兼ねていると記述されていた。
「レムを実験台にしたのか」
まるで無害と思われたミュークの身体が唐突に鬼気纏う。
朝陽を雲塊が閉ざし、貴賓室に影が堕ちる。 ミュークの両眼が冥紅に染まっていた。 そこに見えるのは明確な怒りの感情であった。
「ミュークさま、ダメです」
レムリアの制止の声もミュークには届かない。 いや、届いてはいるのだろうが、屍族の少年の言葉が、まるでユイリーンの身を案じているように聞こえ、余計に腹が立っているのかもしれない。
「拘束後の被験者に反作用・副作用の類は無いと確証はありましたわ。 それに、これは将来的に人族と屍族の共存にも繋がる有意義な研究で……」
ユイリーンの声が次第に消え入るように小さくなる。 大屍族が血族でもない配下の屍族の身を案じるなど、想定外だったのだろう。 事実、世間一般で認知される屍族の姿と、ミュークの気質は掛け離れている。
「云いたいことはそれだけかや?」
ミュークが踏み出した分だけ、気圧されるようにユイリーンが背後に退く。
貴賓室に緊張が走り、扉口で甲冑に身を固めた兵士たちが片手を剣の柄に伸ばす。 命令があればいつでも室内に飛び込める体勢であった。
「お待ちなさい。 その封印具はたとえ大屍族であろうと外すことは適いません。 ここでわたしたちを害すれば、その子は一生、チカラを封じられたまま生き続けることになりますよ」
カタリナがミュークの腕を掴み、自制を促す。
「そのようなこと後でどうにでもなるわ」
しかし、ミュークは全く聞く耳をもたず、老公女の腕を邪険に振り払う。 それを見た兵士たちが怒気を孕んで室内に雪崩れ込もうとするが、ルムファムの幼げな美貌が眼前に立ち塞がり、一瞬、兵士たちの気勢が緩む―――そこに、空気を風食する轟音と共に、羽毛が巻き上がり、数本の白刃が絡めとられる。 屍族の少女の手には、寝台から抜き取った厚手の敷布が握られていた。
舞い上がる白羽が視界を閉ざす中、ミュークの手指が、壁際に追詰めたユイリーンに伸ばされる。
「人族の分際でワチキのモノを掠め盗ろうとした罰をその身に刻み―――ンガっ」
誰もが交渉は決裂したと諦めかけた時、ミュークの後頭部を予期せぬ衝撃が襲う。 勿論、武術の嗜みなど皆無なミュークに受身など取れるわけもなく、無様な姿勢でその場にもんどり打つ。
「まったくシツケがなっていませんです」
羽毛の霧が晴れると、いつの間にやら荒縄から抜け出したプルミエールが、拳を振り下ろした体勢でミュークの背後に佇んでいた。 ルムファムを除く全員が唖然とその光景を見つめていた。 屍族を素手で殴り倒す人間など、明らかに規格外である。
「く、いきなり後ろから殴るとはどういった了見じゃ!?」
立ち上がったミュークが抗議の声をあげる。 正気を取り戻したようで、口調もいつもの調子に戻っていた。 もっとも当のプルミエールは、醜態を晒して気まずそうに顔を背けているユイリーンを茶化して遊んでいる。
「お互いプルミエールに救われたようですね」
カタリナは胸を撫で下ろすように大きく息を吐くと、ミュークに同意を求めた。
「認めたくない……認めたくはないが、そのようじゃな」
ミュークとカタリナはお互いに顔を見合わせて苦笑しあう。 誰よりも空気を読まないプルミエールが、この場で一番冷静、いや、いつも通りであったようだ。


