「で、ちょっと目を離した隙に、なんでこんなことになっているわけ?」
ラールウェアはわなわなと両肩を震わせながら、隣で素知らぬ顔で佇むアーネルに訊ねる。
視線の方は、古城の一室に設けられた仮ごしらえの吊り床式の隠巣(寝床)に向けられていた。
「ラグナウェルさまなら、先ほどお眠りになられたところです」
「そっちじゃない、そっちじゃなくてコレよコレ!」
ラールウェアはずかずかと歩を進めると、人差し指の先端をラグナウェルの傍らに突きつける。 そこにはすやすやと幸せそうに寝息を立てるプルミエールの姿。
「どうして“この子”が、まだ生きているのかって訊いているの!!」
「無論、ラグナウェルさまのご意向で」
「嘘よ。 お兄様がアダマストル王家の血脈を生かしておく筈がないわ。 どうせアンタの入れ知恵に決まってる」
激昂したラールウェアがアーネルを睨みつける。
「ラグナウェルさまの本願を果たすには、必要不可欠な存在なれば助命を進言致しました」
。
アーネルは素知らぬ顔で、あっさりと認めた。 人族に対する不殺の誓い。 バルズール家の急所を握られ、表面上は恭順の意を示しているが、その信条だけは譲るつもりがないらしい。
「ふん、まぁいいわ。 それより問題はこの子が“ココ”にいる理由よ。 アタシというものがありながら、別の女……よりにもよってこんなお子様に心を許すなんて信じられない」
ラールウェアはプルミエールの頬を指先でグリグリとこね回す。
屍族の吸血行動は催淫効果を齎す。 その過程でお手つきが増えるのは屍族にとって古き慣習でもある。 しかし、如何に尚古主義な屍族と言えど、秘匿すべき隠巣にまで人族を連れ込むのは稀だ。
「う……ほへ?」
頬に感じる圧迫感にプルミエールの瞼が薄く開いた。 左右非対称の双眼に意識が宿り、ラールウェアの姿を捉える。
次の瞬間、人族の少女は弾かれたように飛び起き―――ようとして失敗。 そのまま何処ぞの原始宗教の成人の儀よろしく、足首に天鵝絨を巻きつけたまま揺れる寝台の下に転がり落ちた。
「ナニ奴!? 不意打ちとはヒキョーな!」
大人への通過儀礼に失敗したプルミエールが理不尽に逆ギレする。
立ち上がった少女の痩身は、胸部と腰周りに薄い麻布を巻きつけただけの半裸に近い格好である。 僅かな丸みを帯びた緩やかな曲線が浮き彫りになっていた。
「……ナニ奴って、アタシのこと覚えていないの?」
緊張感と共に毒気を抜かれたラールウェアが呆れたように口を開く。 古代遺跡での凄惨な出来事は、常人なら一生涯忘れられない記憶であった筈である。
「うにゅ、もちろんシラナイです」
プルミエールが無駄に偉そうに胸を張る。 ナメクジ並みの記憶力にやたらと高い運動性能、考えるまでもなく面倒である。
「ま、まぁ、いいわ。 アタシはラールウェア・
オルカザード。 魔術師の血統アルカナを継ぎし偉大なるオルカザードの―――って、マテぇぇぇい」
名乗りを無視して、いそいそと寝台に潜り込もうとするプルミエールの頭をラールウェアが両手で鷲掴む。 そのままジタバタと暴れる人族の少女を抱え込むように拘束した。
「ムカー、兄妹水入らずをジャマするとはブスイな奴ですね」
「兄妹!? って……話したの?」
ラールウェアがジト目でアーネルを振り返る。
「懐柔には必要不可欠だと判断したようです。 理解するまで一晩かかりましたが、効果はご覧の通りです」
敵愾心を和らげる目的で真実を告げたのは、ラグナウェルの判断である。
ラグナウェルが異父兄である事実と共に、ふたりの母エレシアムが、王家と教会にとって不都合な真実を隠蔽する為、謀殺されたと語って聞かせたのだった。
当初は懐柔に応じなければ、凌辱や拷問も厭わず服従させる腹づもりだったようだが、アーネルの忠告を受け入れて、一応の事なきを得たのだった。
「だからって順応性高過ぎるでしょ」
「理解させるまで一晩かかりましたが、効果はご覧の通りです」
単純なのか馬鹿なのか、過去のいざこざなど何処吹く風、今ではラグナウェルにベッタリひっついて、離れる気配がない。
「何の効果よ。 余計にややこしくなっているだけじゃない!?」
「ラールウェアさまにならご理解できる感情かと」
「こんなのと一緒にしないでくれる。 アタシはお兄様の復讐者としての苛烈なまでの残虐性に惹かれたの。 なにより、そこには崇高な目的が―――っ」
不意に手の甲に刺すような痛みが走り、ラールウェアが言葉を詰まらせる。 反射的にプルミエールの頭部を抱え込んでいた腕の拘束が緩み、
「みゅふーん、てんばつです♪」
自由を取り戻したプルミエールは吊り寝台に跳びのると、屍族顔負けの八重歯を剥きだして仁王立になる。
「人族に噛まれるとは屈辱……」
ラールウェアの染み一つない綺麗な肌にくっきりと歯形の痕。
燭台で揺らめく蝋燭の明かりの下、自称・異母妹とぽっと出の異父妹、ラグナウェルを巡る両者の間に一触即発の気配が漂う。
「お前ら煩いぞ」
無駄に盛り上がったその場の空気に冷水を浴びせる一喝が響く。
ラグナウェルが気怠そうに身体を起こし、腰までかかる白金髪を掻きあげた。 白いうなじから肩―――均整のとれた肉体からは未だ少年の色香が感じられた。
「お兄様!?」
「ラグナ兄さま!!」
まるで形態反射のようにラールウェアが左隣、プルミエールが右隣に陣取ってラグナウェルの腕を絡めとる。 水と油のような関係だが、優先順位が同じである為、自然と息が合う。
「ラグナウェルさま、お体の具合は如何でしょうか?」
片膝を折ったアーネルが慇懃に焔を編んだような頭を垂れる。
「己の感知しない諍いが原因で叩き起こされても、目覚めが良いと感じる奴がいたら、ソイツは世界一の博愛主義者かド変態の被虐性欲者のどちらかだろうな」
ラグナウェルが唇を歪めて嘯く。 そのまま二人の妹を邪険に振り払おうとするが、すぐに無駄な労力だと気づき諦めた。
「深層域の屍霊術の行使は出来るだけお控えになられるよう」
アーネルが指すのは古代遺跡の一件である。
「わかっているさ」
あの場で、ラグナウェルはその言動ほど余裕があったわけではない。 敵方にはウィズイッド家の当主に従者の屍族が二名、更にアルル=モア公国の正規兵も帯同していたのだから当然だ。 不意打ちを仕掛けたのも、恐らくは、血統アルカナの継承者であろうウィズイッドの屍族を牽制する意味合いがあった。
「魔術師の血統アルカナを自在に行使できれば、あんな雑魚ども容易に一蹴できるが、今はそうもいかない。 だいぶ同化は進んでいるが、糞親父のチカラを僅かに解放した程度でこのざまだからな」
ラグナウェルは自嘲めいた笑みを浮かべた。 彼の剥き出しの腹部に奇怪な人面瘤が浮かび上がっていた。
それは太古の呪法によってラグナウェルに取り込まれた前オルカザード家当主―――つまりラグナウェルとラールウェアの実父ルドルフ・オルカザードの変わり果てた姿であった。
「うにぃ……なんですかコレ、キモチワルイですね」
「そんなお姿になってまで抵抗を続けるなんて、お父様は本当に往生際が悪いな」
ふたりの妹が其々の感慨を洩らす。
嫌悪と揶揄、内容は似たりよったりたが、直後にとった行動は正反対だった。 腰を引くプルミエールに対して、身を乗りだしたラールウェアは苦悶に歪む人面瘤を愛しげに愛撫していた。
「でも、もう手遅れ。 オルカザード家は人族との融和を望むような腑抜けたお父様ではなく、もっと相応しいカタチ―――お兄様の元で再興されるわ。 オルカザードの血統に人族の血が混ざるのは気に入らないけど、血統の純潔性は近親婚を繰り返せば、いずれ解消される」
言葉を重ねるごとにラールウェアの手つきは熱を帯びる。 そして終には鷲づかんだ異物を躊躇いもせず握り潰していた。 人面瘤は怨嗟の呻きを残し、血泡と共に白皙の肉体に埋没していく。
「で、お前らはナニを揉めていたんだ?」
ラグナウェルは人面瘤が破裂した瞬間、僅かに眉を顰めただけで、何事もなかったように訊ねる。 恐るべき胆力であった。
「そうだ、すっかり忘れてたよ。 こんなお子ちゃま人族と行動を共にするなんて正気の沙汰じゃないわ。 今すぐ殺しちゃおう。 そうしよう。 いや、そうすべき」
手指を伝う紅の雫を舐めとっていたラールウェアが矢継ぎ早に口を開く。 血の味に触発された翠眼には妖しげな燐光が宿っていた。
「このメス餓鬼には使い道がある」
ラグナウェルがプルミエールの金髪頭を荒っぽく撫でつける。
それが心地よいのか、人族の少女は飼い主に甘える仔猫のように厚い胸板に頬ずりしていた。
「使い道……って、そんなことより、いい加減にお兄様から離れなさいって―――うぐぅ」
掴みかかったラールウェアが潰れた悲鳴と共に鼻面を押さえて蹲る。 死角から勢いよく跳ね上がったプルミエールの足蹴りに返り討ちにあったようだ。 純粋な膂力では勝っていても、格闘センスは素人同然のラールウェアである。 野生の獣並みの身体能力を誇るプルミエールに正攻法で太刀打ちするのは難しいようだ。
「ザマーみろです♪」
「ぐぅ、油断したわ」
喜色満面のプルミエールをラールウェアが歯ぎしりしながら見上げていた。
人族にコケにされるなどラールウェアにとって生まれて初めての経験であり屈辱であった。 一般的な屍族にとって人族は劣等種であり蔑みの対象であるのだから当然だ。
「ラールウェアさま、どうか気をお沈めくださるよう。 プルミエール姫には反魂の秘法の触媒役を担ってもらいます」
アーネルが助命の理由を示し譲歩を促す。
「それならアタシの千年蠱毒で聖女の血脈者に擬態化すれば済む話だわ」
既にラールウェアは擬態化に不可欠なふたつの鍵を入手済みであった。 ひとつは反魂の秘法の術具となる霊環アシュタリータ。 もうひとつは、フォン=バレル三世に植えつけた呪蟲から採取したシャルロットの生血である。
「ラールウェアさまが触媒として呪精させた血は純血ではありません。 聖女の血質はリュズレイ直系の嫡女にもっとも色濃く受け継がれるとのこと。 前聖女エレシアムの姪であるシャルロット姫よりも、実子であるプルミエール姫の方が血の濃さでは勝りましょう。 なによりその張本人が我らの手中にある以上利用しない手はありません」
アーネルは極めて合理的に論理を説いていく。
「だったら、この子の血を使ってアタシが……」
「ラール、今のお前に新たな呪蟲を体内で使役する余裕はあるまい。 なにより、まだお前に死なれては困る」
ラグナウェルの婉曲な言い回しにラールウェアが唇を噛み締める。 彼の紅眼はこれ以上駄々をこねるなと暗に促していた。
「だったら、それまで牢に閉じ込めておけばいいでしょう」
だが、尚も食い下がる。
「手懐ける必要がある。 いざ事に及ぶ段階で、聖霊環を持ったまま逃げられても面倒だしな」
「どんな理由があろうとも、アタシとお兄様の関係を脅かす存在なんて、人助けが趣味のアタシでも許せないわ」
結局のところ、人族に対する嫌悪よりも、お気に入りの兄を独り占めできないことに対する不満の方が大きいのだろう。
「誰の趣味が人助けだって? お前は治療と称して、人族を千年蠱毒の実験台にしているだけだろう」
ラグナウェルが皮肉たっぷりに返す。
「臨床研究は近代医療の礎だよ」
「用済みになった被検体を、お前が殺しまくっているせいで、オルカザード家はかなりの不利益を被っているらしいがな」
「もぅ、あー言えばこー言う」
形勢の圧倒的不利を認識してか、ラールウェアは拗ねたように口先を尖らせていた。
「もういい。 でもこの子にお手つきしたら許さないから」
「俺が側女に置くのは生娘だけだ。 血が不味くなる」
身勝手な言い分だが、それだけに嘘ではない。
目的達成の為なら手段を選ばないラグナウェルだが、己に友好的な者を、好んで害する性質ではなかった。
その点、ラールウェアは一時の快楽を満たすだけなら、見境がない。
「ふ~ん、本当かな。 まっ、西大陸一の美貌を誇るアタシとさえ最後の一線を越えようとしないし、その点だけは信じてあげる。 それに、立ち位置が同じならアタシが負けるわけもないしね」
ラールウェアは艶やかに微笑みながら恋敵を睨めつけるが、
「にゅふふーん、ラグナ兄さま♪」
当のプルミエールは緊張感など欠片もなかった。
己の生殺与奪を握る者たちの物騒なやり取りもどこ吹く風、完全に対岸の火事である。
「ふっ……」
アーネルがプルミエールの脳天気振りに僅かだが相好を崩す。
「アンタ、少し雰囲気変わったんじゃない」
ラールウェアが厄介事を楽しんでいる節があるアーネルにぼやく。 出会ってだいぶ経つが、この赤毛娘が笑っている姿を見たのは初めてだった。
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「それに、なんだか負けたみたいで気に入らない」
常人では一生辿りつけない、プルミエールの脳内お花畑な境地を目の当たりにして、頬を引き攣らせるラールウェアであった。


