Rainbow Seeker 

【旅行記】1.夜パリに着く

この旅行記はdoll02の夫の書き下ろし未発表作です。
当時5歳だった娘を連れての10日間の家族旅行を軸にして
独身時代のひとり旅、結婚後の二人でのヨーロッパ半年旅行の
エピソードを交えつつ、話が進んでいきます。

長いです!
ちょっとした小説並です。(長さはね)
全9章ありますので少しづつ連載して行きたいと思います。
興味を持たれた方はぜひ読んでみてくださいね。

長過ぎていやだと思われる方、
飛ばし気味に読んでいただいても結構ですよ。
では前置きはこれくらいで、早速始めることにしましょう。

(なお、著作権は放棄しておりませんので、無断転載・二次使用は禁止致します)

パリ・マドリッド10日間家族旅行記


mado




1.夜、パリに着く

 机の上に置かれたGIVENCHY・ジェントルマンのオードトワレをス

プレーすると、私の心は忽ちパリのセーヌ河、メトロ、モンマルトルの階段

そしてブール・ミッシュを経てリュクサンブール庭園界隈へと駆け巡る。

 1991年の秋9月30日、ロンドン・ヒースロー空港経由でパリ・ドゴ

ール空港に妻と5歳半の娘とともに到着した時は夜も10時を回っていた。

私にとっては3度目のヨーロッパ訪問となる。デパール、アリヴェといった

フランス語による案内板や女性のアナウンスが実に新鮮で適度の緊張感と、

また来たな、という実感を与える。



 最初訪れた時(1978年春)は単に意味がわからないからだけでなく、

フランス語の持つ英語圏とはあまりにも異なるエキゾチックで美しいイント

ネーションに飲まれたこともあって、フランス語が実際の所少々恐く聞こえ

たものだった。それはおそらくドゴール空港のように大きくはないが、色彩

感覚の優れたフランスらしい、実に感じの良いオルリー空港に到着し、感動

と緊張に包まれていたせいもあったろう。入国手続きを終え、銀行で両替

し、アンヴァリッド行きのバスに乗ろうとした時、自分の背中が妙に軽いこ

とに初めて気付いた。慌てて戻り、数名の不親切な係員に尋ねて、随分分か

りにくい処にある荷物引取所に何とかたどり着いた。その時私が見たものは

寂しそうに1人でクルクル回っているひときわ赤い私のリュックであった。

そんな有様だった。

入国審査する前に例によって、コンベアに乗って出てくるバゲッジの出現を

待たねばならないのだが、なかなか私達の黒色の旅行カバンが出てこない。

娘が「トイレに行きたい 」と言ったので、ママだけ残して私と娘は早足で

トイレを探しに出かけた。通例、西欧社会においてトイレを見つけ出す方が

日本社会においてそうするよりもはるかに難しいことを知っている私は一刻

の猶予も許さぬ「パパ、もうオシッコ出ちゃう」という娘の叫びに焦った。

早い段階でのトイレのサインの発見がこの危機的状況を救ってくれた。用を

済ませ手を洗う。その水道の器具の形や色合いが実に良い感じで、パリの美

的な一面に再び接した思いがし、再会までの9年という長い歳月が急速に縮

まっていく感じがした。



 近くにあった銀行でアメックスのフランス・フラン建てのトラベラーズチ

ェックを現金1000フランほどに両替し、さらに一部をコインにチェンジ

してもらう。店員の英語による説明(最初フランス語で語りかけてきたが、

私が英語で言ってくれと言った)によれば、空港内は少しコミッション(手

数料)が高いそうだ。3%位だった。



 娘とともに元のコンベアの処に戻ると妻の横にジェット・ツアーの添乗員

の人がいた。今回の旅行はパリ・フリータイム10日間というもので、空港

からホテルまで、またホテルから空港までに限って添乗員がつくのである。

私達の黒い旅行カバンはすでに妻の手元にあった。成田空港からツアーの便

宜上行動を共にしてきた若いOL2人とひと組のカップルと私達3人の計7

人はパリ在住十何年といった観のある内宮さんという添乗員と共に入国審査

を受けた。審査員は順々にパスポートを見ながらフランス語で入国の目的、

滞在期間を尋ねたが、フランス語風のイントネーションで「サイトシーニン

グ」とかフランス語で「ドゥジュール」(2日)とか言ってると、「もう良

いから入れ 」と手で合図し、パスポートを返してくれた。形だけの手続き

だ。しかしいつもこのようにいくとは限らないことを、私は体験で知ってい

る。



ついにルーブル美術館のある憧れの国フランスに家族連れで入ったのであ

る。私は26歳でパリに出会ったが、娘は6歳にならずしてパリの空の下を

美しい街並みを見ながら歩くのである。妻は娘の手をしっかり握り、私の方

は荷物をガラガラ転がしながら円形になっている空港の外に留められている

大型バスの方へ進んだ。内宮さんがちょっと運転手とフランス語で言葉を交

わすと運転手がバスの側面を開けて、私達の荷物を中へ入れてくれた。私は

「ボンソワー、ムッシュ、メルシー」と言った。彼も挨拶した。

「 チップは払わなくてもいいです、私が払います 」と内宮さんが言って

いた。事実ホテルに到着した時、払っているのを見た。それにしても他の人

達はほとんど何も話さず、運転手に対しても何も言わず、長旅で疲れている

のだろうけど、実に無愛想な面々だと思った。貸切バスの中に腰掛けた。僅

かしかいない客である我々にちょうど明日10月1日から10フラン硬貨が

新しくなり赤銅色の分厚くて重いコインから薄くて小さいのに変わるが古い

コインでお釣りを貰っても銀行で新しいのとある期間においては交換してく

れるとか、昨日今日と大規模な、いわゆる国鉄SNCFのストライキがあ

り、ヴェルサイユ宮殿に行くのに便利なRERは今日は運行していなかった

が明日は大丈夫だと思う、ヴァカンスの頃と違って寒くなり出すこの時期は

例年生活闘争が激しくなるがこれもパリの現実の顔だとか、盗難が増えてい

るので注意するように、特置き引きが多発しているので、常に身につけて離

さないようにとか、皆さん方はパリが初めての方はいらっしゃらないので細

かく言うこともないでしょうがーと前置きしながらも、実に丁寧に親切に細

部にわたって説明してくれた。



 左右にかなり背の高い各国の企業名入りのビル群を見ながらしばらく走る

と、遠くに照明された白色のサクレクール寺院が夜空にくっきり見えて来

た。わが心のパリだ。いつまでも変わらぬ古くてそれでいて新しいパリだ。

リュクサンブール公園からGay Lussac通りをしばらく上っていっ

た処にある私の行きつけの「プログレ」という一つ星クラスのホテルの一室

で、パリ滞在最後の日の朝、妻と並んで写真を撮ったのを思い出す。198

2年3月29日から9月7日まで約半年かけて西欧14カ国をユーレイルパ

スとユースホステルを利用しながら回る大旅行だった。2人の実質的な新婚

旅行だった。



 サン・ラザール駅の近くのモスコウ通りに面して我々のホテル、三つ星の

「アストリア」があった。時間は夜の11時頃だった。少し肌寒い。バスか

ら降りて荷物を受け取りホテルに入る。入って正面にフロントがあり、「ボ

ンソワー」と黒いスーツを着た背筋のシャンと伸びた中年のコンシェルジュ

に挨拶すると、彼も同様に挨拶しその後で「こんばんは」と少しはにかみな

がら言った。日本人旅行者が毎日の様にこうしてやって来るので日本語の挨

拶でもてなすのだろう。予期しなかった日本語に対して直ちに反応できず、

ちょっと間を置いて私も「こんばんは」と応え、お互いにっこりした。



 内宮さんに導かれて奥のサロンに例の愛想の悪い二組とともに集まり、こ

れから先の説明を受ける。大きな荷物を何とかして、シャワーを浴びたい私

達は「私はウチノミヤ、内に宮と書きます」から始まる説明に正直言ってう

んざりした。しかし帰りはどうするとか大切な話もあるとのことなので、辛

抱して聞いた。内容は概ね「明日の朝だけ8時頃もう一度このホテルに来て

9時頃までいますので、その時に尋ねたいことがあれば聞いてください。そ

してショッピングについては「オー・プランタン」内の高島屋で買うとそこ

ですぐに免税してくれるので大変便利です。お薦めします。パリの詳しいち

地図を差し上げます(表紙にパリ最大のデパート、PRINTEMPSと書

かれている。この地図は裏にメトロの地図も載っていて大変重宝したのでボ

ロボロになってしまった。詳細な地図は私がいくらパリの地理に明るいと自

負しても新しいルートにチャレンジしたり、日本料理店等を探したりする時

にはなくてはならないのである。パリは奥が深い。歴史・美術・音楽・料

理・ファッション等その人の興味や関心に応じて、浅くも深くもなる)最後

に、帰りは9日目の10月8日朝9時にここに集合してください。それまで

は全くフリーです。それとパリ市内観光半日コースがこのツアーに含まれて

いますので滞在中いつでも無料でご利用できます。このホテルでこの間盗み

がありパスポートはじめ貴重品全部盗まれるという事件がありましたので、

それぞれの室内に設置されているセーフティボックスを利用されることをお

勧め致します。前金で400フラン(当時9000円位)払って鍵を借り、

使用後鍵をフロントに返還する時に使用料50フラン差し引いた額を返金し

てくれます。説明は以上です」というものであった。



 やっと説明が終わり、3階の部屋へエレベーターで向かう。ヨーロッパで

は3階は日本で言うところの4階を意味する。開けにくい鍵を右へ左へと回

し何とか開けて中に入る。室内装飾はまあまあで、例のビデ付きのバストイ

レ一室と奥に一人用のベッドがちょうどいっぱいいっぱいに収まっている可

愛い部屋が一室、そして入ってすぐに机があり、左にベッドが二つ少し間を

置いて据えられ、簡易な一人用のソファが2脚それぞれのベッドの足元に置

かれていた。荷物を下ろし、とりあえず一息つく。すると突然電話が鳴っ

た。私が取って「アロー、ボンソワー」と言ってみると、相手は内宮さんで

娘のカバンか何かが置き忘れられているとのこと。ちょうどセーフティボッ

クスを利用する手続きにフロントへ行こうと思っていたので階段で下へ降り

て行った。内宮さんに礼を言いフロントで手続きを済ませ、ボックスのクレ

(鍵)を持って部屋に戻った。



 ちょうど母娘はシャワーを浴びているところで、少し騒ぎ気味なので、ど

うしたのか訊くとシャワーの調子がおかしいとのこと。後で私も利用して分

かったのだが、大げさに言えば360度ほぼ球体全面にブツブツと水の出る

穴が開いているといった状態で、しかもバスタブを遮断するナイロンカーテ

ンが取り付けられていないので、もうお湯がめったやたらあちこちに飛び散

り、さらにお湯の量の調節がいい加減で、無茶苦茶出るかほとんど出ないか

のどちらかなもんだから、いつも無茶苦茶出るわけで、体を洗っているのか

バスルームを洗っているのかわかったもんじゃなく、何とか気をつかってバ

スタブ内で体にだけシャワーを当てようとするとあまりにも局部的にしか当

たらないので石鹸が流れ落ちないといった具合で、全く閉口するばかりであ

った。



 日本から持って来た電熱ポットでお湯を沸かし、パックのほうじ茶を飲み

ながら一息ついた。やっと落ち着いた。長い一日だった。前もって日本でお

およそのスケジュール表を作成してきたので、その夜は若干の荷物整理をし

た後床に就いた。日本ではベッドではなかなか寝付かれない私だが、不思議

とヨーロッパでは心地良く寝られるのである。一つは、頭から布団はないと

諦めるからだろう。さらにもう一つ考えられる理由は、日欧間のベッドにお

けるスプリングの加減の差異もある気がするが、それ以上にベッドサイドま

で靴のまま歩き行動し、唯一裸足が許されるのがベッドの中だというところ

から来る精神的安堵感が私の身を包むからだろう。 (つづく) 次ページ へジャンプ


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