妊娠から出産840gの娘

平成9年6月・・・・
東京のと有る病院にて
「お目でたです」と言われ妊娠が判った
結婚当時は、主人も私も、子供は要らないって、思ってました
それでも、結婚3年が過ぎ、やっぱり1人位と、言い出したのは主人でした
私は1人なら2人にしようと思っていました1人ッ子て寂しい気がして
それはともかく。。。

先生が、言うのには、
「卵巣に腫瘍が、有りますね、お腹の子が4ヶ月に入ったら、検査して取らないとダメかも」
げっ~お腹に、子供が居るのに手術???大丈夫なの????
4ヶ月に入ると麻酔とかの影響が無いんだそうです・・

平成9年9月。。。
結局取る羽目に。。。
手術自体は盲腸と同じくらいだと思います
下半身麻酔で2時間弱ぐらいですかね・・・・
それからど~も調子が悪かった・・
流産の心配の繰り返し
入退院の繰り返し・・・
これでは、早産の危険が有るかも
急遽、日赤の産科に病院を変えた、知り合いに。良いと聞いたので
その後何とか順調に進むように見えた・・・

平成9年12月末・・・
病院も年末年始の休みに入る・・
最後の日・・・来年最初から8ヶ月に入るので
2週間毎に成りますね。

平成10年1月6日
5日から病院が始まりその日は混むかなぁと
1日ずらして検診・・・・・
その時の血圧上が197下が125本人全然自覚なし・・
先生直ぐ入院して下さい・・・
私は、家で遣り残してる事が有るので
荷物を、持って明日来ます
この本人の、自覚が無いのが、ダメなんだよね
血圧が、これだけ高いんだから、目まいがするとか
頭が痛いとか、そんな症状でも有ればねぇ・・
取り合えず看護婦さんに
くれぐれも動かないよう無理しないで明日来て下さいと
許しを得て帰る・・・
ところが。。。。

その晩・・・・・
夜中12時半頃
胃の激痛・・・昔から少し胃が弱いというか
神経性の胃炎持ちそれがきっと再発
色んな心配事が重なったせいですね・・きっと
急遽日赤に連絡緊急入院・・・・
鎮痛剤など打ち落ち着く・・・

翌平成10年1月7日
色々な検査が始まる
本人の自覚とは別に
心電図・・お腹の子のモニター、これもお腹の子の、心音を拾うもの
それを、付けられ絶対安静・・・
面会謝絶・・看護婦さんが、何時でも来れるよう
看護センターの、隣の部屋に移動
色々な検査の結果
明日、子供を出しましょう
副院長の、診断の結果、先生が出頭して帝王切開にて行いましょう
唖然・・・・・・・
先生曰く・・・
「これは、赤ちゃんは、ともかく、お母さんも、とても危険なんです、自覚して下さい」との言葉・・・主人が呼ばれ先生と話し・・・
緊急の場合、赤ちゃんは、こちらの施設で何とかしますが
お母さんの方は、大学病院に搬送します・・救急車の用意をして手術・・・
との話だったようです・・・・
色々な検査の結果・・・
血圧はもとより
何故か白血球が通常の1/3以下だと判る
これは中毒症のせいなのか?その辺が先生達の、間で話し合った事らしい
血圧が、高い上、白血球の減少は
血液を止める事が出来なくなる為、大変危険・・との事でした

平成10年1月8日
午後2時予定では2時間ぐらいの手術との話だった・・
先生は「白血球の、輸血の後、お腹を切りたい、輸血車が遅れてるので待機」
その後約1時間後始まる・・・
麻酔これは下半身ですから記憶は全部有る・・
その後イザ・・・
先生・・卵巣の手術横切りだね・・帝王切開縦に切ったほうが、子供が出しやすいんだけど良いかなぁ?そりゃ~良いに決まってますよね・・・
私・・願いします・・・・
その後特別異変が無く順調に事が運ぶ・・・
とても小さな。小さな産声が聞こえた・・・
子供が生まれると、待機していた、小児科の先生方が、直ぐに処置
そのまま無菌室の、小児病棟に一直線
私は・・微かな鳴き声を耳に顔を見れずにいた
副院長先生は「大丈夫小さいけどしっかりしているから」と一言
それに、思ったより出血も少ないから、これなら大丈夫と
手術室を出て、旦那がお疲れさんと一言・・・
それから
私は相変わらず心電図をつけられ
しばらく安静にと・・・血圧の降下剤を飲み
その薬が、終わらないと、母乳あげられませんよ、と言われ・・・
子供の事を気にしつつ病室に・・・・

翌9日
小児科の担当医が挨拶
これからの治療方法の説明。
今後の心配なてんを説明・・・・助かるか今のところ五分五分と話す
婦長さんが旦那さん子供見に行ってあげて下さいと
私は未だ動けない状態なので。。。
旦那・・・助からなかったら見てしまうと
悲しみが強く成って嫌だと行かない・・・・
気持ちは判るけど・・私は見て欲しかった、それで・・頑張れと声を掛けて欲しかった、でも旦那の、気持ちを考えると強要出来ない・・・・

10日
盲腸と同じでガスが出るまで
尿管を、外せないんです、
これが又キツイ・・・10日尿管が外れ少しずつ動いて良いと
食事もスタートです
旦那依然見に行かないと頑張る・・・
婦長に呼び出される・・・
後で婦長に聞いた話「貴方は、お父さんなんだから、励まして上げなさい、可愛そうですよ、頑張っているのに、と言っときました」と私に話してくれました
私の言いたくて言えない事を婦長さんが、言ってくれて、ホッとしました
副医院長検診・・・
「1番小さいけど、元気良く、手足を動かし、頑張ってるぞ、速く血圧下げて、母乳をあげれる様に、貴方も頑張りなさい」と一言・・・
まったくですよね・・・・

11日
今だ下がらず子供を見に行きたいと
看護婦さんに話す・・・婦長さんと相談しますねと・・
今日もダメ・・・・

12日
未だ下がらず血液を取って
白血球の検査腎臓と肝臓の検査
結果が出るまで少し大人しくしてなさい・・・・
未だ子供と会えず・・・・

13日
血圧は少し下がった物の
今だ154の86前後を行ったり来たり
先生は・・「高め安定かなぁしょうがないなぁ・・明日子供に会って来なさい」
やっと許可が出る・・主人は今日決意を決め会いに良く・・・
どうだった??と聞くのも恐かったけど・・
主人は点滴のビニールの入れ物を見て
こんな感じに手と足が付いているかなぁ・・・変なの・・・
この日に主人に名前を決めるよう頼む
知り合いのお寺で1番運の強い名前をと頼む
それで・・・真美と決まった
出生届を出す・・・

14日
検査の結果を聞き
肝機能障害多少と白血球の数は平常の半分・・
怪我をすると血が止まらないので気を付けなさいと・・注意
午後ようやく娘とご対面・・・
最初に手を念入りに洗いその後
帽子と白衣エアーの殺菌
そして娘の場所・・・・・
声になりませんでした・・
ただ泣いてばかりいました
沢山の管を付けた。小さな娘・・・
娘の担当医が来てお母さん大丈夫ですよ
娘さんは頑張ってるからと・・・
その後治療内容の説明・・・・
無呼吸症候群になるそれでもポンポンって叩くと
あっ忘れてたって直ぐしますから大丈夫・・?
それから3大未熟児病があるとかで
説明を受ける
脳性麻痺・網膜剥離・肝機能障害・・・
どれが出ても不思議では有りません・・・・
そんな話を半分上の空で聞き
これは事実なんだろうか?そんな事ばかり考えた・・
約1時間で今日は未だ無理だから帰りなさいと・・・・

ここで・・・ちょっと一言・・
本当に辛いとか悲しいとか思っていても
戦ってるのは娘・・それでも親として本当にきつかった
でもそんな中で懇々と先生は手厳しいそれは事実なんだけど
そんな話をします・・言わないわけには行かないしね
最悪な事態を考えて話すみたいです・

15日
これからは決まった時間なら毎日見に行って良いですよ
2時から4時が集中治療室の面会時間
決まって旦那と行きました
薬も無くなり母乳を搾って冷凍
それを管で直接お腹に入れる・・・

16日
個室から4人部屋に・・・
毎日会いに行って
今日50グラム増えましたよとか
そんな少し・・・それでもしょうがない・・・
840gで生まれたんだし
生まれて少しすると余分な水分が出るそうです
家の子はその時は540gまで落ちました
恐いよね何かこのまま無くなっちゃうのかと思いました
先生は・・500切らないと良いんだけど・・と言ってました

大部屋に移って・・・
嫌だったのは・・
周りのお母さんが皆
子供と寝てるのに私は1人・・
ご家族の方も、おめでとうと、お見舞いに・・・
家の子は、何で、お目でとうを、言ってもらえないんだろう
それが1番嫌だったな。。。
他人を、羨ましいとか思った訳ではないけど
家の子に、申し訳なくって、おめでとうと、言ってもらえない娘に
沢山御免なさいを、言いました・・・
それでも私は、娘と会った時に
この後は、絶対に泣かないと、決めたから泣きません
娘が無事に、退院する時に泣くんだと・・・・

17日~25日

御免
未だ続く・・・もうしばらくお待ちくださいね


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