いろいろ日記

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井戸についての雑感



 あたし自身が自分の井戸の底を探索している最中だ。あたしは、去年の秋から今までにない深いところを歩いている自覚がある。時々真っ暗な中を一人でいるような気がする。時々、歩いているあたしは4歳ぐらいの女の子の姿になり、「うつぼ」の姿になり・・・こうして書いていると、なんだか荒唐無稽だが、これはあたしの無意識の中では真実なのだ。だから、この「ねじまき鳥クロニクル」が、そういう意味で真実を書いた物語だ、ということが、あたしにはわかる。

 ひとりぼっちで歩いているような気がするときは、過去の歴史の流れも含めて、国境の枠を超えて、これまで、ものすごくたくさんの人が自分の井戸を掘ってきたことを考えてみる。信じられないような苛酷な条件でも。たとえば戦争にいやおうなしに巻き込まれていった中でも。あたしは確信している。あたしがひとりぼっちだと感じながらでも、ずっと深いところを歩いていくならば、必ず深い場所で人と出会うことができる。地下の世界にはいたるところに水脈がある。あたしの井戸は、必ず誰か別の人の井戸に通じている。あたしは、一人ではない。人間は一人ではない。だから、深いところを歩き続けろ。あきらめるんじゃない、と。そう、結構あたしは強い女なのだ。うつぼだからね。(なんのこっちゃ??・・だから、井戸の底の世界では、あたしはうつぼなの!!あー、やっぱり、書いていると荒唐無稽に聞こえるなあ。村上春樹があんなに羊にこだわるのはなぜか。それは、きっと井戸の底の世界では彼は羊なんだと思う。)

 間宮中尉がノモンハンで落ちた井戸のことを、考える。彼は、あの筆舌に尽くしがたい体験の後には、深ーく潜らざるをえなかったんだろうなあ。あのまま出て来られなくなる危険性の方が高かったと思う。井戸の底で彼は、ほんの一瞬だけ差し込んだ太陽の光の下で、かろうじて残った意志の力のすべてを注ぎ込むようなものすごい切実さで救済を希求したのだろう。それがかなえられなかったことで、次の瞬間、彼から生きていくエネルギーをいっさい奪い去るような深い絶望がきたのだった。
 あたしは、間宮中尉に、強靭なものを感じる。なぜなら、彼は、そのあとも市井人として、まっとうに生き続けていったからだ。人間って強いなあ。あたしはこんなことを夢想してしまう。間宮中尉自身には、もう、救済を自分からほかの人に求める気持ちは残っていなかったのだけど、もしも、彼の人生のどこかで、「クミコ」にとっての「僕」のような存在があらわれて、もう1度あの井戸に一緒に降りようと強く迫ったならば、などということを。まあ、その場合、エロスを伴うものすごく強引な力が必要だろうなあ。普通の女性にはできないなあ。なんせ、もう一度彼を井戸に潜る気にさせて、そこにいる皮剥ぎボリスを殴り殺しに行くのについていくわけだからなあ。

 なんだかとりとめのないことになってきた。あたしゃ、実は、もっと強くなりたいんだと思う。だって、そうしなければ、人と本当につながることなんかできないもんね。もし、大事な人が綿谷ノボルを殴り殺しに行くんだと言ったら、お邪魔虫でなくついていきたいもん。そんなわけで、いま、底の方を歩いていこうとおもっているんだ。舞い上がらずにしょぼしょぼした気分のままで、あがかずに生きる、ということかなあ。

  あたしの目標=「しょぼしょぼ生きる」

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