Atletico Tokyo~アトレチコ東京~

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2005.03.06
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カテゴリ: Others
4年間の大学生活のうち、2年間を文系・理系両方に通った。
またその縁を通して、更にいくつかの大学に触れることが出来た。
大学院でもう2年間こういう生活が続くのだが、2年間で気づいたことはいくつもある。
その一つとして、ロジック(論理)というものがある。


まず、自分は理系であるがロジックが足りない。
言いながら「言いたいことがわからん」とか言われたり、自分でもわからなくなったり。
この日記でもそういうことがよくある。もっと短くわかりやすく書けるのに…と。


なぜ、ロジックが必要なのか。それは言いたいことを相手に上手く伝える大切な手段の一つだからだ。


先日の開幕戦前にご縁のある大学の卒論公開発表に出席させていただいたのだが、そこのいくつかの発表を見るとそれがよくわかる。失礼ながらはっきり突っ込ませていただくと、目的や結論がないので何を言いたいのかまったくわからないのだ。「~という分野を知りたい」という意欲があることくらいだろうか。でも、それって論文ではなくレポートである。合同合宿で更に他の大学へ行ったときにも自大学で当たり前だと思うこととの違いを感じていた。




ただ、私は教えてくれる人がいるからこれを改善させようとして、そして少しはマシになっているとも思う。少なくとも、ロジックの必要となる場で「何が言いたいのか」は言えるように心がけるようになったし。そうしてくれた環境は恵まれていると思う。先の人たちも教えてもらえばそれは考えるはずで、教授が教えないことがその責任になってくると思う。ここからは推測交じりというか偏見というかで言うと、理由は2つあり、そうやって厳しくしていくと、研究室の学生が増えずに自分の研究にかかってくることが一つ。大学教授は多くが「研究のプロ」であり「教育のプロ」ではないから、来てくれればそこまで面倒は見ないし、無事卒業させることが仕事と化していることがもう一つ。


日本の大学は多くが入学がきつくて卒業は楽だと言われる(大学院に行く人は違うだろうが)。それは単位を簡単に取らせるだけでなく、最後の砦である論文をある程度素通りさせているからに見える。でも、そんなことで「相手に伝える能力」はつくとは思えないし、論文のレベルも下がり、何より真の発見は得られない。大げさに言えば先をたどって日本の教育レベルにかかわる問題だと思う。書店で学生ではなくサラリーマン向けにプレゼンなどの本があんなにたくさん出ているのは、社会に出てからそれを学ぶ人が多いから、というのは言いすぎか?



大学で学んだことが社会に直結しないのは大半がそうだ。でも、じゃあ大学でそういうことを教えるべきなのか、それは専門分野を通して自分で考える力だったり組み立てたり(ロジック)相手に伝えたりだったり、を高度に教えることではないか。与えられた研究をするだけ、支離滅裂に言いたいことだけ言って終わるだけ、これだけいろいろな大学が出来て、大学全入時代とかなっても、そこを直さない限り大学が若者のたまり場になるだけですよ、教育現場の皆さん。


卒業「レポート」ではなく卒業「論文」を書かせましょうよ。
無理なら論文なしで卒業させてしまいなさい。





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Last updated  2005.03.06 23:16:28
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