消失を彷徨う空中庭園

消失を彷徨う空中庭園

第十章 真実


「どうせなら、彩りの美しい花を届けたかったのですけど」
「それは研究が一段落したら、私の方から君に差し上げるよ」
 田島にしては気の利いた言葉だった。サラはケースごと密閉したオアシスフラワーを田島の机に置いた。密閉するのは危険を回避するためだった。花が暴れることではなく、他の研究員に見つかる危険を避けたかったのだ。
「ところで、成功したということは薬を飲んだのかね」
「はい。やはり聴覚を強引に麻痺させてしまえば、危険は激減しますね」
「ほう、それは何よりだった。危険な賭だったが、君の考えは正しかったようだね。君のファイルのデータの有効性は高いようだ」
 サラ個人が所有しているファイルのことだった。ここには、昔に何物かが蓄積したオアシスフラワーの情報が記されていた。田島にも、全ては読ませていなかったが。
「しかし、聴覚を麻痺させることで音波から体を守るとはな。君は本当に無茶をする。私なら絶対しないね」
「ところが、聴覚を回復させるために用意した薬が、結果的に役に立ちました」

 サラは洞島のことも話した。
「ふむ、洞島という男の動向も気になるな」
「それより、教授。解析の結果を教えてくれる約束です」
「そうだな。そこにレポートがある。そのまま持って行くがいい。だが、私は少し躊躇うよ。君は頭がいいから、これを読んだら私と同じ結論へ辿り着くだろう。私はそれがとても恐ろしい」
「教授には、謎が解けてしまったのですか?」
 田島は引きつった笑いを見せた。
「逆だよ。信じられない真実に、謎が巨大になってしまったんだ」


 サラは自分の研究室に戻ると、早速レポートに目を通した。
 その中身には、肯定しがたいようなとても信じがたいデータや可能性が多く記載されていた。サラはその一つ一つを私有のパソコンの中のファイルと照らし合わせて考証した。そしてその全ての作業が終わったところで、サラは恐ろしくなった。背後にある真実の大きさに恐怖した。
 部屋の内線が鳴った。
「私だ。田島だ。君と少し話をしたいのだが、いいかね?」
 サラは二つ返事で承知した。

 田島の部屋には、意外なことに千代田もいた。サラは田島以外に自分の情報と意見を言うことに躊躇いがあったが、しかし今は一大事だった。改めて機会を待つ余裕はない。
「さて、何から話そうか。まず、サラ君の意見を聞こうかな」
「教授、この花はナノマシンですね」
 田島の表情が変わった。それがどんな感情なのかサラにはわからなかった。
「そうだ。私もそう思う。分析を担当した伊津部博士もこの点では同意見だったよ」
「ナノマシン? 僕には自然界で自生するただの植物に思えますが。ちょっと特殊ですけれど」
 千代田は何もわからなそうに首を傾げた。

「ええ。一見すると、普通の生物に見えます。しかし、この不自然な細胞やその特徴、そして遺伝子配列。どう見ても、普通じゃありません。どれもこれは、人が恣意的に創り出したものです。原始の単位から」
「その通りだ。原子や分子を一つ一つ丁寧に人の手で加工していったんだと思う。それこそ、ボトムアップ方式で地道に完成させたんだろう」
「すると、電子顕微鏡の中で作られた花なんですか? 一つの生命体をまるごと? まさか、いくら何でもあり得ないですよ。オーバーテクノロジーじゃないですか?」
 サラと田島は顔を見合わせた。
 千代田の言うとおりだった。分子を結合して細胞を加工するくらいなら近未来確立していく技術だ。しかし、全く異種の生命体を造り上げることなど、どう考えても現代の人類にない叡智だった。
 しかし、本当にオーバーテクノロジーなのはそんなことではない。もっと違う点にある。
 現代の研究機関なら、ひょっとしたらこの程度のこと、理論上は生成しうる可能性の余地は僅かながらある。どこかの革新的な天才の仕業とこじつけて考えることもできなくもない。だとしても、その研究の完成までには、途方もない歳月と設備と、巨額の資本金がいる。

 しかし、そうではない。
 この花は二十年近くも前から存在が確認されているのだった。当然、そんな技術や理論もなく、また電子顕微鏡などの機器も未発達だった。その時代の人間には思いつくことすら困難な思想のはずだ。
「千代田君の言うとおり、自生したものであればどんなにいいか。しかし、これは自生や突然変異などでは説明がつかないことだ。まず生体内の糖鎖の環境が部分ごとに異なっているデータが出ている。全く性質が違うにもかかわらずどうしてか成立している。人間で言えば腕の血液型がA型で足がO型のようなものだ。あり得ない矛盾が生体内で成立してしまっている。全体的には統一性のあるDNAだが、これもやはり自然界には過去に見たことない配列パターンになっている。一応地球上の全ての生物と照合させたが、どれとも似つかない。この生体はどう考えても、人間が創作したようにしか見えないのだ」
「逆に、生物学の矛盾を意図的に多く盛り込んだように見えますね。露骨すぎて、まるで技術を誇示してるみたい」
 千代田はただ唖然とした。
「サラ君、私はできればこのことだけは君の意見と一致したくなかったよ」
「私もです。教授」
 二人は限りなく可能性のない結論で一致してしまっているのだ。一体、この花の正体は何なのか、真実は途方もなく遠く思えた。

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