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今日は久々に社宅時代に一緒だった、
リー君のママNさんとランチをした。
Nさんには男の子が二人いて、
長男リー君は、うちの長男壱男と同級生で幼馴染。
幼稚園まで一緒で今年から小学校はそれぞれの学区域に通う。
次男はタックンでリー君とは年子。
今日はタックンのおはなし。
タックンは幼稚園就園前から、
ちょっとほかの子とは違っていた。
まず、言葉が遅れていた。
あとはなんとなく、みんなと違うという印象を誰もが感じていた。
当時のNさんはなんか心が荒れていて、
社宅でも近所でトラブルを抱えていた。
その後社宅が取り壊しになって、
うちは子供たちの通う幼稚園のあるS町に引っ越して、
Nさんは同じ幼稚園だったので、
やはり幼稚園の近くのN町に引っ越していった。
その後も幼稚園が同じだったこと、
共通の友人がいたことで私たちの交友は続いていた。
そのNさんと今日久しぶりに再会した。
そして次男のタックンについて語った。
タックンは3歳児検診で言葉の遅れを指摘され、
行政の開く育成室に通っていたこと。
そこでタックンのIQが平均的な子供のIQにわずかばかり届いていないこと。
その育成室で発達に問題を抱える子供の教室を知り、
そこにずっと通っていたこと。
そこでIQが伸び始めたこと。
タックンは来年度就学予定だけど、
育成室に通っていたことが原因で普通学級か特殊学級か、
を決めるために何度も医師の診断やカウンセラーの診断を必要とされていること。
そういう、3年近くに渡る苦しかった胸のうちを語った。
Nさんは言った。
「うちはものすごい財産をタックンに残してあげられはしない。
だからこの子が自立できるように育てて生きたい。
多くを望まなければ、それはできるはず。
親が諦めてしまったら、この子は伸びていかない。」と。
Nさんはどうしてもタックンを普通学級に入れたいと、
望んでいるワケではなかった。
どちらでもいい。
最終的にタックンが曲がりなりにも自立出来る道を望んでいる。
Nさんは凄く落ち着いて地に足が付いていた。
「子供がどうであれ、
親がどうどうとしていれば何も問題は起きない。」と、
御自身を確立され立派に成長されていた。
この誰にも語ることのなかった数年間の間に、
悩み傷つきながらもそれだけでは留まらずに、
タックンには教材を買い、それを工夫し、
タックンとの取組みを毎日こなしてきて、
それが年少のとき話せなかった子が、
卒園を迎えるにあたりひらがな、カタカナの読み書き、
そして10までの足し算もこなせるまでに至った。
それと同時に長男とはやはりその成長の速度の違いについても、
冷静に受け止めていた。
今日のNさんには何か一区切り付いたというか、
何か一山超えた、そういう感覚を私は感じた。
そして人というのは変われる、変わるものだと思った。