月下美人

月下美人

松山市内観光(愚陀佛庵・子規堂・砥部)


   【松山市内観光(愚陀佛庵・子規堂・砥部)】


まず、再び市内電車に乗り「坂の上の雲ミュージアム」へ行きました。

正岡子規への思いや感想文が展示されていたのですが、松山の子供達は未来に希望を持ち全く悲観していない様に感じ、勇気をもらいました。


ミュージアムから歩いてすぐの『萬翠荘』へ。

萬翠荘

改装中で残念ながら見学出来ず・・・。


すこし山を登り『愚陀佛庵』へ

愚陀仏庵

愚陀佛庵(ぐだぶつあん)

 この建物は上野義方宅の離れを、昭和57年に復元したものです。
 明治28年(1895年)春に松山中学校英語教師として東京から松山に来た夏目漱石が下宿し、自分の俳号「愚陀佛」をとって愚陀佛庵と名付けました。
 漱石は、親友正岡子規が故郷松山で療養し始めたことを知り、愚陀佛庵での生活を決めました。8月から10月までの50日余り、子規は1階で、漱石は2階で、共同生活を送りました。
 その間、子規は療養しながらも句会などの俳句活動を続け、漱石も句会に参加しました。

案内板より。


再び市内電車に乗り、松山市駅へ。

松山には伊予鉄道の松山市駅とJRの松山駅とがあります。
この時間違ってJR松山駅へ行ってしまい慌てて乗り直しました。


そして松山市駅から歩いてすぐの『子規堂』へ。


子規堂

子規堂には昔の古い坊ちゃん電車が展示してありました。


そしてバスで1時間弱かけて砥部へ。

砥部行きのバスを待っていると空が曇り出し雨がパラパラ降り出し、心の中で「何とか降らないでー!」と願っていると、本当に雨が止み助かりました。

砥部

砥部観光センターで降り、バス停からの地図がないので、カンで砥部観光センターへ。

砥部観光センターに着き、様々な砥部焼を見て回り、砥部焼伝統産業会館への道を聞いて振り返ると、風鈴が・・・。

風鈴はずっと前から欲しかったのですが、焼き物の風鈴は初めてでした。
並んでいる風鈴を鳴らして、自分の好きな音色を確かめて決めると、それは好きな色のピンクと紫の糸が付いた風鈴でした。
松山に来てから、心に強く「風鈴が欲しい・・・」と思う事があったので、願いが叶ったのでした。

観光センターの2階では砥部焼の絵付けや体験が出来るコーナーがあったり、中国の方が大作の墨絵を一心不乱に描いていたり・・・。


ここから砥部焼伝統産業会館へ。
砥部焼は白磁の焼き物ですが、冷たい感じがなく暖かい印象の白磁でした。


ここでやっと地図を片手に歩いている人を発見!

学者風の年配の方でしたが、思わず仲間を見付けた気がして嬉しくなってしまいました。

その人と同じバスに乗り再び一路松山市駅へ。

昨日と同じホテルに宿泊しました。



4日目、後は高速バスに乗り帰るだけです。

チェックアウト後、時間があったので駅まで歩き、松山市駅に隣接する高島屋の屋上にある観覧車「くるりん」に乗りました。

観覧車「くるりん」より

左の山上に松山城、右が道後温泉。



観覧車「くるりん」より

石鎚山辺りと瀬戸内海。

お天気も良く松山市と遠くは瀬戸内海を一望出来ました。


雲


往路と同じ高速バス(オレンジライナーえひめ号)に乗り一路大阪へ。

往路は岡山から瀬戸大橋の道を通りましたが、帰りは大鳴門橋を渡り淡路島を経由し、明石大橋を通り大阪へ。


大鳴門橋

鳴門の渦潮が見たかったので、潮見表で大渦の時間を調べ、近い時間に通る便に乗りましたが、この日は4時ごろが大渦で、通ったのは3時過ぎでした。
やや小さいながら渦はしっかり確認しました。


今回の一人旅は、数週間前に徐々に思い立ち実行しましたが、目的地は四国と言う事だけで、深く考えていませんでした。

バスもホテルも下調べはしていましたが、バスのチケットを取りホテルの予約したのは行く当日でした。

結果的に、消去法で空いていたバスが松山行きで、それなら道後温泉へ行こうと思い、しまなみ海道も当日、砥部も当日決めました。

何とかなるさと思い実際何とかなり、自分を信じる旅だった様な気がします。






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