* 自然卒乳までの道 * りぃくん、2歳9ヵ月でおっぱいを卒業しました。 自然卒乳までのわたしの気持ち、りぃくんのようすなど。 * * * * * 生まれた時。早産(34週)だったためNICUに入っていたりぃくん。 まだ自分の力で飲むことのできなかったりぃくんは 口から透明の細い管を胃に通されてそれで母乳を飲んでいました。 “抱っこして直接おっぱいをあげられなくて、ごめんね。” 酸素ボックスの中にいるりぃくんにわたしは謝りました。 産後1週間経った時、口から通していた管が取れて、 哺乳瓶で母乳を少しづつ飲めるようになりました。 この時、初めて我が子を抱っこしながら哺乳瓶で母乳をあげました。 (直接抱っこは産後3日目からでした。) それから1週間後。 わたしだけ先に退院、自宅に戻ることになりました。 できることなら りぃくんが退院するまで、ずっと側についていてあげたい。。 毎日抱っこしておっぱいをあげたい。。 そんな気持ちでいっぱいでした。 * * * * * 家に帰ってからは 3時間おきにおっぱいを搾り、冷凍し、病院へ届ける日々。 主人が仕事の後に、自宅から遠く離れた総合病院まで 車で毎日届けてくれました。 主人が行けない時には、 産後1ヵ月こちらに手伝いに来てくれていた実母が バスを乗り継ぎ、届けてくれました。 りぃくんはわたしのおっぱいで大きくなったんじゃない。 みんなの愛で大きくなったのです。 生まれてから3週間後、 りぃくんは無事にNICUを退院することができました。 退院する2日前に初めて我が子を胸に抱きながら おっぱいをあげた時のこと。 愛おしさと一体感に感動して、涙が溢れて止みませんでした。 * * * * * その後の母乳育児は幸いなことに順調でした。 産後すぐに病院で毎日受けていたおっぱいマッサージが よかったのかもしれません。 でも1歳~1歳半頃、 卒乳を急ぎたい気持ちにもなったこともありました。 周りがどんどん卒乳・断乳していた時期でした。 「1度でいいから朝まで眠りたい・・・」 この頃、疲れてしまってそう思ったことが何度もあります。 でもやっぱり、卒業時期はりぃくん自身に任せよう。 そう思う気持ちの方が強く、授乳を続けました。 夜中の授乳は2歳の誕生日を迎える月まで続きました。 2歳を過ぎた夏、りぃくんがおっぱいを飲まずに 初めてひとりで眠った夜 がありました。 嬉しいと思う以上に、りぃくんがおっぱいとさよならをする その日が近づいているんだと感じて、とても切なくなりました。 この時はわたしもまだ母乳育児に未練があったのだと思います。 りぃくんとの濃密で、あたたかで、心地いい親子の時間を 今はまだ失いたくないという思いでした。 それから、8ヶ月。 「残りのおっぱいライフを十分に満喫しよう」 そう思って日々を大事に過ごしてきました。 夜のおっぱいがなくなり、 お昼寝前のおっぱいがなくなり、 車の中で欲しがることもなくなり・・・。 そして、迎えた念願の自然卒乳。 この時、寂しいとか、切ないとか、そういった感情は 不思議とまったくありませんでした。 十分にりぃくんにおっぱいをあげることができ その生活を親子で楽しむことができた、 そんな満足感でいっぱいでした。 手をグーパーしながら (「おっぱいちょうだい!」の ベビーサイン です。) 膝にちょこんと乗ってくる嬉しそうな顔、 おっぱいを飲んでいる時の幸せそうな横顔、 顔を触ってくる小さなおてて・・・ この先もずっとずっと大事にしていきたい 小さなりぃくんとのあたたかい思い出。 我が子の愛おしさを何より実感できる 至福の時間でした。 * * * * * 「どんなに科学が進歩してもどうしても作れないもの、それが母乳。 その効力は人工では生み出せない素晴らしい神秘よ。」 退院後、新生児訪問で自宅に来てくださった保健婦さんの言葉です。 授乳生活のやり方は母子の数だけあると思います。 どれが正しいということはありません。 ただ保健婦さんがおっしゃったように 科学や人工では生み出せない素晴らしい神秘をもらえたこと、 かけがえのない貴重な体験と幸せな時間を過ごせたことに、 とても感謝しています。 2年と9ヶ月。 おっぱいをたくさん飲んでくれてありがとう。 幸せな時間をありがとう。 ママのおっぱいを好きだと言ってくれてありがとう。 成長の階段をひとつ上って、また少しお兄ちゃんになったりぃくん。 おめでとう。 あたたかい思い出、幸せな時間 ママはずっとずっと忘れないよ。 |