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またまたいつものように両親に日暮里まで車で送ってもらいます。このサイトを立ち上げてからまだ一年経っていないというのにこのことを書くのはもう3度目。ということは日本にこの一年で三度も帰っている計算になります。あー幸せ。わたしの理想は日本に住み、イタリアで仕事をすること。できれば毎日日本から職場に通いたいものです。なんと機内で上映の映画の一つが偶然にも華ちゃんにビデオをもらった『Shall We ダンス?』でした。もらったビデオより先に観てしまいました。それからずっと観たかった『スウィング・ガールズ』。矢口史靖の泣かせの手にまんまとはまってしまいました。『ウォーター・ボーイズ』に続いて二度目。心がジーンとしました。特にわたし、大学生の時、スウィング・ガールズでしたので。舞台に向かって最前列一番右の楽器をやっていました。舞台が東北の田舎という設定やジャズ好きだけど音楽センスはない先生(またまた芸達者竹中直人)、そしてピアノ担当の唯一の男の子の存在というのもまたいいんですよ。青春って、日本映画っていいなあと思わせるとてもいい作品でした。心が荒れた時にまた観たいです。
2005年01月24日
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両親と近くの蕎麦屋に夕飯を食べに行くことにしました。よく行くところなのですが、本格的な手打ち蕎麦屋で、店のつくりに風情があるし、天ぷらも丼モノもうまいのに、なぜかいつもガラガラなのです。唯一混んでいたのを見たのは数年前の大晦日でした…。温かいそばと天丼のセットを頼みました。デザートにそばのムースも付いており、これもまたおいしいのです。大宮バイパス沿い、大宮方面に向かって右側、ロヂャース戸田店の少し手前にある梟(ふくろう)という店です。
2005年01月23日
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友人の華ちゃんと小泉さんにおみやげの甘栗を渡そうと思い、お昼を一緒に浦和で食べました。イタリアに行く日も近づいているので、名残惜しく、相変わらずペチャクチャしゃべりまくってきました。夜は最近近所で一人暮らしを始めた出版社勤務の弟が、突然大きな紙袋を持ってやって来て「内職やらねーか?」と一言。官製はがき1500通に宛名シールを貼るという作業、普段は外注のところをたまたま家に持って帰ってきていて、夜コタツでTVを見ているわたしたちの目の前にポンと置いたのです。言われたらやらなきゃなーと思い、両親と3人で流れ作業を始めました。お風呂にも入った後だったのでわたしはパジャマ姿に半纏、牛乳瓶の底のメガネで髪はアルフィー坂崎状態という内職姿です。そこになんとピンポーンと家にチャイムが。11時にもなるっていうのに誰よ、と思ったら、昼間に会ったばかりの華ちゃんでした。昼間に何気なく日本版『Shall we ダンス?』のビデオを探しているという話をしたら、なんとそれを気に留めていてくれて、中古ビデオ屋さんを回って探して買ってきてくれたのです!もう、こんな友人2人といません。あ、います。ビデオつながりで言えば昨年『新選組』を毎週日曜日、一年間取り続けてくれたむっちと並ぶまみん子思いの友人です。本当に本当にありがとう。今回の滞在の最後に華ちゃんに見せた姿、こんなのでスミマセン。失礼致しました。ところで内職はと言うと無事に終わり、弟が財布からひらりと一枚の諭吉様を取り出し、貧乏な姉に「バイト代」と恵んでくれました。翌々日出発のわたしへの餞別のつもりもあったのでしょう。金持ち弟、やってくれるね。またよろしく。
2005年01月22日
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寝覚めはたいへん悪うございました。日本帰国、朝9時の便だったので、朝食をレストランで取るのは無理。前夜、ルームサービスでカップッチーノを5時半に頼んでおきました。寸分違わず5時半きっかりに呼び鈴が鳴ったのはいいのですが、このカップッチーノが最高にまずかったんです。イタリア人シェフがいる天下のグランデ・ハイアットといえどもうまいカップッチーノは作れませんでした。カップッチーノはイタリアに限ります。チェックアウトをしてタクシーを呼んでくれるように頼みました。玄関前に止まっていたハイヤーをすすめられ、思い切って乗ってしまったのです。ホテルのレセプションの人に言われたのだし、まあだいじょうぶだろうと思いました。しかし空港に到着すると要求してきた金額はなんと180元。行きにタクシーで払ったのが70元ですから倍以上の金額です。冗談じゃねえよと思い、紙に「60」と書いて「行きは60元しか払わなかった」と主張したら、「これはハイヤーだから」と(多分)中国語で言うのです。早朝だったしチップもくれてやるかと思い、「100」と紙に書いて指を下に向けました。運転手はダメの一点張りでしたが、わたしが100元紙幣一枚だけ出して彼の肩をポンポンと叩くと、苦い顔をして引き下がってくれました。ボッタくられたには違いないのでしょうが、どうせ会社が払うんだしこんなモンでいいか、とわたしもさすがに70とまでは書きませんでした。イタリアの正規タクシーでも日本人のボラレ被害を散々聞きます。日本人払っちゃうんです、言われた値段を。やる方に非があるのは当然ですが、やられない人もいるんですから被害者にも問題アリかな、と思うんです。これについてのネタ(ホテルのお客さんの話)は腐るほどあるので、そのうちまた披露しようと思います。北京の空港は何だか無機的です。モスクワ空港を思い出させます。チェックイン・カウンターも出国審査も味気なし。わたしは手荷物検査で止められて、スーツケースを開けられてしまいました。もしや11個の肉まん没収か?とびくびくしていると、そうではなくて、未開封のミネラル・ウォーターがダメなのでした。係の人が蓋を開けて匂いを嗅ぎ、水と分かると返してくれました。おみやげをほとんど買っていなかったので、空港内の免税店をウロウロしました。ウチの親戚の中で唯一海外在住の経験がある叔父(といっても仕事で韓国)が「中国のおみやげといえば甘栗だよ」と言っていたのを思い出して、定番の甘栗を天津に行ったわけじゃないのに買いました。あとは父と弟へタバコを買いました。ここで初日におろした元をほぼ使い果たしました。ゲートでハーゲンダッツのカップのアイスクリームを自分で「バカだなー」と思いつつも500円だか600円だか出して買って(前日の夕食代に相当)、パクパク食べながら搭乗手続きを待ちます。ハーゲンダッツのアイスには目がなくて、成田でもいつも250円も払ってついつい食べてしまうのです。わたしが乗るノースウエスト機の行き先は「ミネアポリス」。成田ではないんです。成田はほんの通過点。日本人は数人見かけただけで、ほとんどはアメリカ人のビジネスマンでした。ミネアポリスってどこだろう?と思わず機内誌に載っている地図で確認してしまいました。飛行機には慣れていてもJALの成田⇔ローマにしか乗っていないものですから、時々こんなのに乗ると感慨深いです。他の人たちにとっては日本ではなくてアメリカが到着地点。わたしもそこまで行ってみたくなります。成田に着いて、みんな乗り継ぎゲートへ行ってしまい、到着ゲートに向かうわたしは前を見ても後ろを見ても一人で、帰って来たのに心細くなりました。さて、家の中では母へのおみやげ、水晶が話題です。水晶好きのウチの母。白木屋(東急百貨店日本橋店?)の数年前の閉店セールの時にわざわざ買っていたほど。前日、夕飯の前に中国人で人だかりがしていた安売りのワゴンセールの店に入って、たいそうなケースに入っていた蛇模様のある水晶を買ったんです。「水晶」うんぬんと説明の書かれたシールもケースに貼ってありましたから、きっとそうじゃないかなあ、と思って。ちなみに値段、このワゴンセール、ワゴンの中すべて一品10元(約130円)…。持ってみると、か…軽いんです。しかし夢を抱いて母と「水晶だよねー」「本物だよねー」と慰め合っていました。すると父が「絶対ガラスだよ」と。そしてこうも言ったのです。「燃やしてみれば分かるよ、燃えなければ水晶、溶ければガラス。」と…。溶けちゃったら130円の夢まで溶けちゃって嫌なんで、これはこれでよし、と保管することにしました。ガラスでも水晶でもどちらでもいいんです。北京で見付けた、思い出いっぱいの掘り出し物ですから。
2005年01月21日
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朝9時からワークショップ開始ということでしたので、その30分ほど前にホテル内の会場に行ってみました。テーブルと椅子がいくつも並んでいて、わたしたちイタリアの参加者がそれぞれの位置について待っており(旅行会社やホテル各自の名前のプレートがある)、興味のある中国の旅行会社はそこに話を聞きに行く、というシステムです。早めに着席したわたしがホテルのパンフレットなどの準備をしていると、案の定中国語で話しかけてくる中年男性が。以下バリバリ直訳英語にて。わたし「あーすみません、中国語話せないんです。」(名刺をお互い出して自己紹介)男性「あなたはわたしの初めての日本人の友達です。」わたし「残念ながらあなたはわたしの初めての 中国人の友達ではありません。 なぜならわたしには中国人の友達が何人かいるから。」ってなツカミで始まった会話でしたが、この男性、楊さんは中国のイタリア商工会議所で通訳として仕事をしている人で、イタリア語を話せるということがお互い分かり、2人の東洋人が中国でイタリア語にて意思疎通をはかったのでした。楊さん、仕事上、時々お客さんに付き添ってイタリアにくることもあるそうです。ただ旅行会社と違ってビジネスを求めてこのワークショップに来たわけではなく、ただの情報収集のためなのでした。中国国内でイタリア語を話せる人というのはまだまだ少なく、ましてやそれで食べていける人などはほとんどいないそうです。確かに通訳同士はたいてい知り合いのようでした。そして待機している通訳たちといえば、ほとんどが英語通訳なのでした。これには驚きました。比べて日本におけるイタリア語通訳事情は大変なものです。イタリア語会議通訳の田丸公美子さんのエッセイ『カオスの通訳激戦地』は笑えますのでぜひお読み下さい。スタッフであるかのようにウチのブースになぜだか居座った楊さんは、その辺にいる旅行会社の人たちをあとからあとから連れてきてくれ、わたしは待つこともなくプレゼンと商談をガンガン進めることができたのでした。中国の旅行会社の人たちの英語能力は、1割が堪能、4割が普通(わたしくらいか?)、残りが一言も話せない、といった感じです。ある大手旅行会社のアシスタントをしている女の子はペラペラで、2人で日本の芸能界事情や中国映画の話で盛り上がってしまいました。名前が西洋人に覚えてもらえないせいか、西洋風のあだ名を付けている人も何人かいます(水野晴郎はマイクです)。アメリカに2年留学していたというテレビ局プロデューサーのデヴィッド(もちろんどこからどう見ても中国人)は、旅行番組を担当することもあると言っていました。英語が一言も話せない人が来ると、楊さんが通訳をしてくれ、わたしに代わってプレゼンまでしてくれちゃいました。「この子は日本人でね、ローマで働いててね」ってことも。それでわたしも「ワタシ日本人デス(我是日本人)」くらいは言いましたよ。ちなみにわたしの名前は中国読みでフーティーマーメーです。イタリアの文化に触れているからか、東洋人男性のくせに、お茶やおやつを運んで持ってきてくれたりもしました。本当に楊さんにはお世話になりました。こんなに親切な中国人には出会ったことがありません。8時半に来て、一番初めにわたしを中国人だと思って話しかけてくれたことから始まったのですから、何とも運がよかったとしか言いようがありません。他の出席者たちはもちろんこんな幸運にめぐり合えていないわけですから、うまく通じない英語と上手とは言えない中国人通訳を通しての会話でわたしほどにはインパクトを与えてはいないと思います。朝早く来て良かったー、東洋人で良かったー。連絡先、不覚にもなくしてしまいましたが、いつか恩返しがしたいと思っています。たんまり持ってきていたホテルのちらしやパンフレットも楊さんのおかげですべてはけました。身も心も軽くなったわたしは、またまた夜の街へ!この日も政府観光局主催のディナーが付いていたのですが、さみしいのは嫌だったし、好きなものを一人で食べようと思い、本屋やおみやげ屋を物色したあと、結局再び前日の「東方人家」へ行きました。ドア開け係の女の子は顔を覚えていてくれ、「ハロー」と声を掛けてくれました。注文は無難に「海鮮面」と餃子、そしてメニューの中で唯一完全に読めた「回鍋肉(ホイコーロー)」。ちょっと高かったのですが(それでも回鍋肉だけで150元、約200円!)、北京最後の食事ですので奮発することにしました。「シャオマイないの?」とシュウマイ(中国語で確かシャオマイって言うんじゃなかったかしら?)の有無を聞きましたが、はっきりしません。それでメニューの中からそれっぽいものを指差し、注文しました。今思うと、この時ちょっと怪しかったんです。注文する時に、いちいちウエイターさんが「1人分?」と指で1を作ってはわたしに尋ねていたのです。しかし一人前がどのくらいの量だか伝える能力も向こうにはなし。まずは山盛りの激辛回鍋肉が来ました。これはおいしかったです。そして緑のラーメン、辛いソースにつかった餃子、もうここで既に満腹でした。最後にシュウマイっぽく書いてあったメニュー、登場です!このときの衝撃は今も忘れません。まずシュウマイじゃなかった…。惜しい。肉まんです。しかし想像してください。小ぶりではありますが肉まんが籠に入ってドカーンと12個(1ダースじゃん)…。値段からは分かりませんでした、安すぎて。衝撃を隠しながらとりあえず一つ食べてみます。これも味がこってりしていておいしいんです。残り11個は中国語会話集の「持ち帰ります」を指差して、容器に入れてもらったのでした。最後にはまたもや「領収書下さい」。今度はさすがに200円とまではいきませんでしたがそれでも確か400元だったので500円弱です。大変満足しました。バスタブに贅沢にお湯をためて浸かるのも3日目。北京最後の夜です。当初、面倒という気持ちから北京には来たくなかったわたしなのですが、来ちゃってみれば楽しみましたし、人生において貴重な経験となりました。またいつか、中国語を少し話せるようにして来てみたいと思います。
2005年01月20日
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朝食は2階のレストランでビュッフェです。案内された席はアメリカ人ビジネスマンとアメリカ人カップルにはさまれ、しまいにはわたしを越えての会話が始まり、どうしようかと思ってしまいました。朝食は中華も洋風も一通りあり、質はまあまあです。種類は少なかったけれどバルセロナのアリマラ・ホテルの方が良かったです。夕方の会合まで時間があるので、北京散策へと出かけました。寒い寒いとは言いますが、日本も充分寒いですから、歩いている分にはさほど感じません。まずは天安門広場を見てみることにしました。地図で見ると地下鉄の駅にして1コ分ですから歩きました。確かに王府井からそれほど遠くないところに天安門広場はあります。西を目指して歩いてふと気付くと右側に城壁が現れます。これがあの毛沢東の肖像画のかかる天安門につながるのです。ホテルにあんなにいた西洋人たち、どこへやら?と思うほどここには中国人しかおらず、しかもみんな田舎から来た観光客のようなんです。わたしも紛れてぞろぞろ門をくぐり、故宮に向かって歩きました。残念ながら他のところも行ってみたかったので、故宮の中には入りませんでした。大きな建物や何千年もの歴史を持つ中国人たち、見ていてとても楽しいです。王府井には地下鉄で戻り(地下鉄の切符は30元!約40円!)、ホテルの真裏の道を何気なく歩いていると、地元の中国人っぽい人たちで混んでいるレストランを横切りました。まだ先にも食べるところはあるだろう、と一旦は通り過ぎたのですが、先に行ってもあまり良さそうなところがなかったので、ここ「東方人家」に戻ってきました。「ニーハオ」。やっぱり中国語。人差し指を1本立ててわたしは「一人です」のジェスチャー。案内されて座ります。見た目は庶民的な食堂ですが、客の層は良さそうだし、コートに匂いがつかないようにカバーをかけてくれるしで、けっこう高級なレストランだというのが分かりました。ウエイターさんたちが何か中国語で話しかけてくるのですが、もちろん分かりません。わたしが分からないってアチラにも伝わっているのにまだ話しかけてきます。どうにもならないとはこのことでしょう。誰も英語ができやしないのですから。とりあえずメニューが欲しいということをジェスチャーと指差しで伝え、持ってきてもらいました。しばらくすると、異国人に困ったのか、ウエイターたちがマネージャーみたいな人を呼んできて、オーダーを取ってくれました。ちなみにせっかく出てきてくれたこの人も、英語一切話せません。飲み物を聞かれたらしいので、紙に「茶」と書きました。これはOK。メニューを開けてみるのですが、まったく分かりません。北京のど真ん中なのに英訳メニューなし。こんな時、日本人でよかったと思います。意外なことに9割方理解できないものの、残り1割くらいは漢字から意味を察することができました。まず「面」(麺のことでしょう)が食べたかったのでソレ。「海鮮面」。よし、これで行こう。あとは餃子っぽいものを頼みました(忘れましたが「餃子」とは書いていなかった)。麺は緑のラーメンで、薄味スープに海老やちんげん菜、しいたけなどの具が入っています。餃子は蒸してあり、ラー油と醤油を混ぜた究極に濃厚なスープにつかっています。激辛です。辛いのでお茶を一口飲むと、飲むたんびにウエイターの若い男の子がちょびちょびお茶を湯飲みに注いでくれました。そこまでしなくても…。「シェイシェイ」を何度言ったことか、わたし…。「清給我一張収据(領収証を下さい)」という中国語も既に紙に書いておいたので、それを見せて会計を済ませました。偉そうに「領収証を下さい」って言っても、わたしの飲み食いした金額、たったの100元(約130円)なんですけどね。王府井周辺にはデパート、衣料品店が多く、雑然とした店並びは大型の竹下通り、といった感じです。わたしはCD屋さんを見るのが好きなので、見つけた一軒に入ってみました。れっきとした店に海賊版DVDが並んでいて、値段は激安です。150元(約200円)で母の好きな宮崎駿の映画『おもひでぽろぽろ』を買いました。中国も外国映画はたいてい字幕付きと聞いていたので、オリジナルに切り替えが可能だと思ったのです。どうせダメでも安いのだから中国人の友達におみやげとしてプレゼントできますし(後日談。やはり日本語オリジナルで見ることができました。しかし翌日書店で買った『赤い月』という常盤貴子の映画は北京語吹き替えのみでした。残念です)。その後、ガイドブックを見て、王府井の他にもう一つ北京に中心街があると知り、その西単へ地下鉄で行ってみることにしました。王府井から天安門東駅、天安門西駅と2駅を乗り過ごして西単で下車します。ここもデパート、衣料品店が立ち並ぶところ、王府井より少し若者向きっぽい気もします。しばらくフラフラ散歩して、夕方になったのでホテルに戻り、翌日のワークショップの事前説明会会場に行くことにしました。前日何も載っていなかったホテルの掲示板に「ENIT(イタリア政府観光局)」の文字があり、会場もすぐに見付かりました。ホテルの地下、会議場へ行くと、イタリア人がたくさん。受付を済ませてカタログや資料を受け取り、会場へ入りました。ちなみに説明会の前には中国マスコミへの記者会見が行われていたそうです。周りはみな仕事上どこかで顔を合わせた人同士なのでしょうが、わたしには知り合いが一人もいず、さみしくポツンと座りました。知らない人でもイタリア人同士ですから声を掛け合ったり、誰かの仲立ちで自己紹介をし合ったり、世間話をし合ったりしている人が多かったのですが、わたしはまだそこまではできず、さみしい思いをしました。説明会では中国の旅行業界情報、旅行者の動向、今後の受け入れ(イタリア)側の課題などを観光局の人たちが話して、それに対する質疑応答が行われました。説明会の途中で、昨年の日本の旅行博で仲良くなったシルヴィオが中国人の女の子と現れ、知っている人が一人でもいると知って心強くなりました。シルヴィオと一緒にいた女の子は彼のホテル(3つ星、トレヴィの泉近く)と彼の旅行会社でアシスタントとして働くヴァレンティーナで、中国での仕事にはもってこいの人材です。わたしなんて東洋顔だけはもってこいだけど…。夕食は政府観光局主催のビュッフェが付いており、クーポンをもらっていました。ホテル内のレストランですから、落ち着いて食べられるなーと思っていたのですが、周りはみんなみんなイタリア人で、またわたし一人ポツンで、しかもビュッフェですから立ったり座ったり慌しく、追加で注文したミネラル・ウォーターの値段も気になって、ゆっくりできませんでした。ビュッフェには中華、洋食、そしてなんと刺身もありました。イタリア人のシェフもいて、パスタを作っていました。わたしは英語で話しかけられてしまいました。まだ早い時間だったので夕食を切り上げて、ホテルの地下とつながっている商店街を見てみることにしました。北京の商店は21時30分頃まで営業しているところがほとんどです。この地下商店街にはブランド・ショップが数店、映画館(シネコンっぽい)、スーパー、パン屋さんなどが入っていて、地下鉄の王府井駅、そしてグランデ・ハイアット・ホテルと直結しているのです。見知らぬ街を歩くのは、本当に本当に楽しいものです。来たがっていた母も連れて来たかったと思ったのでした。
2005年01月19日
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夕方のノースウエスト航空で北京へと飛びました。在北京のイタリア政府観光局が主催する旅行会社対象のワークショップが18・19日に開かれるので、それに参加するためです。移動が面倒なので、会場であるグランデ・ハイアット・ホテルに宿を3泊とりました。外国に行くのはまだまだ慣れません。ノースウエスト機には成田から乗っても周りがほとんど外国人なので緊張します。夜9時頃、北京の空港に到着。日本で容易に換えられないという理由で、中国元をまったく持って行かなかったわたしは空港のATMで下ろしました。これで1000元(約1万円強)を獲得。宿泊費は会社払いですから、出歩くのに必要なお金だけあればいいのです。タクシー乗り場にはタクシーの運転手の他に、乗り場の交通整理の人もいて、スムーズに列が流れていきました。あらかじめ書いた「清去北京東方君悦大酒店(グランデ・ハイアット・ホテルまで行ってください)」の紙を見せると、交通整理の人が「コレに乗れ」とばかりにタクシーを指差し、もう一人の人はパンフレットをくれました。それを見るとタクシーの番号が書かれており、ボッタクリなどのクレームがあったらここに連絡して下さい、というような説明があります。親切なパンフレットなのでした。運転手さんにも行き先を見せると、了解!タクシーは一路北京の中心地である王府井へ向かいます。高速を通って北京の街を抜けて行きます。街のネオンは漢字ばかり。日本の企業の看板や日本料理店が多く目に入りました。道幅は日本よりもかなり広いですが、街並みは少し似ているような気がします。さて北京の中心地、王府井のさらに中心にある5つ星ホテル、アメリカ系(かな?)のグランデ・ハイアットに着きました。部屋数も何百とあるホテルなので、レセプションはチェック・インのための列ができています。空港ではまったく見かけなかった西洋人がここではほとんどです。「ニーハオ」とチェック・イン。やはり中国語で話しかけられてしまうのです。一番安いシングルの部屋をワークショップ特別価格で予約したにもかかわらず、13階のダブルの部屋で、全室がそうなのかもしれませんが、バスタブとシャワー室が別々になっている大きな部屋に通されました。テレビはなんと日本のNHK BSも入ります。嬉しくて付けっ放しにしてしまいました。荷物を置いて下に降り、翌日のワークショップのことを聞こうとホテルのスタッフ何人かに尋ねてみたのですが、要領を得ません。「会議場での催し物はどうしたら分かりますか?」と尋ねると、「明日になったらこの掲示板にタイムテーブルが出ます」とのこと。明日でいいか、とここは引き下がりました。翌日、翌々日の予定がまったく分からないというのも、見知らぬ土地の仕事においてはおそろしいものです。会社から連絡が入っているかもしれないな、と思い、メールチェックをしにパソコン利用サービスのあるビジネスセンターへ行ってみました。案の定同僚たちからワークショップの情報が入っていましたが、18日は説明会だけとのこと。しかも夕方からなのでホッとしました。ちなみにこのホテル、レセプションやビジネス・センターなどのスタッフは英語がバッチリ、わたし以上にうまいです。誰もがわたしには中国語で話しかけてきますがね。ホテルは最高でした。住みたいくらいです。お風呂でも湯舟にゆったり浸かることができました。北京のイメージ、ホテルのおかげで高得点です。
2005年01月18日
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母とジャスコに行って昼飯を食べました。「パステル」というプリンで有名な店が一階でレストランをやっているのですが、そこを覗くと平日のくせになんと満員で、席を占めているのがわたしくらいの年齢の女どもとそのガキんちょたちなのです。そんなに安くもないファミレスで、この人たち何をやっているんでしょう?昨日だけ混んでるってことはないでしょ?これ毎日なんでしょ?この世に男が存在しないんじゃないかと錯覚させるほどです。この話を先輩K氏にしたところ、「いいなー、オレも専業主婦になりてえ」とおっしゃっていました。おっしゃる通りです。1000円のランチかー。値段も安い2階のフードコートにはサラリーマンや、やはり子連れではありますが実家のお母さんと来ているような若い主婦、昼休みのジャスコ店員などが来ていました。親近感持てます。別に何するのもそこんちの勝手ですけどね。偉そうなこと言ってますが、わたしには専業主婦をやる能力なんてこれっぽっちもないわけだし。あ、もちろんわたしと母はフードコートで食べましたよ。母は今はやりのぼっかけそば、わたしはハワイアン丼です。午後は下赤塚の「のとや」へ。服が100円から揃っている伝説のお店です(古着ではありません)。ババシャツ、下着、空ちゃんのスカートなどを買いました。電車賃かけて来てるわたし、ちょっと馬鹿みたいですけどね。渋谷のNHKスタジオパークのお店にも足を運びました。『新選組』本やグッズを探しに来たのですが、もうすっかり世間は義経モードに入れ替わっていました。スタジオパークには以前むっちと行ってみましたが、なかなか楽しめます。表参道のオリエンタル・バザーも久々に覗いて日本の絵葉書なんぞを買っちゃいました。むっちとK氏との待ち合わせは銀座三越ライオン前です。三越の地下のジェラート屋さんはおいしいので、小倉ジェラートを腹ごしらえに食べました。むっち、いつも待たせてごめんなさい。そして3人は風間カーで「よかろうもん」(だっけ?)とかいう両国だかどこだかのラーメン屋さんへ。ラーメン大大大好きのわたしはいつもラーメンを食べたい気持ちでいっぱいなのです。ここは代田橋「なんでんかんでん」系の店。味も海苔のロゴプリントも同じ感じでした。おいしかったけど、Kさんごめんね、わたし、不完全燃焼です。そのあとはお相撲さんもくつろぐファミレスでお茶をしました。ここは両国。
2005年01月15日
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昨日は高校のクラスメートまっちゃんとりえぞうと食事に行きました。高三、堀井学級にてりえぞうは背が高いくせにわたしの前の席、まっちゃんはその斜め前の席でした。まっちゃんとは同じ部活で、りえぞうとわたしはその後同じ大学に進みました。今や勤務○年目、りえぞうは大手企業のSEで、まっちゃんはワイン輸入商社のイタリア担当です。行ったのはJR与野駅前から徒歩5分のところにあるイタリアンレストラン。ピッツアの釜はなかったけれど、メニューは割と本格的でした。まっちゃんのアメリカ留学、フランス滞在、わたしの渡伊などを経てもわたしたちが付き合っていけるのはなぜかしら?そんなにすごーく仲が良かったわけでもないし、今も頻繁にやり取りしているわけではないのに、もう10年以上の息の長い付き合いです。十数年後、3人とも独身のままで、ワイン(わたしは水)を片手、まっちゃんのオトコ話をサカナにして与野で乾杯なんて誰があの頃想像したでしょう。夜中にチャリンコを転がしながら無人の与野の街を歩く年頃の女が3人。心はいつまでも若き高校時代のクラスメートのままです。
2005年01月12日
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2005年の大河ドラマ『義経』がはじまりました。今回はむっちにビデオを頼むほど見たい度はそんなに高くありません。初回はまだタッキーはほんのちょっとしか出てきませんでした。予想以上にいい演技を見せていたのが母の常盤御前役の稲森いずみ。彼女は時代モノ経験アリですか?台詞回しも立居振舞いも見事です。はじめに1シーンだけ源平合戦があって(一の谷だっけ?)、タッキーとお付きの人々、そして平家の人たちがちょこっとだけ出てきたのですが、脇役もかなり演技派揃いです。阿部寛、うじきつよし、勝村政信、大橋吾郎などなど。『平家物語』は日本の古典の中でもわたしが最も好きなもの。まだ出ていないけど北条政子役の財前直見と巴御前役の小池栄子はわたしのイメージにピッタリです。
2005年01月11日
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祖母と叔母と北上尾で待ち合わせをして、回転寿司に行きました。たらふく寿司を食べるって何て至福の時なんでしょう!そのあとファッションセンターしまむらでちょーかわいいニットのコートを1000円で買いました。これを1000円で見付けられるのは、世の中隅から隅まで探しても、しまむら愛好家のわたしか香澄しかいないでしょう!
2005年01月10日
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最近、檀ふみと阿川佐和子がマイブームです。もちろんお正月特番、2人のトーク番組も見ました。中学生の時だったか、テレビ東京で『リツ子、その愛』というドラマが放映されたのですが、どなたか覚えていませんか?リツ子を今井美樹、檀一雄を佐藤浩市が演じていました。檀一雄ってすごい人だなーと思って、ウチにあった文学全集の中の『リツ子、その愛』を読んだのが檀家(ダンカじゃありません)との出会いの始まり。お母さんはリツ子さんじゃないけれど、その「火宅の人」の娘さんがあの女優さんなんだーと認識した古い記憶があります。一方、阿川佐和子といえばテレビ朝日の『TVタックル』ですよね。この2人が仲良しなのは「健康エコナ」のCMでも分かるのですが、この2人のエッセイがおもしろいのです。本当に仲良しなんだなーというのが伝わってきます。また、2人とも大作家の娘、育ちが良く、頭が良く(共に慶応卒!)、それでいて嫌味がなく、書くこと書くことがおもしろいのです。お互いをののしりあったりする様子も読んでいてほほえましいです。で、この2人の関係がどうもわたしと親友むっちの姿に重なって仕方がないのです、彼女らのエッセイを読めば読むほど。理由もないのに(あるのかも)男性との縁が遠く、時にはお互いののしりあい尊重し合う腐れ縁。最近ではわたしが一方的にお世話になっているんですけどね。ヤワラちゃんにもそしてついには紀宮様にも先を越されてしまいましたねー。あ、でも檀ふみと阿川佐和子がいるからいいんだ!さて昨日は、ダン・アガワコンビに先輩Kさんが加わって、吉祥寺でイタリアンを食べてきました。公民館の下にあるお洒落なお店で、料金の手頃なランチセットがあります。2人はわたしがアニメイトに行くという用事にも嫌な顔一つせず、逆にノリノリで付き合ってくれました。ローマでウチの下に住んでいるアンドレアに頼まれたアニメグッズ調達のためです、あしからず。ところでダン・アガワ。どっちがどっち?どちらかと言うと阿川さんがボケで檀さんツッコミに見えるんですけど(時々逆になる)。だからむっちがアガワでわたしがダンフミね。むっちのまるっこくて小さいところも阿川さんチックだし。
2005年01月09日
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武田さんと小泉さんと鰻を食べに行きました。浦和は中山道の宿場町だったところなので、鰻屋がたくさんあります。ピーチクパーチク3人で長話をして食堂に長居をしてしまいました。小泉さんがバイトの時間になったので、美術館に向かい、また世にも珍しい展覧会を武田さんと見てきました。今やっている展示はフルクサス展というものです。マイペースで他の美術館が決してやらない展示を行う(展示は市内出身のアーティストの作品と本をめぐるアートです)素晴らしいコンセプトの美術館です。わたしの元バイト先。
2005年01月08日
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地元の図書館へ行ってきました。昔はよく幕末モノの小説やネオレアリズモのイタリア映画を借りに来たものです。『演劇界』もよく孝夫サマ(現片岡仁左衛門)や染五郎くんの特集の号をコピーしたりしていました。買ったら高いもんね。高校の時に何度も何度も繰り返して借りては読んだ広瀬仁紀の『新選組風雲録』を探してみましたが、借りられているんだか書庫にあるんだか、現在絶版の大陸書房のバージョンには出会えませんでした。文春から文庫が出たようなので、そろそろ買ってもいいかな、と思っています。さて昨日は『レプリーク』という演劇の月刊誌(表紙は堺雅人サマ)、『地球の歩き方』の北京を借りてきました。そういえば日本に帰ってきたら堺サマが大ブレイクしていたらどうしようかと思っていたのですが、それは杞憂でございました。そのお姿を年末年始の特番で仰ぐことは一度もありませんでした(新選組座談会とスマステは見ました、むっちのおかげ)。その代わりに俳優では佐々木蔵之介、お笑いでは青木さやかと波田陽区という人たちが各局で引っ張りだこです。みんな知ってる???
2005年01月07日
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母が朝、「城を見に行こうよ」と突然言いました。「ナニ城?江戸城?」と思ったら、なんと今話題の『ハウルの動く城』という宮崎駿のアニメ映画のことでした。学校がまだ冬休みなので、ガキんちょ達がほとんどで、水曜日の女性1000円デーというのも重なって、地元の小さな映画館はとても混んでいました。前評判がとてもよい作品で、実際に評価も高い反戦映画(!?)なのですが、わたしは『千と千尋の神隠し』以上にはどうしても思えませんでした。あらかじめあれだけ言っておいたのに、ウチの母は最後まで主人公の吹き替えがキムタクだったことに気付きませんでした。
2005年01月06日
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最近の流行は「波田陽区」だと思います。海外在住の皆さん、この言葉の意味がまったく分からないと思います。これはとあるコメディアンの名前で、年末年始のバラエティーの番組には出ずっぱりで、彼の姿をTVで見ない日はありませんでした。わたしはこの人のネタがとても好きです。定番のギターのメロディーにのせて「…って、言うじゃない」、「…ですからー、残念!」、「○○斬り」という文句を入れつつ、有名人の弱点などをはっきり言ってしまうというお笑いなのです。とてもよくできていると思うのです。昨今はお笑いブームらしく、いろいろなコメディアンが出ていますが、そのほとんどがおもしろくありません。波田陽区のネタはわたしの笑いのツボにはまるのです。
2005年01月05日
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去年からだか今年からだか知りませんが、年賀状は1月2日にも配達されるようです。小泉首相の行政改革の一環なんですかねえ。郵便局も郵政省なんかじゃなくて日本郵政公社になってしまいました。本当に日本人、よく働きます。新聞の投書にこんなのがありました。早めに年賀状を書いて投函した、しかし1月○日(いつだか忘れたけどそんなに遅くない)にその人に電話したところまだ着いていないと言う、郵便局に確認して欲しいとの旨を言ったが、分からないの一点張り、そのうち着いたのだが、数日かかっての到着、これいかに(怒)!そしてもう一通、これを読んだ人が「わたしも、わたしも」と書いていました。でもね。着いたんだからいいじゃないですか。電話するくらいなら年賀状書かなきゃいいのに。とわたしは思うのです(抗議来るだろうな…)。郵便物なんて無くならないだけありがたいと思わなくてはなりません。日本の親戚や友人からイタリアに送ってもらった手紙や小包が今までいくつ無くなったことか。とこれはあくまでもイタリア在住のわたしが思うことです。イタリアの郵便局にはできるだけ行きたくありません。ものすごい長蛇の列、番号札があるのに平気で人は割り込むし、郵便局員にはヤル気も責任感もありません。そんなんだから仕事もできません。年末、郵便の窓口に一時間並びました。客を見ていると、みんながみんな、書留を出す手続きをしているので時間がかかっているのです。要するに、普通郵便が信じられないから、みんなが書留で出すのです。わたしは日本で書留など大学の願書を送った時だけにしか使ったことがありません。イタリアの郵便事情、以前より善くなったとは言われますが、いやー、それでもまだまだ。日本には100年経っても追いつかないでしょう。
2005年01月04日
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1月2日には毎年地元の調(つきのみや)神社に初詣に行きます。奈良時代に当時の税に相当する租庸調の調を集める場所であったという由緒の神社、狛犬ならぬ狛兎がいる珍しいお宮さんです。鶏の破魔矢を買ってきました。駅方面に出てロイヤル・パインズ・ホテルで食事をしようと5階の和食「赤松」に行きましたが、メチャ混みで断念。お正月だというのにどこへ行っても人だらけ、なのです。
2005年01月03日
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昨日は元日。我が家の元旦の朝は、雑煮と相場が決まっています。石油ストーブの台所で雑煮に餅を3つ入れて食べるのはなんとも爽快です。炬燵の部屋では束になっている年賀状の中から父宛のものと弟宛のものを仕分けします。ぶ厚い新聞広告、初売りのチラシを一通りチェックするのも風物詩です。これぞ日本のお正月、と思っていたのですが、だいぶ時勢は変わってきているようです。というのは、なんとウチの近所に秋にリニューアルオープンしたジャスコ北戸田ショッピングセンターが元日から開いているというのです。おまけに食料品売り場は24時間営業、その他の売り場もすべて夜23時まで営業という、ホントにこんなにまでする必要あるのか?と思うほどのサービスです。しかしながら供給あれば需要あり。両親は「昼飯食べに行こー」と言うのでした。売り場は3階までしかないものの、ものすごい広さに拡張されており、レストラン、専門店の数が相当数。毎日違うレストランで食べても(フードコートもあります)1ヶ月くらいかかるでしょう。それに加えて広い売り場面積のジャスコがあるのですから端から端まで歩けば疲れてしまいます。そしてとても混雑しているのです!1月1日から外食しちゃうんですかー、日本人の皆さん。と言いつつも、わたしたちはオムライス屋さんに入りました。その他、ファミレスから中華、韓国料理、イタリアンの食べ放題、和食、ラーメン、讃岐うどん、沖縄料理などなど、ここに住みたいくらい何でもあります。初売りを目玉にした売り場はどこも混んでいて、初売りも何も、おとといも昨日も開いてたからそんな気しないじゃん、とツッコミを入れたくなりました。何が入っているのか分からない福袋は健在です。日本人は本当に働くのが好きですね。家に帰ってまた炬燵の中でウダウダしていると、叔母の家から「全員揃っているから早く来い」との催促の電話が入りました。父方の親戚が祖母を中心にみんなで毎年集まるのです。総勢14人プラス赤ん坊3人。去年はわたしがいませんでしたが、今年はウチの弟が正月スノボーのために欠けました。今年はニューフェイスも登場。従弟のところに1人男の子が生まれたのです。祖母と、父の妹、三姉妹である叔母たちが豪勢な料理を作ります。わたしは狂ったように食べまくりました。今日がウチの父の誕生日なので、叔母たちは名前の入ったケーキも用意してくれ、年男の還暦祝いも兼ねました。祖父が亡くなってから毎年恒例になったここ叔母の家での新年の集まりも何回目でしょう、もうそろそろ2桁になるかな?最近ではおチビちゃんたちが増えて、彼らの成長ぶりを見るのがとても楽しみです。ウチにだけいないんだけど!
2005年01月02日
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いつものとおり木曜日に18時まで仕事をして、そのあと直接空港に向かいました。日本に帰国する時はいつもそうなのです。8時間時計の針が進んでいる日本に到着したのは31日金曜日の午後16時過ぎ。到着前の機内アナウンスで客室乗務員さんが「雪のため首都高などが閉鎖」と言っていました。初めて空港まで迎えに来ると言ってくれた両親は、そのせいで、車ではなく電車にて到着。ゲートで待っていてくれました。ホントに東京、雪が積もっていました。
2005年01月01日
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