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午後3時20分職場前集合。遠足の日です。毎年恒例、わたしの出席も3度目となりました、マッテオの別荘にての冬のパーティです。同僚、元同僚の仲良し連中が集まってわいわいやるのです。ラツィオ州のロッカ・カンテラーノという山の中の街にマッテオの家はあります。道が空いていればローマから車で1時間強のところです。177世帯377人の住民が住む小さな街です。車5台で計14人で行きました。だいたい揃ういつものメンバーで、暖炉に火をつけました。はじめに用意するのは暖炉で軽く焼いたパンにトマトのぶつ切り、オリーブ・オイル、塩、胡椒、にんにくなどをのせたブルスケッタです。この間にトマトソースをぐつぐつ煮込んでいます。これがポレンタのソースになるわけです。ポレンタというのは冬にイタリア北部で食べられる料理で、とうもろこしの粉で作ったホットケーキのもうちょっとべチャッとした感じの食べ物。サルシッチャ(ソーセージ)などの肉と煮込んだトマトソースをかけて食べるのです。「わたしポレンタが好物なの」と言う人にはお目にかかったことがないので毎日食べるようなものでは決してありませんが、これを食べると、ああ、冬の到来だ、と思うのです。 *昨日の胃袋 QUELLO CHE HO MAGNATO IERI* トマトのブルスケッタ、ポレンタ、トマトソースのパスタ、サラダ、みかん
2005年11月28日
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雨が降り続いているので、自転車で出勤もできません。ナターリアの友達カップル+彼らの赤ちゃんがワルシャワから旅行に来ているので一緒にお茶をしました。2人とも英語ができるので会話は問題なかったのですが、ポーランド語の歌を歌うとそれはそれはウケてくれます。日本人がポーランド語で歌う戦争の歌はそりゃあウケるでしょう、日本に住む外国人が『月月火水木金金』を日本人の前で披露するようなものかな。ポーランド語の文法はわたしが世界一難しいと考えるスラブ語系ですので一生習得することはないでしょうが、発音は日本人にとっては意外とそれらしく聞かせることが可能なのです。英語やイタリア語、フランス語なんかよりはるかに。「ぱだ」…雨が降っている「にぇぱだ」…雨は降っていない「やくましゅないみぇ」…あなたのお名前は?
2005年11月27日
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風邪をひいてしまい、ドイツ語のレッスンに行けませんでした。わたしはこの日を『冬のソナタ』の日としました。先週半ばから見始めた、叔母がビデオに録っておいてくれたこのドラマ全20回を見切ったのです。時刻は深夜3時半でした。イタリア語で言えば“assurdo”(直訳すれば「不合理な」。「ありえなーい」くらいの感じ)の一言で終わってしまうストーリー運びなのですが、日本人のおばさまたちがハマった理由がよく分かります。ロケ地めぐりに行きたいとまでは思いませんけど。ネタバレありますのでこれから見る方は読まないで下さい。それではマミ、『冬ソナ』を見る…。主役ヨン様の魅力。笑顔の貴公子ぺ・ヨンジュン。高校生のチュンサンもアメリカ育ちのイ・ミニョンもどちらも素敵。ストーリー。あり得ない。誰が誰を好きで、別れたり、くっついたり。誰の子供だか彼の子供だとか何だとか。あり得ませんけど、だからこそ目が離せない!想像付くけど想像通りになったときのショックがたまりません。わたしは水戸黄門で言うと8時45分が好きなのですが、お分かりになりますか?あのおじいさんが黄門様と発覚する瞬間!アレに似ているのです。チェリンの嘘がミニョンにバレてしまうあのシーン。そして感動のラストなんてもうたまりません。泣けたシーンは二度。チュンサンが昔住んでいた家で高校生の時に返せなかったピンクの手袋をユジンに見せた時。それからラストは言うまでもありません。ちょっと辟易感もアリ。最後の方で、お父さんが誰だとか何だとか。あの辺は8割カットしても可じゃないでしょうか。どうせ初回から分かっていたんですし。役者がいい。チェ・ジウは全シーンの8割で泣いていましたが、最後が良かったのですべて許しましょう。脇役の友達全員の性格に魅力がありました。音楽が泣かせる。主題歌をはじめ何度も同じテーマ曲(いくつかある)が流れるのでいやでも頭に残ってしまいます。回想シーンなどではとにかく泣かせようという心意気が見えます。日本語版がうまい。字幕担当、何人かいるようですが、皆さんお上手です。それから同じ東洋人ということで言い回しなども似ているのでしょうか?分かりやすい表現ばかりで外国のドラマを見ている気がしませんでした。吹き替えの回も少々見ましたが、主人公2人の声(田中美里と萩原聖人)もとても合っていました。結論ミクシィではヨン様のコミュに参加しました。マイミクの皆様どうぞ覗いてみてください。そしてヨン様のローマ招聘にご協力をお願い申し上げます(って誰が?)。韓国語のレッスンも受けるつもりです(ドイツ語は…?)。友達のキムちゃんにメールを書いているところです。
2005年11月22日
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夕方、かすみ4姉妹と出かけてみました。日本の『リング』というDVDを訳あって探しに本屋に行ったのですが、そこにはありませんでした。それでパンテオンのあたりとかをぶらぶらしてアレッサンドロと合流し、テスタッチョに向かいました。ぐんちゃんがDJをやるというのです。ぐんちゃんは相変わらず元気そうでした。そこではマリア・アデーレと、けいこちゃん、そしてぐんちゃんの友達のローレンというアメリカ人の女の子に出会いました。わたしは踊ったり夜中にライブを観に行ったり滅多にしないので、こういった所(イタリアでは「ロカーレ」と言ったりします)に来ることはないのですが、昨日は寿司が出るというし、はじまりが19時半からと早かったので(わたしは早寝遅起きがモットー)行ってみたのです。しかし寿司がお腹いっぱい食べられることもなく、クスクスを少し食べただけで女の子たちだけでピッツァを食べに行きました。ぐんちゃん、ごめんね。この日知り合ったロサンジェルス出身の奨学生ローレンはチャーミングな女の子。10月にローマに来たばかりなのでイタリア語が話せず、たどたどしい英語でコミュニケーションをとります。笑ってばかりいて通じ合ってるんだか合ってないんだかよく分かりませんでした。とにかく今度一緒にサイクリングをします。YUMMYという単語を教えてくれました。アメリカ人と知り合いになったのは初めてかもしれません。
2005年11月21日
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夜、4ちゃんに電話をしてご飯を一緒に食べようと言いました。4ちゃんが「中華がいい」と言いましたので、いつものトラステヴェレのCI-LINに行きました。あとでかすみも来ました。夜遅くまでダベって食事をしました。おみやげに万里の長城の写真入りのカレンダーをもらいました。それで、そこがCI-LINではなくてGI-LINで、「麒麟」という意味だとはじめて分かりました。
2005年11月19日
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まみっち最新情報。有言実行タイプなので日記に書きます。最近ドイツ語を習い始めました。簡単な文法と会話ができるようになればいいと思っています。ですからPapagena48さんに読まれるととても恥ずかしいのですけどね。でも少しずつ覚えるのがとても楽しい!今月末、ホテルででかい仕事を手掛けることになり、それが日本のお客さんなので陣頭指揮をとるのがわたしなのです。もうドッキドキ。『冬のソナタ』を見始めました。続きがとても楽しみです。『スローダンス』にもしびれました。胸がキュンとなりました。ちなみにわたしは妻夫木派ではなく断然藤木直人派です。去年の5月に来て下さってそれ以降お手紙を交換している松戸のY氏ご夫妻が来年の5月に予約を入れて下さいました。オンラインのフォームで予約が入ってきたのですが、突然のことでびっくり。嬉しくて思わずすぐに電話をかけてしまいました。すると奥様が出られて旦那様に「まみちゃんヨ、まみちゃん」と呼び出してくださるのです。そのご主人も「まみちゃんのいるところがいいと思ったからネ」とのこと。わたしのことを思い出してくださるだけでもありがたいのに、再び予約していただき、そして「まみちゃん」と呼んでくださるお客様がいるのが本当に嬉しいです。前回は日曜日にチェックインされて2泊、月曜日はわたしは休みなのでお帰りの日にしかお会いできなかったのですが、素敵なご夫妻とお見受けしました。こんなことがあるとわたしはとても元気になるのです。
2005年11月18日
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Art Cities Exchangeでお会いしたウチのホテルと契約のあるJ社のK氏をホテルにお招きしたので日曜出勤。K氏とはわたしのこの間の東京出張、J社でのプレゼンの際に既にお会いしていましたので知った仲です。とても明るくて素敵な女性です。レストランといくつかの部屋を案内させていただきました。それから突然アサカさんから電話があって、マイミク山吹隊長との昼食にわたしを誘うのです。昼食はしっかり食べたかったし、というのは既に外に出ていたし、何より暇だったので出かけました。普段の日曜だったら正午テルミニ駅での待ち合わせなんてわたしにはとうてい行けるものではありません。待ち合わせ場所の駅構内のナイキ・ショップへ行くと、またもやわたしがビリ。2人が既に待っているのでした。いつもこう。ゴメンなさい。わたしの提案で元ひとみ&わか邸下にあるトラットリアMORGANAへ行きました。それに山吹隊長は中華を食べたくなかったのです。フランスの話とかアサカさんの「こいばな」とかを楽しんできました。そのあと市の観光バス(2階建てで上が開いているバス)110番に乗ろうと思ったのですが、わたしが金を一銭も持っていなかったので乗れませんでした。寒くならないうちに乗ってローマ一周したいものです。 *昨日の胃袋 QUELLO CHE HO MAGNATO IERI* ローマ風アーティチョーク、じゃが芋、猪肉のソースのフェットゥッチーネ・パスタ、アスパラとアーティチョーク、生クリームソースのラザニア
2005年11月14日
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前日のArt Cities Exchangeで知り合いになった御徒町の旅行会社「ビッグアップルコーポレーション」のM氏と恵比寿のアステイオンのS氏がホテルを見に来てくださいました。お2人ともとてもユニークだし、とてもイタリア慣れしていらっしゃいます。昼食をウチのレストランでご一緒させていただいたのですが、話がとてもおもしろかったです。お2人が注文したズッキーニの花のラヴィオリわたしはもともと業界の人間ではないので、こういった日本の旅行会社の人たちと話をする時間を持つことは非常に貴重なのです。会話の端々から日本の旅行業界に関する知識を得ていくわけです。いくつかのお部屋もお見せしましたが、気に入って頂けたようで何より。またぜひいらして下さい!
2005年11月13日
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市内の某高級ホテルで行われた“Art Cities Exchange”というイタリア政府観光局主催のイベントに行きました。本来なら営業のアレクサンドラが行くはずなのですが、彼女は今ロンドンに出張中。社長の長女フランチェスカも行けないと言うので、急遽前日に、午前中はわたし+ルーシー、午後ロベルタ(社長の次女)+フェデリコ(フランチェスカ・ロベルタの弟)というシフトが決定しました。このイベントはイタリアの芸術都市(Art Cities)に興味のある世界中の旅行会社を多数招いたもので、そこにわたしたちイタリアのホテル、つまり売り手が押しかけて営業をするというイベントです。イタリア政府観光局によって綿密に組まれたアポの一覧表を見ると、日本の旅行会社もいくつか入っていたので、それもあってわたしを送ることにしたのでしょう。朝、ホテルのパンフレットなど営業道具一式を持って会場にタクシーで向かいます。はじめのうちはわたしとルーシーと2人揃ってアポの入っていた旅行会社のテーブルへ行き、一通りのプレゼンをしてきました。わたしはボーッと黙って、時々「シュアー」とか「ヤー」とか相槌を打ったりしてルーシーに任せていました。ご存知の方も多いでしょうが、わたしは英語が苦手なのです。ポーランドの旅行会社のテーブルに行った時は、ルーシーがポーランド人なものですから、わたしは訳の分からぬポーランドの会話をこれまたポーッと聞いていたのでした。時間割が組まれていたのですが、時を経つにつれて意味を成さなくなってきます。二手に分かれて空いているテーブルに行ってはプレゼンをするという状態でした。日本の会社のテーブルではわたしの独壇場です。いつもこういった営業の場で、もちろん東京の旅行博でも顔を合わせるローマのホテル・ビバリーヒルズのルイージと久々に会いました。わたしが存じ上げなかったいくつかの日本の旅行会社さんと知り合うことができ、それはそれは大収穫でした。こういうのは本当は苦手ですが、時々はオフィスの外で仕事をするのもいいかな、と思います。
2005年11月12日
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日曜日は貴重です。何をしようかな、といつもいろいろ考えをめぐらします。朝は掃除など家のことでしなければならないことがあったのですが、午後はぐーたらしました。様子をうかがうと隣の部屋のみやちゃんもそんな感じみたいでした。で、テレビ番組の感想。映画『世界の中心で、愛をさけぶ』(通称セカチュー。ローマ在住の皆さん、ご存知か?)このDVDを既に見たマリア・アデーレが日本語で「泣けた」とのたまい、ドラマ・バージョンを見たウチの母が「ハマった」と言った作品。泣けたは泣けたのですが、ちょっと主人公の男の子(大沢たかおの少年時)の真剣な顔にどうも笑わされてしまい、ちょっと引きながら見てしまいました。大沢たかおに似ていたのに残念です。母が良かったと言うドラマ編を見てみたいです。両方見た方は、どうらがいいと思いましたか?教えて下さい。『笑ってコラえて』高校吹奏楽コンクール全国大会高校球児ならぬ高校吹奏楽児(?)だったわたしは自分の若かりし頃を思い出さずにはいられませんでした。同士であったとろにゃんがウチに遊びに来て帰っていったのがちょうど最近のことでしたし。ウチの高校は全国大会なんぞ眼中におけるほど強くはなく、関東大会出場を目指しているくらいでした。言い訳しますと埼玉県というのは強豪揃いなのです。県大会では銀とかダメ金(何校も同時に金賞を受賞するので、関東大会に出られない金賞というのがある)くらいのレベルでしたけれども、練習はそれはそれは厳しく、幸いにも一年生のうちからコンクールに出させてもらったわたしは一年生の時からしごかれていたわけで、「いやー、ヤバイところに来ちゃったなあ」と思ったものです。でも振り返ればあれがわたしの一度きりの青春ですから、もっと真面目にやっておけばよかったなあ、と今更ながら後悔しています。青森山田高校と大阪の淀川工業高校、市立習志野高校の3校が取り上げられていましたが、いずれも指導の先生はこわかった!でも大阪の先生の指導には「お笑い」が入っていて、そのユニークな教育方針に共感が持てました。大阪人気質なのでしょう。青森の若い先生は全国大会に進めなかったことを生徒と一緒に泣いて悔やんでいた熱血先生。習志野の先生はステージの直前にマツケンサンバを吹かせて指揮棒を振りながら踊っていた飛んでる先生。やっぱり指導者ありきですね。この番組見ましたか?とろにゃん、pinetailさん、つきちゃん3さん。そして当時のメンバーでこれを読んでくださっている方他にもいるかな?よかったらコメント下さいね。大高ブラバンは今は強いのかな?ちなみにこのあと大学で入ったJAZZバンドはいつも全国一になるめちゃうまいバンドでした(わたしはコンテスト出場のメンバーには一度もならなかったけど)。時々掲示板に登場するむち子とかとみとかまんさんとかオランダのSとかは同じバンドの人々です。Jリーグ三浦知良選手のインタビューわたしの大好きな阿川佐和子氏の番組で、彼女のインタビューを受けていました。海外でプレイすることのメリットとして、違う文化の国に行って生活しながら外国人として働けること、つまり視野が広がり、勉強になるということを挙げていました。海外で実際に働いた経験のある人間にしか言えない、非常にカッコいいセリフだと思いました。オーストラリアでも外国人カズはチームのために働いていくのでしょう。すごい人だと思います。
2005年11月07日
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天気の悪い土曜日。ローマ南部EURにあるFIERA DI ROMA(展示場)で行われているMOACASAというインテリアの博覧会に同僚に誘われて行きました。家を建てる予定もないし、内装に興味があるわけでもないのですが、同僚のロッセッラがちょうど田舎の家の内装をやっているところなので行ってみることになったのです。この会場は土曜日だけあってすごい人。車を止める場所を探すにも一苦労でした。入場は週末料金で9ユーロ。ちょっと高いな。でも入る前からさまざまな会社のカタログやパンフレットの入った宣伝の袋を配る人がたくさんいて、中には帽子なんてのまでありましたから、元を取るために何でももらいました。会場内はどんなものかというと、IKEAみたいにいろいろな部屋があちらこちらにあるのです。IKEAを知らない日本の方は、日本にも2006年にできるそうですのでお待ち下さい。えーと、とにかく部屋のセットがたくさんあるのです。住宅展示場がたくさんある感じです。各インテリア会社が大きな高い商品を売るために本当にきれいに、今からでもすぐにここに住めるかのようにセッティングしています。何十タイプもの居間、寝室、お風呂、トイレ、キッチン、子供部屋などのモデルルームがあるのです。一番驚いたのはホーム・シアターの部屋。映画館ばりの部屋があったのです。10ほどの座席にはポップコーンとジュースを立てる穴もあり、赤い布張りの椅子。これが家にあったらいいな、とは確かに思いました。とにかく会場は巨大で、ロッセッラとマリーアは疲れて休んでしまい、マッテオとカルロとわたしの3人だけが結局全部を見たのでした。帰る頃には大雨になってしまい、夜一緒に食事をする予定となっているマリア・アデーレと4ちゃんが待つトラステヴェレまで車で送ってもらいました。昨日は、このたびマリア・アデーレが日本企業のイタリア法人会社に通訳の社員として採用されたのを祝して3人での夕食会です。車は坂道を行ったり来たりして酔ってしまいましたが、ようやく到着しました。マリア・アデーレが「ここだよ」と言い残して車を止めに行ったので、わたしたちが2人で先に入り、「3人で予約していた『山鳩』(マリア・アデーレの名字、日本語直訳)です」と言うと、「え?そんな予約ないよ」とのこと。2人でどうしようと思っていたらマリア・アデーレが追いついてきて「あ、ココじゃない…」と言うのです。店の人も出てきて、「あっちの店でしょ?」とはす向かいの店を指差すのでした。あー恥ずかし。ビニールハウス状態になっている外の席で雨の中食事をするのも乙なものでした。生粋のローマ料理の店で、今まで食べた中でも料理のおいしさはまみランキングの上位に入るトラットリアです。しかも住宅街の中にあるし。隠れ家的。マリア・アデーレはローマがあるラツィオ州ではなく隣のアブルッツォという州で働くようになったのですが、その話もなかなかおもしろかったです。 *昨日の胃袋 QUELLO CHE HO MAGNATO IERI* SUPPLÌ(ライスコロッケ)、ローマ風アーティチョーク、海老のリゾット、パイナップル(ちょっと腐っていた、でも食べた)
2005年11月06日
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実は今回のボルツァーノ行きの目的は、昨日月曜日に行われたナタリーのドイツ語の試験のためだったのです。ナタリーはそれを受けるのにここまで来なくてはならず、その間キアーラの臨時ベビーシッターをどうしようかということになり、わたしに白羽の矢が立ったのでした。わたしにしてみれば、旅がしてみたかったし、キアーラの世話は大好きなので、かえってありがたかったのです。午前中は筆記試験で、その間はキアーラと部屋で遊んでいました。この子が本当にいい子で、いつも笑うし、お腹がいっぱいになるとよく寝るし、とても扱いやすいのです。お母さんが精神的にも経済的にも参っているので、そのことを赤ん坊のくせに分かっているんだなあ、といつも思います。ナタリーが戻ってきてから、許可を得て食堂に連れて行ってもらいました。5ユーロを払ってサラダ、パスタ、パン、肉、水(ワインとビールもある、勤務中の人ももちろん飲んでます)、フルーツを好きなだけ取ることができるのです。お腹いっぱい食べ、パンに肉をはさんでパニーノにして、帰りの電車で食べるように包みました。午後はしばらく一人で、それから彼女の口答試験があったのでキアーラを抱っこして、ボルツァーノの街を散策しました。宿舎を出てタルヴェラ川沿いを北上し、美しいタルヴェラ橋を越えてイタリア語でPONTE TALVERA、ドイツ語でTALFERBRÜCKEとの二ヶ国語表記「博物館通り」を歩きます。もはや市場と化しているエルベ広場には食料を売る屋台が数え切れないほど出ています。八百屋、チーズ屋、パン屋、ハム屋、花屋に菓子屋。見ているだけで楽しいです。観光客だか住民だかはよく分かりませんが、ドイツ語が飛び交っていました。この広場を越えると両側にアーケードのあるポルティチ通り。洋服屋、本屋、金物屋などでいっぱいです。雑貨屋で自分と同居人へのおみやげを買い、スーパーにも寄ってみました。ドイツ色たっぷりの街並みです。待ち合わせはドゥオーモに面したヴァルター広場でした。ナタリーの試験は合格とのこと!わたしも来た甲斐があったってものです。ホットドックを一つ買ってローマ行きの電車に乗りました。やはりドイツが近いとあってウインナーのおいしいこと!おいしいホットドックはローマではとても食べられません。帰りの電車の中もドイツ語のレッスン。さすがにやる気になりました。トレントを出た時には車両にわたしたちだけだったのが、ヴェローナを過ぎ、ボローニャを過ぎると満席になり、フィレンツェでまた少し空いて20分遅れでローマに到着しました。これがわたしがドイツ語に真面目に取り組むようになったいきさつです。
2005年11月01日
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