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ちょっとパープリン(古い?)な同僚、がめついおばちゃんポーランド人ルーシーの話を。昭和28年巳年生まれ(あ、ウチの叔母と呼ばせない叔母と同じだわ)の彼女は、先週の金曜日、朝から「もう仕事が手に着かないワー」、「早く3時(終業時刻)にならないかしら~」と舞い上がっていました。翌土曜日からダンナ(イタリア人会計士)とカリブ海クルージングの旅へ出るのです。日本でこんな上司いたら絶対耐えられないと思うのですが(まあいろいろ大変なのよ)、素直でかわいいなと思っちゃう時もちょっとあります。2月14日にはダンナに「今朝は言えなかったけど、今日はヴァレンタインデーだったわね。おめでとう。愛をこめて」といったラブラブ携帯メールを送っていました。ダンナからすぐに返信されたメールには「君からのメール感激だよ。いつもありがとう。これからも一緒に生きていこうね」みたいなことが書いてあってしばしア然。この人たちってとても幸せなんだろうなーと思います。嫌味とかじゃなく。アツアツなんだなーと思います。ひがみとかでもなく。自分だったらちょっと気味悪いけど、ってそこがわたしはやっぱり日本人なんだな。日本ではこんなやり取りあんまりしないと思うけど、でも日本の夫婦は日本の夫婦で幸せで、愛のかたちってきっとそれぞれなんだと思います。今時の日本人の女の子たちは、ルーシーみたいな思いがしたくてイタリアに情熱的なラテンラヴァーを探しに来るのかもしれないけど、イタリア男を手放しで称賛し、気の利いたことを何も言えない率の高い日本人男性を一概に悪しとするのもどうかな。今時の日本人の男の子たちもどんどん海外に出て、甘い口説き文句が自然に出るように精進すればいいのにな。国際カップル、外国人男性&日本人女性って多いです。わたしの友達でも。逆だと女性が中国人かフィリピン人、とにかく文化の似通ったアジア人が多いですよね。日本人男性が女性の扱い方において、アジアだけじゃなくて世界に通用するようになるのはいつのことになるのでしょう。ところでルーシー。今頃大きなクルーズ船の上でダンナとチークダンスでも踊っているかな。この間、2度も大きな袋にたくさんのみかんを持ってきてくれたから、なんて優しいの!と思ったけど、よく考えたら、旅行に出るからいらなくなったものだったのだな。そういえば昨日はマッテオ(左の緑のセーターの人)の誕生日で、みんなでいつものところで食事をしてきました。
2007年02月28日
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健康診断がありました。この先生、まったくもってヤブ医者という評判が高いのですが、ワタクシ、身をもって証明しました。血液採取。右腕を出すと注射針が刺されます。「アレ?見付からないナー」針を刺したまま針でぐりぐり血管を探しているのですが(想像できます?)、血が全く出てこないのです。もー見ているだけでこわいので、「痛いデス」と申告すると、今度は左腕を出すことに。幸運にもこちらはすぐ血が注射器に吸い上げられてきたので良かったです。みんなに話すと、「マミはデブっちょだからぜい肉のせいで血管が見えないんだ」と言われる始末。あたしゃ繊細な血管を持ってるんだわよ、プン!それにしても同僚のサンドロも「あの人本当に医者?」と腕を押さえながら言っていました。彼は針の跡がふくれあがってしまったそうです。母へ。視力は落ちていないようです。先生は大丈夫と言っていました。血液、尿検査を含めたすべての結果は、高校の時の模試のように各自にプリントアウトされて配られるので、とても楽しみです。数年前にこの健康診断を初めて受けた時のコラムも是非お読み下さい。
2007年02月27日
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昼寝をしていたらナタリーから「寝てるの?」と電話がかかってきて、暇だからこっちの方に出てくるというので、会いに行くことにしました。もうすぐ2歳になる娘のキアーラとも久しぶりに会います。1歳になる前にはよく子守をしたものですが、もうママと他人の違いも分かるようになってきたので、「誰だコイツ?」ってな感じで見られてしまいました。サン・ピエトロ広場に行って知らない子と遊んだり、クレープを食べたりしました。イタリアでは子供といると、いろいろな人が声を掛けてきたりするのでとてもおもしろいです。
2007年02月26日
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せっちゃんが去年の日本人会のバザーで買ったビデオを借りました。ドラマを録画したもので、『勝海舟』と書いてあるのです。大河ドラマ『新選組!』以来幕末ブームのわたし&せっちゃんの間では貴重なドラマ。見始めるとなんと15年も前のものと分かりました。田村正和&亮ダブルキャストです。堀内孝雄の主題歌が流れていましたから、あのTBSの『白虎隊』とか『田原坂』とかと同じ枠のものでしょう。15年前というとわたしの幕末狂いも既に始まっていましたから、おそらく見たのではないかと思うのですが、すっかり忘れていました。いえいえ、確かに見ているはずです。実家に『氷川清話』のぼろっちい文庫本があるのです。高校生の時に図書館のリサイクルか古本屋でタダでもらってきたと記憶しています。こんなに難しいものを当時進んで読もうと思ったわけがないので、おそらくドラマを見て読んでみたくなったという類の興味でしょう。ところで勝海舟が主人公になるドラマってあまりないので、とてもおもしろかったです。実家に帰ったら段ボールの中から『氷川清話』探してみようかな。
2007年02月25日
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ひとみちゃんがまたもや来て、夜、プンタレッラが食べたいというので、VARRONEに電話をしてみました。アルドに「6人くらいで行くからプンタレッラ取っておいて」と言っておきました。あさちんが今日の朝早いので来られなかったのですが、かすみ4姉妹ときむちんと5人で食事をしました。ウエイターのピエロが休暇中なので、代わりに来ているおじさんがいるのですが、彼はトラステヴェレの某ピッツェリアで働いていた人なのでした。かすみとわたしは以前トラステヴェレで彼を、「小松政夫さん」と名付けていたので(もちろん似ているから)、それで覚えていたのです。やっぱりプンタレッラはちょっと時期が終わりに近づいているので絶好調の味ではなかったけど、それでもおいしかったです。ひとみちゃん、また食べに行こう。
2007年02月24日
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そのまんま東が宮崎県知事になったと知ってちょっとびっくりしました。思わず宮崎県のホームページをのぞいてしまったほどです。それを同居人の38ちゃんに言ったら、既に聞いていたのだか何だか、あまり驚いていなかったので、横山ノックを知事と仰いでいたトコの出はさすが、何事にも動じないのだなあ、と思いました。
2007年02月23日
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ポルトガル旅行で食べ過ぎたこともあって、そういえば最近太ったなあ、と改めて思い始めたのです。というかここの家に引っ越してきてからです。理由は3つ考えられます。まず家と職場が近く、行動範囲が狭まったこと。以前に比べるとあまり動かなくなったと思います。2つ目はファブリッツィオの店のせい。わたしたちには特別料金にしてくれるので、平日の昼は必ずここで食べます。ほうれん草やブロッコリーも食べるように心がけていますが、どれもおいしくて、とにかく量を食べてしまうのです。最後に、キッチンを割と自由に使えるようになったことです。前の家にいたときは「居候」感があったので、夜遅かったりすると何も食べずに我慢することも多かったのですが、今ではそうはいきません。おそばを茹でて食べちゃいます。いかんいかん、母に叱られます。最近気付いたのですが、お腹がこれ以上出ないよー、というマックスのところまできたらしくて、お腹じゃなくてお腹と胸の間の部分に肉が付いてきてしまいました。胃?月曜日に会社の健康診断があるので進んで受けます。またコレステロールの数値が高いっていう診断が出たらこわいな。
2007年02月22日
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リスボン最後の日。前夜げろった4ちゃんはさておき、年寄り2人はまたもや朝食を山のように食べます。嗚呼、また食べ過ぎちゃったわ。ホテルのロビーで佇むわたし。(4ちゃん撮影)最後の日はデパートEl Corte Inglésへ!イタリアには決して見られない、まるで日本のような品揃えのデパートです。ここにSferaという安い洋服屋さんが入っていて、そこが更にセールをやっていたので、3人で延々と見ては試着を繰り返しました。このメンツは安い洋品店において、掘り出し物の入手に時間を費やすことを決して惜しまず、いかに少額の金を払うかということに命をかけていると言っても過言ではありません(日本での例は@ファッションセンターしまむら)。ですからもちろん午後にはH&Mにも行きました。スーパーでポルトワインを買って、お昼はお総菜屋さんでテイクアウトをしてフードコートで食べることにしました。 El Corte Inglésの地下のお総菜コーナーは充実していて、日本人の口に合うものばかりです。とてもしっかりしたタッパーに入れてくれるので、わたしはローマに手荷物での持ち帰りを試みます。わたしは干鱈と野菜の天ぷら、たらこのマリネ、南蛮漬け、いかリングフライ、じゃがいもとタマネギの煮込みを買いました。全てがこのまま日本人の食卓に並べても何の不思議もないものばかりです。南蛮漬けなどは、あまりに味付けが同じなので驚きました。16世紀の味かよーと思ってしまいます。日本とポルトガルの古い縁を感じます。これからは「日本料理ってどんな感じ?」って聞かれたら「ポルトガル料理に似てるよ」って言おうかと思っています。隣でお総菜を選んでいた地元のおねーちゃんがご飯の上におかずを載せてもらっていたので、かすみはそれを真似て、ごはんにたらこなどを載せてもらっていました。ほらね、日本のお弁当っぽいでしょ。フードコートへ行くと、ものすごく混んでいて、みんなは色々な食べ物コーナーから昼食を持ち寄っていました。ポルトガル料理であるスープを選んでいる人が多かったのですが、ピッツァやパスタもありました。スペイン料理のタパス屋さんも混んでいました。向かいに座った人は昼休み中の会社員のようで、隣は老夫婦でした。若者や中高年のおばさんたちも多くて、イタリアではこの世代の人たちはあまり平日の昼食を外で食べないので、ちょっと違うなあと思いました。イタリアに比べたら外食が安いからということもあるのかもしれません。それからロシオ広場近くに出て、おみやげものを探しました。小さな店が至るところにあるので、見ているだけで楽しく、おやつを買ったり食べたり、宣伝のため無料で配っていたダノンの飲むヨーグルトキウィ味をもらいに行ったりして、町歩きを楽しみました。まだまだ時間は足りません。ゆっくり来たいところです。ローマのフィウミチーノ空港で飛行機を降りて歩いている間に、「明日の晩、一緒にピッツァ食べに行こうぜ」とローマ弁で若造2人組に声をかけられて、「あーローマに帰って来ちゃったなあ」とちょっとがっくりきました。ま、確かにこれがないとローマとは言えないんだけど。
2007年02月20日
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このホテルの朝食はすばらしいです。種類がとても多くて、探せばおいしいものにもたくさん出会えます。ホテルを出て国鉄の駅へ歩きました。 人がほとんどいない広場(首都だぞココ!)ベレンへ行くのです。ところでここでとんでもない事件が起きました。わたしは窓口のおじさんから3人分の切符をまとめて買ったのですが、お釣りをぼられたのです。ショック!ローマでもぼられたことがないのに…。値段も聞かずに50ユーロを出してしまったわたしも悪いのですが、何の疑問も抱かずに41,70ユーロのお釣りをもらって電車に乗ってしまいました。そこで4ちゃんが、切符は一枚1ユーロ10セントだったことに気付いたのです。46,70ユーロをもらうべきなのでした。5ユーロ札まるまるぼられたのです。今思い出しても悔しすぎます。やっぱりポルトガルだめかな?と、前日に続いてちょっとマイナスイメージに。ベレンでは大統領官邸だか首相官邸だかの建物の前でやっていた軍隊のパレードをふらっと見て、 左端の子、カメラ目線?ジェロニモス修道院へ行きました。大航海時代の元気なポルトガルの姿をしのぶことができます。この間上の階からのぞいただけの教会内部をゆっくりと見ることができました。ここにはなんとあのヴァスコ・ダ・ガマの棺があります。日曜日は2時までに入ると無料なので、ゴージャスな回廊もゆっくり見てきました。ぽかぽか晴天だったのでのんびり日向ぼっこをしてきました。修道院のよこっちょには国立考古学博物館があり、これも無料で入場できたので入ってきました。これだけ素晴らしいものを無料で見せているのにあんまりお客さんがいないというのもポルトガル旅行の魅力の一つだと思います。15番の路面電車に乗って一つ先のアルジェス駅へ行きました。住宅街を通り抜けていきます。目指すはカスカイス駅です。ここからはさっきぼられたのを取り返すために無賃乗車してやりました。これで元は取れていることと思いますが、検札っぽい人が来ないかと少しびくびくしたことを白状します。カスカイスでは駅前のショッピングセンターがイカシてます。シネコンも併設していて上階にはフードコートも。地下がバスターミナルになっており、ここからロカ岬行きのバスに乗ります。カスカイスには昨年まで、知り合いのAYAPAPAさんが住んでいました。わたしは本当に気に入りました。リスボンに住んでこの町に働きに来ようと考えたほどです。ロカ岬も大好きな場所。1年以内にこの場に2度も来られるとは思ってもみませんでした。バスは住宅街を通り、それが少し山道のようになります。乗客はわたしたちの他にロカ岬に行くと思われる英語ネイティヴカップル1組、あとはすべて地元の人です。おばあちゃん、ホームレスのおじさん、アフリカ人の男の子、南米系の女の子、そして後ろに若い男の子2人のみ。このメンバーがこのあととんでもない長旅に巻き込まれることになるのですが、それは悠々とバスに乗り込んだ時点では誰もが想像だにしませんでした。通常ならロカ岬までは30分で着くはず、でしたが、途中で検問らしきものにあい、交通警官と運転手がやたらと長い間話し合っています。なんだなんだ?他の乗用車たちは検問を通ってそのまま真っ直ぐ突き進む者あり、迂回する者ありで、何事かさっぱり分かりません。そのうちバスはなんとそのいずれでもなく、Uターンしはじめたのでした。おそらく日本から来た観光客ならここでびびってしまうのでしょうが、スト天国理不尽帝国ローマから来たわたしたちですから「なんだろねー、今日までに着くかねー」という構え。後ろに座っていた2人の男の子はこの先に住んでいるルーマニア人で、ポルトガル語ができるので英語も交えて事情を説明してくれました。あのポイントの先でカーニバルのパーティーがあって通行止めということなのです。ルーマニア語はイタリア語、ポルトガル語と同じくラテン語からきたものなので、彼らにはスペイン語混じりのイタリア語で話すとだいたい理解してもらえました。わたしはお得意の「ありがとう」「こんにちは」「さようなら」をルーマニア語で言ってみました。残念ながらそれしか知りません。でも、日本人が町なかで「ナカタ」とか「コンニチハ」とか声をかけられるよりは、ルーマニア人がイタリアから来た東洋人の観光客に「ムルツメスク」とか言われることの方がびっくりすると思います。心なしか彼らも嬉しそうでした。とまあ、ボーイハントはさておき、数十分走ったところで、今度は誰も通らないような山道でいきなり交通渋滞にはまりました。普段交通量ゼロであろう山道に二重駐車がなされている上、対向車の列も途切れず、バスが通ることができません。どうやらこのあたりがそのカーニバルのパーティー開催地なのでした。怪しい仮装をした人たちや家族連れたちがどんどん車を降りて歩いていきます。ここでバスは数十分停車、足止めを喰らいました。こんなこと前から分かっていただろうに、果たして他に解決法はなかったのだろうか、とわたしたちは思いましたが、行き当たりばったりの国ですからそんなことどうでもいいのでしょう。そういうところはある意味好きですが、それはただ単に旅行中だからだったかもしれません。ロカ岬に着いたのはカスカイス駅を出てから1時間10分を過ぎた頃でした。ロカ岬やっぱりいいわー。地球が丸く見えるの。あとは何も言うことないの。帰りのバスももちろんなかなか来ず、事情を知らない人々は「何で時間通りに来ないのかねーやっぱりポルトガルだねー」くらいに思っていたのかもしれません。待合室で待っているとカスカイス駅行きではなく、シントラ駅行きのバスが来たので、そっちに乗りました。シントラからもリスボン市内への電車が出ているのです。夕飯はホテルに近いところでとることにしました。『地球の歩き方』に載っていたBOM APETITE(Travessa da Glória, 20)というところです。前日食べたところと違って観光客が多い食堂でしたが、家族経営で、店先で焼いている魚もおいしそうだったので入りました。スープと海の幸のリゾットといかのグリルを頼みました。他にも白身魚を一皿注文しようとしたのですが、ご主人である斉藤洋介さん(もちろん似ているだけ)が拙い英語で、「君タチ3人ダケデショウカ?ソレデハ多スギマス」と親切にも少な目に頼むよう忠告してくれたのです。その後のわたしたちにしてみれば、それは大きなお世話で、「まだまだ食べられたよね」と文句を言いつつデザートを注文する羽目になったのですが、この斉藤洋介さんがあまりにもいい人だったのと、普通の日本人の女の子は食が細いという現実に免じて許すことにします。このあと4ちゃんが、疲労と酔いとお風呂の中で踊ったせいでげろってしまったのですが、これも彼女の若さに免じて許すことにします。年寄りは寝ます。
2007年02月19日
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午前中いつもどおり仕事をこなしますが、いつもと違うのはこのあと週末の旅に出ることです!しかしながらこの日皮肉なことに嫌な前触れが。レセプションのフランチェスコとメイドのアンナに話を聞いたところによると、「お湯が出ない!」とか「なんだこのホテルは!」とか叫びながら、部屋のドアを足で蹴っているポルトガル人の客がいるというのです。確かに叫び声が聞こえるし、昨日から同じ階の他のお客様に迷惑をかけているというのです。最悪。わたしがこれから行くのはポルトガルなのです。さて気を取り直して、早めではありましたが、職場のシャトルバスに便乗して空港まで行きました。リスボン経由ポルト行き、TAPポルトガル航空の845便に乗ります。定刻通り午後6時40分発です。リスボンに行くのは去年の4月に続いてこれで2度目です。ところでまたまた嫌な感じ。乗客にポルトガル人中年男性3人組がいて、大声で話したり笑ったり。まるで日本人の酔っぱらいオヤジのように、わたしたち周りの乗客に不快な思いをさせているのです。客室乗務員も嫌そうにしていましたが、直接被害を与えているわけでもないので追い出すわけにもいきません。この2件のせいでちょっと悪い予感というか、ポルトガルに対するなんとなーくイヤーな感じがわたしの中に入りこんできました。ま、それでも旅のワクワク期待感には勝てません。今回は飛行機に乗る前にちゃんと酔い止め飲んだから大丈夫だし!リスボンの空港は市の中心から車で20分ほど。町中にある空港と言っても決して過言ではなく着陸数十分前からリスボン市上空を飛び回ります。こんなにも町の中心地に近い空港は他にないのでは?(注)4ちゃんが昼間に撮ったリスボン空港オレンジの街灯に彩られた夜のリスボンはとても美しく、あまりに近いので空から見下ろしているという感じがしません。まるで品川から東京駅に向かう新幹線の車窓から東京の街をのぞいているような気さえします。全長2キロ以上もある4月25日橋と、手を広げた高さ100mのキリストの像クリスト・レイが見えた時には、一人なのに思わず「あ」と声をあげてしまいました。それほどきれいなのです。日中には4月25日橋とクリスト・レイはこんなふうに見えます。(注)これは飛行機から撮った写真じゃないよ。デパート、エル・コルテ・イングレスも見えます。電光掲示板の店の名前もいちいち読めてしまうくらい低空飛行です。さてさてまったく酔いもせず空港に着きました。あのポルトガル人3人組を含めた乗客のほとんどがポルトまで飛ぶらしく、リスボンの空港で出口に向かう人はほとんどいません。わたしは手荷物だけだったのでさっさと出口へ歩いていきました。TAPの乗客なら無料の、市内行き空港バスに乗るためです。しかし残念ながら旅行のローシーズンである今の季節は、空港バスは9時に終わってしまったのでした。空港の係員に「バスは?」と聞くと、「あそこだよ」と普通の市内バスを教えてくれました。言葉はイタリア語をスペイン語っぽくするとポルトガル人に伝わります。スペイン語っぽくするというのはよく語尾にSを付ければいいだけといいますが、それも言い得て妙です。ただポルトガル人が話しているのを聞くと、時々フランス語に聞こえないこともなくて、こんな時にラテン語から派生したこれらの言語の共通性をひしひしと感じるわけです。バスをレスタウラドーレス広場で降り、先にチェック・インしているはずの4ちゃんに電話をしてみました。地図は持ってきていたのですが、サイトをプリントアウトしたごくごくアバウトなものだったのです。しかしながらまったく初めての土地というわけでもないのでホテルはすぐに見付かり、4ちゃんとかすみに無事合流したのでした。今回のホテルはリベルダーデ通り(面してはいません)の4つ星リスボア・プラザ。仕事でお世話になっているおにいさんにとってもらいました。予約係の人とあらかじめメールでやり取りしていたのですが、ホテル業界の共通の知り合いがいたこともあって、とてもいい部屋、いいい待遇にしてもらえました。ただでさえ特別料金だったのに…。部屋は障害者設備のあるゆったりした広い部屋。テレビはNHKもイタリアのRAI1も入っているし、バスルームのアメニティも充実しています。VIPサービスのポルトワインも部屋に入れてあって、リスボン1泊目の夜、乾杯!でした。夕飯はカテドラル方面に坂を上っていき、昼に2人が食べたところの隣のお店へ行ってみました。10時過ぎていたけれど、サッカーを見ている地元のお客さんがまだちらほらいました。海の幸のリゾット、いろいろな魚のグリル、デザートを頼みました。ポルトガル料理は日本料理に似ているのでとにかく食べるものに困りません。イタリア料理のように飽きる、ということがないと思います。食い倒れの旅になりそうです。
2007年02月18日
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別荘の庭でレモンとみかんが採れたと同僚のルーシーが紙袋にどっさり持ってきてくれました。どれも不恰好だけどみかんは食べてみたらとても甘くておいしかったです。それでおすそわけに職場から徒歩1分のみさんちへ伺ったらJSTVで『のだめカンタービレ』の第9話をやっているところでしたのでちょっと見入ってしまいました。「のだめおもしろいよ」と割と早いうちから原作を薦めてくれたのはAYAちゃんかまつきりさんだったと思います。まだ漫画、読んだことがないのですが。ところでそのAYAちゃんとまつきりさんと、そして現ミラノ在住なおさんと4人で昨年4月に訪れたリスボンに今日から2泊3日でかすみ4姉妹と行ってきます。
2007年02月17日
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ヴァレンタインデー。彼氏いない歴○年(いつかきっとこれが2桁になる日も来るに違いない)のわたしにとっては何の意味もない一日です。と色気のない書き出し。職業柄忙しい日なのよ。ぷん。かつてミシュランにも載っていた我がレストランのヴァレンタイン特別ディナー。イタリア語・英語・ドイツ語3ヶ国語のメニューのタイピングはすべてわたし。市内すべての4つ星5つ星ホテルに案内をFAXします。ホテルはほぼ満室。「今日トレヴィの泉の前で指輪を渡すんだ。戻ってくるまでに部屋に花束とシャンパンを用意しておいて」とかいうリクエストの手配をしながら、“È buffo.”(ベタよねー)と同僚と笑い合っているのも負け惜しみでしかありません。先日親友むち子からこんなリンクが送られてきました。くすぶれ!モテない系むとわたしは自他ともに、お互い認めに認め合っているモテない系であります。これを書いているオカマちゃん能町みね子氏もモテない系ですが、そのモテない系研究に関しては、この上なく素晴らしい論理を展開しており、わたしは尊敬します。ここに書かれているモテない要素のほとんどがわたしに当てはまるのですが、ヴァレンタインデーをいい機会に、そのいくつかをここで挙げませう。なんのこっちゃ。1. 「モテるために何かをする」ということにものすごく抵抗がある2. それでいて、モテ子(注*もちろんモテ系の女の子たち)に ちょっとあこがれたり、 あこがれつつも逆に見下してみたりする3. 「私モテないからさぁ」なんて友人に言ったときに、 ふつうに納得されてしまう人4. 「私には私に似合うステキ男子がいるはず!」と、 妄想をふくらませてえらいことになってます5. 男子に対しても妥協を許しません。 男子にもついツッコミを入れてしまうのです6. たぶん仕事に生きてゆくキャリア系になると思うのだ。 でも、それでいいのだ、きっと。 ものっそい仕事ができて ものっそいかっこいい王子が現れるのを永遠に待つのも手ですし7. 妄想(注*…の男子)を創ったり語ったりすること自体が モテない系にとっての日々の癒しだったり、明日の活力だったり8. 基本的に何かしら文系の趣味を持っているものです。 小説、マンガ、映画、音楽あたりにかけては基本的に 売れ線のものから多少外れたところをがっちりカバー9. モテない系の一人遊びにはつきることがありません何でこの人こんなにわたしをよく分かっているのかなー?8話のくるりうんぬんは別にして。ちなみに近しい姉妹の姉に言わせると、わたしだけではなく彼女の妹もモテない系らしいです。でも彼女はまだ若いから大丈夫よ。それにしても意外と生息しているようです、モテない系の同士たち。心当たりのある方はぜひプリントアウトでもして(←したクチ)じっくりお読み下さい。
2007年02月15日
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冗談で同僚にケリを入れようとしたら、靴のヒールが片方パキッと折れてしまいました。この靴は裏に思いっきりMADE IN CHINAと書いてあります。たぶん靴流通センターとかでイチキュッパかそれ以下で買った物でしょう。だからどうしようかと思いましたが、一応靴の直し屋さんへ持って行ってみました。正直に事情を話して値段を聞いてみると、4ユーロ(約600円)とのこと。買い値の割に直し値が高く付くけど、そんなに悪い靴じゃないし、まだまだ履きたいので、お願いすることにしました。
2007年02月14日
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友人せっちゃん氏にDVD『納涼千里天国』をお借りしてしまいました。大阪出身で不思議な(かたよった?)音楽趣味を持つせっちゃん宅に行ったことがある人は、彼女がこのDVDを持っていると知ってもまったく疑問を抱かないと思われます。『納涼千里天国』は大江千里くんの1989年から1996年までのライブをおさめたもので、1989年といえばわたしは14歳、一番千里くんにハマっていた頃です。とても懐かしく見ました。中学1年の時に確か福島かどこかから越してきて、2年の時に同じクラスになったえっこはお姉さんが2人いるから大人びていたのでしょう、ちょっとクラスでも変わった存在でした。浮いているとかそういうわけでもないけど、ちょっと言うことが洒落ていたり、趣味全般が時代に先取りしているように、わたしには感じられました。3年の時も同じクラスになって仲良くなったのです。ちょうどカセットテープに変わってCDが出始めた頃。随分と会ってはいないけれど、メールのやり取りなどで今でも友好は続いています。そんな彼女がわたしに薦めてくれたのが大江千里の世界でした。中学生といえば『明星』や『平凡』の歌本から卒業していろいろな音楽を聴こうとする時期です。そういえばBON JOVIを別のクラスメートに薦められたのもこの頃でした。大江千里は学年の誰もが興味を示していなくて、えっことわたしにとってはわたしたちだけのモノ!という完全に満たされた独占欲みたいなものがありました。ベストテンにランキングされるようなアイドル歌手と違い、独特な曲調に乗せて、恋する若い青年の心(わたしにとってはすごく大人だった)を歌うシンガソングライターは、とても新鮮に感じられました。君じゃない悪いのは自分の激しさを隠せない僕の方さ(『Rain』より)彼の歌の題名だけを見ても分かるのですが、彼独特の世界を思わせる言葉がふんだんに使われていますし、それでいて理解不能というわけではなく、わりと簡単に伝わってくるものばかりです。また、これもこの頃だったと思うのですが、紅白を見ていて『釜山港へ帰れ』のチョー・ヨンピルが出てきて、父に「おっ、千里くんが出てるぞ」と言われたこともありました…。高校生になって以降は部活や勉強(?)に忙しくなって、千里くんからは離れてしまったため、初期の頃の歌しか知らないのですが、それでもDVDを見ているとそらで覚えていて歌えるものが多かったです。大好きだったことさえ忘れていた『向こうみずな瞳』という歌は、前奏すら覚えていませんでしたが、歌が始まった途端口が自然に動き出して、2番まですらすらと歌えるほどでした。まさにわたしの青春です。このDVDの中のせっちゃんの好きな曲は、『BOY MEETS GIRL』、『MAN ON THE EARTH』、『STELLA’S COUGH』、『マリアじゃない』、『十人十色』、『dear』だそうです。わたしは、だいぶ悩みましたが、『APOLLO』、『MAN ON THE EARTH』、『YOU』、『エールをおくろう』、『魚になりたい』、『向こうみずな瞳』ってとこですかね。『JANUARY』、『GLORY DAYS』、『格好悪いふられ方』、『六甲GIRL』、『Rain』なども聴きたかったけど、今度日本に帰ったらBOOK OFFで懐かしの初期アルバムを買いそろえようと思っています。
2007年02月13日
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kyokoさんが日本に帰る日です。日曜の朝7時に街へ出るとだ~れもいない!天気も良く気持ちの良い朝でした。会社のバスに便乗させてもらって空港へ向かいます。また来てね~。今までに見たことがないほど空港までの道が空いていて、帰りの道で「賭けをしよう」!空港を8時42分に出て、ホテルに何分に着くかを当てることにしました。運転手ファビオが9時03分、わたしは9時15分。いつもお客さんには「30分くらいで着きますよ」と目安に言っているのです。正解はジャスト、9時03分でした。完敗。家に帰るとあまりに天気がいいのでアロエを屋上に出して、洗濯機を2回回して、シーツを屋上に干して、家中の掃除をしました。それで眠くなってきたので2時過ぎに昼寝を始めて、気付いたら夜の7時。自分が嫌になってまた寝始めたのが9~10時頃(記憶ナシ)。翌朝起きたのは11時30分。何時間寝りゃ気が済むんでしょう。年を取ってきたら睡眠時間が減るというけれど、わたしの場合は増すばかり。
2007年02月12日
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ファブリツィオの店で昼ご飯を食べます。ここに来るとまた前日の延長で日本語教室。店のファブリツィオ&クラウディアに加えて、うちのホテルのレストランで働くカルメロとピエトロが加わって賑やかに。イタリアでも伝わる日本語が流行中。「五月」、「地下街」、「かかと」などなど。すべて汚い言葉ですので使うことはおすすめできません。食べ物屋さんでする話題じゃないのに。kyokoさんと、わたしの最も好きなローマの教会サン・パオロ大聖堂に行きました。金色に輝くファザードと中の歴代法王の肖像画が大好きなのです。観光地化していないのであまり人がいないのもいいところです。それからとある旅行会社の夜のツアーに潜入してきました。日本語ガイド付きでバスに乗ってローマの主要観光ポイントを回るのです。雨が降っていたのであまり歩き回らないバスツアーはちょうどよかったかもしれません。kyokoさん最後の夜ですからこれで一通りローマを見たことになるし。帰ってきて夜食を取りつつ恋愛譚、結婚観などを語り合って茶を飲んで、気付いたら夜の2時。明日朝6時起きじゃ~ん、ってことで寝ました。
2007年02月11日
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ヴェネツィアのF氏が日帰り出張でローマに来たので、ファブリツィオの店でお昼を一緒に食べました。そのあとわたしも外にお使いの用事があったので、2時間ほど暇があると言う彼女と雨の中バスに乗ってコロッセオ方面へ。けっこう道が混んでいたのでF氏は途中で引き返し、わたしはのんびりバスの旅を続けました。ヴァレンタインが近いので、お客様へのプレゼントを包む赤い布の袋を買ってくるように頼まれたのです。仕事がさぼれるしな、と思ってわざとゆっくりしてきました。夕飯はkyokoさんとkyokoさんの友達ルーカと再びファブリツィオの店で。ルーカは日本に3ヶ月ほど住んだことがあり日本語ができるので、日本語に興味のあるファブリツィオと大いに盛り上がっていました。ローマの高級レストランで優雅にお食事を、というわけにはいかなかったけれど、kyokoさんには楽しんで頂けたようでよかったです。
2007年02月10日
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同居人38ちゃんが腕をふるって鳥団子鍋を作ってくれました。来伊中のkyokoさんとみやちゃんの友達のあいちゃんと4人で鍋を囲みました。鳥団子の鳥は七面鳥で、葱、生姜、日本酒、それに片栗粉と醤油を加えたのだそうです。鍋の具はルッコラと舞茸と人参と鱈と鮭もありました。シメにうどんを入れて食べたのがおいしかったです。
2007年02月09日
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kyokoさんも来ていることだし、久々に普通に会社の裏のスーパーで買い物をして、家で料理をしてみることにしました。お得意の小海老とズッキーニのクリームパスタ(何かあるとこればっかり)。おいしそうな水牛のモッツアレッラ・チーズが入っていたのでそれと、生ハムと、パルメザン・チーズと、ルッコラで前菜にしてみました。けっこうおいしかったです。
2007年02月08日
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お友達でマイミクkyokoさんがオランダ旅行を終えて無事にローマに着きました。わたしが「ロシア人の男の子が行くからねー」と言ったのに実際に迎えに来たのはロシア人のおじさんだったのでショックだったようです。よりによって昨日はサッカー後の同僚の食事がなくて、仕方ないので2人でVARRONEに行ってきました。旅人にはローマのプンタレッラを食べさせてあげたい!と必ず思います。VARRONEに来ればシーズンにはたいてい食べられるのですが、昨日ももちろん食べられてよかったです。
2007年02月07日
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友人せっちゃんと夕方お茶のお約束。38ちゃんと行きました。せっちゃんはまた実家に行くのでいいなーとうらやましく思っています。それからコレアン・マーケットにめんつゆを買いに。7ユーロくらいしたので約1000円じゃんと思い、びびりましたが、わたしが怠惰なのと給料日が近いこともあって、つい買ってしまいました。あとはキムチ。中国の店では坦々麺の素と豆板醤を購入。思いっきりおばちゃんのような買い物をして、ビニール袋を両手にテルミニ駅に行きました。7時半以降でもショッピングモールが開いているのです。ちょっとのぞいてみて、MANGOで1枚シャツを買いました。そしてご飯どうしようかな、家で食べるのも面倒だしなあ、駅で食べて行っちゃおうかなあ、と思いました。駅の地下にアジアンのファーストフードがあってそこには日本食メニューもあり、おいしかったと先日ダニエルが勧めてくれたのを思い出して、そこで食べていこうと思いました。しかし通りかかったらお客さんが誰もいなくて、ここで「ラーメン一丁!」と注文するのも気が引けたので、妥協して隣のマクドナルドへ行ってしまいました。おばちゃんがマックで一人でハンバーガーをかじる姿ったらちょっと情けない。ストローででかいコーラをすすっていると4から連絡が入り、駅近くにいるので集合、とのこと。普段のわたしなら翌日が出勤日なので断るところでしたが、おばちゃんマックで一日を終えるのもどうかと思い、姉妹の飲んでいるであろうPUBへ歩いていきました。ボサノヴァの生演奏付きのかわいらしいお店。キムチ入りのビニール袋を持ってこういう所に入るのもどうかと思うけれど。しばらく飲んでいたら燕2人参入。21歳の若者。若いなー。わたしのかつて教えていた生徒よりずっと下だわ。しゃべり方と話題が違うので新鮮です。わたしがいつも話している男どもといえばだいたい20代後半以降40代前半くらいまでの同僚たちなのでサッカーの話か仕事の愚痴、政治、その場を横切る女のケツがいいかどうか、ってなところです。若者特有の落ち着きのないしゃべり方(よくテレビでは見るんだけど)のせいでよく聞き取れないところがたくさんあって、はしゃいでた姉、会話にすべて付いて行けているのがすごいなーと尊敬しました。妹は耐えきれずに途中で退散してました。ここの姉妹と3人でリスボンに行くのでとても楽しみです。ローマの友達の中でも本当に何も考えずに楽に接することのできる数少ないメンツです。
2007年02月06日
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週刊新潮に連載の帝京大教授高山正之氏のコラム「変見自在」の、昨年8月17・24日号掲載分『鯨と靖国』を、職場のみんなに読ませてやりたいと思ってイタリア語に訳してみました。1ページだから短い簡単な文章なのですが、けっこう時間もかかるし、やっぱり日本語をイタリア語ネイティヴでないわたしがイタリア語にするのは難儀なもので、どう訳したらいいかまったく分からない箇所もあり、同僚に見てもらうことにしました。そこでの彼のコメントはなんと「小学校3年生の文章だ。どこから手を付けたらいいのか分からない。とにかく全部直さなくてはならない。全然意味が分からない。」とのこと。分かっていたものの軽いショックを受けました。わたしってダメな女ね…。しかしながら簡単なほう、イタリア語から日本語への新聞記事などの翻訳は今後もやってみようと思っています。今、ちょうど訳し始めた新聞のミニコラムはわたしにとって身近な話で、とてもおもしろいのでそのうちうまくできたらここに書こうと思っています。日本ではまだ翻訳されていないようなのですが、Michael Byrnesの“The Sacred Bones”という小説。原語で読める方は是非読んでみてください。ちょっと『天使と悪魔』の二番煎じチックな、ローマを舞台にしたミステリーらしいのですが、なんと、ウチのホテルとレストランが舞台の一部として実名で登場するのです。残念ながらわたしは出てこないのですが…。調べてみると、確かにこの著者、ウチのホテルに数年前泊まっているのです。英語もイタリア語も読むのがつらいわたしは、いつか日本語に翻訳されるのを待っています。イタリア語タイトルは“Il Vangelo dei Templari”。Newton Compton Editoriから9,90ユーロで絶賛発売中です。イタリア国内の有名書店店頭でお求め下さい。
2007年02月03日
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イタリアのメディア王にして前首相ベルルスコーニ夫人ヴェロニカの話でイタリア中はもちきりです。この間のTV関係の会食で(これがウチの職場の近くであったんですよ!)ベルルスコーニが女の子たちとふざけて、冗談で口説いていたのを、彼への手紙という形でヴェロニカが糾弾。これがレプッブリカという有力新聞紙上の一面だったからさあ大変。レプッブリカ誌はアンチ・ベルルスコーニですからこれまたいいゴシップのネタ。朝からウチの職場ではあーでもないこーでもない。あきれたのがテレビの普通のニュース番組でも取り上げられていること。ワイドショーとかじゃなくてニュースよ。そして夜のトーク番組でもあーでもないこーでもない。わたしにはヴェロニカが石原真理子と重なって見えちゃったけどね。ちなみにこの億万長者の政治家夫人は元女優。ほらやっぱり。ちなみにベルルスコーニ、速攻で謝罪の手紙を書いています。イタリアって…。この記事を日本語で読むレプッブリカ誌の記事を読む
2007年02月01日
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